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ミャンマー―アジアの連携で圧力を(和文、朝日社説)

http://www.asahi.com/paper/editorial20070929.html#syasetu1

「「体は倒れても、突き上げた右手はしっかりビデオカメラを握っていた。」という書き出しに木口小平を書いた修身教科書を思い出し、朝日新聞の戦前への回帰が危ぶまれる」~~~~朝日社説ならこのように結ぶところだろう。
 戦後になっても朝日の体質が戦前戦中から変わっていないのは明らかなので、特に目新しくもない。
 個人的に気に入らないのは、亡くなったカメラマンを自分たちに都合よく利用している事に他ならない。

 記者魂を示した長井さんのような命がけの取材が、僧侶や市民らの行動を世界に伝えてきた。軍事政権は日本など外国メディアの記者を追放したり、現地通信員を連行したりしている。私たちはこの暴挙に、怒りと抗議を表明する。

 確かに、命をかけて報道しているジャーナリストは大勢いる。しかし、ポルポト政権を「アジア的やさしさ」、文化大革命を「現代への挑戦」だと書くような、体制におもねる新聞社に、「私たち」などとまるで同類であるかのような書き方をする資格はない。

 そうカリカリする必要もなく、昨日と今日の社説を見比べるだけで、アサヒテイストは充分堪能可能かと思われる。

昨日:
首相は対話の重要性を主張してきた。拉致問題は大切だが、核やミサイルの脅威が除けるのなら、日本も真剣にその可能性を追求すべきだ。

今日:
 だが、この対話路線は軍政の暴走を止められなかった。ミャンマーの平和と民主化にもっと積極的に関与する必要がある。それが日本に期待されている国際的な役割であり、民主主義国としての責任であることを自覚すべきだ。

(中略) 

 流血の弾圧がとまらない以上、日本も制裁を含めて圧力をかけることを検討すべき時期ではないか。


 昨日は対話の重要性をとき、今日は対話では生ぬるいというこのダブルスタンダード、まさに朝日社説の王道と呼ぶべき。

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