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あの日が語りかけるもの



私は今、10年前の東日本大震災で大きな被害にあった、宮城県石巻市の海岸を見下ろす日和山公園に立っており、ここからこの記事を投稿しています。


この土地から、この不幸な災害でお亡くなりになられた全ての人々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、血縁者や知人を失った方々のお心の回復と街々の復興を切に願います。

思い返せば、あの日は私にとってもその後の人生の選択を迫る大きな1日でした。

地震、大津波に続く福島第一原発の爆発事故により、一時的にせよ母国日本を後にして遠く離れる決断をしたのも、この時です。

その顛末は既に記事にしているので繰り返しませんが、あの時は、同じ日本人渡航者の血液観察を通じ、1年以内に数千万人の同胞の命が失われるだろうとの結論を得て、未来に対して暗澹たる思いに至りました。その時の辛さは忘れようにも忘れられません。

あれから10年経った今、こうして記事を書いているくらいですから、その時の大きな心配は結果的に杞憂に終わっている訳ですが、当時自分の導いた結論が間違いであったとは少しも思っていません。

ある大きな奇跡的な出来事により我々は救われたのです。

あれから10年、今ある命はあの時特別に与えられたものであると、こうして文章をしたためながらもしみじみとその尊い恩恵に頭が下がる思いなのです。

そして、10年経った今、私たちは何をしているのでしょうか?

10年前、民族死滅の淵まで追いやられようとした時も、事実を隠し、「風評被害」とまるで何もなかったように振舞っていたのではないでしょうか?いや、あれから10年経った今ですら東京都内の中には居住不適レベルである数千、数万ベクレルの土中汚染が観測される場所があるのにも拘わらずにです。

そして、現在の社会の有様にいたっては、1年間で1万人も死者が出ていない、インフルエンザよりも致死性の低い例の感染症で「命を守ろう」、「新しい生活様式」と国、世界をあげての大合唱。やってることがまるでアベコベです(*)。

*不幸にもお亡くなりになられた方にはお悔やみ申し上げます

私は今の状況をたいへん危惧しています。今ある命の成り立ちを忘れてしまった私たち日本人に、もう次の奇跡は現れないのだろうと。

わたしが現地を訪れたのは死者への弔いのためだけではありません。私たちが尊い犠牲の意味を忘れてしまった不実をお詫びし、そして、許してもらうためでもあるのです。せめて、せめて子供たちだけでもと。


写真:福島第一原発の最寄り駅で昨年復旧した常磐線大野駅
   ここではまだ10年前の頭が朦朧とするあの生理感覚が起こる
   廃炉、除染にあと何10年もかかる厳しい現実がここにある


画像:この日を茶化すアニメ映画が堂々と公開される日本とは何?



ET DICEBAT PROPTEREA DIXI VOBIS QUIA NEMO POTEST VENIRE AD ME NISI FUERIT EI DATUM A PATRE MEO
そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
(ヨハネによる福音書 第6章65節) - 版によっては66節



キリストの御国にて記す
管理人 日月土
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