医師日記

「美」にまつわる独り言です
水沼雅斉(みずぬま まさなり)

スクルージに思う美句4

2007年04月25日 12時07分21秒 | Weblog
 さて、「クリスマス・キャロル」の主人公、「スクルージ」さんは、吝嗇家(りんしょくか=けち)で、金にしか興味のないおじいさんです。

 ちなみに「吝嗇」とは難しい字ですが、吝は「しわい」とも読み、出し惜しみすることを言い、けちでしみったれたヤツを、「あいつぁしわいなぁ」といったり、○○にやぶさかではないの場合、やぶさかは「吝か」(嗇か?)と書きます。

 物語そのものは、言っては失礼ですが他愛もないというか・・・。

 いわゆるキリスト教的倫理観で、守銭奴がクリスマスに立ち直るというありがたいお話です。

 スクルージの相棒だったマーレイの亡霊が出現し、3人の幽霊が、スクルージの過去、現在、未来を見せ、ケチで心がすさんだスクルージを大いに改悛させるという(ありきたりの)ものです。

 当時のイギリス人の庶民の生活ぶりやら、貧困の様子などは、かなり書き込まれている感はありますが。

 しかしながらこの話は、英語圏では相当読まれているのでしょうね。

 日本で言えば、サザエさんみたいな、日本人であれば誰でも知っている、という文化なのかな?

 ディケンズといえば「デイビッド・コパフィールド」が名作とつとに名高いですが、これはまだ読んだことがないため、死ぬまでには読もうと思っております。

 健全な大の成年男子が、ディズニーだなんて言ったら、僕の価値観では相当気持ち悪いですが、いつか機会があったら、「ミッキーのクリスマス・キャロル」も見てみようかな・・・。

スクルージに思う美句3

2007年04月24日 10時55分37秒 | Weblog
 ディズニーランドを否定するつもりは毛頭ございませんが、あそこに行くと、これはもう夢、夢、夢のオンパレード、当然ですが完全なるヴァーチャル世界です。

 ミッキーもミニーも夢を大切に、と何度でも言ってくれます。


 僕は、夢なんてものは自分の胸にとどめておくことで、臆面もなく口にしたら幼稚でかっこ悪いし、それに後でもしそれが実現しなかったら、あいつは口だけだと軽く見られてしまうことを恐れ、とても真顔で自分の夢などを、持ってはおりますが、よっぽど親しい間柄でなくては、他の人に語ることはできません。

 寂しいことに僕には、「輝いている自分」だの「ありのままの自分」だの、そういうことを口に出せる人たちの、自分をそれだけかわいがって、愛せるナルシストぶりがうらやましくもあります。

 逆に我慢だとか、忍耐だとか、辛抱、努力、勤勉、妥協、継続、苦労、根性、目標・・・といった、今までの日本人のメンタリティを表すかのような、一見してネガティブの印象はあるのだけれども、その裏側に強さを感じるような語句は、なんとなくうざがられ、敬遠されているような気がします。

 こういう話題を出すこと自体に、自分の年を感じてしまいますがね。

 もちろん、夢や宝物、これら自体悪いことではないのでしょう。

 誤解がないように、当然ですが、子どもたちにはどんどんこの素晴らしきヴァーチャルな世界を、夢を持って楽しんでもらいたいと思います。

 それに、たまには甘いものも欲しくなることはあります。

 しかし、注意をしないといけないことは、個人の夢だとか、自分らしく自分の思いばかりを通すことが、イコール単なるわがままや、周囲を顧みない自分本位と履き違えていることも多いように感じることです。

 また現実とのギャップにつまづいてしまい、現実を受け入れられなくなってしまわないのでしょうか?

