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●80年目の沖縄慰霊の日…《先人たちの前に反戦平和を誓う場所》戦没新聞人の碑、《「新たな戦前」にしない報道…戦争のために二度とペンを執らない…》

2025年06月28日 00時00分23秒 | Weblog

(20250625[])
80年目の6月23日、沖縄慰霊の日、「沖縄全戦没者追悼式」。
 《軍隊は人を守らない》《軍隊は住民を守らない》《基地を置くから戦争が起こる》という教訓はどこに? 中村哲さん《戦争の準備よりも、平和の準備を》。

   『●目を逸らす本土…「米国側からみた心温まる
      ヒューマン・ストーリーだけではなく、そこに暮らす人々」に…
    「「慰霊の日」に際して、「沖縄全戦没者追悼式」でのアベ様の挨拶の
     前に、「平和の礎あらゆる戦争を正当化させない思いでつくった
     県民の礎でしょ。そこへ戦争屋の安倍がのうのうと挨拶すること自体が
     県民として許せません」(『報道特集』2017年6月24日)。
     県民の怒りの声は届かないロバ耳東風な「戦争屋のアベ様」」

   『●《戦争の記憶を継承…なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを
     繰り返さないためである…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》
   『●水木しげるさんの言葉を…《戦争に向かうハードルが低く…
         戦争の怖さが(若者の)耳に届きづらい》恐ろしい世に
    《沖縄タイムスの【社説[慰霊の日に]知ることから始めよう】…
     《こういう時期だからこそ、沖縄戦の実相をより深く学び、
     戦争の記憶を引き継ぐ意味を心に刻みたい。きょう沖縄は
     「慰霊の日」を迎える。県民の4人に1人が犠牲になった
     沖縄戦から75年の節目となるが、今年の「6・23」は新型コロナ
     ウイルスの影響で慰霊祭の中止や規模縮小を余儀なくされている》》

   『●《住民を守ってくれると信じていた日本軍は、住民を壕から追い出し、
     食料を奪い、投降しようとした兵士を背後から射殺し、住民をスパイと…》
   『●《「慰霊の日」を迎えた。…鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊の悲劇が
      伝わる一方、護郷隊の過酷な運命は長年ほとんど知られていなかった》
   『●《戦世(いくさゆ)の足音に危機感を抱きながら私たちは戦争犠牲者を悼み、
      平和を求める日を迎えた。きょうは沖縄戦から79年の「慰霊の日」》
    (琉球新報)《防衛省・自衛隊の動きも気になる。沖縄の
     陸自第15旅団は公式ホームページに牛島満32軍司令官の
     辞世の句を載せ、問題視されている。今年1月には
     陸上自衛隊幹部ら数十人が靖国神社を集団参拝した。日本軍との
     連続性を疑わざるを得ず、平和憲法の精神にそぐわない

   『●中谷元防衛相「平和への願い」って、西田昌司議員同様、認識が歪んでいる…
     具志堅隆松さん「そもそも青草(沖縄の住民)を枯れさせたのは誰なのか」?

 《先人たちの前に反戦平和を誓う場所がこの碑》(琉球新報)、「戦没新聞人の碑」。
 琉球新報の記事【「戦争のためにペン握らない」誓う 沖縄戦で犠牲の新聞関係者を悼む 琉球新報社員ら参加】(https://ryukyushimpo.jp/news/living/entry-4363046.html)によると、《沖縄戦中、新聞発行に携わり亡くなった新聞関係者14人を悼む集いが21日、那覇市若狭の「戦没新聞人の碑」前で開かれた。琉球新報社の社員有志ら十数人が参加した。琉球新報社が取り組んでいる「新たな戦前にしない報道を念頭に、戦争のために二度とペンを執らないことを誓った》。

   『●「戦没 新聞人の碑」と「対馬丸犠牲者の慰霊碑 小桜の塔」
    《ただ先人たちの霊を慰めるだけでなく、先人たちの前に反戦平和を
     誓う場所がこの碑ではないか》

   『●「安倍政権が旗をふる「極右プロパガンダ映画」が
      世界中に発信されるという恥ずかしい事態が現実に」!?
    《是枝裕和監督は…「映画がかつて、国益国策
     一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば
     「公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つ
     のが正しい振る舞いなのではないか
」…▼沖縄の新聞も
     戦前戦中にかけては、軍の意向に沿った「戦意高揚」の
     報道に終始した。那覇市若狭の「戦没新聞人の碑」では、
     毎年の慰霊の集いで記者が戦争のためにペンを取らない誓いを
     重ねる

   『●「戦争のためにカメラを回しません。戦争のために
      ペンを持ちません。戦争のために輪転機を回しません」
   『●琉球新報《かつての戦争「前夜」の状況を繰り返さないことを誓いたい》
        《沖縄のメディアとして改めて誓う。戦争のためにペンは取らない》

    《▼戦後77年を「戦前Xにしてはならない慰霊の日に、
     沖縄のメディアとして改めて誓う。戦争のためにペンは取らない
     もう二度と、絶対に。》

 権力に忖度する新聞で良いのか? 「権力を監視」しない報道者、ジャーナリストで良いのか? 「報道機関・ジャーナリストは「闘って」いるだろうか?」

『■城山三郎さん「戦争待望論を唱える若い文士がいると聞いて、鳥肌の立つ思いがする。平和の有難さは失ってみないとわからない」(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/46cffbbda63235587e36a8f40865b28b)、「日本は先の戦争で、ほとんどすべてを失ってしまった。唯一、得られたのは、憲法九条だけだ」(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/07980877a3742cbd8a23034f725a7386)』

『■福島菊次郎さん《安保関連法の成立を心配し『戦争なんて始まらないと頭のどこかで考えているだろうね。でも、もう始まるよ』と最後まで危ぐしていた》…代表作に「ピカドン ある原爆被災者の記録」「戦争がはじまる」「証言と遺言」など(http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/5254d4afac7034e06e96deca02372701)』

