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墓場まで持って行ったのは誰か - 蘇る亡霊(24)

123便事件を巡る言説の中に、中曽根康弘首相(当時)が「秘密は墓場まで持って行く」云々が現在でもよく語られますが、その出典が不明な事から、私は、当初からこれについては考察する価値がないとしていました。

最近「外閣調査室」さんのショート動画で、その出所について経済評論家の三橋貴明さんが明言したものが紹介されていたので、それを貼り付けておきます。


https://youtube.com/shorts/T-BPjRjmc14?si=ad3FaFiIvQjA60wq

この「墓場発言」、「書いてはいけない」著者の森永卓郎さんもネット上で取り上げているようですが、これに限らず、根拠があやふやなこの言説をベースに現在でも123便陰謀説が語られ続けているのが現状なのです。

もっとも、中曾根さん自身も、今思えば政治的パフォーマンスに長けた方で、「不沈空母」発言とか、レーガン米国大統領(当時)との山荘会談など、その派手な政治的姿勢に対して当時から疑問や不信を持たれた方は多い事でしょう。

それが、「123便の秘密は墓場まで」に拡大解釈されてしまったのは、確かにさもありなんとは思います。

その中曽根氏については、当時中曽根事務所に出入りしていた方から

あの人は、自民党内からの信望も薄かったし、実際に何を考えているのかよく分からない方でした。

そんな、人心掌握からほど遠い人が、123便に関わる重大な機密保持を任されたとは到底思えません。

との証言を得ています。代わりに、当時の党内実力者がいったい誰であったのかと尋ねたところ

間違いなく竹下登さんでしょう。あの方であれば、123便事件の背後で実際に何が起きていたのか知らされていたはずですし、党や政府内部の調整も可能だったはずです。惜しむらくは既に他界されてしまったことですね。

竹下登さんと言えば、中曽根さんに続いて昭和62年(1987年)に第74代内閣総理大臣に就任された方です。


竹下登元首相(内閣ホームページから)

竹下元首相と言えば、その任期中に戦後最大の贈収賄事件と言われるリクルート事件や、褒め殺し騒動のいわゆる皇民党事件に見舞われた不遇の首相として記憶されています。

しかし、竹下元首相と123便事件を繋ぐ重大な出来事に

 プラザ合意

が、あることは忘れてはならない事実なのです。

1985年当時、大蔵大臣であった竹下氏は、123便事件直後の9月、ゴルフに出かける振りをして家を出て、そのまま飛行機に搭乗してニューヨークのプラザホテルに向かい、そこで、その後の急激な円高を招いたプラザ合意を締結することになります。

ゴルフルックで出かけたかどうかは裏が取れていませんが、プラザ会談自体が秘密裏に行われたことは確かであり、実際にここでの合意は後出しジャンケンのように後日発表されたのです。

そして、翌年1986年には日米半導体協定が結ばれ、当時半導体立国とも呼ばれた日本の半導体の世界シェアが、それ以後急速に低下することになっていくのです。

加えて、1988年の竹下内閣下で、その後の日本経済凋落の大きな原因とも言われる、消費税の導入が可決されたのですが、これこそがプラザ合意の大きな成果として特に注目されるべき点なのです。

123便事件とプラザ合意の関連性を述べる識者の多くが、それを米国の対日工作と取るのも表面的には正しように見えます。

では、どうして123便事件の直後に米国はこのように大きく動きだしたのか?

その論理の大筋は

自衛隊が間違って民間機を撃ち落としちゃったので、米国さんに頼んで一緒に誤魔化してもらった。そのつけ払いを迫られた結果がプラザ合意だった。

という、いわゆる「自衛隊誤射説」に軸を置いたものですが、この論理が成立するためには、自衛隊の標的機なりミサイルなりが、123便に激突したという事実がなければ成立しません。

その事実性を裏付ける一番の根拠とされているのが、「垂直尾翼の喪失」なのですが、以前からお伝えしている様に

 垂直尾翼が喪失した事実は非常に疑わしい

のであり、このプラザ合意締結に至るこの陰謀説には大きなクエスチョンマークが付くことになります。

では、プラザ会談が行われた理由、そこで実際に何が話し合われたのか?

それらを具体的に知っているのは竹下元首相だけであり、残念ながら、その竹下氏は既に鬼籍に入られてしまっています。

その失われた情報を繋ぐ意図で記したのが、過去記事「旧軍ネットワーク最後のチャンス」で示した、日本の旧軍閥の存在とそのネットワークであり、その旧軍閥が日本政府はもちろん、米国政府、そして日本皇室とどのような関係を構築していたのか、そこを追うことでしか123便事件、もとい1985計画の真相を掴み得ないと私は考えるのです。


ITAQUE NOLITE ANTE TEMPUS IUDICARE QUOADUSQUE VENIAT DOMINUS QUI ET INLUMINABIT ABSCONDITA TENEBRARUM ET MANIFESTABIT CONSILIA CORDIUM ET TUNC LAUS ERIT UNICUIQUE A DEO
ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。
(コリントの信徒への手紙一 第4章5節)


キリストの御国にて記す
管理人 日月土

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