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123便事件と芸能界の闇(9) - プリプリとプリンプリン物語

本シリーズの前回記事「DIAMOND PRINCESS」では、1980年台後半の大ヒットガールズバンド「プリンセス プリンセス」(通称プリプリ) のバンド名と、コロナ騒ぎで注目された豪華クルーズ船「DIAMOND PRINCESS」との関連、及びその大衆心理操作の構造について解析を試みました。

今回はその続きとなりますが、まず元ネタとしてNHKが放映した次の人形劇を思い出して頂きたいのです。




『プリンプリン物語』(プリンプリンものがたり)は、1979年4月2日から1982年3月19日までNHK総合テレビで放送された人形劇。主人公の少女プリンプリンが、まだ見ぬ故郷を探し求めて仲間たちと旅をする、ミュージカル仕立ての物語である。全656回。

引用元:Wikiペディア (画像はNHKエンタープライズ)


とは言っても、もはや40年近く前のテレビ番組なので、子供向け番組だったとはいえ、現在40代より若い方にはそもそも厳しいアイテムなのは重々承知の上です。よろしかったら、Youtubeなどで過去の放送などをご覧になり、雰囲気などを掴んで頂くと、ここで書かれた言葉の意味が理解し易くなるかと思います。


■プリンプリン物語とプリプリの狙いは同じ
これはもう、番組タイトルをご覧になっただけでハッと気付いた方は多いのではないかと思います。人形劇の主人公プリンプリンがまさに「どこかの国のプリンセス(姫)」という設定ですから、タイトルそのものが実質上「プリンセスプリンセス」と同じ、つまり二人、あるいは双子のプリンセスを暗示しているのはもはや間違いないと言えます。

ここで年代的な順序を整理します。

 1979~1982:プリンプリン物語の放送
 1985-8-12 :123便事件の発生
 1986~  :バンド名「プリンセスプリンセス」で再デビュー

ここで、プリプリは再デビューとありますが、正確にはこのバンド名は次の様に改変されています。

 1983: バンド名「赤坂小町(あかさかこまち)」でデビュー
 1985:バンド名を「JULIAN MAMA」に改名

つまり、1985年の123便事件を挟んで「プリプリ」の符丁自体は10年以上継続され続けていたのです。これが何かの作為で無くして、どうこれを説明すればよいのでしょうか?やはり「偶然」なのでしょうか?


■プリンの符丁とは何か?
さて、「プリンセス」という言葉ならそのままダイレクトに「お姫様」が連想できて分かり易いのですが、「プリン」という言葉からだとどうしてもお菓子のプリンを想像しがちです。特にその言葉を聞かされるのが番組視聴者の子供たちならなおさらです。

私の場合は主人公プリンプリンの声優兼アイドル歌手であった「石川ひとみ」さんが大好きだったので、当然それを目当てにこの番組を観ていました。これはまあ、要らない情報だと思いますが。


画像1:当時の石川ひとみさん。公衆電話がまた懐かしい

さて、「プリン」という言葉を聞かされて読者様は何を連想するでしょうか?この質問だけでは色んな答えが返ってきそうなので、少し質問内容を変えてみます。当時の子供の頃に戻った気分で考えてみてください。

 どこのプリンが一番好きですか?

すると、当時ならこんな答えが返ってきそうです

 グリコのプッチンプリンがいいな!

 ハウスのプリンが私は好きだな!

他にも菓子製造メーカーはあるとは思いますが、テレビCMによる圧倒的な宣伝力により、当時の子供たちがすぐに連想するプリンとは

 グリコ、またはハウスのプリン

すなわち、二つの著名な食品メーカが製造したプリンだったはずです。ここで次の事実を再度確認してください

 ・123便事件の前年1984年に京都でグリコ社長が誘拐される(グリコ森永事件)
 ・123便事件の当日1985年8月12日にグリコ森永事件の終結宣言
 ・123便に搭乗していたハウス食品社長が犠牲者の一人となる

なんと、ここでも123便が深く絡んでくるのです。これも本当に偶然だと言い切れるのでしょうか?

現代はとても便利な時代で、40年近く前のCM映像でもネットで確認ができたりします。当時のプッチンプリンのCMがありましたのでそれを以下に掲載します。


動画1:CM グリコ プッチンプリン 1982年

この中で、次のようなカットが目に留まりましたのでここに分析を含めて掲載します。


画像2:二人のプリマドンナ。中央の象徴は誰なのか?