『■反骨の報道写真家・福島菊次郎さん…『証言と遺言』の最後に赤々と押印、「闘え」「菊」と…「問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を犯しても構わない」……すごく重い、福島さんの言葉。いま、報道機関・ジャーナリストは「闘って」いるだろうか?http://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/5254d4afac7034e06e96deca02372701)』


 サセは都議選で3議席も取るわ、西田昌司参院議員は、カルト協会とヅボヅボな「利権」「裏金」「脱税」党の参院議員候補であり続け、下駄の雪党も氏を推薦。正気か? キチンと報じられているか、有権者の耳に届いているか? 今年の参院選は、3連休の中日に設定された。カルト協会とヅボヅボな「利権」「裏金」「脱税」党など与党やゆ党は、投票率が上がることをお嫌いなようだ。投票率が上がることを放棄する、世界的にも珍奇な国。このままでは、またしても投票率50%前後でしょうね。
 太田理英子記者による、東京新聞の記事【こちら特報部/沖縄県民がこぼした怒りと不安 戦後80年の「慰霊の日」…米軍基地問題も戦争の影も、暮らしの中にあって】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/414075?rct=tokuhou)によると、《沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」の23日、沖縄県内の各地で平和の祈りがささげられた。戦後80年の節目の今年、「ひめゆりの塔」を巡り、県民の心を踏みにじる政治家の発言が飛び出し、中東をはじめ世界で戦火がやまない。慰霊に訪れた沖縄の人々は今、どんな思いを抱いているのか。(太田理英子)》


   『●2016年7月参院選、「あとの祭」…「本土」マスコミは
           「沖縄・地域住民弾圧隊」「照明弾誤射」を報じず
    「アベ様は夏休み満喫中だそうですが、《沖縄・地域住民弾圧隊》が沖縄へ
     …やることなすこと無茶苦茶です。2016年7月参院選直後から、
     沖縄で何が行われているのか、「本土」ではほとんど報じられていません。
     「安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん…「第二の加害者」は、
     あなたたちです。」
は続き、マスコミが報じもしないため、
     「第二の加害者」は気づきもしません。「沖縄差別」「住民分断」「捨て石」に
     苦しむ沖縄の皆さんの「怒り」を全く共有できていません。
     「本土」の報道機関は、今や、アベ様に楯突けない状況でしょうか? 
     「本土」の報道機関の皆さんは、沖縄に建つ「戦没 新聞人の碑」に
     顔向けできないのではないですか?」

   『●カルト協会とヅボヅボな「利権」「裏金」「脱税」党西田昌司参院議員が歴史
     捏造発言…「認識錯誤も甚だしい」(玉城デニー県知事)、即刻議員辞職を!
   『●中谷元防衛相「平和への願い」って、西田昌司議員同様、認識が歪んでいる…
     具志堅隆松さん「そもそも青草(沖縄の住民)を枯れさせたのは誰なのか」?
   『●《排他的なところと、それを許容する人たちの評価が高い》参政党を支持し、
      投票する方々…差別・ヘイト、カルト支援への加担の自覚が無さ過ぎる

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https://ryukyushimpo.jp/news/living/entry-4363046.html

「戦争のためにペン握らない」誓う 沖縄戦で犠牲の新聞関係者を悼む 琉球新報社員ら参加
公開日時 2025年06月22日 05:00
更新日時 2025年06月22日 15:34

     (「戦争のためにペン握らない」誓う 沖縄戦で犠牲の
      新聞関係者を悼む 琉球新報社員ら参加沖縄戦で亡くなった
      新聞関係者を記した「戦没新聞人の碑」前で戦争につながる
      一切の報道をしないと誓う琉球新報社員ら
      =21日、那覇市若狭の旭ヶ丘公園

 沖縄戦中、新聞発行に携わり亡くなった新聞関係者14人を悼む集いが21日、那覇市若狭の「戦没新聞人の碑」前で開かれた。琉球新報社の社員有志ら十数人が参加した。琉球新報社が取り組んでいる「新たな戦前にしない報道を念頭に、戦争のために二度とペンを執らないことを誓った

 戦没新聞人の碑には、沖縄戦で犠牲になった沖縄新報、朝日新聞、毎日新聞、同盟通信(共同通信などの前身)の記者らの名前が刻銘されている。犠牲者の出身・関係社で1961年に建立された。

 琉球新報の小那覇安剛論説委員長が、沖縄戦中は戦意高揚の紙面づくりだったと解説した。かつて取材した沖縄戦当時の記者たちの言葉として「強い戦争責任を感じていた」と紹介した。滝本匠統合編集局長は「今の新聞人の私たちは二度と戦争のためにペンは握らないことを誓う」と話した。
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/414075?rct=tokuhou

こちら特報部
沖縄県民がこぼした怒りと不安 戦後80年の「慰霊の日」…米軍基地問題も戦争の影も、暮らしの中にあって
2025年6月24日 06時00分

 沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」の23日、沖縄県内の各地で平和の祈りがささげられた。戦後80年の節目の今年、「ひめゆりの塔」を巡り、県民の心を踏みにじる政治家の発言が飛び出し、中東をはじめ世界で戦火がやまない。慰霊に訪れた沖縄の人々は今、どんな思いを抱いているのか。(太田理英子


◆海外の戦火に「沖縄戦を思い出す」

 沖縄戦で最後の激戦地となった糸満市摩文仁にある平和祈念公園。犠牲者らの氏名を刻む公園内の「平和の礎(いしじ)」には、早朝から花や線香を手向ける遺族らの姿があった。

     (犠牲者の氏名が刻まれた平和の礎に手を合わせる遺族ら
      =23日、沖縄県糸満市で)

