医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

押尾流アコギの美奏 4

2008年04月30日 12時45分48秒 | Weblog
 んで、通常のギターのチューニングは、上のほうの太くて低い音の6弦から、開放弦がミラレソシミですから、ドがCですのでEADGBEになります。

 「Splash」ではそれを「DADGAD」、つまり「ダッドガッド」の「オープンチューニング」、開放弦がレラレソラレと、1・2・6弦を1音全音分下げるのですが、この「ダッドガッド」も押尾さんの得意技。

 まあ、技の玉手箱みたいで、特に「ネイルアタック」や「パーカッション」の裏のリズム取りがカッコイイ。

 それらのテク、特に「ハーモニクス」や「オープンチューニング」に「パーカッシブ」が得意だった、例の職人『マイケル・ヘッジス』の日本版のようです。

 で、これが『マイケル・ヘッジス』の伝説「Ragamuffin」(浮浪児?)だ!

http://www.youtube.com/watch?v=fTO4y5Mo8rk&feature=related



 この天才マイケル・ヘッジスは、天才にありがちな薄命、43才で事故死しちゃいました・・・




 ちなみにボブ・ディランの「All Along The Watchtower」って曲があって、なぜかいろんなミュージシャンがカヴァーするんですがね・・

 “見張り塔からずっと王子たちが見張ってやがる”、ってやつですけど。

http://www.youtube.com/watch?v=jkok1Z4WJuY&feature=related




 それで、この曲を流行らせた(?)孤高のギタリスト、天下のジミヘンがやると

http://www.youtube.com/watch?v=BCwCBh0z3Hs

 

 んでもってこれを、なんと、あのマイケル・ヘッジスがやると

http://www.youtube.com/watch?v=rs0rKW2jqMU

 別ヴァージョン

http://www.youtube.com/watch?v=XqGHE5GqZ44


・・・明日から少しお休みです。次回は5月の連休明け、くらいに再開できればいいなぁ、と思ってます・・・

押尾流アコギの美奏 3

2008年04月29日 06時01分24秒 | Weblog
 少々マニアックな話になりますが、そもそもギターの奏法で「タッピング」ってのがありまして。

 一般に「タッピング」というと、「ライトハンド」奏法というか・・

 ロックの世界でエレキギターを使って、「ハンマリングオン」や「プリングオフ」といって、ネックのところで右指と左指を交互にはじいたり押さえたりして、速弾きするやつを想像するんですがね。

 エディ・ヴァンヘイレンがよくやるテク。

 押尾さんの場合、右手の使い方が通常の「ライトハンド」のような指先だけでなく、曲げた人差し指の側面でたたくように押さえて音を出したり、左手で「ハンマリング」をして音を出し、「レフトハンドストローク」で音を出したり、右手で押さえるのではなく叩いてすぐ離して音を出したりだとか・・・



 ほかにも「ハーモニクス」といって、弦を押さえる左指が触れるか触れないかにするか、引いた右指で軽く押さえたりして、高くて澄んだ倍音を出すテクを多用します。

 その「ハーモニクス」にしても、通常法以外に、「テクニカルハーモニクス」といって、押さえた弦の12フレット先でいろんな音程のハーモニクスを出したり・・

 「タッピングハーモニクス」を使ったり 

 きわめつけはボディをパーカッションのようにパカポコ叩くのですが、これを親指の側面で叩いたり、親指の付け根で叩いたり、ボディの下を叩いたり、ネックを叩いたりして、まぁ音色も変え、自在に「パーカッシブギター」奏法を操り、

 「ネイルアタック」で「ラ~ラチャ・ラチャ・ラチャ」のチャというノイズを入れたり、「ブラッシング」といってちょっとミュートした音を入れて、リズムを細かく小気味よく、これがまたかっこよく、ブラックっぽく入れてみたりだとか、

 フラメンコっぽく「ラスゲアード」といってジャララ~ンって弾いたり、

 もちろんクラシックのように、右指の使い方なのですが、「アポヤンド」と「アルアイレ」で弾いたり、

 エレキのように「チョーキング」したり、

 左指での「セーハ」(1本で何弦かいっぺんに押さえる)は当然、

 昔はベースという楽器でチョッパーって奏法があり、今は「スラップ」というんですけれど・・・

 まず「サムピング」といって右手の親指で低音のベース部分を弾いて、人差し指や中指で1、2弦など高音弦を引っけけて、指板にバチンと打ちつける「プリング」という奏法を組み合わせて、「ウンパパ・ンパッパ・ンパー・ンパー」とアタックの効いたパーカッシブなサウンドを得る奏法も、

