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8人目の子

 アブラハムには 7人の子
 一人はのっぽで あとはちび
 みんな仲よく 暮らしてる
 さあ おどりましょう
 (「アブラハムの子」加藤孝広作詞・外国曲より)

 
 動画アドレス:https://www.youtube.com/watch?v=Y5gr_3XZ3Eg 

この歌は、キリスト教系の幼稚園や日曜学校などでよく歌われると聞いています。しかし、クリスチャンであるならばこの歌には大きな間違いがあることに気付くはずです。どうしてそれが正されないままこの歌が作られ、流布されたのでしょうか?それもこの日本で。



アブラハムは、次の朝早く起き、パンと水の革袋を取ってハガルに与え、背中に負わせて子供を連れ去らせた。ハガルは立ち去り、ベエル・シェバの荒れ野をさまよった。革袋の水が無くなると、彼女は子供を一本の灌木の下に寝かせ、

「わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない」

と言って、矢の届くほど離れ、子供の方を向いて座り込んだ。彼女は子供の方を向いて座ると、声をあげて泣いた。

神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。

「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」

神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を満たし、子供に飲ませた。神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった。
(創世記 第21章14-20節)



(以下略)

引用元:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASPCZ7DXMPCZULUC021.html



(以下略)

引用元:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASPD95SN7PD9IIPE010.html


直前の(神)ブログメルマガで取り上げたように、わずか数日内に続けて起きた日米戦闘機の緊急着陸報道に大きな意味が見い出せます。

この調査のために、今月上旬、私は青森県の深浦町に向かいました。最初の写真はそこで撮影したものです。

本日はクリスマス、このような日であればこそ、ハガルとその子イシュマエルの辿った運命に思いを寄せたく、ここにその印を残した次第です。

最近の国際政治に関するジャーナリズムの中には、新しく発見された貴重な1次資料やご本人の研究経験に基づいた非常に優秀なものを目にします。そのような方々の尽力のおかげか、10年前は「陰謀論」と呼ばれ侮られたものが、少しずつ歴史的事実として認識されつつあります。例えば日米開戦史や戦後のGHQ占領政策研究などにその成果が見られます。

しかし、国際軍事評論家のB氏は常々こうおっしゃっていました。

 「旧約聖書の世界を知らなければ、国際政治は絶対に分からない」

と。私もそう思いますし、実は日本の古代史においてもその言葉は通用すると捉えているのです。加えて、私が抱えるテーマ「123便事件」も、最終的にはそのコンテキストの中で全貌が明らかになるであろうと予想するのです。


青森県新郷村のキリストの墓(と言われている場所)
ここにも寄りました。


青森県八戸市の某施設正門
ここもしっかり見させていただきました。能代、青森、三沢、函館、そして八戸のここと、津軽海峡周辺には空港施設が比較的多く設けられていると感じるのは私だけでしょうか?そしてそれは単に地政的な理由だけなのでしょうか?


深浦町と周辺空港施設


最近目撃例の多い「緑色の火球」。画像は今月10日のもの

DICENTES UBI EST QUI NATUS EST REX IUDAEORUM VIDIMUS ENIM STELLAM EIUS IN ORIENTE ET VENIMUS ADORARE EUM
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
(マタイによる福音書 第2章2節)


キリストの御国にて記す
管理人 日月土
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