医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

塔の美観2

2006年07月31日 13時47分46秒 | Weblog
 僕は先日も東京タワーに昇ってまいりました。

 建造物の美しさについてですが、スマートで近代的なものの方が常に優れているわけでは決してないと思います。

 建造物には歴史と物語やロマンを感じると、その美しさが倍増するものですよね。

 エッフェル塔はまず、パリ博での入場ゲートも兼ねたため、足元の中心にエレベータなどがなく、真ん中にビルがある東京タワーとは違って、道路をまたぎ、向こう側がすっきり全部見渡せます。

 エッフェルの場合、エレベーターはなんと脚に沿って、斜めに上がっていきます。

 そしてエッフェルは、全体の形も美しいと思いますが、それよりも細かい部分(アーチとその上の部分)がまるで、鉄で編んだレースのように、あるいは彫刻のように美しいと思います。

http://www.sato-tetsuya.net/album/

 「鉄の貴婦人」は、当たり前ですがいかにもヨーロッパの建造物、ゴシック的ですらあります。

 西洋の美しい教会の繊細さに通ずるものを感じるのです。

 そしてなによりも光と影のバランスが、計算づくであるかのように美しいと思うのです。

 特に、この写真(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 )を見て明らかなように、骨格が透けて見える夕暮れ時や、逆光や、ライトアップされたときに独特の優美さが漂います。

 あたかも材質が木や石に近い感覚を醸しております。

 まるで竹で編んだかのようでもあります。

 そういう意味では、和の文化、日本的でさえある、と感心してしまうのです。

 一方、東京タワーも平成元年頃からでしょうか、石井幹子(もとこ)さんによってライトアップされるようになってからずいぶんと印象は変わりましたよね。

 それまでは、なんだかさびれたクリスマスツリーみたいに、輪郭だけ赤いランプで電飾されておりましたが、ところどころ電球が切れていて、歯が抜けたみたいでちょっと間抜けな印象だったと記憶しております。

 照明の色も現在では、夏は涼しげにホワイト、それ以外の季節はオレンジ色、たまにイベントにあわせ、緑やピンクや青色になります。

 ただし、あまりカラフルにすると下品になりますので・・・。

 石井幹子氏は日本を代表する照明デザイナーで、東京タワ-だけではなく、東京駅やレインボ-ブリッジ、横浜ベイブリッジ、鶴見つばさ橋、明石海峡大橋、姫路城、恵比寿ガ-デンプレイス等を手がけております。

 しかし素材の違いでしょうけれど、やはりエッフェル塔のライトアップにはかなわないません。

 今やエッフェル塔はライトアップされた景観に、そのあまりの美しさにパリ市が著作権を持っているので、勝手に写真を使うこともできないそうです。

 下記をご参照に・・   -続く-
http://www.sato-tetsuya.net/archives/2006/06/post_294.html

塔の美観1

2006年07月30日 18時25分40秒 | Weblog
 以前(5/17と7/5)に新東京タワーの話題について書きました。


 東京タワーとエッフェル塔ですが、エッフェルは1889年、東京タワーが1958年生まれです。

 ということはエッフェルが69年も年上なんですね。

 東京タワーは48歳、エッフェルはなんと117歳。

 エッフェル塔は、1789年の「フランス革命」の100周年記念に当たる、1889年のパリ万国博覧会に合わせて建設されました。

 「1900年式」といえばこのブログでお馴染の、「アールヌーヴォー」時代です。

 「フランス革命」がなぜこれほどまでに有名かといえば、この革命が市民革命であり、フランス啓蒙思想の流れを汲み、全世界に王制や君主制からの脱却と近代市民社会への改革をもたらしたからなのです。

 フランス啓蒙思想では特に、イギリスの「ジョン・ロック」の影響を受けた、フランスの「モンテスキュー」による三権分立理論においては、現在も民主主義の根底をなすものです。

 有名なことですが、フランス国旗の3色の色は、「自由・平等・博愛」を表し、日本をはじめ、近代民主主義国家の理念の礎(いしずえ)となっております。

 このフランス革命の只中に活躍した画家、ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」については、以前にもこのブログ内でお書きしました。

http://art.pro.tok2.com/D/Delacroix/dela02.jpg

 アカデミーよりルーブルで学んだドラクロアは、当時の主流であった「新古典主義」の構図や輪郭を大切にする手法に抗うように、動的で色彩豊かな「ロマン派」の代表となって行きました。

 またこの革命によってフランス王ルイ16世は、パリのコンコルド広場でギロチンによって処刑され、有名な王妃マリー・アントワネットも市中引き回しの上、同じくギロチンで処刑されました。

 このあたりは漫画および宝塚の「ベルサイユのばら」に詳しいので、女性の方が周知かもしれませんね。

 ところが革命というものはそううまくも運ばず、その後生じたフランス第一共和制はジャコバン派の独裁政治やその後のジャコバン派のギロチン処刑を経て、ナポレオン・ボナパルトによるフランス第一帝政となります。

 ナポレオン失脚後はブルボン王朝の王政復古を経験しつつ、数々の血と犠牲と反動を経て、ようやくフランスは近代民主主義国家へと発展して行ったのです。

 そんなパリといえばエッフェル、エッフェルといえばパリ。

 もちろんパリのセーヌ河岸は世界遺産です。

 エッフェルは鉄道レールなどに使われた錬鉄(れんてつ)製、東京タワーは鉄鋼(スチール)製だそうです。

 ちなみに鉄鋼とは鉄を主成分とする合金のことです。

 東京タワーはエッフェルの後、69年もたってのことなので、技術も進んだため重さはエッフェルの約半分。

 材質も異なるため、明らかにエッフェルをまねて作った東京タワーのほうが、機能的には優れているらしい・・・。

 見た目にも東京タワーはスマートですけれど、しかし美しさはどうでしょう?

-続く-

帽子と美意識5

2006年07月27日 16時24分03秒 | Weblog
 とっても悲しいことがあったので、本日はお休みしようかと思いました・・・

 大切な人を亡くしました・・。ご冥福を・・・・・・。


 ファッションとしての帽子の扱いは、僕たちの世代よりも今の若者の方が断然上手ですね。

 僕もパナマ帽が似合う、白い麻のスーツや紋付羽織袴を粋に着こなせる、いなせなおじいちゃんになりたいと思います。

 ひるがえって現代、やっぱり男も身につけるものから服装まで、そう、オトナの男としての身嗜み(みだしなみ)については、最低限自分で責任を持たないといけないんじゃないかなあって思うのです。

 奥さん任せの人やまったくかまわない人が、団塊世代から新人類の僕らまでの世代の男性ってとっても多いでしょ?

 帽子もそうだけど、今の若者の方がお洒落ですよね、圧倒的に。

 まあ横並びでつまらないこともあるけど、少なくても自分で気は使っています。

 自分の服装や身嗜みに、大人のマナーとして自分で責任を持つ、ということもそうなんだけれど、フランスの実存主義者、ジャン=ポール・サルトルは、人間は自分の行動や生き方や、振る舞い、たたずまい、発言・・・すべては本人の自由だけれども、必ず自分で自分に責任を取らなければならない、と言っていたように記憶しております。

 「実存は本質に先立つ」わけですから、僕たちは望むと望むまいと実存するので、僕たちは自分の存在を自由に、だけれどもその責任からは絶対に逃れられずに、自分の本質を自分で創造し続けていかなければならないわけです。

 サルトル曰く「人間は自由の刑に処されている」というわけですから、これはとっても厳しいことですね・・。

 でもそれをする、しようとして努力するのが大人じゃないかなと思います・・口で言うのは簡単ですが・・。

 僕なんか未熟者でまったくお話になりませんが・・・。

 頭では理解していても、なかなかね・・・そう簡単にいかないのがこれまた人生の難しさといいますか・・・。

 サルトルが一時期マルクス主義運動に傾倒したことは、僕的にはどうかとは思いますが、彼の理論は宗教とは独立しており、またニヒリスト(虚無主義者)でもないので、僕たちには理解しやすいと思います。

 最初にも言いましたが、公の基礎の上にはじめて立脚する「西洋的個人主義」と、公を無視したただの「日本的わがまま」を履き違えている僕たち戦後育ちって多いじゃないですか!?

 これまた言うのは簡単ですが、権利を主張するなら義務を果たさないといけませんよね。

 選挙に行かない人が権利を主張したって笑われちゃうと思うのです。

 興味がなかったら白紙を投票するのが大人のマナー・・・かな。

 決められたルールは、そのよしあしは別として、守らなければ社会が成り立ちません。

 よく言われる「カンケーねーよ」「メーワクかけてねーだろ」って考えがそもそも迷惑であると思いませんか。

 「カンケーねえ」と言われる方は、どうぞ社会を離れ無人島にお住まいになられてください・・・そう思うのは僕だけでしょうか?

帽子と美意識4

2006年07月26日 10時57分27秒 | Weblog
 またしてもいつものように話はそれてしまいましたが、そうそう帽子の話です・・・、僕は映画「カサブランカ」のハンフリー・ボガードのようにちゃんと帽子をかぶるオトナの男に憧れるのです・・。

 実はこの「カサブランカ」という映画もボギーのカッコよ過ぎさと、イングリッド・バーグマンの美しさと、テーマソングの「As time goes by」の秀逸さなどで伝説化されておりますが、ファンの方には申し訳ございませんが、内容そのものは僕個人的にはプアーであると感じております。

 この映画は実はもともと、アメリカの国威発揚のための反独プロパガンダ、言ってみればつなぎ合わせの「煽り(あおり)」映画なのです。

 近年でもアメリカが国威発揚のためにハリウッドと組んで、しばしばこのような映画を通したプロパガンダを行うことは有名な話です。

 またアメリカは「ランボー」を見ても分かるとおり、自分の都合だけで事実を歪曲させてまで自国や戦争をを美化したり、相手国の名誉を考えずに自分勝手な解釈を世界中に流布したりする情報操作は得意です。

 アメリカ映画ファンの方は、ハリウッド映画を観るときには、額面どおりに受け取ることなく、常に眉につばをつけながら、情報操作のことは忘れずに客観的に観ることが大切です。

 しかし僕が高校生のときに名画座で出会った「カサブランカ」のボギーは(アラン・ドロンとアル・パチーノには負けますが)、やはりかっこいい大人の男でした。

 日本には沢田研二という、その昔とってもセクシーでかっこよかった方がいらっしゃいます。

 彼は歌の途中でパナマ帽を投げ捨てたり、「ボギー、ボ~ギ~」という歌詞だったり、「As time goes by」の和訳となるタイトル「時の過ぎ行くままに」(オヤジのカラオケでの十八番?)という曲名や、そのものズバリの「カサブランカ・ダンディ」という曲などを考察すれば、やはりハンフリー・ボガードに憧憬を抱いていたのでしょうか??

 ボギーのようにトレンチコートの襟を立て、タバコの吸い方をまねたことがあるお父さん方、多いんじゃないですか?

 日本人だと笑われてしまうんですよね、これが。

 だから僕はせめて年老いてしわが深く刻まれたら、帽子だけでも真似たいと思います。

帽子と美意識3

2006年07月25日 13時04分37秒 | Weblog
 キューバがどうしてアメリカの不倶戴天(ふぐたいてん=ともに天をいただき見る事ができないくらい怨み深い)の天敵かといえば、簡単に言ってしまえばキューバが「共産主義」だからですが、そんな単純な問題だけでもありません。

 キューバにおいて「キューバ革命」以前までには、アメリカがキューバを植民地化して搾取をしておりました。

 そのアメリカ政府の傀儡(かいらい)政権であり、アメリカと一緒に組んで搾取していたキューバの「バティスタ政権」を倒して「キューバ革命」を起こし、キューバを共産主義とした革命家が、アメリカからすればにっくき『カストロ』であり、英雄『チェ・ゲバラ』なのです。

 伝説のチェ・ゲバラは有名ですから、みなさまもその名前を一度は耳にされたことがあると思います。

 ゲバラはアルゼンチン生まれの医師ですが、彼の生涯や言動、革命家としての思想や実際の戦術などは伝説化され、(共産主義ではない)僕たち(西側)民主主義国家の若者に受け入れられ、よくTシャツやポスターの絵柄として使用されておりますので、彼の肖像をご存知の方も多いのではないでしょうか。

 僕が好きな「ギャラリーフェイク」という漫画でも確か、ゲバラが愛用した葉巻入れの話題があったように記憶しております。

 軍隊式のベレー帽に星がひとつ・・・。

 浦和レッズのスタンドでも見かけるような・・・。

 ぼくは社会主義や共産主義がいいとは思いませんが(だからといって民主主義がベストだとも思いませんが)、確かにゲバラの若き頃にバイクを乗り回して放浪して得た価値観や、貧困に窮する人民への慈愛とアメリカの支配階級に挑んだ闘争という生き方、言動、また写真で見る限りファッションもカッコよく、賞賛する人たちの気も分からないでもありません。

 なんてったってあのジョン・レノンをしてキューバ革命当時、「世界で最もかっこいい」と称賛されたのがこのチェ・ゲバラです。

 ただしその当時、マルクス主義が熱病のように流布し、日本を始め世界中に、富裕層・支配階級・国家権力に対する闘争だの革命だの・・・そういった左系の風潮が、あたかもマージナルマン(境界人=オトナと子供の中間の青年層)の既存社会システムに対する反抗であるかのごとく、(時には幼稚に)多くの若者の心をとらえていたという時代背景があります。

 カストロ議長にしても現在、アメリカ経由の情報では共産主義者の独裁者、というレッテルですが、彼はもともとは弁護士であり、アメリカが植民地化して搾取していたキューバの貧困に、ゲバラとともに立ち向かった革命家なので、賛否両論あると思います。

 しかもカストロは当初は共産主義路線ではなく、アメリカに援助を請うために訪米したのですが、アメリカ大統領は面会もせずに経済制裁を行ったために、キューバは旧ソ連と連携して行ったのです。

 知らない方がそれを知ったら驚くかもしれませんが、実際アメリカのケネディ政権は、キューバに核ミサイルを配備した旧ソ連のフルシチョフと本気の戦争になりかけたことがあります。

 それがケヴィン・コスナー演じた映画「13デイズ」で有名な「キューバ危機」です。

 昭和37年のことです。

 想像するだけでも恐ろしいことですが、まさに一触即発のぎりぎり紙一重で、核による全面戦争が回避された実話なのです。

帽子と美意識2

2006年07月24日 16時34分55秒 | Weblog
 そういえば、の中田ヒデが言っておりました。

 今回の日本代表に欠けていたもの、それは「覚悟」だと。

 さすがにいいこと言いますね。

 「覚悟」かあ・・・僕も肝に銘じよう。



 さて。 昨夜の全英オープンご覧になられましたか?

 谷原 秀人、一気に全国区になりましたね。

 途中、計算して、「え、まさか? ひょっとして・・・いやいや・・・でも・・・」と深夜興奮してしまったお父さんは僕だけではないでしょう。

 しかし終わってみれば、谷原のあのパー5での左に曲げたティーショットと、パー3でのチョロを差し引いても、タイガーの底力にはやはり及びませんでしたが・・・アッパレ、谷原



 さてさて帽子ですが、カリブ海の衝撃的な青さについて、以前にお書きしました。

 カリブの赤い島(共産主義のため)といわれるキューバが舞台の映画、「ブエナビスタ ソシアル クラブ」をご覧になられましたか?

 帽子の本場パナマにほど近いキューバでの、帽子をかぶった大人の男のファッションとダンディズムが溢れていましたよね。

 葉巻もとってもオトナな感じがしました。

 この映画がかっこよかったわけは、監督が「ヴィム・ヴェンダース」だったからだということも大きな要因でしょう。

 ヴェンダースはカンヌで84年にパルム・ドールを受賞した「パリ・テキサス」や、僕が好きな映画「ベルリン天使の詩(うた)」を撮った監督です。

 「ベルリン天使の詩」は、大人のポエムというかメルヘンのような映画でした。

 確か、昔僕がよく通った渋谷のスペイン坂の上にある、シネマライズだったかな?新宿だったかな?単館上映だったのが、ロングランになったと記憶しております。

 1作目はとっても秀作でしたが、2作目の「時の翼にのって」も制作されました。

 2作目では、1作目よりも世俗的になってしまい、途中から何だか・・・という印象でしたが、本物のゴルバチョフ元ソ連書記長が出演したことにびっくりいたしました。

 また「パリ・テキサス」にも出演しておりましたナスターシャ・キンスキーの変わらぬ美しさや、ウィレム・デフォーのあくの強~い個性が光っておりました。

 それにしても、ナスターシャ・キンスキーを発掘した(?)ロマン・ポランスキー監督はさぞかし悩ましかったことでしょう・・・。

 「ブエナビスタ ソシアル クラブ」では、ご覧になられた方は、そのときのキューバの年老いたミュージシャンたちの熱い魂、そしてきちんとスーツを着て、ネクタイを締めて、帽子をかぶっていた、あのファッションにもとっても好感が持てましたでしょ?

 そもそもヨーロッパでは正装としての帽子の文化があったのに、アメリカ人が帽子を省略してしまい、野球帽にGパンにポロシャツという子供みたいなファッションを広めました。

 それはそれで都合が良いときもありますが・・・。

 好みや趣味の問題だと思いますが、僕はアメリカの天敵、キューバのおじいちゃんたちにむしろ好感を持ちました。

帽子と美意識1

2006年07月23日 18時29分35秒 | Weblog
 写真でよく見るというか、写真でしか見ようがありませんが、明治の大人たちってかっこよくないです?

 おじいちゃんたちなんですけど。

 山高帽かなパナマ帽かな、大正時代だとかんかん帽っていうのかな、いなせに帽子をかぶって、麻の白いスーツに、チーフを入れて、スティッキついて、ひげをたくわえて。

 蝶ネクタイなんかしちゃったり。

 嫌味もないんですよね、不思議と。

 アクセサリーはバブリーなゴールドではなく、シルバー。

 懐中時計などをさりげなく持ってしまい。

 帽子に関しては下記を参考にしてください。(でも学ランのときにかぶらされるあの学生帽はデザイン的にいけてないよなあ。もっとかっこよくならないもんかなあ。

http://www.hat-hat-hat.com/shurui/shurui.htm

 ファッションもそうだけど、明治の大人はやはりひとりひとりが大人の男として、国家大計を考える責務を自覚している潔さがうかがえるんですよね。

 自分個人のことよりも、もっと大きな視点でものをとらえている、背筋の伸びたきりっとした大人としての「美しさ」を感じます。

 公が基礎にあって初めて個や私があるわけじゃないですか。

 単に個の集まりが公じゃないんだ、という自覚にあふれているように感じます。

 単なる個の集まりだったら幼稚園と一緒です。

 そりゃそうですよね、今まで鎖国していたのが、急に開国を要求され、西洋の列強は植民地政策をつきすすめており、このままアメリカかロシアの属国になるのか、日本が彼らと対等に勝負していくのかを問われたわけですから。

 服装やたたずまいにも、大人としてのマナーや礼儀、責任感がにじみでていますよね。

 「俺たち一人ひとりが日本を背負って立つんだ」という覚悟が顔に出ておりますでしょ。

 威風堂々としておりますから、たとえ少しくらい髪が薄くたって、恥じたり隠す風でもなく颯爽(さっそう)としております。

 僕は別にエンスージアスト(熱狂的回顧主義者)や国家主義者なわけではないんですが。

九州という美質6

2006年07月20日 13時34分26秒 | Weblog
 昨夜のNHKの世界遺産では、このブログで以前特集した、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼を、フランスのヴェズレーから中継しておりましたね。