 とにかく、いろいろフォークギターでやっちゃいます。

押尾流アコギの美奏 2

2008年04月28日 12時31分55秒 | Weblog
 いわゆるギターには、大まかに言うとアコースティックとエレクトリックがあります。

 エレキは、ピックアップと呼ばれる、ボディについている金属のイボイボのところで音を拾って、それを電気信号に換え、アンプで増幅します。

 アコギは一般に電気を使わず、ボディが空洞で、ボディにサウンドホールという穴が開いていて、弦振動によってボディやボディ内を共鳴させ、サウンドホールから外に向かって放出させます。

 で、アコギに、クラシックギターとフォークギターがあって・・・という説明も実は微妙ですが・・・

 クラシックギターはフォークギターよりボディはひとまわり小さく、ネックが太く、1~3弦はナイロンというか、全部ナイロンなんだけど・・・

 フォークギターはピックを使うことも多いので、ピックガードがボディの弦の下方についていて、1~3弦もスチールで、奏者の右手のほうのブリッジの部分の弦には玉(?)がついていて、クラシックでは直接からまってます。

 でも昔からフルアコ、セミアコというアコースティック形状で電気で増幅するギターはあるし、最近では、エレアコがあるので・・・一概には・・。

 アコースティックの場合、マイクで拾うと共鳴してしまい、難しいのです。




 んでもって、押尾さんはフォークギターで、いろんな奏法を駆使して、ほんとにこの曲1本のギター?って音を出しつつ、ネックやボディをパーカッションのように叩くのね。

 それがチョーかっこいい。

 で、押尾チルドレンの若き天才ギター小僧たちも、ギターを叩く叩く・・・。

 パカポコ、バシャ~ンと。





 あくまでイメージとしてですが、クラシックギターは指でメロディとベースを弾き、フラメンコギターやブラジル・南米風のボサノヴァなどもあり、

 ジャズでは主に、セミアコを使い、

 日本風フォークギターは、ピックでジャンジャガジャガジャガと和音やコードをかきならすか、もしくはアルペジオで、あくまで伴奏、主役はヴォーカル・・・

 エレキは伴奏とソロとがあって、主にピックで・・・

 みたいなところがありまして。

 押尾さんの場合、フォークギターでピックを使わず、自由に演奏します。

 まるで、伝説のマイケル・ヘッジスのようであります。

押尾流アコギの美奏 1

2008年04月27日 09時41分33秒 | Weblog
 ずばり、「押尾コータロー」さんってご存知ですか?

 そう人気沸騰のギタリストです。

 彼の「Splash」はもっのすげーカッコイイ。

http://www.youtube.com/watch?v=jFeadi_7Nrk&feature=related




 どうやって弾いているのか想像ができません・・・。

 大阪のギタリスト、童顔なので分かりませんでしたが、40歳ですって。

 彼が操るのはいわゆるクラシックギターではなく、いわゆるアコースティックギターというかフォークギターというか、クラシックのように1~3弦がナイロンではなく、いわゆるスチール弦のほう。

 愛用はGREVEN(グレーベン)のヘリンボーンか・・・

 ヘリンボーンってのは、マーチンだったかな、ボディのバインディングといって、つぎめのところの模様が寄木細工によって、魚の骨みたいに仕込まれたやつっす。

 それのD(ドレッドノート)タイプね。

 このDってのはマーチン社のDがつくシリーズで、これは「dreadnought」というイギリス海軍の大型戦艦に由来しまして・・・でかいのDです。

 マーチン社のギターだと、大きく、厚さがあり、腰のくびれが浅いのが特徴、これにより豊かな音量が得られるとされます。

 で、このグレーベンはインレイ、つまりギターのネックの指板上のポジションマークが、羽を広げた鳥をあしらった貝製(?)のポジションマークになっていて、これがまたカッチョイイ。

美春爛漫ハナミズキ 2

2008年04月25日 07時28分19秒 | Weblog
 この春美人、アメリカのワシントンD.Cに桜を贈ったお礼で日本に入ってきた、という話ですから、完全に外来種(?)・・。

 日本では「ヤマボウシ」といって、花の先っちょがハナミズキのように丸くなく、とんがってるやつが原生だそうです。

 一見して花に見えるところは、苞(ほう)だと言いますが、苞(ほう)だの萼(がく)だのややこしくてしようがない。

 花は真ん中のとこの、緑のところに小さく咲くらしい。

 最近では一青(しとと)何某の歌でも有名みたいですが、おじさんは知りません。

 桜の次には入れ替わるようにこのハナミズキが咲き誇り、街路樹や家庭の庭木でも人気です。

 白や赤(ピンク)で、こぶしやもくれんよりやや小ぶりな花がとっても目だってきれいです。

 ハナミズキの木はすらっとスマートで、枝も細く、花が葉っぱより先ですから、まるで花が空中に浮かぶように咲き誇って、だから鮮やか。

 この木は買うと高いそうです。

 どなたかの庭に、門を挟んでピンクと白が対になって植わっていたりすると、なんとなく品のよさを感じてしまうのは、僕だけでしょうか?

