人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

理解と評価

2006-03-13 13:15:38 | 人生論・閃き
理解があったとしても、何かを評価することは難しい。理解できないものならなおさら。

世界で評価されているものは、ほとんど容易に理解できるものである。KIDは強い。エルビスはかっこいい。エスカレータによって生活が楽になった。

しかしガリレオが正当に評価されるようになるまでは死後長い期間を要した。とすれば、アインシュタインの偉大さは未だ正当に評価されていない可能性もなくはない。

しかし、それでもこれらの人は生前にも有名であった。ならば、正当な評価がされず死んでいった人は数え切れないのでしょう。とすると、膨大な知識が、才能が、芸術が、この世に存在しながらも評価されずに歴史に残らず、そのまま消えていったはずである。この世界はこの一つの理由によって、ありえた姿から200年も25万年も遅れているのかもしれない。

こんなもったいないことをしてはいけない。だから人は筆を握り、立候補し、子孫に夢を託すのかもしれない。しかし「大事なもの」の選別が難しいし、記録や記憶が残っていればそれでいいわけでもない。

以下のように考える人を責める気にはまったくなりませんが、一番重要なものとして「愛」「家族」「神・宗教」「世界平和」「金(!)」などが挙がります。政治家からすれば「安全」「安定性」「国民の生活基準」「平和」「国の発展」「自分の再選挙(!!)」などでしょうか。世界的に、長期的に、歴史の流れの観点から考えるという発想はないのでしょうか。「周りの人を助けたい」という看護士や公園ゴミ掃除ボランティアも素晴しいのですが、更に大きな影響力を与え、結果として(達成感はなくても・・・これが問題のひとつなのですが)数兆人の地球の子孫を幸せにする可能性に賭けてみようという発想は存在するのでしょうか。

一般人なら制約が多く仕方ないとしても、政府はこのようなことを考えているのでしょうか。考えていたとしても、国会を通る可能性は1%以上あるものなのでしょうか。

・・・全世界の人々の時間の効率性や、政府が活用する税金の総額の観点から考えてみると、前述の問題はいくらでも解決できそうです。しかし、これは共産党ですら容易に打ち出せないことであり、未来の世界に確実に存在するが目に見えない結果を残すために犠牲になろうと思う人はあまりいません。理解すらできないから評価ができない。失業率を0.1%改善させることは大変だが、そのお金を使って他に何かすべきなのではないか。日本の医療費は「80歳の人をいかにして90歳まで生かすか」ということに焦点を置きすぎるといわれていますが、がん治療や宇宙開発、錬金術やあやとりの研究方が有意義という可能性もあるはずなのでは。

自分の生涯程度の期間しか考えられない人間の団体をリードする政治家・経営者は、長期的視野を持つべきか?それともそれらの代表として、その総意に基づくべきか?

そして技術・芸術の保存や歴史上の重要性については優先基準は明確にすべきか、現状のように曖昧(あえていえば、影響の規模と対象人数なのだろうか)にしておくべきか。数を撃つのか、「今」という基準を優先させるのか。

タレントの発掘しているA&Rなどの人たちは何をみているのだろう。経営者は?占い師は?世界にあるのは法則で、基準はない。それは人が作るもの。一人の人間がピラミッドを壊すことができるのだから、過半数だけの問題でもない。

ヘンリー8世とシェイクスピア、選ぶとしたらどちらが地球にとって重要だったか?囲碁とカキ氷の苺シロップを比べるとどうか。このような2択に迫られることは少なくなってきているが、歴史的重要性の境界線からすればいつも行われていることである。それも、おそらく中堅出版社の2年目社員によって。

だから、基準から逃げてはいけないと思うのです。問題意識・理解があればなくてもいいもので、ない方がいいものかもしれません。しかし、理解がないので評価を客観化させる(という幻想を作る)基準で固定するのも手だということです。

これはおそらく頻繁に更新されるべき指針程度になってしまいます。それでもいいと思うのです。これを持つと持たないのでは人類にとって、長期的に考えて、大きな差となるのではないかと私は考えます。

肯定・否定を問わず、このような考えを「評価」できるほどの「理解」が世界の一人でも多い人にあることを願いつつ。

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