 ご覧になられた方は、ロマネスクとゴシックの違い、丸いアーチの天井ととんがった天井の違いがよく分かりましたよね。

 ロマネスク(11~13世紀)は鎌倉時代で、平等院鳳凰堂の時代、ゴシック(13~15世紀)は足利氏の室町時代、代表的な金閣寺が対応します。



 さてさて九州ですが、九州男児には、関東の人間には失われてしまった(?)、独特のいい意味での「あくの強さ」が残っていますよね。

 芸能人やミュージシャンを見ても九州出身の方も多く、「小林よしのり」氏もそうですが、とっても個性や主張が強い方が多いですし・・。

 歴史的な偉人もたくさん輩出しております。

 九州の人々にはどこかしら、アジアの個性であるところの、混沌とした活気、エネルギッシュな部分を感じます。

 それに九州では各種のお祭りをはじめとして、なにより独自の文化と伝統が成り立っておりますし、人々がそれを誇りとし大切にしているのも伝わります。

 古きよきものと新しいものが上手く融合している気もします。

 また九州の各県のそれぞれも、とっても個性と特色があって、その差も楽しませてくれます。

 それと九州は食文化、お酒の文化も独特ですよね。

 以前友人の結婚式で宮崎市を訪れたときにも、深夜0時過ぎにもかかわらず、地方都市宮崎市の街並みでは六本木並みに人々が行きかってにぎわっており、中には妊婦まで歩いていて、そのエネルギッシュさに驚いたことがあります。

 宮崎の友人は普通のことだとしれっとしておりました。

 深夜に食した釜揚げうどんもおいしかったなあ・・。


 日本がすべてリトル東京ではつまらなくなります。

 九州にはこのままどうか東京に阿る(おもねる)ことなく、個性的にグングン成長していって欲しいものです。

 あくの強さと個性を大切にして、妙に廻りに合わせてしまわずに、突っ走って欲しいと思います。

 石原都知事には叱られるかもしれませんが、オリンピックも招致して、どうか福岡にじゃんじゃん人と活気が集まりますように・・。


 和とアジアと西洋の混在した独特の地域・・・「卑弥呼」「邪馬台国」の九州説(他は畿内説や関東説、最近は出雲説ですか?)というのもあるくらいですから、古くは日本の中心的役割も果たしていたのでしょう。

 どんどん観光客をアジアから招き、国頼みではない貿易の拠点として、また産業でも地の利を生かして、アジアに向けた日本への出入り口として、アジアへの架け橋として個性的に発展していって欲しいですよね。

 アジアンでラテンな気質としての九州に期待大

-終わり-

九州という美質5

2006年07月19日 13時21分45秒 | Weblog
 「ゆりかごの唄」どうですか、みなさん?

 みなさんの感性にハマりませんか?

 これも名曲だと思いますが、いかがでしょうか?

 子供を寝かしつけるときに実際に歌ってみると、尚いっそう良さが理解できると思いますよ。

 それにしても白秋の詩は、「この道」も「ゆりかごの唄」でも、どことな~くハイカラで、洗練されており、だけれどもひらがなの「和」が丸くて柔らかく、優しくひらがなが踊っていて、甘くて、ぽわぽわ~っと、とっても心地よく感じるのですが・・・。

 まるでそれは「ましゅまろ」や「こんぺいとう」のような・・・砂糖をまぶしたパステル調のきみどり色やきいろ、うす桃色に、そして白・・・というようなイメージ・・・、「かすてら」っぽいと言うと、語弊があるかもしれませんが。

 「白秋」の育った柳川、福岡県、そして九州という土地柄は、特に長崎をはじめ、オランダ文化の入り口でしたので、またキリシタンも多かったでしょうし、そのため西洋文化や、同じく交易が許されていた中国の文化の薫りにあふれ、彼の詩にはそういう異国情緒の影響もあるのでしょうか?

 また、ある意味現在、日本でもっとも良質な番組のひとつであると、僕が勝手に評価している(偉そ~に)、NHK教育テレビの『にほんごであそぼ』(放送時間 毎週月曜日~金曜日 午前8:00~8:10 再放送 同日午後4:50~5:00)があります。

 みなさん、この「にほんごであそぼ」は、一度だまされたと思ってご覧になってください。

 おしゃれでユニークで知的でセンスにあふれ、それはそれは素晴らしい番組なんですよ。

 癒されること間違いありません。

 自分の中の日本人としてのアイデンティティーを再発見できますよ。

 その番組の中で最近気になる唄が・・・龍と九州弁が出てくるのでたぶん長崎(?)の方言の唄でしょうか・・・?僕は初めて聴いたのですが、全国的には有名らしく、それだけにこれもまた妙に耳に残るフレーズなんですよね。

 中国と日本の文化の、いい感じの融合によって、振り付け、衣装にも独特の化学反応がかもし出されております。

 言葉の韻の遊びでしょうから、たいした意味はない(とまた勝手に思い込んでます)でしょうけれど、その意味でもまぁ日本のマザーグースと呼んでよいのではないでしょうか

でんでら龍ば
出てくるばってん
でん出られんけん
出てこんけん
こん来られんけん
来られられんけん
こーん、こーん    


 これから百年先、今は揉め事の多い東アジアも、ひょっとしたら国境がボーダレス化して、日本、韓国、中国の東海岸がひとつのグループとなり、極東の首都として福岡が機能しているかもしれません。