 時代によって精神は移ろいゆくものだし、西欧に住んだことはないので、詳しくは分かりかねますが、多分に西欧化されてきているのでしょうね。

 ディズニーランドを通して、日本はよくも悪しくも、アメリカカルヴァン主義の副産物とも言える、西欧の本質の上澄みの、きれいすぎる部分、猜疑心すら生じるくらいの、あまりに聞いていて耳障りがよすぎて心地よすぎる美辞麗句を輸入したように感じます。

 あまりに甘いものばかりでは、体はぶくぶく太ってしまうし、虫歯にはなるし、色々な病気にだってかかってしまいます。

 本来、良薬は口に苦しというものだし、日本人が好んだ、わさびや根菜は辛さや苦味の一方で、苦いからこそ実は体に良いってことも、ないがしろにしてはいけないような気がします。

スクルージに思う美句2

2007年04月23日 08時43分37秒 | Weblog
 最近テレビやら若者の口から、しょっちゅう、やれ「夢をかなえる」だとか、「夢をあきらめない」だの、「自分らしく」だの、「ありのままの自分」だの、「希望にあふれる」だとか、「勇気づける」だとか、「宝物」だとか、「感動を与えたい」だの、「思い出作り」だの、「輝いている自分」だの、「自分の可能性」だの・・・・

 聞いているこっちがくすぐったくて赤面してしまうような、しかも案外陳腐な言い回しを耳にするようになったと思いませんか??

 例えば、「宝物」=大切に思う、ということなのでしょうが、日本人としてストレートに「宝物」だなんて、心では確かにそう思っているんだけど、「大切に思う」とは言えても、「宝物だ」とは口には出せない、それがなんというか奥ゆかしさっていうか・・・口にすること自体のストレートさに気恥ずかしさを感じてしまうのは、僕だけでしょうか?

 付け加えれば、あくまで大切に思う対象が人である場合、物ではないでしょっていう、日本語としての微妙な了解ごとの相違って感もあります。

 また例えば「思い出」は、後に振り返ってこその思い出であり、現在進行形の事象をその瞬間に思い出づくりといっても、あまりに短絡的というか、目的化しているというか、本末転倒というか、ずるいというか・・・。

 今の職場では自分が輝けない・・・なんて言われると、輝いているかどうかはあくまで他人が判断することだし、僕なぞは自分が輝けるなどとははじめから思えないし、自分の可能性なんて他人さまに言うせりふではない、と思ってしまうのです。

 将来やってみたいこと、とは言えても、夢なんてもんは実現も不可能かもしれないでっかいものであり、それを人に言ったらこっぱずかしいもののような気がします。

 誰でも自分らしくありたいものですが、世の中にはTPOもあり、集団の中の自分ですから、居心地が悪く窮屈な中で力を発揮しなければならないものであり、今までに自分らしくあったためしなど僕にはありません。

 

 と言ってしまうとみもふたもないように聞こえますが、物事や世の中はそんなに単純できれいごとばかりではなく、現実の社会や世間や人生は無限の矛盾と常に合いまみれているというか、説明のしようもない複雑な事柄で構成されているため、愛や夢や勇気という甘くてなまっちょろい武器だけでは、僕にはとても対峙していける気がしません。

 確かに自分の人生の主人公は自分かもしれませんが、そのようなナルシストとして、自分だけに浸っている余裕もないというか。

 それらの表現は一見魅力的ですが、甘すぎる砂糖菓子のようでもあり、それこそ確かに「夢」を感じはしますが、津波のような現実の難問とあまりに乖離している気がしないでもありません。

 また聞いていて、自分中心で、理想論だけの、もろいヴァーチャルさにある種の危うさすら感じてしまうのです。

 つまり小学生まではそれらをストレートに語ってもらって大いに結構ですが、だいの大人につるっと言われてしまうと、顎が外れてしまい、こっちがどぎまぎしてしまうのです。

スクルージに思う美句

2007年04月22日 18時17分00秒 | Weblog
 季節はずれの話題をひとつ。

 スクルージといったら、どのスクルージさんを連想しますか?

 え、どなたも思い浮かばない・・・?