 だいの大人の男が最近言うようになった「素敵」という言葉は、「あなた」と並んでなんだか僕には気恥ずかしいですが、最近市民権を得てきましたでしょ。

 ちょっと照れますが、この鮮やかで可憐な花は素敵です。

 わが港区の花らしいです。

 紅葉や実も楽しめるんですよね。




 甲府第一高校理科教室によれば、

 「現在では世界的に有名な桜の名所の1つになっているアメリカ合衆国の首都ワシントンDCにあるポトマック河畔の桜並木は,1912年(明治45年)に時の東京市長,尾崎行雄がタフト第27代アメリカ大統領夫人のヘレン・タフトさん達の要望で贈った3,000本の桜の苗木がもとになっている。 

 これらの桜は第二次世界大戦中も大切に育てられ,1949年(昭和24年)からは桜の開花時期に合わせて「桜まつり」も行われるようになった。

 この桜の返礼として1915年大正4年)に,白花種のハナミズキ(ハナミズキの花言葉は『返礼』)の苗40 本を持って来日した。

 さらに2年後の1917年にはピンクの苗木12本も贈られ,日比谷公園や都内の公園,植物園などに植えられたが,第二次世界大戦を境に「敵国の贈り物」として,多くは忘れ去られてしまった。

 ところが最近になって東京在住の峰与志彦氏がこれらのハナミズキの原木探しを精力的に行った結果,東京都世田谷区の都立園芸高校に2本,文京区の東京大学小石川植物園に1本,静岡県清水市農水省果樹試験場興津支場に1本残っていることを発見した。これらの老木はいずれも幹回りが1mを越え,樹高も10m近くになっている。」

って、ことでした。

 みなさまも、お住まいのご近所の街路樹などで、お探しの上お楽しみください。

美春爛漫ハナミズキ 1

2008年04月24日 19時58分12秒 | Weblog
 あれだけネガティブで退廃的な美の追求を書いていて、平気でポジティブな美を書くところが、陰陽道のタオイストの悟りへの道・・・。

 さてさて、「ソメイヨシノ」を十分堪能した後は、「八重桜」、これは通称「ぼたん桜」とか、「里桜」、それに続いて、いよいよ「ハナミズキ」に、「藤棚」と・・・さあ春満開です。



 ではみなさまに、ここで問題。

 みなさま、『梅』、『桃』、『桜』の区別がつきます?

 だからって、まぁ、どうってことないんですけど・・・

 ま、日本人としての作法というか、マナーとして、風流、粋、みやびのためこれくらいは常識的に知っておきたいものだと・・・。

 僕は人に聞かれたとき、のんきに適当なこと言ってましたが、ま、おおよそ遠からじでした。

 僕には、梅と桃の区別がちと難しい。




 まず、花びらの形。

 先が割れてるのが桜、丸いのが梅、とんがっているのが桃。

 さらに、梅は花がびよ~んと開いて、おしべやめしべのところが目立ち、枝がごつごつして、花は枝に直接くっついているが、一輪ずつ咲き、卑近ですが花札の梅を想像すると良い。

 桃は枝に直接二個ずつ(?)咲き、桜はまとまって枝からさらに分かれてこぼれるように咲く。

 ってところが、正解のようです。

 ここにりんごの花なんかがからむと・・・もうお手上げ。





 ハナミズキは花水木と書きます。

 水木(ミズキ)のうちで、花が目立つから、ハナ・ミズキだそうで、決してハナミズ・キではございません。

B級愛Bフェリーの美学10

2008年04月23日 11時06分20秒 | Weblog
 曲はともかく映像美としては、その色の扱い方も間違いなく世界最高峰の、「Your painted smile」

http://www.youtube.com/watch?v=XJPY93jzd_4&feature=related

 パステルカラーでも、これだけ妖しい世界が描けるのですね・・・。

 監督は一体誰なのでしょうか?