 福岡ー沖縄ー上海ーソウルー香港ーシンガポールー台北で、IT産業やその他のハイテク産業のネットワークが構築され・・・。

 福岡はアジアの出入り口としての使命を、東京とは独立して、戦略をもって十分に全うしていただくことを期待してやみません。

-続く-

九州という美質4

2006年07月18日 14時19分43秒 | Weblog
 昨夜もNHKでいい番組やっていましたね。

 世界遺産の番組で、パリのセーヌ川を中心に、ルーブル、シテ島、ノートルダム大聖堂を生放送しておりました。

 民放によくありがちな、キャスターがお笑い芸人や芸能人のため軽すぎたり、ハイテンションのアナウンサーや女性リポーターが耳障りだったりすることもなく、落ち着いた進行でとても好感が持てました。

 今夜も中世都市「プロヴァン」(=Provins、これは南仏のProvenceプロヴァンスとは異なります・・・きっと)を放送するようですね。



 さて白秋の「この道」の詩は、そう・・、誰にでも幼い頃に母親と歩いた道や、ふるさとの記憶って鮮明にあるものでしょ?

 そのとき見た花や景色や雲や乗り物や・・、それがとってもなつかしく想え、心の芯を刺激し、鼻の奥がちょっぴりつ~んとしたりして・・・

 それが絵本のように最小限の単語で、的確に、やさしく、わかりやすく、しかもまろやかに、ちょっぴりせつなく、そしてロマンティックに・・・、やっぱり天才詩人ですね。

 「シーナ&ザ・ロケッツ」を聴くと髣髴(ほうふつ)される「サディスティック・ミカ・バンド」の曲で、CMでもお馴染の「タイムマシ~ンにおねがい~」ではないですが、「この道」よって子供の頃の自分にタイムスリップしてしまうのです。

 ちょっと横道にそれますが、それにしても「サディスティック・ミカ・バンド」って、ジョン・レノンの「プラスティック・オノ・バンド」のパクリみたいないーかげんな名前のように聞こえるけど、実は加藤和彦につのだ☆ひろ、高橋幸宏、高中正義・・と豪華メンバーで、僕の愛するあの「ロキシーミュージック」の前座までつとめた伝説のバンド・・・なんですよ。

 「この道」はシーナ&ザ・ロケッツが同じ福岡出身の偉大な詩人、北原白秋が身近だったので、おそらくこれを歌ったのでしょう。

 センスが良いですよね。


 それと九州出身の北原白秋といえば、僕のお気に入りの童謡の中では「ゆりかごの唄」もあります。


ゆりかごの うたを
  カナリヤが 歌うよ
    ねんねこ ねんねこ
    ねんねこよ

ゆりかごの うえに
  びわの実が ゆれるよ
    ねんねこ ねんねこ
    ねんねこよ

ゆりかごの つなを
  木ねずみが ゆするよ
    ねんねこ ねんねこ
    ねんねこよ

ゆりかごの 夢に
  黄色い月が かかるよ
    ねんねこ ねんねこ
    ねんねこよ

九州という美質3

2006年07月17日 18時23分55秒 | Weblog
 そのインパクトの強すぎる、九州男児のちょいワルオヤジ、「鮎川 誠」氏はバンド、シーナ&ザ・ロケッツのギタリストです。

 推定50代後半?? キヨシローよりちょっと年上??同じくらい??

 ギブソンのレスポールとサングラスがトレードマークで、奥さんがヴォーカルのシーナさん?でしたっけ??

 鮎川誠という「こてこて」の日本人の名前のわりに、えらいバタ臭い顔で足が長く、まるでモデルのような容姿だと思ったら、お父上はアメリカ軍人ということなのでハーフ??

 それでべたべたの筑後弁??を話すところが、これまたエラくカッコイイ、と僕は思います。

 以前、そのシーナ&ザ・ロケッツが北原白秋の「この道」をロック風に歌っていたのをどこかコンサートで聴いたんだっけなあ・・・?

 これがどういうわけか僕の脳波に妙に同調して、脳神経細胞に刷り込まれてしまい、今でも突然この歌が頭の中で、シーナさんのあのヒステリックな声でリフレインを繰り返して鳴り止まないことがあり、とっても困ることがあります。

 みなさんもそういう曲ってありますでしょ?


この道はいつか來た道、
 ああ、さうだよ、
あかしやの花が咲いてる。
 
あの丘はいつか見た丘、
 ああ、さうだよ。
ほら、白い時計臺だよ。
 
この道はいつか來た道、
 ああ、さうだよ。
お母さまと馬車で行つたよ。
 
あの雲もいつか見た雲、
 ああ、さうだよ。
山査子の枝も垂れてる。


 「北原白秋」に関しては、以前に僕が九州は柳川に旅行に行って、どんこ舟で水郷を揺られたり、柳川鍋を食して楽しんだのですが、その柳川に白秋の生家もあって足を運んだと記憶しております。

 しかしこの歌は「あかしや」「白い時計台」「山査子(さんざし)」といった単語から、舞台としては「北海道」が連想されます。

 「山査子」を見たい方は下記を。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/sanzasi.html

 「あかしや」については、はちみつの原料にもなり、札幌の「ニセアカシヤ」を指すようです。

 強い外来種のため、問題もあるそうです。

 どうも白秋が小田原在住の際、旅行した北海道で作った詩のようです。

 この曲を選んだ鮎川誠のセンスはなかなかのものだと思いませんか?