 それもちょっと寂しい気もしますが、僕はイギリスの国民的作家、チャールズ・ディケンズの、名作「クリスマス・キャロル」のエベニーザ・スクルージを連想します。

 ところが、先日その事実を知ってびっくりしたのですが、何ですか、僕には興味の対象外ですけど、ディズニーランドの、あひるのドナルド・ダックのおじさんの名前がスクルージだと・・・。

 しかもそのドナルドのスクルージは、なんと、なんと「クリスマス・カロル」のスクルージから来ているそうで、驚きでした。

 調べてみると、今から20年以上前の1983年に、「ミッキーのクリスマス・キャロル」なる映画があったそうです。

 ディズニーのスクルージは、スクルージ・マクダックというらしいのですが、原作をお読みになられるか、この映画をご覧になった方は理由がお分かりかと思いますけれど、スクルージの頭文字のSがご丁寧に$に、すなわち、$crooge McDuckになっております。


 話は変わりますが、僕が勝手にディズニーランド症候群と思っている、近年の傾向があります。

 何だと思います??

司馬江漢の美挙15

2007年04月21日 06時27分18秒 | Weblog
・ 「江漢の全偉業をつぶさに検討・検証すれば、これは一個人の成し遂げえる限界をはるかに超えている」とされ、江漢には影武者がいる複数人説がある

・ 「世界の歴史を眺め回し見ても、江漢の業績は個人のものとしては膨大に過ぎ、これほどの業績を成し遂げたのは、彼を除けばダ・ヴィンチただ一人だけであろう」とも言われる


→どうでしょうか・・・。江漢複数説ですが、こんな奇特な人物をわざわざ複数が演じるなんて。

 ダ・ヴィンチと比較されては、おこがましいような気もします。

 単なる奇をてらった変わり者、とも感じます。

 しかし、あの「駿州薩陀山富士遠望図」の、波の表現は只者でないことは確かです。

 しかも、彼の周りだけでも、平賀源内、杉田玄白に、緒方春朔、間宮林蔵、葛飾北斎と・・・江戸文化の花形たちが集まっていたことも確かです。

 またあの、以前僕がかっこ悪いと書いてしまったお侍のちょんまげの時代に、ネックレスに指輪、襟付きにすそを絞ったズボンと・・・

 まぁ、もう少し日本での評価が高くても良いとは思いましたので、特集してみました。

 しかし写楽でも伊藤若冲でもそうですが、外国人から指摘されて、あわてて日本人が作品を買いあさろうとするも、外国に持ち出されて時すでに遅し、とならぬよう、天才の業績を僕たち日本人がしっかりと認識しましょう。

 そして文化とは、美とは・・・もう一度よく考えてみると、道端に咲く野の花一輪にありがたみと、生活の楽しさが認識されて、毎日が面白くなるので不思議です。

-このテーマの終わり-

司馬江漢の美挙14

2007年04月20日 07時52分07秒 | Weblog
 なるほどオランダのライデン国立民族学博物館学芸員マッティ・フォーラー(Matthi Forrer)が指摘したように、北斎は、波に遠くそびえる富士という構図と遠近法までを江漢の「相州鎌倉七里浜図」にならって、日本が誇る名画「神奈川沖浪裏」に至った、という説は説得力がありますよね。

 北斎はゴッホやフランスの作曲家ドビュッシーにまで影響を与えました。

 ドビュッシーは、北斎の「神奈川沖浪裏」を見て、インスパイアされ、「海」を作曲し、そのスコアの表紙には「神奈川沖浪裏」が使われたそうです。

 あのザッパーンの、向こうにそびえる富士に音符を見出したとか・・・。

 ウィキペディアによれば、雑誌『ライフ』の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に、葛飾北斎は日本人でただ一人、ランクインした、そうです。

 野口英世でも、湯川秀樹でも、伊藤博文でも、夏目漱石でも、川端康成でも、佐藤栄作でも、手塚治でも、王貞治でもなく、この葛飾北斎だそうです。

 世界が認める日本人千年に一人の世界的天才、北斎と、影響を少なからず与えた司馬江漢を、また歌麿、広重、写楽くらいは、日本人として正しく認識しないといけないですね。

 「国家の品格」によれば、真の国際人と言うのは、英語を話せるかどうかではなく、自国の文化をきちんと語れるかどうかで決まるらしいですから。

 それにしても、アメリカ人にもっとも有名な日本人を聞くと、ブルース・リーが1位らしいですから、北斎が選ばれてほっとしています。

司馬江漢の美挙13

2007年04月18日 18時02分47秒 | Weblog
 写楽は10ヶ月の間におよそ140点の錦絵を残したそうですが、版元は蔦屋(つたや)です。

 ウィキペディアでは

『斎藤月岑(1804年-1878年)が写楽の本名は阿波(蜂須賀家)の能役者斎藤十郎兵衛であると書き残しているが』、

 別人説として『浮世絵師の葛飾北斎、喜多川歌麿、作家十返舎一九、荒唐無稽な説では朝鮮人絵師金弘道など多くの人物の名が挙げられた。』とあります。

 他にもこの謎の浮世絵師は、豊国、そしてこの司馬江漢、若冲のときに少し書いた円山応挙、山東京伝なども疑われ、また写楽とは実はプロジェクトチームであり、「写楽工房説」な~んてのもあったし、写楽=シャーロックなんて説まで・・・写楽斎。

 写楽は誰なのか!?

 これには松本清張や石ノ森章太郎、あるいはフランキー堺氏といった有名どころまで、たくさんの人が研究にかかわり、波紋を広げましたが、現在はなんとなく斎藤十郎兵衛でおさまったようです。



 
 一方、葛飾北斎ですが、僕なんかは素人なもんだから、よく、「東海道五十三次」を広重ではなく、あれ、北斎だったっけ?なんて思っちゃって困るのですが・・・ 北斎は「富嶽三十六景」。

 春信も歌麿も写楽も広重も北斎も・・・ぜ~んぶ混同しちゃいます。

 富嶽とは富士山のことです。

 あの赤富士や、このブログの、黄金比のコーナーで書いたあの神奈川の波のザッパーンってやつね。

 しかし、三十六景といっても、46図あるの??

司馬江漢の美挙12

2007年04月17日 12時29分54秒 | Weblog
 對中如雲氏の持論は、広重の「東海道五十三次」は元絵があり、その元絵こそが江漢の作品だということのようですが、これに関しては一部マニアや専門家の間では喧々諤々、当然ながら反論もあります。

http://www.tokaido.co.jp/lab/wada/hikaku/hikaku00.htm

 その発見が、「サムライ・ダ・ヴィンチ」の作者として白眉らしいのですが・・・果たしてどうなのでしょうかね?

 江漢に江漢なしで、その元絵も贋作らしい・・・。

 たとえ元絵が江漢だったとして、それにしてもそんなに騒ぐことなのでしょうかね??

 ゴッホだってミレーの絵の模写してるし。

 歌川(安藤)広重の富士三十六景「駿河薩多之海上」と、北斎の「神奈川沖浪裏」だって、波の向きは反対ですが似てるっちゃ似てますでしょ?

http://www.allposters.co.jp/-sp/-Posters_i1233367_.htm



 さてさて一方、東洲斎写楽は「なぞ」が多くて有名ですね。

 そもそも写楽は、大正時代にドイツの美術研究家クルトが、レンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と評してくれてから、日本での人気も熱烈に高まったそうです。

 寂しいことに、こういうケースは多いですよね、日本の場合・・・

 よくも悪しくも海外での評価に弱いっていうか・・・

 国内の、自分ではできもしないくせに、さも専門ぶって(専門ですが)、普段偉そうにしている評論家・批評家って仕事の、お偉い先生方の実力のほどがわかるってもんです、ハイ。

 しかしなぁ、巨匠レンブラントとベラスケス師匠と並び称されるって、同じ日本人としてうれしいけど、ちょっと褒められすぎのような気もしますがね・・・。

司馬江漢の美挙11

2007年04月16日 11時53分14秒 | Weblog
・ 独自の進化論的発想がみられる

 →「サムライ・ダ・ヴィンチ」では、江漢が人間は虫や猿から進化したということを繰り返し述べていた、というエピソードが記載されておりますが、その根拠となる出典はわかりません。

 ちなみにダーウィンは1809年生まれですから、1747生まれで1818年死亡の司馬江漢は、ウォレスやダーウィンの進化論は知る由もありません。

 ってことは誰かオランダ人からでもそのような考えを聞いたのか、それともその時代、西洋かそれとも日本に、根拠はなくともばくぜんとそういった考えがあったのか・・・。

 ここで問題。

 進化論はどうしてキリスト教社会、すなわち欧米で大問題なのか?

 それは、キリスト教では、地球は神が創ったものであり、最初から動物は動物、人間は人間として、神が創造したものとしているからです。

 宗教が科学の発展を阻む典型ですが、だからといって科学が万能であるわけでもありません。

 原爆で人を殺す愚か者が、懲りもせずにまだ人殺しを続けている現代、宗教や倫理が、科学を利用するおろかな人間を監視、統制しなければならないわけです。

 ただし現代科学では、広く認識されているこの進化論、僕個人的には(キリスト原理主義者でも何でもありませんが)まだまだ完全には解明されていない問題もあるとは思っております。



・ 教育が何より大切だと繰り返し主張した啓蒙教育者であった

 →再三申し上げているように、地球上のすべての子どもたちが、飢えることなく、等しく教育が受けられるようになんとしてでも世界の大人がしなければ、この世から戦争はなくならないでしょう。

 誤解を恐れず極論すれば、その問題に比して日本の問題なんて、言ってみりゃ小さなもんだと思います。



・ 江漢は葛飾北斎の師であった

・ 江漢は歌川(安藤)広重の「東海道五十三次」に影響を与えた

・ 写楽=江漢説

 →さあ、「サムライ・ダ・ヴィンチ」では、ここからが本題。

司馬江漢の美挙10

2007年04月15日 09時44分46秒 | Weblog
・ 権力権威には一歩も譲らず、愛国者で皇国思想であった

・ 寛政の改革で知られる八代将軍吉宗の孫で江戸老中の松平定信は「己が知恵を驕り、他に教えることをせず、けしからぬ男」と司馬江漢を記し、江漢はなんと定信に対し「愚かなり奥州の人(定信)。世界を知らず」と批判

・ 江漢は公儀隠密、御落胤(ごらくいん=身分の高い方の正妻以外の子)との説

・ 銅版画(エッチング)の材料である硝酸は火薬の原料のため、幕府御禁制品であったにもかかわらず、江漢は将軍側近の桂川甫周の協力によって入手した

・ 「上は天子より下は乞食にいたるまで、皆もって人間なり」と福沢諭吉に先んずること100年、人間平等説を唱えていた

 →権力といえば、当然幕府方、つまり徳川家になります。

 なるほど、江戸老中という国家権力の重鎮中の重鎮、松平定信に対して、かような発言をしたところを見ると、権力に屈しないのは分かりますが、通常それが無事許される時代でもないと思います。

 そんな発言をしても、江漢が天寿を全うしたところを見れば、御落胤(ごらくいん)説も浮上しましょうが、皇国思想が合致しないよな・・・。

 また幕府方としても、尊皇攘夷にしても、人間平等説はこれまた合致しません。

 公儀隠密、御落胤(ごらくいん)であれば、幕府御禁制品の入手や、光太夫、林蔵との密会もうなずけるけど・・・。

 しかし「銅版天狗」によれば、江漢が硝酸を入手した先の桂川甫周は、平賀源内の相弟子で、江漢と仲のよかった戯作者、森島中良(もりしまちゅうりょう)の兄で、御典医であったとのこと。

 なので硝酸も手に入ったのでしょう。

 腐食銅版画に関する記載も、桂川甫周の自宅の蔵書の中のフランス語の辞典にあったそうな。

 光太夫の尋問をしたのも桂川甫周との話です。

 また、堅苦しくこちこちで江漢が批判したのが松平定信、定信の前の老中である田沼意次は、賄賂政治にいそしんだため、世間からの評判は必ずしもよいものではありませんが、ある意味文化に対してはおおらかで、平賀源内にもよくするなど、オランダぶりにも寛容であったそうです。

