goo

福田外交―世界に向けて所信を語れ(和文、朝日社説)

http://www.asahi.com/paper/editorial20070928.html#syasetu1

 いきなりだが要旨をとってみる。
靖国参拝するな、慰安婦を認めろ、植民地支配と侵略戦争を反省しろ、北朝鮮と仲良くしろ、中国と友好しろ

 要点を述べると
中国に逆らうな


 先日のエントリー

日本新首相と中日関係 「福田に種をまく」か?(2)(和文、人民日報日本版)
http://j.people.com.cn/2007/09/26/jp20070926_77351.html

 福田は「相手が嫌がることをする必要はない」といって靖国不参拝を明言した。中国は台湾問題を突かれるのが嫌だから、台湾問題では中国のいう事をきけ。中国の経済成長に伴う軍拡はよい軍拡だと認めろ。友好を望むのなら、もっと努力しろ。

 どうやらこれが北京からの指令だったようだ。
 北京にもホイホイ詣でるようなので、ここは媚中政治がいかなるものか10年前に戻るのもいいかもしれない。

 上の一文は皮肉だが、下の認識はひどすぎる。

首相は対話の重要性を主張してきた。拉致問題は大切だが、核やミサイルの脅威が除けるのなら、日本も真剣にその可能性を追求すべきだ。訪米することになれば、そうした姿勢を明確にして北朝鮮への共同歩調を固め直すことだ。

 つまり核やミサイルで脅されれば、国民の生命財産も譲歩せよと。まあ、ここならこのくらい書くか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

日本もミャンマー制裁検討入り、状況見極めてと首相(和文、日経)

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070928i106.htm?from=navr
 日本人ジャーナリストにも死者が出たミャンマー情勢、昨日から記事にしようと思いつつ、なかなか文章にならなかった。
 まず筆者のこの手の事件に対する基本的な考え方として、体制はその構成員に今日と変わらない明日を保証することで存在し得る、というものがあり。その考えに基づいて

1.秩序維持優先
2.構成員にデモ以外の手段を取らせなかった時点で体制の責任
3.まして武力鎮圧は体制の自殺行為

だと思っている。(中国をはじめ、武力鎮圧してもなかなか体制は転覆しない)

 鎮圧事件やテロ制圧事件などがあると、その都度上記の原則にパラメーターを調整しながら考えていくのだが、今回のミャンマーの件は情報が少ないのかどうも分かりにくい。

 要点を箇条書きにしてみる。

・デモ側:
要求:燃料価格の適正化→民主化
主体:僧侶
組織化:不明
デモの性質:市民が投石しており平和的とは言い難い

体制側:
主体:軍事政権
対応:治安部隊の投入、予防拘束

国際社会の対応:
ASEAN、欧米:軍事政権に圧力
中、露:安保理決議を分断、軍事政権より
日:、「直ちに制裁するかは、もう少し状況を見極めないといけない。ミャンマーへの日本の支援は、人道支援が多いので、そういう部分を含めて考えなくてはいけない」

「権力は腐敗する、絶対的な権力は絶対的に腐敗する」(アクトン)の格言通り、批判的なしくみを持たない軍事政権は大分腐敗が進んでいるようであり。直感では「近視眼的な思惑に囚われた体制の暴発」に見える。
 ところが、日本のマスコミが想像している「無抵抗の僧侶に発砲する血に飢えた軍隊」という印象とはどうもズレがあり、そのズレが筆が進まない理由のようだ。

 違和感といってもよい。
 箇条書きを読み返して、どこに違和感があるかわかった。デモの主体が僧侶であり、彼等の行動から考えて組織化されていないとは考えにくい。(実際に昨夜から、拘束を始めてからデモは下火になっている)
 欧米人にとって宗教人が政治的デモに関わるのは不自然ではない。浄土真宗という、およそ仏教本来のドグマからかけ離れた宗教を生み出した日本人も同じである。
 ところが、小乗仏教僧が政治という世俗に関わるのは、筆者の知識からすると、イスラム教徒が豚肉を口にするくらい有得ない。例えとしては「仏僧が妻帯するくらい有得ない」の方がいろんな意味で妥当だが、日本人には分かりにくいと思われる。

 厳しい戒律で縛られている僧侶を、デモに立たせた程の、戒律を上回るほどの動機づけ、がなければならない。案の定日本のマスコミは、「それほど民の苦しみが大きかったのだ」などと自説に都合よく解釈しているが、小乗仏教僧にとって重要なのは自分が解脱することであり、他人の苦しみは解脱より重要ではない。
 例えば、デモこそが解脱への道だ、などと規範を変更することのできるカリスマでも出ない限りあり得ない、そのような宗教史上稀有の状況が、昨日今日のミャンマーでは進行しているといえる。
 今回のデモは、それだけ組織的、計画的なものだということになる。そのあたりに、素直に同情できないものを覚える。

 まったく関係ないが、首相の腰の引けたコメントは、なんとなく予想できていたとはいえなさけない。次の首相へのつなぎであろうか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )