人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

昔の仲間の期待

2008-02-29 12:40:40 | 人生論・閃き
仲間に背中を押されることは良くあるし、ありがたいものです。同じ場所で同じ時間を過ごした仲間には期待もするし期待もされますが、その期待は違う場所に行ってしまっても続くものだと思います。

その期待は大きく、

①「変わらない」という期待
②「変わる」という期待

の2つに分類できると思います。


①「変わらない」という期待

久しぶりに会うと「相変わらずだなー」と安心するのは、仲間が「変わらない」という期待があるからでしょう。懐かしく感じたり、古き良き日々を思い出したり、ホッとしたりするわけです。

これは相手からすれば「自分のため」の感情です。悪いというわけではありませんが、自分が「相手に変わってほしくない」と思うわけです。

しかし「友達想い」などの良いところは、そんな期待に応えようとすることで維持しやすく、また維持したいと思えるのではないでしょうか。親しい人の期待には応えたいものですよね。


②「変わる」という期待

仕事の仲間や部活のライバルに久しぶりにあったら、久しぶりに「お手並み拝見」したいものです。これは自分の成長を図りたいという気持ちもありますが、相手も自分と同じぐらいの成長をしていることを期待しているわけです。

自分よりちょっと成長していないぐらいが気持ちいいのかもしれませんが、負けるより相手が全く5年前のままだったりした方ががっかりするでしょう(おそらく相手が頭が悪く or 下手になったように感じてしまいます)。

この期待は、①より更に日頃の励みになります。そして、それは仲間の種類が多い方が強くなります。

リトルリーグの仲間の期待を裏切らないようにがんばって、シニアや甲子園で会ったときに期待に応えるのは大変かもしれませんが、可能といえば可能です。

では、小学校で剣道とバレーとバイオリンと裏千家を掛け持ちしていたらどうでしょう。中学、高校ではひとつかふたつに絞ってしまうかもしれませんし、受験のためすべてをやめてしまう人もいるでしょう。しかしこれらのすべてにおいて、その道一本でがんばっている仲間たちと同等でいれたら、それは大変な快挙ですよね。

私は数多くの学問、趣味、仕事を色んな環境下で経験してきたと思っている反面、おそらく多くの道では中途半端な知識や能力に成り下がってしまっているのだと思います。子供の頃はすべてのスポーツにチャレンジしてみたりするので、これはある程度仕方のないことかもしれません。

それでも、何もしなければ1割未満となっていた実力が5~6割で保てていたら、それだけで快挙といえるのではないでしょうか。そして、それはいざとなったらその道に戻れるということを意味するのではないでしょうか。

昔の仲間の「変わる」という期待に少しでも応えようとする気持ちは、この面でプラスになっていると思います。多くのことを試して多くの仲間を作っておくことが、人生を通じて自分の背中を押してくれる「期待」の形成に繋がるのかもしれませんね。

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