 「ウートートー(お祈り)しようねー」。糸満市の玉寄光子さん(91)は孫らに声をかけ、手を合わせた。防衛隊の一員だった父親、召集された兄2人を戦地で亡くし、栄養失調で生後まもない妹も命を落とした。自身は米軍の攻撃から逃げ惑い、捕虜に。3カ月ほど収容所で過ごした。

 ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルとイランの交戦激化や米国の参戦など、海外では戦火が絶えない。報道で戦地の状況を見るたび「(沖縄戦を)思い出す」と顔をこわばらせた。


◆記憶をつなぐ場所で、警察官との「にらみ合い」が

     (平和学習のために平和の礎を訪れたという小学生たち
      =23日、沖縄県糸満市で)

 父やおじが中国と南方で戦死したという屋宜宣治さん(92)は「沖縄本島南部の海岸で、海を米軍の黒い軍艦が埋め尽くす光景が目に焼き付いている」という。在日米軍専用施設の7割が沖縄に集中し、負担は軽減されるどころか、政府は「台湾有事」を念頭に南西地域の防衛力強化を掲げ、沖縄で自衛隊増強を進める。「何年後かに、また戦争が始まるかもしれない。最初に沖縄が攻撃されそうで不安」

 那覇市の小学6年、比嘉宇海(うみ)さん(11)は友人2人を誘い、訪れた。公園内にずらりと並ぶ刻銘碑に、「これだけ多くの人が亡くなったんだ」とつぶやく。長男(11)を連れて訪れた南城市の小学校教員、金城さおりさん(50)は「戦争の記憶がどんどん風化し、どう継承するかは教員にとっても課題。子どもたちに『自分だったら』と考えてもらうことが大事なのかも」と話す。

     (警察官に平和の礎への立ち入りを抗議する
      具志堅隆松さん(中央)=23日、沖縄県糸満市で)

 近くでは、沖縄戦の犠牲者らの遺骨収集に取り組む具志堅隆松さん(71)が、警察官とにらみ合っていた。「ここは祈りの場静謐(せいひつ)な環境を壊さないで」。不審物の警戒で、警察官が平和の礎のエリア内に立ち入っていたという。昨年も大勢の警察官が歩き回って線香などを調べたことを問題視し、17日に具志堅さんらが警察庁に立ち入りの取りやめを申し入れたばかりだった。


◆「今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです」

 平和の礎から西に約3.5キロ。沖縄戦で看護要員として動員され、犠牲になった「ひめゆり学徒隊」や教員を悼む「ひめゆりの塔」(糸満市伊原)では昼前から、慰霊祭が開かれた。遺族や、生徒の多くが学徒隊に動員された沖縄師範学校女子部・県立第一高等女学校の同窓生ら約250人が集った。

 「戦場で命を落とした方々の無念さ、動員された方々の苦しみを考えると、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです」。同窓会の知念淑子会長(96)は、あいさつで声を震わせた。

     (ひめゆりの塔での慰霊祭で校歌を歌う学徒の同窓生ら
      =23日、沖縄県糸満市で)

 塔に隣接する「ひめゆり平和祈念資料館」は、学徒らの犠牲を語り継ぎ平和を訴えようと、同窓会が1989年に設立。膨大な記録を集め、元学徒も証言活動をしてきた。だが今年、展示説明について、自民党の西田昌司参院議員が「日本軍が入ってきてひめゆり隊が死に、米軍が入ってきて沖縄は解放されたという文脈で書いている」として歴史の書き換えと発言し、関係者や地元住民が猛抗議した。


◆資料館は「血のにじむ思いで残してくれた遺産」

 知念さんはあいさつで、西田氏の発言について「資料館の展示や沖縄の平和教育を否定する発言がなされ、非常に憤りを感じている」と批判。名護市辺野古での米軍の新基地建設などにも触れ「戦争の影は………………。
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●米潜水艦魚雷攻撃で沈没した学童疎開船対馬丸生存者・平良啓子さん「あの戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」…体験通し戦争否定貫く

2023年08月19日 00時00分06秒 | Weblog

(2023年07月31日[月])
平良啓子さん「あの戦争が頭から離れないもう二度とごめんだ」。(沖縄タイムス社説)《戦後、啓子さんを突き動かしたのは、仲の良かったいとこを亡くしたことや、同じ年頃の子どもたち784人が、一瞬にして未来を奪われてしまったことへの、深い罪責の念だった》、《体験通し戦争否定貫く》。
 対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》。それをどう継承するか。なぜ継承するのか。《戦争の記憶を継承…なぜ継承するのか…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》。(沖縄タイムス社説)《啓子さんは対馬丸記念館で、命の対話私が、対馬丸を語り継ぐ意味」と題した…催しに参加した。対話の相手役は、娘の平良次子さん…。親から子へ体験者から非体験者へその積み重ねを通して非体験者は戦争のリアリティーを体験者から学び取る》。

   『●「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。
       もう二度とごめんだ」…「九条の碑」早期建立を呼び掛け

 沖縄タイムスのコラム【[大弦小弦]平良啓子さんの強さ】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1196048)によると、《強くてかっこいい人。故平良啓子さんにはそんなイメージがある。だから、海沿いでお会いしたある時、ふと漏らした「海はあんまり見たくない」という細い声が、耳に残っている ▼79年前、疎開のために乗った対馬丸が米軍に沈められた。仲良しのいとこ、時子さんら親族3人を亡くした。海で一緒に樽(たる)につかまった時子さんは目の前で波にさらわれた ▼やっと沖縄に戻ると、時子さんの母は「あなたは元気で帰ってきたのに、うちの時子は太平洋に置いてきたの」と問うた。海を見れば時子さんの顔が浮…》。
 同紙の【[社説]対馬丸・平良さん死去 体験通し戦争否定貫く】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1196009)によると、《沖縄戦の語り部がまた一人、若い世代に多くのメッセージを残して、旅立った。学童疎開船「対馬丸」の生き残りの平良啓子さんが、大動脈解離のため名護市内の病院で死去した。88歳だった。過酷な漂流体験で身に染みた戦争の悲惨さ、愚かさを訴え続けた半生だった》、《戦後、啓子さんを突き動かしたのは、仲の良かったいとこを亡くしたことや、同じ年頃の子どもたち784人が、一瞬にして未来を奪われてしまったことへの、深い罪責の念だった》。

   『●「通貨が社会を変える?」
       『週刊金曜日』(2014年7月4日、998号)についてのつぶやき

      【黒島美奈子の政治時評/対馬丸事件の教訓を唾する「武力放棄」
       憲法下での異常 日本は再び戦争のできる国】、「この悲劇は、
       いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象と
       なる危険性を後世に伝えている

   『●「戦没 新聞人の碑」と「対馬丸犠牲者の慰霊碑 小桜の塔」
    《ただ先人たちの霊を慰めるだけでなく、先人たちの前に反戦平和を
     誓う場所がこの碑ではないか》

   『●沖縄出身脚本家上原正三さん、「民意を顧みず、
      基地を押し付け…沖縄を植民地としてしか見ていない証拠」
   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
              アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
    「《「対馬丸事件」…。沖縄で事件を後世に伝える生存者たちは
     「今も続く沖縄の苦しみは『真珠湾』が原点。首相には、
     そこまで思いを至らせてほしい」と願っている》…でも、残念ながら
     アベ様には、《そこまで思いを至らせ》る、なんて無理というもの…」

   『●対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き
     込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》
    「沖縄タイムスの記事【「いつまでも忘れないこと」 吉永小百合さん
     対馬丸記念館へメッセージ 戦争で撃沈、犠牲の児童らに想い】…
     《メッセージの中で対馬丸で犠牲になった子どもたちについて触れ、
     「私達はしっかりと胸に刻んで、いまを生きる。いつまでも忘れない
     ことが大切です二度と戦争をしないという強い思いのなかで
     吉永小百合
」と色紙にしたためた》」

   『●《小桜の塔…対馬丸記念館…照屋さんは「記念館があることにより、
     子どもたちが歴史を知る機会につながる」と館存続の意義を語った》
   『●対馬丸事件…《戦争でどれだけ多くの命が海に消えたか。辺野古…
     大浦湾…多くの戦没者が眠る海を破壊して、新たな軍事基地》を建設中
    「対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き込まれれば
     いかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》。それをどう
     継承するか。なぜ継承するのか。《戦争の記憶を継承…なぜ継承
     するのか…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》」
    《「軍は住民に必要な情報を隠す」「住民の危険より兵力を重視する
     ことが対馬丸事件の教訓に挙げられよう。仮に台湾有事となった
     場合、こうした教訓は生かされるだろうか。石垣市や宮古島市が
     国民保護法に基づいてまとめた避難計画のひな型では、
     住民避難に必要な航空機は石垣が延べ435機、宮古島が
     381機と試算している。船舶であれば、宮古島だけで
     114隻を必要とする現実離れした計画であり、有事に
     逃げ遅れた住民が巻き添えになる可能性は高い。運よく
     航空機や船舶が確保できても、対馬丸のように戦場である
     空域や海域に住民を送り込むことになりかねない。》

   『●琉球新報社説《対馬丸撃沈と宮森小墜落事故は、戦争中の子どもの犠牲と、
      戦後の米軍統治下の子どもの犠牲を象徴する最も痛ましい事例である》

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1196009

[社説]対馬丸・平良さん死去 体験通し戦争否定貫く
2023年7月31日 5:01

 沖縄戦の語り部がまた一人、若い世代に多くのメッセージを残して、旅立った。

 学童疎開船「対馬丸」の生き残りの平良啓子さんが、大動脈解離のため名護市内の病院で死去した。88歳だった。

 過酷な漂流体験で身に染みた戦争の悲惨さ、愚かさを訴え続けた半生だった

 国頭村の安波国民学校4年生だった9歳のとき、祖母や姉、兄らと共に対馬丸に乗船した。仲の良かったいとこの時子さんも啓子が行くならと同行した。

 1944年8月22日夜、疎開学童や一般疎開者、世話人らを乗せた対馬丸は、米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した。1700人を超える乗船者全員が海に放り出された

 必死になって助けを求め、泣き叫ぶ子どもたち。沈んでいく船に巻き込まれないようにと子どもたちを海に投げ込む船員ら。

 啓子さんは海でもがいているときに時子さんを見つけ、一緒にしょうゆ樽につかまって波間を漂った。そのうち時子さんは波に流され、行方不明になった。

 生き残って郷里に戻ったとき啓子さんは、時子さんの母親に言われたという。「あなたは元気で帰ってきたのに、うちの時子は太平洋に置いてきたの」。つらくて涙が止まらなかった。

 戦後、啓子さんを突き動かしたのは、仲の良かったいとこを亡くしたことや、同じ年頃の子どもたち784人が、一瞬にして未来を奪われてしまったことへの、深い罪責の念だった

■    ■

 啓子さんの漂流生活は6日間に及んだ。

 われ先にと大人たちが洋上でもみ合っていた畳2畳ほどのいかだを見つけ、運よく乗り移ることができた。

 食糧の備えもなく現在地も分からないまま漂流を続け、捕った魚や漂流物の中に入っていたあずきご飯などで飢えをしのいだ。

 奄美大島・宇検村の枝手久島に漂着したのは8月28日のことである。

 いかだ上にいた遭難者10人のうち、生き残ったのは4人だけだった。

 対馬丸遭難事件は、動揺が広がるのを恐れ、厳しいかん口令が敷かれた。遭難の事実が伝わり始めると、県庁や学校には興奮して怒鳴り込む父母が相次いだ。

 翌年の45年2月に帰郷した啓子さんを待っていたのは米軍上陸を控えた沖縄の物々しい空気だった。北部山中の小屋に避難した啓子さん一家は、今度はマラリアと飢えに苦しむことになる