九州という美質2

2006年07月16日 10時26分16秒 | Weblog
 少し前のことですが、産経新聞にこんな記事が出ておりました。

 勝手に引用させていただきますが、

 ~米誌ニューズウィーク(国際版)最新号は、世界主要国の中で特に急成長を遂げている都市を「最もホットな十都市」として特集し、人口流入の動きが拡大する米ラスベガスなどとともに「アジアへの出入り口」として成長著しい福岡市を選んだ。

 同誌は、独自に入手した国連の調査結果を基に、東京やニューヨークなどの大都市の人口増加率は減速傾向にあり、今後はより小規模な「第二の都市」が次代の発展の中心的存在になると指摘し、地方の都市を中心に「ホットな都市」を選出した。

 福岡市については、同市や周辺地域にトヨタ自動車などの大手企業が投資を続けており、九州が「シリコンアイランド」「カーアイランド」と呼ばれていると紹介。

 さらに、博多港が扱うコンテナの量が六年前に比べ50%増となっているほか空港も活況でアジアとの橋渡し役として発展していると指摘。豊かな文化・伝統にも恵まれ外国人観光客も急増していると称賛した。

 同誌はほかに、雇用環境が良好なドイツ・ミュンヘンや、インド首都圏のベッドタウンとして発展するガジアバードなどを「ホット」とした。~



 福岡はラスベガスと同格で世界的に注目されているのです。

 日本では福岡で商売が成功すればたいしたものだ、とよく言われます。

 福岡はビジネス上の試金石でもあります。

 僕も博多に講演に行ったときに、空港や新幹線の駅のアクセスに加え、都市機能のバランスのよさに驚きました。



 さあ、先日の鮎川誠さんのCM、

 「博多んもんなぁ横道(おうどう)もん、青竹割ってぇ~へこにかく!」の答えです。

 これは、

 「博多の人は道理に外れており(横着者のため?どっちかな?)青竹を割ってふんどしにする」

 という意味だったような・・・???

 青竹をふんどしにですか・・・想像しただけでもスゴイですね・・。

 でも鮎川誠氏のインパクトがあまりに強すぎるせいで、このフレーズをよく憶えていたのです。

九州という美質1

2006年07月14日 10時40分08秒 | Weblog
 心配なニュースが飛び込んできました。

 以前にもここで書いた、僕が日本人として最もカッコいいと思っている55歳のオヤジ、忌野清志郎が喉頭がんで入院しました。

 どこがどうカッコよすぎるのかは、このブログ内をお探しください。

 キヨシローのコメント、「何事も人生経験と考え、この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療に専念できればと思います。」

 またしても「困難」をカッコつけて「ブルース」などと・・

 キヨシローにどうか、どうか幸運を!

 必ずやまた卓越したセンスと、あの日本一の歌声を聴かせてください。

 

 そして、戦士ジダン

 何を言われたかなんて、言わなくてもよかったのに・・・

 あの行為は許されませんが、やっぱりジダンは僕が思ったとおり、後悔はしていないと言っておりました。

 暴力は絶対にいけないことです。

 しかし彼は戦いびとです。 もののふなのです。

 あの気持ちがあるから、今のジダンがあるのです。

 逆に日本選手の中で、あそこまで強い気持ちをヒデ以外の誰が持ちえて、それが僕たちに伝わっていたでしょうか?

 あのベッカムでさえ、試合中にピッチで自ら指を口に入れて、ピッチ上で嘔吐するという、彼にとっては醜態を全世界にさらしました。

 そしてベンチに下げられたときに、あのベッカムが泣いておりました。

 本物の戦士にとっては、国の威信を背負うということはそれほどのことであり、それほどまでの舞台なのです。

 選手のレッドはチームからしたら困るけれども、ジダンの場合あの時間帯でのレッドは勝負所ではありませんでした。

 彼は神話になりたいと望んでいたわけでもないし、聖人でもなく、彼は戦士であり、そして不完全な人間なのです。

 目の前の敵をぶっ倒してでも勝利をもぎ取ることが、戦士としての美挙なのです。

 男として、戦士として、自分の歴史はプライドを傷つけられてまでの侮辱や屈辱の上に成り立つものではありません。

 何を言われたかが問題ではありません。

 挑発したほうもしたほうです。

 最後まで戦った牡牛のように勇敢なジダンに、むしろ潔さを感じたのは僕だけではないはずです。



 さてさて・・・、その昔、僕が大学時代に山陰に住んでいた頃、鮎川誠という非常にカッコイイ、今で言う「ちょいワルオヤジ」が、

「博多んもんなぁ横道(おうどう)もん、青竹割ってぇ~へこにかく!ばってん、ら~めん

と、インスタントラーメンのCMでキメておりました。

 今でも妙に耳に残って仕方がないのですが・・・

 みなさん、どういう意味かわかりますか?

