人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

2012年の元旦メッセージ

2012-01-01 00:00:00 | 人生論・閃き
本年明けましておめでとうございます。
例年通り、年賀状に代わる「年賀メール」をお送り致します。

「献身の年」とした2011年は、三カ国で数多くの患者さんと接することができ、色んな形の涙と笑顔を目の当たりにした一年でした。1月にハーバードで胸部外科学を、3月にフィリピンで感染症学を学び、4月より聖路加国際病院の研修医としての勤務しております。「献身の年」は終わりましたが、今後は「献身の一生」にできるよう励みたいと思います。

さて、本年のテーマは、「前後の年」にしたいと思います。

面倒がらずに、前に進んでは振り返り、出会いと再会の両方を重んじて、効率より大事なものを追求してみたいと思います。

2012年が皆様にとって幸せ多き年となりますよう心より祈念申し上げます。
本年も、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

平成 24年 元旦
岡本 武士

ご参考:
2011年(献身の年)の元旦メッセージ
2010年(根気の年)の元旦メッセージ
2009年(ソナタの年)の元旦メッセージ
2008年(序曲の年)の元旦メッセージ
2007年(統合の年)の元旦メッセージ
2006年(余裕の年)の元旦メッセージ
2005年(初心の年)の元旦メッセージ
2004年(結果の年)の元旦メッセージ
2003年(飛躍の年)

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Happy 2012! I trust all is well with you and your family.
As in the past years, I have condensed Christmas cards and New Year greetings into a single message.

2011, "A Year of Dedication to Others," was a truly rewarding experience, beginning with
a thoracic surgery sub-internship at Brigham & Women's Hospital in Boston,
flying south to Manila for a rotation in infectious diseases in March, and
working as a junior resident at St. Luke's International Hospital in Tokyo from April onward.

My theme for 2012 will be: A Year of Going To-and-fro.

Progress and reflection. New acquaintances and old friends.
Pursuing things lost in the pursuit of efficiency and self-enhancement.
This is a new approach to life that I've been wanting to try for a while.

Finally, I would love to hear from you and correspond on an individual basis.
Communication is a two-way street; I have put my latest "out there" and would be delighted to have your latest "out here."

Best regards,

Tak Okamoto

January 1, 2012

アフィア(株)が8歳になりました

2011-06-24 15:04:17 | Afia
アフィア株式会社はおかげさまで8周年を迎えました。

昨年度よりキャパシティの関係で事実上「一見さんお断り」となっており、大変ご迷惑をお掛けしております。既存のお客様に対してよりクオリティの高いサービスを提供させて頂きたく存じます。

この一年は個人的にも得るものが多く、新しい出会いも多かったと思います。都内への引っ越しもあり、新天地での居心地も非常に良くなってきました。それは逆に、どこかで温室に甘えてしまっているいうことでもあると考えています。そんなときこそ身を引き締め、チャレンジし続けたいと思います。

今後とも、アフィアをよろしくお願い致します。

相互主義に基づく変な癖

2011-04-07 00:01:22 | 人生論・閃き
心理学にハマっていた大学時代に、変な癖が身に付いてしまいました。

それは、誰かに何かをしてあげたら、必ずすぐに(その日のランチとかで)食事をおごらせることです。

感謝されると照れくさいということもあったのですが、それ以上に、「Reciprocity」(相互主義?)という概念を学んだからです。

人は、他人に何かしてもらったりお世話になったら、何か恩返しをしたくなるものです。これは相手が嫌いな人であってもあてはまるほど強力な感情であり、その場合は「借りができてしまった」という気持ちが生じます。

当時は「いい人になろう」というよりは「かっこいい人になろう」と思っていて、しかも「他人にバレないかっこよさ」という不思議な概念にチャレンジしていました。ただの自己満足どころか、一歩間違えればすごくめんどくさい&貧乏くさい人です・・・。