■    ■

 昨年11月22日、啓子さんは対馬丸記念館で、命の対話私が、対馬丸を語り継ぐ意味」と題した県主催の催しに参加した。対話の相手役は、娘の平良次子さん(当時、南風原文化センター館長)。

 親から子へ体験者から非体験者へその積み重ねを通して非体験者は戦争のリアリティーを体験者から学び取る

 台湾有事や沖縄の戦場化が軽々しく口の端に上る今、啓子さんが語っていた「二度と子どもたちを戦争の犠牲にしないという言葉はますます重みを増している
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●《小桜の塔…対馬丸記念館…照屋さんは「記念館があることにより、子どもたちが歴史を知る機会につながる」と館存続の意義を語った》

2021年09月06日 00時00分11秒 | Weblog

(20210821[])
琉球新報の記事【コロナ禍、鎮魂の祈り  対馬丸慰霊祭 「命の尊さ知る機会に」記念館存続願う】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1377613.html?utm_source=ryukyushinpo&utm_medium=referral&utm_campaign=carousel)。

 《子どもたちを乗せた対馬丸が米軍の魚雷攻撃を受け海に沈み、今月22日で77年になる。慰霊祭が開かれた18日、那覇市若狭小桜の塔には対馬丸記念館の職員や関係者らが集まった。例年多くの人が訪れる一般焼香の列はなく、開催時間も30分ほどに短縮した。職員らは、参列がかなわなかった遺族らの思いとともに手を合わせ、鎮魂の祈りをささげた》。

 対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》。それをどう継承するか。なぜ継承するのか。
 《戦争の記憶を継承なぜ継承するのか。過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》。

   『●対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き
     込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》
    「沖縄タイムスの記事【「いつまでも忘れないこと」 吉永小百合さん
     対馬丸記念館へメッセージ 戦争で撃沈、犠牲の児童らに想い】…
     《メッセージの中で対馬丸で犠牲になった子どもたちについて触れ、
     「私達はしっかりと胸に刻んで、いまを生きる。いつまでも忘れない
     ことが大切です二度と戦争をしないという強い思いのなかで
     吉永小百合
」と色紙にしたためた》」

   『●《「忘れない、風化させない、なかったことにしないために」
      …反戦平和、反核、反原発を明確に打ち出す発言》を躊躇わず
   『●戦争の記憶の継承…《大谷昭宏さんから伺った話。「戦争の記憶が
     風化する中、語り継ぐ一つの手段が見えるのでは」と水を向けられ…》
   『●沖縄イジメ、辺野古は破壊「損」の張本人が元最低の官房長官。
     そして今、さらなるデタラメ・ヒトデナシをやろうとしているオジサン
   『●《自民党右派の議員秘書にトランプの評価を問うと「戦争をしなかった
       大統領」と胸を張った。米国は分断という内戦を戦っていたのだ》
   『●「自衛隊派遣によって治安はかえって悪化する」、政府の政策に
     逆らえば…衆院テロ対策特別委員会委員は国会参考人の発言を打ち切り…
   『●《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
     押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに…
    「平和な社会への《語り部》の皆さんの重要な貢献。特に、
     《沖縄戦の語り部》の皆さんは高齢化している。そんな中、
     戦争の記憶をどのように継承していくのか。
     《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を
     押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さんがお亡くなりに
     なったそうです」

   『●大矢英代さん《沖縄の状況がいかに理不尽かということも、今回の
     アメリカ大統領選から日本人は学ぶべきなのではないでしょうか》!
   『●《戦争の記憶を継承…なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを
     繰り返さないためである…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ》
   『●対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き
     込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》

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https://blog.goo.ne.jp/activated-sludge/e/724f3a7270886ca0b367df231a39500e

 平和な社会への《語り部》の皆さんの重要な貢献。特に、《沖縄戦の語り部》の皆さんは高齢化している。そんな中、戦争の記憶をどのように継承していくのか。《「真実を後世に伝えることが生き残った自分の義務」と心の傷を押して語り部を続け大きな足跡を残した》安里要江さん。どう戦争の記憶を残し、戦争を回避するのか。戦争の記憶の継承、《語り継ぐ》。でも、今のような自公政権やお維が幅を利かす世の中では…。まず、そこから変えていかないと。
 《「忘れない、風化させない、なかったことにしないために」》。(沖縄タイムス社説)《戦争の記憶を継承していくためには、継承する理由がはっきりしなければならない。なぜ継承するのか。端的に言えば、過ちを繰り返さないためである。アジア・太平洋戦争は日本を破滅に導いた過誤に満ちた戦争だった。…過ちを繰り返さないために過去の過ちから学ぶ。慰霊の日は、戦没者を追悼するとともに、そのことを再確認する日でもある》。(琉球新報社説)《「慰霊の日」は鎮魂と同時に沖縄戦の書き換えを許さないことを確認したい。そして世界の人々と共に、軍事力に頼らず人権侵害、難民、飢餓、貧困、抑圧のない積極的平和の実現を誓いたい》
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 《那覇市若狭小桜の塔には対馬丸記念館…照屋さんは「記念館があることにより、子どもたちが歴史を知る機会につながると館存続の意義を語った》《対馬丸記念会の高良政勝理事長(81)は「大きな問題は記念館と小桜の塔の継承だ」と強調。遺族の高齢化が進む中「国策により多くの人々が犠牲になった子どもたちに事実を伝えるため…」》。

   『●「通貨が社会を変える?」
       『週刊金曜日』(2014年7月4日、998号)についてのつぶやき

      【黒島美奈子の政治時評/対馬丸事件の教訓を唾する「武力放棄」
       憲法下での異常 日本は再び戦争のできる国】、「この悲劇は、
       いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象と
       なる危険性を後世に伝えている

   『●「戦没 新聞人の碑」と「対馬丸犠牲者の慰霊碑 小桜の塔」
    《ただ先人たちの霊を慰めるだけでなく、先人たちの前に反戦平和を
     誓う場所がこの碑ではないか》