 アメリカ人や、アメリカナイズされた先進的な日本人には、この暗さやもろさ、彼の美学を理解できないかもしれませんが、僕のように伝統好きの古くさい人間にはたまりませんな。

 映像を堪能したい方には、「I put a spell on you」

http://www.youtube.com/watch?v=_epCYlzTqOA&feature=related

 どれだけお金かけてるんでしょう・・・もちろんそれだけではなく、センスがすべてですが。

 で、こちらは曲も素晴らしく、なんつってもリズムがカッコイイ、「Kiss & Tell」

http://www.youtube.com/watch?v=HwVXEF-wFzY&feature=related




 しかしこれらを見るにつけ、フォークギターで青春を高らかにデュオっちゃったり、負けるなと励ましてくれる(そういうジャンルがあってもいいとは思いますが)日本のミュージックシーンとは、残念ですが、サッカー同様、正直、百年の開きを感じざるを得ません。

 稚拙なギャグやお笑いは一切排除、シニカルな大人の冷笑はありですが、暗闇の中のけばけばしさ・・・B級性。

 日本の音楽シーンは逆に言うと、「やわら」の道を理解しない剛のフランス人が、青い柔道着着て、一本勝ちを目指さずに金メダルを取る、みたいな違和感。

 でも日本人より和の気持ちを尊ぶ黒人の演歌歌手もいますからね、最近。

 また美しいものが大衆に評価されるとは限りませんから、地味というか、マニア受けしかしないのかもしれませんが、晩年のB・フェリーの活躍ぶりや、完成されたセンスでは、わがD・ボウイをしのぐほどです。

 ボウイの場合は、圧倒的スピードで変化を遂げ続けてしまったがために、今は退行中ですが、B・フェリーは今なお進化中、というか今がピークな気さえします。

 こういう色っぽいオヤジが日本にいなくて残念っす。

 B・フェリーは自分の進むべき道をようやく見つけ、完成させていき、彼の月夜に浮かぶ青白いガラスの城は、もはや芸術の領域に突入しました。

 明らかにロキシーの初期とは異なり、自分の才能や力を受け入れて許容して、いろいろなものをそぎ落として、研ぎ澄ましていった結果たどり着いたポジションだと思います。

 その上で、ロックなぞしょせんロックにしか過ぎない、そのそもそものB級性や不良性を、だからこそ猥雑に彩る覚悟は、世界レベルのロックスター、たとえばストーンズにしても、ボウイもレニクラも、U2にしてもの共通の美意識のような気がしてなりません。

 人間の現実だって、一体どれほどに真実やポジティブなだけの健康さや正当性、純粋さに満ち溢れているのでしょうか?

 そのような世界では完全に僕ははなから落ちこぼれで、後悔と自責の念と居心地の悪さと羞恥心とで窒息してしまうでしょう。




 それにしても、とにかく彼の使う女性は、コーラスにしても、なんにしても、間違いなく、漏れなく、エロチックでとびきり美しい。

 そこだけとっても紛れもなく、超一流のセンス。




 90年代のユーロやダンスミュージックのさきがけを、ブライアン・フェリーとスタイルカンシルが担ったといっても過言ではないでしょう。

http://www.youtube.com/watch?v=T9nwcd-jF00


 スタイルカウンシルのポール・ウェラーという人も、なんていうかな、オシャレというよりは、性格的にはやんちゃなパンクロッカーな上に、技術的にはいまひとつでも、音楽的センスは洗練されていて卓越していたものだから、ユーロだのダンスだの・・・

 まぁ、まるで松田優作がまるでおしゃれなラブロマンスを演じているような、そういう違和感がありますな。

-おわり-

B級愛Bフェリーの美学9

2008年04月22日 10時50分44秒 | Weblog
 しかもB・フェリーの場合、ロックミュージシャンにありがちな、われわれ一般市民のものさしでは納まりきらない、「人格の破綻」も、十分以上に満たしているようです・・・。

 そして最近ではもう、彼は自分の(宇津井健似の)実体を、影か写真、後姿やその一部しか見せなくなりました。

 それはそれで、太陽におびえる旧家貴族・伯爵の末裔を演じているようで、これはもうお家芸というか、ある意味ひとつの芸術の領域のような気もします。

 独特の、少し前かがみで、左右非対称に両上肢を水平より上に上げて、手関節から末梢の手をだらりと下げ、クネクネするポーズは、シルエットだけでも彼と認識できるので、これはプロとしてはさすがです。

 闇、影、煙、霧、モヤ、移ろいと頽廃と・・・徹底した「負の美しさ」って印象。

 滅び行く、朽ち果てる、散り行く、消え行く・・・だからこそ美しい。

 月を愛する日本の美学や、狂王ルートヴィヒにも一部合致します。

 それは・・・

 青い空に、降り注ぐ太陽、

 さわやかな海、小鳥のさえずり、ほほをなでる春の風、お花畑に、メルヘンチックできれいな邸宅、

 胸ときめく恋愛に、愛おしい伴侶や家族、妖精やヌイグルミなどに囲まれ、

 健康的で何の不安もないディズニーちっくなアメリカンドリームやファンタジー・・・

 僕たちが近年教わって憧れてきた、そういったポジティブな虚像とは正反対の美学です。

 僕たち日本人が失いかけている、より日本的な情緒すら感じます。

 虚像の虚像は実像・・・??