 ところが定信は倹約を奨励、文武両道、朱子学徹底、蘭学は厳しく統制され、江漢の友人の文化人も多大な被害を受けました。

 ですから、江漢は徹底的に批判したようです。

司馬江漢の美挙9

2007年04月14日 06時15分33秒 | Weblog
・ わが国で最初の地動説公刊となった「地球全図」を著す

 →コペルニクスは地動説を唱え、キリスト教下では命にかかわる真実だったわけですが、幸い日本ではすんなりと受け入れられたようですね。

 それにしても、地球が丸いことすら知らない日本人の中、地球儀をつくったり、それを後述の老中、松平定信に送りつけ、あんたは世界を知らないと批判したり・・・。



・ 肥後秋月(筑前秋月の誤りではないでしょうか?)緒方春朔(おがたしゅんさく)と天然痘のワクチン治療をした

 →緒方春朔(しゅんさく)は、エドワード・ジェンナーの牛痘種痘法成功より6年早い時期に、予防接種として人痘種痘法をわが国で初めて成功させた、福岡は秋月(現朝倉市)の秋月藩医です。

 今でこそ天然痘は撲滅されましたが、当時は「天然痘にかかったことのない子供は、我が子と思うな」というくらい、子供たちの命を奪う憎き疾病だったのです。

 緒方春朔は軽い天然痘にかかった人のかさぶたを粉末にして、鼻から吸入させたそうです。

 この方法は、一度天然痘に罹患(りかん)するともうかからないことをヒントとし、中国の清の勅纂による『醫宗金鑑』(いしゅうきんかん、と読むのかな?)という本を頼りに、独自の方法を編み出したそうです。

 しかし軽い経過をたどるからとはいえ、死の病をあえて無理に発病させて免疫を作るという、現代でこそ予防として当たり前の発想を、江戸時代に行ったのですから、緒方春朔はさぞやクレイジーだと人々から思われたことでしょう。

 それにしても当時の中国ってすごいのね・・・。

http://www.ogata-shunsaku.com/

 江漢には『種痘の伝』という短文刊本があるそうです。

司馬江漢の美挙8

2007年04月13日 08時35分34秒 | Weblog
・ 常に科学の目で観察し、江漢の描く地平線は丸く、富士は噴火のあとがあり、月までの距離も月が地球の衛星であることも知っていた

・ それまでの日本画が正面からの人物も描けず、すべて横顔なのを笑い、著書「西洋画談」に「日の陰より出づる・・」と西洋画の陰影法を語り、「真を写さざれば絵画にあらず」と写実の重要性を説いた

・ 絵の具・顔料も自分で作り出していた

→黒は象牙を焼いて、白は中国の白土、赤も黄色も焼いたり練ったり混ぜ合わせて自分で作ったそうです。

また、オランダかぶれも相当激しかったのでしょうし、だからこそ、科学の目の重要性も時代を超えて認識していたのでしょう。


・ アルベルティやブルネレスキの絵画理論と数学的遠近法を、わずかな蘭書を頼りに自らのものとした

 →透視法はフィレンツェの偉大なる建築家ブルネレスキが発見したといわれ、人文主義者アルベルティの『絵画論』(1435年)によって理論化されたとされます。

 フィリッポ・ブルネレスキは、以前このブログのゴシックとルネサンスで書いた、あの有名なサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェ大聖堂)の赤いドームや、サン・ロレンツォ大聖堂を作ったフィレンツェのスーパースター。

 一方、レオン・バッティスタ・アルベルティは2006.12/8にこのブログでも登場した、ルネサンスの万能の天才アルベルティです。

 そのため、江漢の絵は西洋画の先駆者と評され、今までの日本画の殻を大きく突破したわけです。

 しかし「銅版天狗」によれば、江漢は源内同様、オランダ語はさっぱりだめだったといいますから、これも玄沢氏に訳してもらったのかな?