例えば誰かに10ドル相当のfavorをしてあげたと思ったら、3ドル程度のランチをごちそうになったりしてました。相手が多少嫌そうにしてもinsistしていました。それで、相手は7ドルの得をしているのに「借りができた」とは思いません。借りは返した、と思えるわけです。ある意味、相手に気付かれずにいいことをした。そんな自分が誰にも気づかれないまま世界を救えたらかっこいいな、と妄想していました(ちょっとオーバーですが)。

ちなみに、これは男性限定です。女性にやると、「こいつ私とデートしたくて手伝ってくれたんだな」と誤解されるからです。世界の半分しか救えないとしても、そう思われるのは嫌だったのです。ああ、なんていい加減&中途半端な救世主。

さて、驚くことに、今でもその癖が多少残っています。「ありがとう、助かった」といわれると、反射的に「じゃあメシおごってくれ」と言ってしまうことが多いです。そろそろいい年なので、色んな人に貸しを作った方がいいのかもしれませんが・・・。残念ながら、かなり頑固な癖のようです。これも世のため(?)になっていると良いのですが。

今は、行けない。

2011-03-16 22:44:33 | 出来事
現在マニラにいますが、できるなら今からでもボランティアしたい。

でも、今は、行けない。

それはマニラにいるからではなく、実力の問題です。今の自分が現地に行くより、働いて稼いで寄付するか、次に何かあったときのために腕を磨く方が日本に、世界にとって有意義。今できることは非常に限られていて、被災地に行ったらむしろ邪魔になる可能性が高い。

だから今日、目の前のデング熱の子を笑わせたり、犬に咬まれた子をなぐさめたりします。それしかできないから。明日もそうします。それしかできないから。

被災者の方々に何もできない我々は、せめてできることを、他の人にでもやりましょう。そうしたら、被災者の苦労のおかげでこの世界がより良い場所になったと思えるかもしれません。

だから誰でも、現状に貢献できる。
日常をこなすことも重大な貢献です。
そしてそれがいつか、何かにつながるはずです。

あのときの変な病気

2011-02-24 01:33:37 | 人生論・閃き
小4ぐらいのときの話、パート2です。

体育で水泳の授業が始まる日でした。2歳のときに水泳を始め、7歳から競泳をやっていたためカッコつけるチャンス(?)であり、とても楽しみにしていました。そして着替えてプールに集合すると、先生から簡単な検査が行われることを知らされました。

検査といっても、お辞儀をするように頭を下げて、両腕を前にダラ~ンと垂らすだけでした。

前に並んでいた子たちがこれをやっているのを見て、「僕だけ変な病気で、水泳が許可されなかったらどうしよう」と思いました。そして、「もし変な病気だったら、それが今日バレませんように」と願いました。

結局検査にひっかかった人は一人もいませんでした。そして普通に水泳の授業が始まりました。とても基礎的でつまらなかったのですが。

20年後、あのときの「変な病気」が側湾症ではないだろうか?と初めて思えました。もちろん記憶は曖昧になってしまっていますが、それでもそのような検査があったことはなぜか覚えています。そして、それが今やっていること(医学の勉強)に役に立ったわけです。なんだか、自分自身の人生の中で縁を感じてしまいます。小学校時代の同級生は、あの日のことを覚えていないでしょうから。

しかしそのとき、「何の検査ですか?」と先生に聞けばそのときに学べたはず。聞かなかったがため、その答えにたどり着くのに20年かかりました。なんと勿体ないことをしたのでしょう。

・・・やはりわからないことはその場で聞くか調べる方がいいですね。今さらながら実感しています。

そして当時「もし変な病気だったら、それが今日バレませんように」と願ったこともよく覚えています。そのとき発見された方が良いに決まっていますが、それほど水泳が好きだったのでしょう。しかし、もう一つ理由があるのではないかと考えるようになりました。

子供は9歳ぐらいまでは「死」の概念を理解しても「自分が死ねる」ということは理解していないらしいです。現に自分も、6年生ぐらいのときでも「交通事故にさえ遭わなければ100歳まで絶対生きれる」と思っていました。このことも、最近になってようやくわかるようになりました。


・・・こういう思い出を振り返ると、いつか子供ができたら、日記を書かせたいという気持ちになります。

しかし子供は日記に出来事のみを簡単に書くことが多いし、書く意義があまりわからない。だからつまらないし、手を抜く。自分もそうでした。「今日も水泳の練習に行った。疲れた。もう寝る。」といった感じでした。

