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东汉在哪里?

亲爱的织布工匠

在三国时期之前就有了东汉时期。如果这三个国家在日本,那么东汉在哪里?也许汉光武帝想见他的后代。


(36.679593, 138.999985)

以前、日本の東海地方に三国志を連想させる地名が残っていることを「三国志の呪い」でご紹介しました。

中国の古代史は群雄割拠の激しい時代であると代々の歴史書は語りますが、よく考えてください。長大な国境を見張り、守るだけで、どれだけ膨大な人員を割かなければならないのか?いざ戦いとなった時、最大数10万人もの兵士をどうやって数千キロも移動させるのか?普通に考えればその兵站輸送だけでも膨大なものになります。そして、戦乱続きの世の中で兵士の糧食はどのように生産されたのか?

当時の戦争は現代のように機械化されものではありません。広大な平原や山岳部を人力・馬力で移動しなければならないのです。通信機器だってありませんから、早馬や狼煙、伝書鳩等で数日かけて概況を伝えることしかできなかったはずです。下手をすると索敵すら難しかったかもしれません。加えて農業生産力も今と比べ物にならないくらい低かったでしょう。

つまり、映画や小説で表現されているような壮大なスケールの戦闘が古代中国で本当に行われていたとはとても考えられないのです。

古代日本は強大な中国の冊封体制に組み込まれていたと解釈する向きが一般的ですが、古代の中国国家はその規模が大きいほど、その大きさで瓦解する可能性の方がはるかに高かったのです。とても海の向こうの日本など構ってられるような状況ではなかったでしょう。

つまり、中国史書はほとんど嘘に近い誇張に満ちていると考えるべきなのです。そして、そんな中国史書の中に、例えば宋書のように日本が恭しく朝貢をしてきたなどという記述が残されているのです。ちょうど倭の五王が居たとされる時代です。

日本の記紀については、漢書など中国史書を参考にして作られたという研究もあり、それを以って記紀の信頼性を否定する向きもあるようです。しかし、私はむしろこう考えるのです

 中国史書も記紀も実は同時期に作られたのではないか?

時期だけではありません、むしろ日本で全てが編集されていたのではないかとすら考えられるのです。1つの元ネタを使い回し、中国史と日本史、そして朝鮮半島史がセットで考案された。つまり、極東一帯の壮大な歴史改ざんがこの時から既に行われていた可能性があるということです。


带着满满的爱


太阳,月亮和地球
写在耶稣基督居住的土地上
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