早いもので、私が空手で初段(黒帯)になったのは10年前のことです。そのとき、先生に言われたことをいつも思い出します。
「やっと空手を教えてやれる」
空手の練習に励む多くの人にとって、黒帯になるというのは目標であり、夢ですらあります。私も、なんとしても高校生のうちに黒帯がほしいと思って必死に練習していました。毎朝5時に起きて自分でひたすら回し蹴りを練習していました。そして黒帯になったときは達成感に溢れていました。
しかし、それはやっとスタートラインに立てたというだけのことだったのです。白帯のときは、黒帯の先輩方を見上げて「完璧だ、かっこいい、強すぎる」と思っていましたが、自分がいざなってみるとかなり多くの不完全なところが残っていたことが実感できました。未だに先輩方にコテンパンにされるし、試合でも負けるし・・・。
大学の入学のときもそうでした。確かに大学は目標ですが、やはりスタート地点でもありますね。就職したときもそうだったと思います。ルールすら理解できていない、新しい土俵に立っていたわけですから。
結局、色んな意味で、我々はまだスタートラインに立っているわけです。更にいうと、スタートラインにすら立てていない分野も多く、スタートラインのありかすらわからない場合も多いのだと思います。我々は、永遠に未熟であるからこそ、明日また日が昇ることを感謝できるのでしょう。ゴールを追うということは、新たなるスタートラインのありかを追求することなのかも知れませんね。
「やっと空手を教えてやれる」
空手の練習に励む多くの人にとって、黒帯になるというのは目標であり、夢ですらあります。私も、なんとしても高校生のうちに黒帯がほしいと思って必死に練習していました。毎朝5時に起きて自分でひたすら回し蹴りを練習していました。そして黒帯になったときは達成感に溢れていました。
しかし、それはやっとスタートラインに立てたというだけのことだったのです。白帯のときは、黒帯の先輩方を見上げて「完璧だ、かっこいい、強すぎる」と思っていましたが、自分がいざなってみるとかなり多くの不完全なところが残っていたことが実感できました。未だに先輩方にコテンパンにされるし、試合でも負けるし・・・。
大学の入学のときもそうでした。確かに大学は目標ですが、やはりスタート地点でもありますね。就職したときもそうだったと思います。ルールすら理解できていない、新しい土俵に立っていたわけですから。
結局、色んな意味で、我々はまだスタートラインに立っているわけです。更にいうと、スタートラインにすら立てていない分野も多く、スタートラインのありかすらわからない場合も多いのだと思います。我々は、永遠に未熟であるからこそ、明日また日が昇ることを感謝できるのでしょう。ゴールを追うということは、新たなるスタートラインのありかを追求することなのかも知れませんね。
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