しかし、そのとき思ったこと、感動したこと、当たり前だと思ったことを書けば、将来役に立つのではないかと思いました。今はパソコンで打てるわけですし。「なんでアイツはバタ足があんなに速いんだ。俺の方が脚が長いのに。ビート版の持ち方かなあ。」など、感じたことをそのまま書ける子は成長しそうです。

その日記を読めば、とりあえず小児科医になる人には絶対役に立ちそうです。そうでなくても、子供の心は純粋で貴重なもの。それを思い出すためだけでも貴重だと思います。そして、テレビドラマでは大人が「可愛い」と思う子供しか出てこないし、性格的にも明るく理想的な子供しかでてきませんが、実際はそうではありません。みんな、悩みを抱えています。自分も、自分が醜いデブだと思って相当悩みました。隠れて腹筋してもあまり効果はありませんでしたし。こういうことを日記に書いていた子が大人になって日記を読み返せば、自分の子供の闇を理解することもできるかもしれません。

色々と話題が飛んでしまいましたが、あのときの「変な病気」の謎が解けたので、次の謎に挑戦したいと思います。

救われた一言

2011-02-17 18:03:42 | 出来事
2カ月ほど前ですが、昼寝をしてしまって、悪夢を見てしまいました。

水泳の練習に行くはずが、雨が降り出したのでなぜか豪邸になっていた実家に立ち寄りました。すると私が喉頭癌になったことになっていて、韓国人が韓国語でそのことを詠う劇をやりはじめ、いつの間にか盛大なパーティになっていて周りに「おめでとう」としか言われない夢でした。あとはパーティ会場(豪邸と化した実家)でハイソなおばさま達がクッキーとかのお中元を交換しながらザマスザマスしてました。

わけがわからないのが夢ですが、こんなに辛い「おめでとう」は今までありませんでした。目が覚めると、同じく夢関連で思い出す限り一番うれしかった「ごめんね」を思い出しました。セリフ自体は夢ではなく現実で言われたことです。

たしか小4のときの夢です。当時たまに嫌味を言ってくるいじめっこな、1年上の先輩小学生が二人いました。ひとりはインド系、もう一人は思い出せません・・・。その二人が殴りかかろうとしたので逃げまくって、ついに家に逃げ込んでほっとしたところ、家にまで入ってきて、母が「お友達?」と聞くと「はい」と勝手に返事されて、逃げ場のない家のなかで更に追いかけられました。そこで目が覚めました。

目が覚めて、泣きながらこのことを母親に話すと、辛そうに

「ごめんね」

と言ってくれました。

人は皆それぞれ違う「脳内世界」に住んでいますが、相手の世界に合わせた言葉を操れるのは精神科医だけではありません。人生を変える一言でなくても、その日の気分を変える一言は誰にでも思いつくものです。相手を気遣う気持ちさえあれば。

毎日意識すると大変なことですが、慣れてしまえば自然にできますし、そうしている人もたくさんいます。私は意識しているうちはできますが、大体仕事に追われたり疲労が溜まったりするとそれを忘れてしまいます。特に、幸せそうな人、安定している人、明るい人、強い人には甘えてしまい、相手の世界を理解する努力が薄れてしまいます。共有すれば、自分も幸せになれそうなのに。

英語では良い知らせを伝えられたりすると「You made my day」と言いますが、それを日常的にできるといいなと思います。

2011年の元旦メッセージ

2011-01-01 06:28:07 | Afia
本年明けましておめでとうございます。
アフィア株式会社・東海大学医学部の岡本でございます。
例年通り、年賀状に代わる「年賀メール」をお送り致します。

2010年は「根気の年」という地味なテーマの下で勉強と仕事に励んで参りました。無事カリフォルニア州弁護士となり、会社の業績を回復させ、来年以降の方向性をより明確にすることができたと思います。