司馬江漢の美挙7

2007年04月12日 17時12分40秒 | Weblog
 他にも司馬江漢の代表作、神戸市立博物館所有の、油彩風景図「相州鎌倉七里浜図」は国の重要文化財です。

http://www.city.kobe.jp/cityoffice/57/museum/meihin/101.html

 この油彩というのが大切で、江漢は独自に、荏胡麻(えごま)の油を使用したそうです。

 現代の顔料は亜麻仁油(あまにゆ)です。

 え胡麻はしそ科の一年草で、αリノレン酸とDHAの働きで、コレステロール値を下げることで注目され、荏胡麻で飼育された荏胡麻豚なんかも近年有名ですね。

 おっとっと、横道系ですが、つまり江漢は、顔料も独自に作成し、日本における油彩画の先駆者でもあるわけです。


 さて、「サムライ・ダ・ヴィンチ」から、江漢の人となりをざっと列挙しますと、

・ 間宮林蔵は幕府隠密でありながら、樺太探検から帰ると江漢を訪問した

・ 大黒屋光太夫を江漢は訪ね会っている

 →大黒屋光太夫に関しては、当ブログの高田屋嘉兵衛、琥珀の間のコーナーを参照されてください。

 ロシアで捕虜になった人物です。

 いずれにしても、会ったとされる両者ともに鎖国下の江戸時代では、外国の様子がうかがい知れてしまうために、庶民が会うことは決して許されないことです。

 つまり、この事実だけでも、江漢は何か特権を許された、特別な階級であった可能性が示唆されるというわけです。

 しかも間宮林蔵はみずから赴いたわけですから・・・。

 「銅版天狗」によれば、大黒屋光太夫を尋問したのも、実は相弟子、中良の兄、桂川甫周、会合に呼んだのも江漢や中良が属していたサークルのような会であったようですが。

司馬江漢の美挙6

2007年04月11日 08時39分26秒 | Weblog
 僕は江漢の、静岡県立美術館所有「駿州薩陀山富士遠望図」を初めて知って以来、気になって気になって仕方がありません。

http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/_archive/collection/item/J_93_497_J.html

 この絵での、波の複雑な色合いや、船の帆にわずかに透ける遠景など・・・

 油彩の特性を生かした、抜群の透明感だと思いませんか。

 しかも、絵の具も無い時代です。

 確かにモノマネかもは知れませんが、西洋画の技術にしっかりとした日本画の基礎があるので、新しい独自の微妙なバランスの画力となっているのです。


 しかもこの「駿州薩陀山富士遠望図」には、「Eerste Zonders in Japan Si:」とオランダ語の朱文サインがあって。

 このサインの意味は、「日本最初のユニークな人物」と解されているそうです・・・

 つまり自らをそう称す江漢とは、目立ちたがり屋で自慢しいでありながらシャレを好む、かような人物なのですね。

 ちなみに浮世絵師、鈴木春重と司馬江漢は同一人物です。

 それまでの日本画といえば、狩野派に代表されるように、非常に平面的で、屏風、ふすまに描かれるもので、または中国風の水墨画を掛け軸に・・・

 これはこれで本当は奥が深いのでしょうけれども、僕にはあまり魅力的には映らないことを「伊藤若冲」のコーナーで述べました。

 明治開国時のお雇い外国人教師で、アメリカから哲学を教えに来たフェノロサは、

『次のような点を日本画の特徴として挙げ、優れたところと評価している。

写真のような写実を追わない。

陰影が無い。

鉤勒(こうろく、輪郭線)がある。

色調が濃厚でない。

表現が簡潔である。』(ウィキペディアより)としました。

 これが本当に優れた点なのかどうか・・・難しいところだと思います。

 西洋文化に毒されたためか、僕はどうしても純粋な日本画は不気味で暗いために好きになれませんが、この司馬江漢のものは、色調も美しく、印象派のような独特の柔らかさと透明感があり、好感が持てます。