このように、当時のCMの中でも「プリプリ」が遠回しに強調されているのです。このプリマドンナは誰を、そして中央の正装をしたカバのキャラクターは誰を象徴しているのか?これまでの「123便事件と芸能界の闇」シリーズをお読みになられた読者様なら、もう答えはお分かりになっているかと思います。

ちなみに、このCMに出ている若い女性は、2006年7月10日に自殺で亡くなられたとされている甲斐智枝美(かいちえみ)さんです。


■プリン大好きおJAL丸
プリンが大好きな子供のキャラクターと言えばご存知「おじゃる丸」。こちらのキャラクター分析については既出ですので、そちらを参考にしてください。その要点だけを列記すれば以下の様になります。

・主人公はプリンが大好きという設定
・尺を常に手放さない高貴な存在が主人公
・おじゃる丸は「おJAL九」+「、(点)」と書ける。九は坂本九さんと読め、点は刃の一突、すなわち殺意の象徴


画像3:おじゃる丸(©犬丸りん・NHK・NEP)

参考:
 神々の落涙(6)
 神々の落涙(7)


■123便事件は多くの日本企業・業界が関わっている
事件当時の様々な表現物を分析していくにつれ、123便事件が極めて壮大かつ周到な計画の下に仕組まれていることが明らかになってきました。その中で、今回のテーマ「プリンプリン」を中核にキーワードがどのように分散し、また関連しているかを分析したのが以下の図です。


画像4:プリンプリン分析図
    ”#プリン”がタグとなり、計画の深奥へ無意識に心が誘導される
    ドラマ・CM・歌謡・事件、全てが舞台装置として一体化していた

この図で注釈すべきは「赤坂小町」でしょう。ご存知のように、「小町(こまち)」とは古くから美人女性を表す決まり文句です。また、赤坂と言えば普通は東京の赤坂を指します。その赤坂にも色々ありますが、広く一般性を持たせるなら、ここでは赤坂御所と解釈するのが適当でしょう。つまり赤坂小町とは

 赤坂御所に居られる美しい女性

の意となります。このバンド名が存在した1983年から1985までの期間で、この言葉の定義に当てはまる方を想像してみてください。もうお分かりになりましたよね?それでも分からないなら「プリンセス〇〇子」と呼ばれた方を思い出してください。


追加画像:プリプリが赤坂小町時代のレコードジャケット

「赤坂小町」から唐突に「プリンセス プリンセス」へと大きくバンド名が変わったように見えますが、実は両者の間には意味的に共通する暗示があったのです。気をつけるべきは、「赤坂小町」の名前変更が123便事件の年、1985年に行われたことです。

1985年に付けられた名前は「JULIAN MAMA」。プリプリはこのバンド名で1枚も楽曲をリリースしていません。この奇妙な暫定名を呪詛解析すると

   JULIAN MAMA  → JAL AMA MINU (アナグラム)
 → JAL AMA MINU → JAL 天 見ぬ (語呂合わせ)

 → 「日航機(JAL)が天空を仰ぐことはないだろう」

の意を抽出することができます。そして、このメッセージを掲げるとともに、この年「赤坂小町」は消滅したのです。

1984年11月に当時の大ヒットメーカー、チェッカーズが「ジュリアに傷心」をリリースしています。プリプリ前身の「JULIAN」も当然その符丁を受けていると思われますが、それに関しては別途分析の対象としたいと思います。


さて、図中の「ダイヤモンド プリンセス」については既出事項なので説明を省略します。「ダーリン・イン・ザ・フランキス」については(神)ブログの「ダリフラ」カテゴリーをご参照ください。この作品については、プリン関連アイテムというより、全体の構造を解明する鍵のような役割を担っていると私は見ています。

最後に、この分析図から総じて言えるのは

 123便撃墜計画は現在でも継続中であること

そして、この壮大な計画には芸能界・放送界のみならず、一見被害者のように見える大企業までもが、その製品、そのCMを通して国民の心理誘導に深く関与しているということです。これらの取りまとめに関しては、おそらく電通などの大手広告代理店が中心的役割を果たしている。これについては今更言うまでもないでしょう。

ここで忘れてならないのは、広告代理店や経団連などの経済界をその背後から指揮する、呪詛を能く操る特殊技能集団です。グリコ森永事件は京都から始まった。これこそが123便事件の首謀者を特定する大きな鍵なのです。

参考:黒霧123便関連記事ガイド


 * * *


1985年前後の日本社会。この時まだ世の中をよく知らなかった私や、私と同年代の読者の皆さんは、今回取り上げた世の中の事象に純粋に驚き、涙し、またテレビで流れる様々な見世物について、バブル経済の余波を受けつつ大いに興じていたのではないでしょうか?

認めたくはありませんが、私たちのその一喜一憂が、実は全て計算ずくの心理誘導であった可能性は否めなくなりました。そして、このメディアを通した狡猾な誘導が、私たちを(心理的な)123便撃墜計画の加担者に仕立て上げ、いざ事が起きればロボットのように計画通りのアクションを起こすよう飼い慣らされていたのです。

一つ幸いなのは、メディアに飼い慣らされたままの犬のような一生を終える不幸だけは何とか免れたという点でしょうか。多くの時間と資源を失った10年間の123便事件調査活動でしたが、代わりに得たものはとても大きいと思えるようになりました。

123便が真実の姿を現わすまで、もうあと僅かです。


RESPONDERUNT EI SEMEN ABRAHAE SUMUS ET NEMINI SERVIVIMUS UMQUAM QUOMODO TU DICIS LIBERI ERITIS
彼らは言った。「私たちはアブラハムの子孫です。今まで誰かの奴隷になったことはありません。『あなたがたは自由になる』とどうして言われるのですか。」
(新共同訳聖書 ヨハネによる福音書 第8章33節)


キリストの御国にて記す
管理人 日月土
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