さて、本年のテーマは、「献身の年」にしたいと思います。

昨年は高校時代からの友人である医師に「やっと自分の成長より他人の成長を考えれるようになった」と言われ、最も印象に残る言葉のひとつとなりました。これからも急成長しなくてはならない未熟な立場ではありますが、他人の成長や心境、変化や苦しみに一層気を配れるようになりたいと思います。

2011年が皆様にとって幸せ多き年となりますよう心より祈念申し上げます。
本年も、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

平成 23年 元旦
岡本 武士

ご参考:
2010年(根気の年)の元旦メッセージ
2009年(ソナタの年)の元旦メッセージ
2008年(序曲の年)の元旦メッセージ
2007年(統合の年)の元旦メッセージ
2006年(余裕の年)の元旦メッセージ
2005年(初心の年)の元旦メッセージ
2004年(結果の年)の元旦メッセージ
2003年(飛躍の年)
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Happy 2011! I trust all is well with you and your family.
As in the past years, I have condensed Christmas cards and New Year greetings into a single message.

I think I did okay in making 2010 “A Year of Perseverance.” I passed the California Bar Exam, achieved a recovery in operating performance at Afia, and was able to clarify my goals for the coming year and beyond.

My theme for 2011 will be: A Year of Dedication to Others.

Having worked for over 10 years and completing 11 years’ worth of post-graduate coursework (with lots of overlap), I might know something that others want to learn. Maybe I can learn by teaching; maybe I can teach by learning. Instead of pursuing drasting changes, I hope to make small but lasting differences in the lives and well-being of others in the new year.

Finally, I would love to hear from you and correspond on an individual basis. Communication is a two-way street; I have put my latest "out there" and would be delighted to have your latest "out here."

Best regards,

Tak Okamoto

January 1, 2011

左手による脳の活性化

2010-12-09 00:05:12 | 出来事
最近、周りに呆れられながらも左手を使う練習をしています。みなさんも一度はやってみたことがあるのではないでしょうか。

個人的には、右手に怪我をすることが多く、そのたび左手の達人になろうと思いましたがすぐ諦めていました。

先週はじめたばかりですが、取り組んでいる課題としては

ペンで下線を引く(文字はまだ無理)
ペットボトルのキャップを開ける
はさみを使う
歯を磨く
糸ようじを使う
箸を使う

といったところです。箸には手こずっていて、食事がゆっくりになってしまいます。しかし食べ終わる頃には満腹感が出てくるので、実はダイエットにもなっているのかもしれません。

利き手ではない手を使うと脳が活性化されると言われますが、左手をうまく操ろうとすると新たな神経のつながりができるのは頷けます。しかしそれは、ただ単に左手を使っているからではないと思います。

箸を使うのは非常に大変なことだということに気付きました。今まで意識したことがないのですが、箸を使って食事を採るためには色んな動作が必要です。

挟む
刺す
切る
寄せる
すくう
引き離す
はがす
混ぜる・卵を溶く
箸にくっついたものをもうひとつの箸で擦り落とす
食べ物を上にのせてバランスを取る
流し込む

などなどです。左手を使うときには右手の見本に従い、ひとつひとつの動作をこのように分類して考えざるを得ません。動作が変わると驚くほど実行できませんから。

左手はこのように、日常に色んな「気付き」をもたらしてくれました。

あともうひとつ。自分は「ピアノを弾くから左手は他人より器用だろう」と思ってましたが、今はおごりだったと反省しています。右手は左手ができない何万もの動作をこなしていたのです。ピアノはそのごく一部でした。

何事も自然にやってしまう完璧な先輩(右手)に追いつくことを目指し、今日も左手を活用していきたいと思います。

ついに第3位へ・・・。

2010-08-20 02:02:34 | 出来事
雑誌「エコノミスト」によると、日本はついに世界第2位の経済大国の地位を中国に譲ることとなりました。平均給与水準は依然として10倍なのですが、日本人としては複雑な気持ちになりますね。

さて、世界的に「褒められて伸びるタイプ」が多く、日本人も例外ではないと考えています。現状が悪くても成長がみられる場合は「褒められている」ような気分になり、モチベーションも上がります。逆に勝っていても追い上げられている場合、特に逆転された場合はモチベーションの維持が難しくなります。