   『●沖縄出身脚本家上原正三さん、「民意を顧みず、
      基地を押し付け…沖縄を植民地としてしか見ていない証拠」
   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
              アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
    「《「対馬丸事件」…。沖縄で事件を後世に伝える生存者たちは
     「今も続く沖縄の苦しみは『真珠湾』が原点。首相には、
     そこまで思いを至らせてほしい」と願っている》…でも、残念ながら
     アベ様には、《そこまで思いを至らせ》る、なんて無理というもの…」

   『●「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。
       もう二度とごめんだ」…「九条の碑」早期建立を呼び掛け
   『●2019年7月参院選、またしても
     今回も「眠り猫」だった皆さん…〝上手く行った〟メディアコントロール






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https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1377613.html?utm_source=ryukyushinpo&utm_medium=referral&utm_campaign=carousel

コロナ禍、鎮魂の祈り  対馬丸慰霊祭 「命の尊さ知る機会に」記念館存続願う
2021年8月19日 05:20
対馬丸記念館 慰霊祭

     (対馬丸撃沈から77年、犠牲者の冥福を祈る遺族や関係者
      =18日午前10時半ごろ、那覇市若狭小桜の塔

 子どもたちを乗せた対馬丸が米軍の魚雷攻撃を受け海に沈み、今月22日で77年になる。慰霊祭が開かれた18日、那覇市若狭小桜の塔には対馬丸記念館の職員や関係者らが集まった。例年多くの人が訪れる一般焼香の列はなく、開催時間も30分ほどに短縮した。職員らは、参列がかなわなかった遺族らの思いとともに手を合わせ、鎮魂の祈りをささげた。

 曇り空からぽつりぽつりと雨が落ちる午前10時、慰霊祭は静かに始まった。参列者はテントの下、塔に向かって黙とう。読経、焼香と続き、目を閉じて手を合わせ、犠牲になった人々に思いをはせた。時折鳥の声が響いていた。


【対馬丸の沈没とは】

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対馬丸(つしままる)
 九州へ疎開に向かう学童らを乗せて航行中、米潜水艦に沈められた輸送船。
 日本郵船の貨物船として英国で建造され1914年竣工。6754トン、全長135・64メートル、速力12ノット。北米航路やパナマ経由ニューヨーク線に就航。41年から陸軍に徴用され軍用船として軍団の輸送などに当たった。
 1944年8月22日午後10時すぎ、那覇から長崎に向かう途中、トカラ列島の悪石島から北西約11キロの海上で米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け沈没した。沖縄戦を避けて九州へ集団疎開する国民学校学童(6~15歳)を含む1788人を乗せており、1484人(2020年現在の氏名判明分)が犠牲になった。学童の犠牲は784人。→ボーウィン号
 生存者や船団の乗船者らは、日本軍によるかん口令で、沈没までの経緯について話すことを禁じられた
 対馬丸は「暁空丸」(6854トン)、「和浦丸」(6804トン)と船団を組み、3隻合わせて疎開者約5000人を乗せていた。護衛には駆逐艦「蓮」、砲艦「宇治」が当たっていた。
 那覇市の対馬丸記念館は、犠牲者の鎮魂と、事件を後世へ継承する目的で2004年8月22日に開館した。
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 県外在住の対馬丸記念会協力会員から米や菓子が届き、祭壇に供えた。保育園や県外遺族から寄せられた千羽鶴も掲げられ、記念会常務理事の外間邦子さん(82)は感謝の言葉を述べた。

 語り部で生存者の照屋恒(ひさし)さん(81)は当時4歳。共に乗船し犠牲となった母と姉を悼んだ。1944年8月22日、眠っていた照屋さんは、米潜水艦の魚雷攻撃を受け、母に起こされ甲板へ急いだ。2人で暗い海へ飛び込み、縄が結われた、しょうゆだるをつかんだ。母は「絶対に手を離すなよ。姉さんを探してくるから」とそばを離れ、戻らなかった。

 「対馬丸で助かったのはこの子ね」。戦後、周囲の哀れみの目が胸をえぐり、長年事件について話すことを避けた。それでも、慰霊祭には毎年欠かさず参列した。70歳からは語り部として活動。ふたをしていた記憶を語り、子どもたちに命の尊さを伝えている

 コロナ禍で来館者が減った記念館は、経営が厳しい状況が続く。照屋さんは「記念館があることにより、子どもたちが歴史を知る機会につながると館存続の意義を語った

 対馬丸記念会の高良政勝理事長(81)は「大きな問題は記念館と小桜の塔の継承だ」と強調。遺族の高齢化が進む中「国策により多くの人々が犠牲になった子どもたちに事実を伝えるため、行政が責任を持って管理してほしい」と語った。


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●対馬丸事件の教訓…《この悲劇は、いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性》

2019年08月27日 00時00分20秒 | Weblog


沖縄タイムスの記事【「いつまでも忘れないこと」 吉永小百合さん 対馬丸記念館へメッセージ 戦争で撃沈、犠牲の児童らに想い】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/461131)。
同紙の【社説[対馬丸撃沈75年]伝え続ける責任がある】(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/460855)。

 《メッセージの中で対馬丸で犠牲になった子どもたちについて触れ、「私達はしっかりと胸に刻んで、いまを生きる。いつまでも忘れないことが大切です二度と戦争をしないという強い思いのなかで 吉永小百合」と色紙にしたためた》。
《集団疎開の学童や一般の疎開者ら1788人を乗せた「対馬丸」が米潜水艦に撃沈されてから、きょうで75年となる》。