 物事には表もあれば裏もある、おどろおどろしさや暗闇の中に一筋の光を見る、柳の下の幽霊に美しさを思う、そうしたデカダンス、彼の哲学や美学を感じます。

 近年の、決して大ヒットはしない佳曲、「Limbo」

http://www.youtube.com/watch?v=Eaa91nFufNg&feature=related

 ギターは、なんと、元ザ・スミスのギタリスト、あのジョニー・マーです。

 彼のギターは、マニアックでエキセントリックな「ザ・スミス」というバンドの曲を聞いていただければ即分かるのですが、まずヴォーカルのモリッシーもかなり個性的な上、ジョニー・マーのギターもたいへん独特で・・・

 ウィキによれば、ジョニー・マーは自分のテクをひけらかすのではなく、ただししっかりとしたテクに裏付けられていて、メロディとは別のメロディをリフで奏で、かつメロディを引き立て、しかもどんな演奏もこなすと。

 僕の勘違いかもしれませんが、日本のスピッツというバンドのギタリストも、きっとジョニー・マーの影響受けてるんじゃないかな・・・

 とにかくジョニー・マーは優秀なギタリストです。

B級愛Bフェリーの美学8

2008年04月21日 11時36分14秒 | Weblog
 その後のB・フェリーの音楽的方向性を暗示する、と勝手に思い込む「Same Old Scene」は僕のお気に入りです。

 ベースラインがメチャクチャかっこいい。

http://www.youtube.com/watch?v=w7Zk9Hp2iF0

 ライブヴァージョン。

http://www.youtube.com/watch?v=1in2HXLcxJM&feature=related

 その上で音楽的実力も育ち、さらに彼の美意識や知性や音楽的探究心にも青い火がついて、ソロとなり、傑作「Boys and Girls」が生まれたのではないでしょうか?

 最高傑作「slave to love」

http://www.youtube.com/watch?v=VSqGwOmKEwU&feature=related

 一体どれくらい繊細に、計算しつくして、トラッキングを重ねたのでしょうか?

 ガラス細工のようだ。



 ヒット作、「Don’t stop the dance」

http://www.youtube.com/watch?v=5W7hpm0MP6k&feature=related

 


 彼の美学、それはまるで、朽ち果てていく中世の古城・・・

 闇と嵐、叩きつける雨粒と風、とどろく雷鳴・・・

 淫靡な雰囲気・・・

 (うわさでは彼は)ファザコンで・・・

 地下室にこもって中世の鎧を前に生け贄をささげる儀式・・・

 そんな情景が思い浮かび、ゾクゾクとします。

 想像力ありすぎでしょうか?



 それにしても、アルバムジャケットのセンスが良すぎやしませんか?

 美しい絵画のようです。

 プロデューサーとか事務所のセンスなのか、商業的に売るための作られた虚像なのか、彼の本来持って生まれたセンスなのかは分かりかねますが、これほどの美しいジャケットが毎回持続するならば、やっぱり彼の才能なのかな?

B級愛Bフェリーの美学7

2008年04月20日 09時40分11秒 | Weblog
「Street life」

http://jp.youtube.com/watch?v=H_u3KMtIxlA&feature=related

出世作の「Love is the drug」

http://www.youtube.com/watch?v=4_KFebLWpY0

「Angel eyes」

http://www.youtube.com/watch?v=xMXdWGODwlY&feature=related



 つまり、アルバムジャケットひとつとってみれば理解できるとおり、彼くらいの知性の持ち主であれば・・・

 あのグラムがもてはやされた虚飾と亜流の時代にあって、芸術家としてなんとか『Neues』 (=something new)、他とは違う何か、アヴァンギャルド性・革新性を出さなければならない、ということは自覚したことでしょう。

 しかし、そこそこの容姿を持つ彼にしても、本家の巨星D・ボウイの鋭さや輝きと才能には及ばない、マーク・ボランのようなギターの音も出せないし、フレディのような歌唱力もない。

 そこで、集団で道化の振る舞いをして華やかに飾ろう、自分をピエロにしよう、と思ったのではないでしょうか?