こんなときは、少しでも結果を出したり、視点を変えたり、新しいことに取り組んでも「プラスの方向に動いている」という実感が重要だと思います。

人は常に前に進んでいるわけではありません。年を取ると尚更のことです。そして現状に満足(自己暗示)し、全盛期は過ぎたと決めつけ、より緩い生活りに入ることになります。でも大学卒業の22歳まで遊びまくり、30歳からメタボ体質になり、40歳で社長になる野望を諦め、50歳でこれ以上の出世は望めないとゴルフに没頭、60歳で退職とともに腰が持たなくなりテレビとビールの毎日になるのではあまりにももったいないと思います。

この場合、社会貢献しているのが22歳から60歳、そして向上心を持って努力しているのが80年前後の人生のうち18年間です。40歳から60歳の間は全力の5割でそれなりにこなしているとして、合計で28年分の貢献となります。潜在能力の3分の1しか発揮しないまま死ぬことになります。

一方、記憶があるときからオリンピックを目指し、常に全力で仕事と体調管理に励み、家族を愛し、退職後も後輩の指導等に励む人は80年間のすべてで社会に貢献していることになります。

3倍充実していることになりますが、子供のころ何かを目指していたのかというのは環境因子の影響も強く、いまさらどうにもなりません(自分の子供の教育は熱心になさってほしいですが)。

ならば、モチベーションの維持(そして体調の維持と、隠れた老化現象のひとつである「自己中心的になる」ということを回避すること)こそが社会貢献の最大の鍵ともいえます。もちろん誰もが一日10時間ピアノの練習をすべきわけではなく、自分なりのやり方で最後まで全力で走れる・歩ける・車椅子を回せる・這えることが重要です。

前述のとおり、進んでいる感覚が得られれば楽になってくると思います。ダイエットで辛いのは最初の1キロと、安定期になってどんなに頑張っても体重が減らない期間に入ってからの次の1キロと思いがちですが、そうではありません。

一番辛いのは、見事にリバウンドして体重が元通り+1キロになったときに元通りに戻るための1キロです。

ふりだしより後方からのスタートで、しかも我慢してるつもりでも体重が上昇傾向にあるときに、前回以上のモチベーションを出せるだろうか・・・ここが勝負のポイントです。

行き詰ったら簡単な資格をとったり、新しい会合に顔を出したり、普段は読まないジャンルの本を読んだり、ちょっと休憩してみたり、昔の仲間に連絡してみるのもいいかもしれません(私はすべて実践しました)。でも、何かを何とかしようという気持ちだけはどこかに持っていたいものです。

痛みの類推

2010-07-25 12:51:20 | 人生論・閃き
自分が経験した痛みなら、他人の痛みを理解することが容易にできます。むしろ過剰に理解し、他の種類の痛みを相対的に軽視してしまうこともあると思います。

しかし、感じたことのない痛みを理解することも可能だと思います。全く同じ痛みを感じた二人など存在しないのだから、「骨折」「失恋」「敗北」などと名前がついたものなら同情し合え、名前が異なったら同情しえないなんてことはないと思います。

痛みや苦しみを経験したことがない人はいないはずなので、経験と相手の訴えから、相手が経験している「痛みの類推」ができるのではないでしょうか。

これは容易ではないし、正確でもないだろうし、相手には「あんたに私の何がわかるっていうの?!」と反感を買ってしまうかもしれません。男には、月経や出産の苦痛は理解しえないのかもしれません。それでも痛みを類推し、相手の身になってみたら、かけれる言葉もしてあげれることもちょっと変わるかもしれません。

出血性ショックを経験したからって軽い内出血の怖さを馬鹿にしてはいけないし、自分の方が不幸だと思って相手に怒ってはいけない。逆に軽い内出血しか経験していないからって、出血性ショックの辛さを理解できないとあらかじめ諦めてはいけない。極端にいえば、失恋したら末期がんの辛さを少しだけ理解できるかもしれません。

