人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

あのときの変な病気

2011-02-24 01:33:37 | 人生論・閃き
小4ぐらいのときの話、パート2です。

体育で水泳の授業が始まる日でした。2歳のときに水泳を始め、7歳から競泳をやっていたためカッコつけるチャンス(?)であり、とても楽しみにしていました。そして着替えてプールに集合すると、先生から簡単な検査が行われることを知らされました。

検査といっても、お辞儀をするように頭を下げて、両腕を前にダラ~ンと垂らすだけでした。

前に並んでいた子たちがこれをやっているのを見て、「僕だけ変な病気で、水泳が許可されなかったらどうしよう」と思いました。そして、「もし変な病気だったら、それが今日バレませんように」と願いました。

結局検査にひっかかった人は一人もいませんでした。そして普通に水泳の授業が始まりました。とても基礎的でつまらなかったのですが。

20年後、あのときの「変な病気」が側湾症ではないだろうか?と初めて思えました。もちろん記憶は曖昧になってしまっていますが、それでもそのような検査があったことはなぜか覚えています。そして、それが今やっていること(医学の勉強)に役に立ったわけです。なんだか、自分自身の人生の中で縁を感じてしまいます。小学校時代の同級生は、あの日のことを覚えていないでしょうから。

しかしそのとき、「何の検査ですか?」と先生に聞けばそのときに学べたはず。聞かなかったがため、その答えにたどり着くのに20年かかりました。なんと勿体ないことをしたのでしょう。

・・・やはりわからないことはその場で聞くか調べる方がいいですね。今さらながら実感しています。

そして当時「もし変な病気だったら、それが今日バレませんように」と願ったこともよく覚えています。そのとき発見された方が良いに決まっていますが、それほど水泳が好きだったのでしょう。しかし、もう一つ理由があるのではないかと考えるようになりました。

子供は9歳ぐらいまでは「死」の概念を理解しても「自分が死ねる」ということは理解していないらしいです。現に自分も、6年生ぐらいのときでも「交通事故にさえ遭わなければ100歳まで絶対生きれる」と思っていました。このことも、最近になってようやくわかるようになりました。


・・・こういう思い出を振り返ると、いつか子供ができたら、日記を書かせたいという気持ちになります。

しかし子供は日記に出来事のみを簡単に書くことが多いし、書く意義があまりわからない。だからつまらないし、手を抜く。自分もそうでした。「今日も水泳の練習に行った。疲れた。もう寝る。」といった感じでした。

しかし、そのとき思ったこと、感動したこと、当たり前だと思ったことを書けば、将来役に立つのではないかと思いました。今はパソコンで打てるわけですし。「なんでアイツはバタ足があんなに速いんだ。俺の方が脚が長いのに。ビート版の持ち方かなあ。」など、感じたことをそのまま書ける子は成長しそうです。

その日記を読めば、とりあえず小児科医になる人には絶対役に立ちそうです。そうでなくても、子供の心は純粋で貴重なもの。それを思い出すためだけでも貴重だと思います。そして、テレビドラマでは大人が「可愛い」と思う子供しか出てこないし、性格的にも明るく理想的な子供しかでてきませんが、実際はそうではありません。みんな、悩みを抱えています。自分も、自分が醜いデブだと思って相当悩みました。隠れて腹筋してもあまり効果はありませんでしたし。こういうことを日記に書いていた子が大人になって日記を読み返せば、自分の子供の闇を理解することもできるかもしれません。

色々と話題が飛んでしまいましたが、あのときの「変な病気」の謎が解けたので、次の謎に挑戦したいと思います。

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