 つまり音楽そのものより、彼のアート性を前面に出したと。

 また、ロキシーにはシンセサイザーを操るもう一人のブライアン、ブライアン・イーノがいますが、彼も優秀なのでしょうけれど、前衛的過ぎるというか、後退したおでことともに、またシンセという楽器そのものもサウンドも僕はあまり好みではありません。

 そしてその後、B・フェリーは進化して、ヨーロッパ的頽廃美に浸りきっていることがちょっぴりこっけいな自分をも、計算づくで彼は演じていると思っております。

 ステージでも妙にクネクネして、なんだか残像が記憶に引っかかります。

 「間」のもつ美しさでも述べましたが、彼の歌っているんだか歌ってないんだかふわふわしていて分からないヴォーカルの独特の間と、反対に緻密に計算されて散りばめられたインストゥルメンタルと、力強いベースのリズムとのギャップは独特のはかなさを生んでおります。

 そしてどんどん「頽廃性」が洗練されていきました。

 ファンには評価の高い「Avalon」

http://www.youtube.com/watch?v=f837T8x0rUo&feature=related

B級愛Bフェリーの美学6

2008年04月19日 06時40分51秒 | Weblog
 ケルトといえば、もはや俊輔のセルティックが代名詞。

 で、日本でケルトというと、なんだかメルヘンチックで、ロマンチックな童話的世界を思い浮かべがちですが・・・・

 それはまったくの誤りであって(そこまでかどうかは・・?)、ロマン主義の時代にイギリス人がガリアの伝説的詩人「オシアン」の作品と称するでっち上げの偽作でもってそのようなイメージを作り上げたんだそうです。

 ケルト人というと、僕も独特の神話や、アニミズム、動物崇拝、アーサー王、森と妖精・・・そんなころぼっくる的イメージが湧きますが。

 それらのイメージがでっちあげだったとは。

 またヨーロッパ人が、現実というか、目に見えるものをいかに忠実に作品として仕上げるか、という「具象化」が芸術として尊ばれるのに比し、ケルト人はそのようなものにはまったく価値観を持たず、自然の形態や具象化にこだわらなかったそうです。

 むしろ、計測したり、写し取ることが奇異に映り、それよりも流れ行くさま、移ろい行く過程、そんな宇宙の根本原理を重んじたそうです。

 その証左として、ケルトの渦巻き模様には「反転しひねれながら無限に連続・増殖するかたち」が一貫して守られているのだそうです。

 というと、日本人固有のわび・さびや、もののあわれ観、仏教の空(くう)、東洋の太極思想、陰陽道などが連想されますが、いわゆる陰陽の明確な二分割、あるいは三分割ではなく、永遠に続く無限の要素があるそうです。

 ってことは、イスラムのアラベスク・・・?

 またケルト人は文字を持たず、文字にすることをふさわしくないとむしろ避けていたようで、圧倒的記憶による伝承口承による文化継承だったそうです。




 そのどのあたりでブライアン・フェリーがケルト文化に通じるのかは僕には不明です。




 しかし彼のデカダンスの場合、いわゆるキリスト教懐疑主義だとか芸術至上主義ではなく、ただ頽廃的、非道徳的という意味でのデカダンス・・・といったらよいのでしょうか?

 滅び行く、壊れ行く中世のお城的なイメージがあります。

 そこにインテンショナルなB級性を加味して、趣味良きチープさと独特のけばけばしさを出していると、僕は感じます。

B級愛Bフェリーの美学5

2008年04月17日 11時08分36秒 | Weblog
 あるHPによれば、ロキシー・ミュージックのリーダーだったブライアン・フェリーの高校時代の趣味は、自転車とロック・クライミング、そしてファッションでしたそうです・・・え、ファッション??

 いかにも良家のお坊ちゃん風ですが、実は貧しい家庭に育った彼は、休みになると、朝刊、夕刊両方を配り、その合間に紳士服店「ジャクソン・ザ・テイラー」で働きながら、ファッション・センスを磨いていた?そうです。

 その後、彼は大学時代に芝居の世界にも足を踏み入れ、シェークスピアの作品に出演したりだとか、さらにアート・スクールに入学して絵画を学んだ後、例の美術の教師もやったと。

 で、彼独特の美意識が形成されていったそうです。

 本日の写真のジャケットなどは、最高のセンスです。

 暗闇に浮かぶ原色、動と静、楽しいパーティに暗い表情・・・

 


 絵画で学生時代から日展に入選し、学生なのに画商がついていたというカールスモーキー氏ともやはり共通します。




 そのHPの作者は、ロキシーのイメージを、50年代アメリカのギラギラ輝くネオンのイメージとケルト文化へと通じる歴史と伝統に支えられたヨーロッパの頽廃美、この二つではないでしょうか?ととらえております。

 僕は50年代アメリカをよく知りませんのでわかりませんが、僕にはヨーロッパの正統派キャバレーやレヴューrevue的華やかさ、そして空間芸術性を連想させます。

 日本でいえば、実力派チンドン屋さん・・・?