痛みの類推さえできれば、戦争を減らすことすら可能かもしれません。年を取り、責任が増え、権力も影響力も増してきたときに尚更、そういう発想が持てるといいですね。

できるけど、できないこと

2010-07-21 00:21:44 | 出来事
家に帰る途中で、暗く人影の少ない道の歩道に自転車が倒れていました。自転車には2つのライトがついていて、両方点灯していました。そして、その隣に30歳前後の男性が倒れていました。

怪我をしたのかも、万一頭を打って脳出血でも起こしていたらどうしようと思い、近づいてみました。どの程度で救急車を呼ぶべきかはわかっているつもりだし、119に電話することになった場合の説明や救急隊への申し送りなどには自信がありました。最悪の場合は救命処置をする心の準備もできていました。道路の向かいの公園か近くのスーパーにはAEDもあったはず。

自転車と男性から2メートルぐらいの位置まで近づくと、呼吸音までは聞こえませんでしたが、色々と確認することができました。

まず、ヘルメットをしていないこと。出血や嘔吐が見た当たらないこと。膝が擦り切れていないこと。服が破れていないこと。自転車の向きと体の向きが逆であったこと。そして、小さいバッグが枕のように、頭の下に置いてあったこと。

枕に満足し、休息中と判断。そのまま帰ってきました。

しかし、違和感はありました。マウンテンバイクより長距離向けの自転車っぽかったのですが(自転車については詳しくないです)、長旅にしては荷物は枕になっていた小さいバッグひとつでした。安くはない自転車のように見えて、身だしなみも普通でした(野宿する必要なし)。ライトが点けっぱなしだったこと(寝てる間に歩行者等に踏まれないようにするため?)。そして、道路の向かいには公園がありました(寝るなら公園で寝ればいいじゃん)。

救命士さん達と救急車に同乗したことが活きたのか、ここまでは10秒ぐらいで把握できました。しかし結局は何もしなかったわけで、直接安否を確認すべきだったかを振り返ってみました。すると、見落としが無数にありました。

まず、転倒事故と考えたのなら、自転車の損傷を確認するべきでした。タイヤは曲がっていないか。ハンドルやペダルが擦れていないか。チェーンが外れていないか。そして路上の状態。タイヤ痕は確認するべきでした。転倒の原因となる段差や石はなかったか。前方不注意となる原因(携帯、イヤホン、かわいい女の子?)は周りになかったか。

本人に声をかけたり触れたりしなくても、確認できることはまだありました。表情はどうか。汗はどれだけ出ているか。寝返りはしているか。肩・腹の動きから呼吸は確認できるか。手や足首が変な方向に曲がっていないか。

そして、転倒以外にも路上で横になりたくなる・なってしまう原因はいくらでもあります。脱水・熱中症。低血糖。迷走神経反射。脳血管障害。不整脈。てんかん。悪性腫瘍。甲状腺機能低下症。急性アルコール中毒。腹痛。認知症。ナルコレプシー。過呼吸症候群。メニエール病。良性発作性頭位眩暈症。いじめ、家出、新興宗教・・・。なぜこのように考えられなかったのだろう。考えたなら、それぞれの兆候を探せたはずなのに。悔しく、そして申し訳なく思います。

普段ならできることが、「困っているかわからない」ということと「声をかけたり触れてはいけない」という自らが課したひとつの制約だけで、できなくなってしまいました。焦ったり緊張したりしたわけでもないのに。もっとできることがあった。そして、制約に関係なくもっとも重要である「考える」という面でも十分に機能できなかったことが非常に残念です。

力不足でごめんなさい。
そして、貴重な教訓をありがとうございました。

名前

2010-07-20 12:09:01 | 人生論・閃き
他人の名前を覚えるには、「覚えようと意識する」ことが大事だそうです。会話の中で相手の名前を何度も混ぜると忘れないし、良い印象を与えることもできます。しかし、たとえば小売やサービス業で毎日多くの人に会う人は、それだけでは覚えきれません。その日は大丈夫でも1週間後は忘れてるかもしれません。B2Cでは名刺をもらうわけでもないし。