 琉球新報の記事【あの子思い 75年 対馬丸慰霊祭】(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-976223.html)によると、《幼い子どもたちを乗せた対馬丸が海の底に沈んで75年となった22日、慰霊祭が開かれた那覇市若狭の「小桜の塔」には例年より100人以上多い参列者が集まり、鎮魂の祈りをささげた。生還した肉親が経験した戦後の苦しみを理解してあげられなかったと悔やむ遺族、目の前で亡くした友人や家族を思い涙を流す生存者―。犠牲になった子どもたちが夢見た「未来」を生きる人たちが、平和を守り続けることを誓った》。
 (黒島美奈子さん)《対馬丸事件の教訓…「この悲劇は、いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象となる危険性を後世に伝えている」》。いま、その教訓が忘れ去られようとしていないか? 《日本は再び戦争のできる国》。「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。もう二度とごめんだ」と。
 《「私達はしっかりと胸に刻んで、いまを生きる。いつまでも忘れないことが大切です二度と戦争をしないという強い思いのなかで 吉永小百合」と色紙》に…対馬丸事件と吉永小百合さんの関係、初めて知りました。《悲劇を学び、伝え続ける責任がある》はずだ。

   『●「通貨が社会を変える?」
       『週刊金曜日』(2014年7月4日、998号)についてのつぶやき

      【黒島美奈子の政治時評/対馬丸事件の教訓を唾する「武力放棄」
       憲法下での異常 日本は再び戦争のできる国】、「この悲劇は、
       いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象と
       なる危険性を後世に伝えている

   『●「戦没 新聞人の碑」と「対馬丸犠牲者の慰霊碑 小桜の塔」
    《ただ先人たちの霊を慰めるだけでなく、先人たちの前に反戦平和を
     誓う場所がこの碑ではないか》

   『●沖縄出身脚本家上原正三さん、「民意を顧みず、
      基地を押し付け…沖縄を植民地としてしか見ていない証拠」
   『●「沖縄戦20万余の犠牲者、焼き場に立つ長崎の少年」や
              アジアでの慰霊につなげる意思が感じられない…
    「《「対馬丸事件」…。沖縄で事件を後世に伝える生存者たちは
     「今も続く沖縄の苦しみは『真珠湾』が原点。首相には、
     そこまで思いを至らせてほしい」と願っている》…でも、残念ながら
     アベ様には、《そこまで思いを至らせ》る、なんて無理というもの…」

   『●「対馬丸」生存者…「あの戦争が頭から離れない。
       もう二度とごめんだ」…「九条の碑」早期建立を呼び掛け
   『●2019年7月参院選、またしても
     今回も「眠り猫」だった皆さん…〝上手く行った〟メディアコントロール

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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/461131

「いつまでも忘れないこと」 吉永小百合さん 対馬丸記念館へメッセージ 戦争で撃沈、犠牲の児童らに想い
2019年8月22日 19:56

 対馬丸記念館(沖縄県那覇市)の開館15周年に当たる今年、記念館のプロモーションビデオでナレーションを吹き込んだ女優の吉永小百合さんが記念会にメッセージを寄せた。プロモーションビデオは対馬丸の沈没の経緯や記念館の概要などを伝える内容で、対馬丸記念会が吉永さんにナレーションを依頼。開館前からPR活動で使用されていた。

     (吉永小百合さんが対馬丸記念館に寄せたメッセージ=22日、
      那覇市・対馬丸記念館)

 吉永さんはメッセージの中で対馬丸で犠牲になった子どもたちについて触れ、「私達はしっかりと胸に刻んで、いまを生きる。いつまでも忘れないことが大切です二度と戦争をしないという強い思いのなかで 吉永小百合」と色紙にしたためた。

 慰霊祭では、色紙と原寸大に印刷されたメッセージが参加者に配布され、受け取った人たちはじっくりと見入っていた。

 吉永さんは、過去に映画「あゝひめゆりの塔」(日活、1968年)で女学生を演じた。各地で原爆詩の朗読も長年続けている。
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https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/460855

社説[対馬丸撃沈75年]伝え続ける責任がある
2019年8月22日 10:24

 集団疎開の学童や一般の疎開者ら1788人を乗せた「対馬丸」が米潜水艦に撃沈されてから、きょうで75年となる。

 犠牲者は氏名が判明しただけで1484人。そのうち学童は半数以上の784人に上る

 「雪も富士山も見ることができる」。修学旅行気分で船に乗り込んだ子どもも多かった。あまりにも多くの夢、希望、未来が、暗い海にのみ込まれていった。

 「生と死は紙一重だった」

 垣花国民学校4年生だった上原清さん(85)は、あの日、あまりの蒸し暑さに船倉の寝場所を抜けだし甲板で寝ていた。そのため魚雷を受けてもいち早く海に飛び込めた。

 だが、「そこからが地獄の始まり」。上原さんは年長の少年3人と台風の影響が残る荒波を必死で救命いかだにしがみついた。日中は灼熱(しゃくねつ)の太陽が体中に刺さった。海水を飲んだが、しょっぱくてすぐに吐き出した。体中が熱くなり、氷やアイスケーキを思い浮かべることで、喉の渇きを癒やした。

 4日間、一滴も水を飲んでいなかった。

 「リッカ、シーバイ、ヌマ(おい、小便飲もう)」「ウヌママ、ソーチーネー、シヌンドー(このままだと死んでしまうぞ)」。3、4滴しか出なかったが、手のひらに浸して一気に飲み干した。

 奄美大島に流れ着くまでの6日間、食べたのは、仲間が素手で捕まえたカワハギ1匹。「4人で分け、刺し身一切れ分だったが生きる希望が湧いた」。生き延びたのは奇跡だった。

    ■    ■

 対馬丸が長崎向けに那覇港を出港したのは1944年8月21日。7月にサイパンが陥落。米軍の沖縄上陸は必至と判断した日本軍の要請を受け、政府は女性や子ども、高齢者を島外へ疎開させるよう沖縄県に命じた。

