人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

できるけど、できないこと

2010-07-21 00:21:44 | 出来事
家に帰る途中で、暗く人影の少ない道の歩道に自転車が倒れていました。自転車には2つのライトがついていて、両方点灯していました。そして、その隣に30歳前後の男性が倒れていました。

怪我をしたのかも、万一頭を打って脳出血でも起こしていたらどうしようと思い、近づいてみました。どの程度で救急車を呼ぶべきかはわかっているつもりだし、119に電話することになった場合の説明や救急隊への申し送りなどには自信がありました。最悪の場合は救命処置をする心の準備もできていました。道路の向かいの公園か近くのスーパーにはAEDもあったはず。

自転車と男性から2メートルぐらいの位置まで近づくと、呼吸音までは聞こえませんでしたが、色々と確認することができました。

まず、ヘルメットをしていないこと。出血や嘔吐が見た当たらないこと。膝が擦り切れていないこと。服が破れていないこと。自転車の向きと体の向きが逆であったこと。そして、小さいバッグが枕のように、頭の下に置いてあったこと。

枕に満足し、休息中と判断。そのまま帰ってきました。

しかし、違和感はありました。マウンテンバイクより長距離向けの自転車っぽかったのですが(自転車については詳しくないです)、長旅にしては荷物は枕になっていた小さいバッグひとつでした。安くはない自転車のように見えて、身だしなみも普通でした(野宿する必要なし)。ライトが点けっぱなしだったこと(寝てる間に歩行者等に踏まれないようにするため?)。そして、道路の向かいには公園がありました(寝るなら公園で寝ればいいじゃん)。

救命士さん達と救急車に同乗したことが活きたのか、ここまでは10秒ぐらいで把握できました。しかし結局は何もしなかったわけで、直接安否を確認すべきだったかを振り返ってみました。すると、見落としが無数にありました。

まず、転倒事故と考えたのなら、自転車の損傷を確認するべきでした。タイヤは曲がっていないか。ハンドルやペダルが擦れていないか。チェーンが外れていないか。そして路上の状態。タイヤ痕は確認するべきでした。転倒の原因となる段差や石はなかったか。前方不注意となる原因(携帯、イヤホン、かわいい女の子?)は周りになかったか。

本人に声をかけたり触れたりしなくても、確認できることはまだありました。表情はどうか。汗はどれだけ出ているか。寝返りはしているか。肩・腹の動きから呼吸は確認できるか。手や足首が変な方向に曲がっていないか。

そして、転倒以外にも路上で横になりたくなる・なってしまう原因はいくらでもあります。脱水・熱中症。低血糖。迷走神経反射。脳血管障害。不整脈。てんかん。悪性腫瘍。甲状腺機能低下症。急性アルコール中毒。腹痛。認知症。ナルコレプシー。過呼吸症候群。メニエール病。良性発作性頭位眩暈症。いじめ、家出、新興宗教・・・。なぜこのように考えられなかったのだろう。考えたなら、それぞれの兆候を探せたはずなのに。悔しく、そして申し訳なく思います。

普段ならできることが、「困っているかわからない」ということと「声をかけたり触れてはいけない」という自らが課したひとつの制約だけで、できなくなってしまいました。焦ったり緊張したりしたわけでもないのに。もっとできることがあった。そして、制約に関係なくもっとも重要である「考える」という面でも十分に機能できなかったことが非常に残念です。

力不足でごめんなさい。
そして、貴重な教訓をありがとうございました。

1 コメント

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Unknown (coco)
2010-07-21 10:46:38
田舎から東京に戻ってくるとき駅の入り口に60代くらいの男性が座り込んでいました。JRの駅員の方が両脇に一緒に支えるようにして救命の人を待っているようでした。助けることができたら、声をかけて救急処置をして不安を和らげることができたかも、と思いました。

同じように思ったことが前にもありました。乗り換えの駅で停車している電車に乗って発車するのを待っていたら、降りていく人たちの中に一人、静止していた人がいるのに気が付きました。電車の床に倒れたまま、動いていませんでした。30歳くらいの男性です。目は閉じたままで寝ているようにも見えました。呼吸をしているのか、意識はあるのか、持病はあったのか?人が全員降りたとき、ホームにいた駅員さんが気付き、何回も呼びかけましたが意識はないようでした。助けることができたら、脈をみたりできたかも、と思いました。

こういう場面に出くわして、生き方を変えようと思いました。自分の中にあった素直な感覚に従って、今を過ごしています。昨日は予備校に行って、もう一度数学を楽しいと思える自分に出会うことができました。

よりよい生き方をしたいという思いをこれからも大切にしていきたいと思います。

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