そこで、名前を長期的に覚えておけなくても、「調べればわかる」状態を作っておく必要があると思います。アドレスブックに出会った人を記入するのもよいのですが、スケジュールに書き込んでおいたり、日記に書くのも良いと思います。

人の名前が思い出せれば、顔も思い出せたり、そのときのシーンや学んだことを思い出せたりもします。名前が脳内で色んな知識や記憶のトリガーとなるわけです。このように、何事でも名前をつけると覚えやすくなるので、出会った人の名前を記録していけば自分にとってのプラスも多いと思います。もちろん、相手に失礼にもならないので一石二鳥ですね。

2年後の自分への注意事項

2010-07-04 20:10:29 | 医学
デブで見た目だらしなくて、酒ばっかり飲んでそうで、言うこと聞かなそうで、いびきがうるさそう・・・。

こんなひどいことを人に直接言えるわけはありませんし、それはマナー違反どころか幼稚園児並みの幼稚な行為です。しかし医療従事者は、このように考えなければならないことが多いのです。救命救急部のように、迅速に診断を下して治療に移らなくてはならない場合は特にそうです。

上記の例であれば、肥満(+)、不潔感(+)という所見を基に「お酒は一日どれぐらい飲んでますか?」などと問診をし、「アルコール依存症かも、睡眠時無呼吸症候群かも、処方どおり薬を飲んでないかも」と推察したうえで診察や検査を進めます。

世界中で同じことがされていて、これは患者さんのためになることなので仕方がありません。しかし、このような先入観や偏見で物事を進めるのは医療だけなのではないでしょうか。もちろん、「服、切りますね」「チクッとしますよ」の一言で大バサミで服を切ったり太い針を人様に刺したりするのも救急現場でのみ許されることでしょう。

このような環境に長く置かれると、それが普通ではないことを理解していても、世間でもある程度の先入観や勝手な行為が許されると思ってしまいそうです。

高率のところから攻める医学に対して、商品開発、治験、コンサルティング業などでは先入観にとらわれずあらゆる可能性を考えなければなりません。警察官や裁判官が「あの人はワルそうだからきっと犯人だ」などと考えていたら最悪です。ある意味、先入観を武器としていいのは医療者の特権です。

だから、それを用いる場面をしっかり考える必要があると思います。

日常ではしっかりと先入観を捨て、人間そのものを多面的にみることが必要ですよね。病院外で「デブで見た目だらしなくて、酒ばっかり飲んでそうで、言うこと聞かなそうで、いびきがうるさそう・・・。」と考えるべきではないことは当然のこと、この表現で「男性かな」と考えることすら男女差別で、偏見かもしれません。

病院では可能性が高い、または重大な疾患から疑う医療を行いながらも、世間に一歩出れば広い視野であらゆる可能性を考えれるようになりたいと思います。2年後、5年後、10年後でも、このような線引きがしっかりできるままでいれれば、と思います。

アフィア(株)が7歳になりました

2010-06-24 00:16:42 | Afia
アフィア株式会社はおかげさまで7周年を迎えました。

それは自分が「社長8年目」であるということでもあり、それを口にするたびに自分で驚いてしまいます。年齢からか初対面の方に「ベンチャーやってるの?」と言われることもありますが、さすがに全く「ベンチャー」という気がしません。リスクをとってがむしゃらに努力をする時期は過去の話であり、今後はコツコツと小さな工夫を重ねて行ければいいなと考えています。

さて、起業して数ヵ月後に、友人でもある尊敬する証券業の先輩と食事したことをよく思い出します。座ってすぐ、以下のような会話になりました。

「How's the company? Having fun?」
「Definitely. Everything I do these days is a first for me.」
「What's the most important thing you've learned?」

・・・いきなりそうきたか、と一瞬戸惑ってしまいましたが、

「That it's not easy to reinvent the wheel」

のような答えを出したと思います。ご尤もとも言えるが、ただ言葉の流れを作ったことがバレてしまったのか、あまり納得した様子ではありませんでした。自分も納得していなかったから、当然のことでしょう。後々はこうやって、表面的なことを言ってしまうときには厳しい態度をとってくれる人がいることを貴重に思いましたが、その時点ではくやしい思いしかありませんでした。自信を持って、カッコよく答えたかった。