 ただし、このCMが東京でもやっていたかどうかは定かではありません。

 答えは次回

記録番組の美3

2006年07月12日 11時37分24秒 | Weblog
 また、だいぶ前のことですが、大阪で公園に勝手に定住している方たちを公園から強制退去させようとした行政側と、それに反対する当の家主たち、それからその反対行動を煽る「煽動者」がテレビに映っておりました。

 行政はその公園が世界的展示行事で使われるので、代わりの宿泊施設まで用意しての行動でした。

 ところがその公園の家主(?)たちは、行政が用意した宿泊施設を「あんな狭いところに寝てられるか!」という反論です。

 「公園は市民のものだ!俺たちも市民だ!」との主張です。

 報道はほとんどが、反行政寄りであり、行政に反対する方に同情的に報道していた印象を受けました。

 この事件もそうですが、それに加えて、勝手に定住していた方に公園を住所と認めた判決にも違和感をおぼえました。

 この件に関しては、朝のニュースでみのもんたさんが、僕と同じ意見でもって怒っておりました。

 大方のキャスターとは異なる、このみのさんの発言に軽い驚きと新鮮さを覚え、みのさんの的を射た庶民的な思考に、洗練されたバランス感覚を感じました。

 ここで強調しておきたいのですが、弱者を排除しようとする意思は毛頭ございません。

 本当に困った方たちには喜んで手を差し伸べたいと思っております。

 しかし、この一連の事件では、人権を履き違えてはおりませんでしょうか?

 市民とは義務やルールを守る者ではないでしょうか?

 「個」の前にまず「公」があるのではないでしょうか?

 またそのことに社民党は、「働く場所を用意しない政府が悪い」と主張されておりましたが、彼らは厭世的になりアパシーとなっておりますので・・・働く場所さえあれば働くのでしょうか??

 社民党ならこの問題をどう解決されるのでしょうか?

 「働けるのに理由をつけて働かない」人たち(「働きたくても事情があって働けない」とは違います)に楽園を作って、働かなくても宿や食べ物を与えるのでしょうか?

 そもそもマスコミというものは権力を見張ることに存在意義があるので、反対することに美学があると考えておられるのかもしれませんが、それにしても昨今、どうも報道が偏っていて、大義を失い、政府や行政のやることなすことに「反対のための反対」、あるいは真の権威には屈し叩きやすい者を叩く、中立の立場を逸脱しているという傾向がやけに目に付く気がします。



 さてさて、記録番組の中でも「はじめてのおつかい」は困りますねえ・・。

 反則ですよこれは。 大好きなんですよ・・

 子供に試練を与えて、その試練を耐え抜くさまをカメラに収めるのですから、感動しないわけがありません。

 一体誰が考えたのでしょうか?

 相当昔に「追跡」という番組があって、司会が確か青島幸男さんと高見知佳さんだったかな・・、その中のコーナーでしたよね・・違ったかな?

 相手は子供ですからねえ。

 大人と違って演技できないでしょ?

 子供からしたら100%嘘なし、やらせなしでしょうから・・・。

 あのテーマソングを聴いただけで、胸がきゅんとしてしまう方も多いでしょ??

 テレビ業界はネタ切れすると、子供かペットものをやるんですってね。

 それにしても最近、NHKとなぜか東京12チャンネルの作る番組に意外(?)に知的で良質なものが多い気がするのですが・・・僕だけでしょうか・・・?

 気のせいかな?

記録番組の美2

2006年07月11日 11時35分49秒 | Weblog
 昨日はあまりの衝撃に「ジダンよ」を緊急投稿してしまいました。


 さて、話題が戻ります。

 「感動の再会」で連想されたんですが、最近、自分の親やわが子まであやめる事件が多い気がしませんか?

 これは動物でもしないことですから、僕としては許せないことだと思います。

 きつい言い方ですが、人間として生きている資格があるのだろうか?とさえ思ってしまいます。

 暴力は許されることではありませんが、相手が成人であれば、万が一もめてしまうこともあるかも知れませんし、殺意を抱いてしまったと仮定しても返り討ちに会う可能性もあるし、どうしてもやむを得ない情状酌量の余地ということもひょっとしたらあるのかもしれません。

 しかし、被害者が子供やお年寄りの場合、力に勝る成人であれば絶対目的を果たせてしまうわけですから、自分より力のないものをあやめた場合、特に肉親の場合は厳罰に処するべきだと思いますが、みなさんはどう思われますか?

 ところがそれは憲法違反なのだそうです。

 たとえ肉親でも他人でも人間に差はないというのです。

 は??

 この感覚は僕には馴染めないのだけれども・・。

 わが子をあやめるような鬼でも、被害者が一人ならばたった数年で仮出所するみたい・・。

 どう思いますか??

 国民の感情とは逆に偏ってませんか?

 たとえ一般の事件と同じ法律でもかまいませんが、同じ法律内でも酌量の余地などに差はあるのですから、それを利用して重い判決にして欲しいと思います。

 あくまで日本人の美徳として、親や子供をあやめることは許さない、と毅然として欲しいと思います。

 儒教の観念が薄らいできていませんか、昨今この国は?