 または宝塚のロック版というか。

 そして後半のヨーロッパ的退廃デカダンス・・・ケルトまでたどれるかどうかはわかりませんが、これには賛成です。

 ケルトとはご存知かもしれませんが、ギリシャ人がケルト語を話す、西ヨーロッパに住む人々を指していった呼称なので、特定の人種、というわけではなく、ローマ人はガリアと呼びました。

 元をたどれば、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来した、インド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族のことだそうです。

 ご存知のように、イギリスのウェールズ地方や、スコットランド、アイルランドなどが有名ですが、チェコやルーマニア、遠くトルコにまで住んでいたそうです。

B級愛Bフェリーの美学4

2008年04月16日 11時10分22秒 | Weblog
 そのB級、サブカル好き(勝手に任命)ブライアン・フェリーは、いったいどんな人なのでしょうか?

 美術学校に学び美術教師もしていたそうですが、本当にインテリかどうかはわかりません。

 お父さんは確か・・・意外ですが、炭鉱で働いていたのかな?

 スティングと同じ、イングランド北部のニューカッスル出身です。

 プログレッシブ・ロックという、今にして思えばロックが間違った方向に向きかけたムーブメントがあった話は以前「パンクの美感」で話しましたでしょ?

 そのプログレの大御所、「キング・クリムゾン」の新しいリード・ヴォーカルを探していたロバート・フリップ 大先生のオーディションを、なんとこのブライアン・フェリーは(無謀にも)受け、かつ落選したらしい。

 「キング・クリムゾン」を知る方が、わが親愛なる読者の方にいらっしゃるかどうかわかりませんが、非常に重く生真面目で斬新なバンドで、どう考えてもマッチするはずがありません。

 そのミスマッチぶりには、思わず笑ってしまうくらいなのですが、本人は大真面目だったのでしょう。

 で、そのあまりにエキセントリックな歌い方に感心したロバート・フリップは、

「君の声はキング・クリムゾンには合わないが、その声を無駄にするのはもったいない」

と自分が所属するアイランド・レコードからバンドを組んでデビューするように勧めた・・・

 という、うそか真か、すっごい逸話があります。

 B・フェリーのクネクネ振りが、御大にどう響いたかは不明ですが・・・

 そして誕生したのが、このロキシー・ミュージックというバンドだって。

 たぶん卑猥な意味の「Let's Stick Together」

http://www.youtube.com/watch?v=bZTsW8WKy5c&feature=related

B級愛Bフェリーの美学3

2008年04月15日 11時51分16秒 | Weblog
 ロキシーにしても、確かにグラムロック全盛の時代に、それはそれで時代の寵児だったのでしょうけれど、D・ボウイやマーク・ボランなどのA級グラムと比べると、どうしてもB級感が漂います。

 衣装にしても、どことなくわざとE・プレスリー風だったり、風采の上がらないパイロットシャツ(軍服?)みたいなの・・・

 言ってみりゃあまり格好のよくないものを、しかもそれを承知で道化的に着崩し・・・

 案外本人は純粋にかっこいいと思ってたりして。

 ブライアン・フェリーの歌唱力もレニクラやフレディと比べれば、格段に落ちるのだけれども、それを楽しんでわざと音程を外しているかのようにすら感じ、超エキセントリックに歌い上げます。

 まぁ、ボウイの歌い方もかなりエキセントリックですが・・・。

 そしてアルバムジャケットも、以前紹介しましたが、D・ボウイなどはいかに妖しい自分を美的に表現するか、そして才能あふれるボウイはそれをそつなく世界一流にこなしてしまうのですが。

 ブライアン・フェリーの場合は、飛び切りの美人を卑猥に撮影し、原色を効かせて、ギラギラにして・・・

 そこまでは芸術的にもファッション的にも素晴らしいのですが、ところがその美人モデルが実はゲイだったりして・・・徹底してB級路線を好むわけです。




 また彼にべったりだった、今野雄二という、これまた貧弱といいますか、カルいといいますか・・・僕がその・・・あまり尊敬できない○○「評論家」というお仕事・・・その中でもまぁ、ある意味典型的な・・・日本人音楽評論家がおりまして・・・