7年経った今でもカッコよいことは言えないかもしれませんが、同じ質問に対して

「恐れなくていいということ」

と答えます。

「卒後3年で会社を作る」というのは口癖でしたが、実際そうしたときは楽しいというより、恐ろしいと感じていました。「このまま軌道に乗らなかったらどうなってしまうんだろう」と心配したし、親にも心配をかけてしまったし、昔の勤務先に復帰する夢を何度も見ました。積み上げてきたものがすべて消えてしまうのが恐い。「エリート」じゃなくなるのが恐い。営業で断られるのも恐い。仲間の期待を裏切ってしまいそうで怖い。異業種交流会で業務内容や業績を詳しく聞かれるのが恐い。

・・・ほんとに、どうでもいいことばかりを恐れてました。

実際に営業で断られたり、業績を聞かれたりしただけでなく、数人の弁護士を相手に契約交渉をしたり、お客様の前でガキ扱いされたり、6対1でサービス不備について指摘しまくられたりしました。ついでに女性にフラれたり、資格試験に落ちたり、支払督促を出したり、逆に「訴えるぞ」と脅されたりもしました。

どれも良い思い出ではありませんが、よい経験でした。そして、これらのことがまた起こったら嫌だと思うことは確実ですが、恐くはなくなりました。

「どうにかなる」というより、「どうにかできる」と思えるようになったためです。

「生まれてから大きな失敗とかしたことなさそうだね」と言われることがありますが、それは残念です。他人が10回中7回成功しているとしたら、私は50回中20回成功する人になりたい。野球ではチャンスが限られているため打率が高い方が良いですが、人生では失敗してももう一度チャレンジすることができます。(他人に迷惑をかけない形で)恐れず30回失敗できるようになった、それがアフィアの7年間で得た最大の収穫だと思います。

(注:当然ですが、「失敗してもいいや」「仕事でミスがあってもいいや」などと思っているわけではありません。もっとマクロの話ですし、そのような事態が起こっても自信を持って対処できるため、恐れて行動を興さないことはないということです。)

そしてもちろん、引き続き打席数も打率も増やしていきたいと思います。

・・・話を戻しますが、今まで一万枚を超える資料の翻訳を行ってきたことに加え、スタッフさんの翻訳レベルが上がってきたことや個人的にカリフォルニア州弁護士になったことなどにより、ますます専門性の高いサービスを提供させて頂けると思います。

引き続き、アフィアをよろしくお願い致します。

優しいだけ

2010-06-11 21:53:54 | 恋愛
優しいだけではモテない、と中3ぐらいのときに友達から教わりました。しかし、もともとモテない人としては優しくする、我慢する、話を聞くぐらいしかなかったのです。女の子と仲良くなれることも多くなりましたが、それでモテ出したというわけでもないと思います。

ときが流れ、同年代の女性の興味がサッカー部からイケメン、カリスマ性、有名企業内定者、デキる人、3K(古い?)、安定性、などとかわって行きました。どの時点でも優しい人が一番流行ったことはありません。もちろん大事なのですが、それだけではダメのように思えました。

それでも「優しいだけ」の人になってみたい。そして、「優しいだけ」の人を好きになれる人と一緒になりたい。人生で達成したいと思っていることが多くて、小さな優しさは積極性の陰に隠れてしまっているような気がします。昔から優しい人であったわけではなく、我慢していただけかもしれません。そういう想いもあって、優しい人間になりたいという強い気持ちがあります。

本当の優しさが試される場面は、相手がそれを理解してくれないときだと思います。愛されなくても、より強く愛せるか。恩を仇で返された時、なお与え続けられるか。恥をかかされた時、逆に相手がその行為によって恥をかかないような配慮をまず考えられるか。知らない人にお節介できるか。嫌われる覚悟で相手のために動けるか。

優しくなろうという努力は、あまり美しく聞こえないかもしれません。偽善に聞こえるかも知れません。でもそれは最初のうちだけだと思います。だから、やってみます。あえて、モテないキャラになる努力を。