 軍の食糧を確保し、戦闘の足手まといになる住民を戦場から排除する目的もあった。

 対馬丸の沈没は、国策で進めていた疎開を妨げることから軍事機密として厳重なかん口令が敷かれた。県民に正確な情報が伝わらず、生存者は、事実を語れないことに苦しんだ。そして生存者たちは、戦後も「自分だけ助かってしまった」という負い目を抱き生きてきた。

 「亡くなった子どもたちのために本当のことを伝えたい」。上原さん自身、体験を語るまでに59年もの時間が必要だった

    ■    ■

 対馬丸撃沈は、その後の「10・10空襲」、凄惨(せいさん)な地上戦へと沖縄がのみ込まれていく中で起きた。

 悲劇から75年の歳月が流れた。生存者の語り部は4人。親・きょうだいから次の世代へ遺族の代替わりが進む中、対馬丸記念館は昨年度から遺族宅を訪問し、戦前戦後の暮らしなどを聞き取る作業を始めた。

 今を生きる私たちに求められているのは「生きたかった子どもたちの声に耳を澄ませ、戦争を知る努力を怠らないことだ

 悲劇を学び、伝え続ける責任がある。
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●「戦没 新聞人の碑」と「対馬丸犠牲者の慰霊碑 小桜の塔」

2015年03月09日 00時00分07秒 | Weblog


たまたま2つの石碑に出会いました。偶然。「戦没 新聞人の碑」と「対馬丸犠牲者の慰霊碑 小桜の塔」。



 「戦争への「きな臭い戦後70年」・・・「ああ、安倍談話さえなかったら!」が現実に一歩々々」近づく今、危機感を感じずにはいられません。

 「戦没 新聞人の碑」・・・・・・「アベ様のNHK」や産経、読売の様な報道姿勢で良いのでしょうか? 『朝日』君がベストだとは言いませんが、多くの他社の「新聞人」の矜持が失われていないでしょうか。 

   ●原発再稼働・もんじゅ推進を無批判に放送できる
                 公正中立な公共放送「アベ様のNHK」

   『●トップからして腐敗したメディア: 「きょうの安倍将軍」「安倍様のNHK」
   『●ジャーナリズムの矜持無きこんな「公共」放送なんて要らない!
   『●内閣法制局、NHK、秘密保護法、消費税増税・・・、
                「肝いり人事」という安倍首相の暴走人事

   『●「治安維持法」を止めるために:
         「アベ様のNHK」などマスメディアだけに任せてはおれない

   『●「アベ様のNHK」に、なぜ「皆様」が受信料を支払うのでしょうか?
   『●「鼻血問題」: 圧力に屈した「アベ様のNHK」
   『●「一体誰が朝日の記者に吉田調書を流したのか」
           ・・・・・・犯人捜しなどやってる暇があるのか?

   『●東京電力原発人災鼻血問題: 風評被害に矮小化していて良いのか?
   『●「鼻血」「死の街」問題と「金目でしょ」発言に対するマスコミ対応の落差
   『●(非)特定秘密「隠蔽」法を大歓迎:  
       「たかり記者」だった?読売新聞ナベツネ氏は正気なのでしょうか?
   『●「政権批判」だったら歌うなとでも?  
        「アベ様のNHK」は「放送禁止歌」にでもしますか?

   『●アベ様は「報道がそれで抑圧される、
       そんな例があったら私は辞める」と明言・・・ETV番組改編問題は?

   『●アベ様の政権の「暴走」許す、批判精神無き、「牙」無きメディア
   『●「想像」力無き自民党高村正彦副総裁の「真の勇気」ある者、
                 そして、後藤健二さんのメッセージ

   『●カラスはやっぱり「黒い」:  
     「アベ様のNHK」的「政府が白というものを黒とは言えない」で良いのか?
   『●亡国の大政翼賛報道・・・いつか来た道:    
        アベ様は「現地を取材されて困ることでもあるのか」?
   『●綿井健陽さん
     「「様々なメディアが多種多様な報道を自由にできること」は社会の根幹」

   『●「有形無形の圧力となって、現場の刃がそがれていく」

            ・・・カラスはやっぱり「黒い」と言えなくなる日


 以下のような琉球新報の記事がありました。

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http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-107667-storytopic-86.html

平和の誓い新たに/戦没新聞人慰霊の集い
2001年10月19日

 新聞週間(15-21日)期間中の18日、戦没新聞人慰霊の集いが那覇市若狭の旭ケ丘公園内に建てられた「戦没新聞人の碑」前で行われた。県内の新聞人ら約20人が出席、碑に花をささげ、平和への誓いを新たにした。

 琉球新報社の野里洋取締役が「戦時中、壕の中で新聞を発行し、多くの先輩が犠牲になった。沖縄の記者としてこの事実を心に刻み、住みよい沖縄をつくるために力を入れていきたい」とあいさつ。沖縄タイムスの真久田巧(さとし)中部支社編集部長が戦没新聞人の碑が建立されたいきさつなどを説明した。

 建立にかかわった共同通信初代那覇支局長の横田球生さんからメッセージが寄せられ、藤塚正道共同通信那覇支局長が「ただ先人たちの霊を慰めるだけでなく、先人たちの前に反戦平和を誓う場所がこの碑ではないか」と読み上げた。

 集いは県内の新聞社、全国紙の那覇支局長らが呼び掛けた。碑には沖縄戦で亡くなった沖縄新報、同盟通信、毎日新聞、朝日新聞の14人がまつられている。今年は碑建立から40年になる。
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 そしてもう一つ。「対馬丸犠牲者の慰霊碑 小桜の塔」。

   『●「通貨が社会を変える?」
       『週刊金曜日』(2014年7月4日、998号)についてのつぶやき

      【黒島美奈子の政治時評/対馬丸事件の教訓を唾する「武力放棄」
       憲法下での異常 日本は再び戦争のできる国に】、「この悲劇は、
       いったん戦争に巻き込まれればいかなる対象も、攻撃される対象と
       なる危険性を後世に伝えている

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