 彼の論評は芯がないといいますか、流行ってれば誰より早くそのうわべだけをもてはやし、音楽を単なるファッションとして扱い・・・

 いや、その・・・元プロ野球選手の評論家だとか、元プロゴルファーの評論家ならまだ理解できますよ・・・

 前もどこかで書いたかもしれませんが・・・

 結局評論家は他人のふんどしでコバンザメのように、あるいはその業界に寄生し、自分ではできないしやれないし責任も取れないくせに、人のやったことに偉そうに上から目線でけちをつける仕事、という側面もあると思います。

 だったらご自分でやってごらんなさい。

 かくいう僕もここで、無責任にあ~だこ~だ評論しているわけですがね・・・

 まっ、それを生業にしているわけじゃありませんから、ご容赦を。





 ブライアン・フェリーに目をつけるところは今野氏もセンスがないわけではないのですが、まっとうなロックファンからは、「ああコンノユージね」、みたいな扱いの方で・・・

 で、これまた同業の言葉のエゴイスト、渋谷陽一にコテンパンにやられるのですが・・・・

 ブライアン・フェリーは「Tokyo Joe」なる歌をつくり、こっけいな日本人が歌われるのですが、そのモデルは自分だ!と今野氏は言い張り・・

 でも、詩の内容が内容なので、今野氏にしたらうれし恥ずかし、それが自分でもかっこ悪いし、渋谷氏にしてみればうらやまし口惜しってわけで、「ユージさんにゃ分かるまい」と・・・微妙。

 ま、オトリマキのような今野氏が、B・フェリーに歌を作らせるだけの負のインパクトがあったのなら、それはそれですごいことで。

http://www.youtube.com/watch?v=_dPW0-N5le0&feature=related

 キムタクさんのドラマでも使われました、たぶん・・びっくりしましたが。

B級愛Bフェリーの美学2

2008年04月14日 12時36分28秒 | Weblog
 米米クラブというバンドが日本にもありましたが、あのバンドにもロキシーと同じにおいを感じます。

 米米の場合、ジェームス小野田氏や大久保なんとか氏が音楽的基礎(?)を担当し、ですが石井何某という、まぁちょいとした才能ある男が、ロキシーの先進性と、ライブでの舞台アート性、美術的・視覚的感性を日本風に咀嚼して再現したもの??のように思えるのです。

 まったく違ったりして・・・。

 でもあの石井氏を見ていると、空間芸術性やらB級路線、それでいて本人は男前、まあギャグかシリアスかで分かれますが、B・フェリーとよく似ています。




 そのロキシーは、ヴォーカルのブライアン・フェリーを中心に結成されたイギリスのロック・グループでございます。

 何度もご紹介いたしておりますが、レニクラなどまれに例外はあるものの、ロックは本場イギリスに限りますな。

 そもそもRoxyというのは、Roxanaという女性の名前の愛称らしいですが、N.Y.ではオカマ御用達のディスコ?なのかな?

 ブライアン・フェリーはミスター・ダンディと言われ、確かにかっこいいのですが、僕の評価はチト異なります。

 もちろんB・フェリーの大ファンではあります。

 ブライアン・フェリーは、ステージで僕が実際に見たぶんには、おそらく背も大きくスマートであって、確かにダンディで、音楽的志向も美しいのですが、どうしても僕にはB級感がぬぐえません。

 で、そのB級感は、居心地の悪いB級路線ではなく、以前お話した好感の持てるB級感、洗練された悪趣味なのです。

 カールスモーキー氏にも好感は持てるし才能も感じますが、やはりB・フェリー氏は世界レベル、格はワールドカップとJリーグくらい差があります・・・

 しかもB・フェリー氏は徹底的にシリアスで、自らおどけたりは決してしませんが、確信犯的に狙ってのB級路線の気がする。

 狙ってという点では、つまり先のカールスモーキー氏や、ユースケ・サンタマリアさんチックでもあります。

 爆風スランプや、世紀魔Ⅱと異なる点は、本人が男前という点。

 それに日本のお笑いとか、ギャグとか、おちゃらけとはまた異なり、徹底的に気取っておどけないB級路線なのです。

 そらには、西洋ではよくあるピエロのように、哀愁を誘うようないやらしさとか、べったりウェットな気持ち悪さもなく、あくまで本人は知らんぷりでシリアスで。


 風間杜夫氏が演じた蒲田行進曲のギンちゃんみたいというか・・・。