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●後の祭り、あるいは、喉元過ぎれば

2011年04月28日 00時06分42秒 | Weblog


THE JOURNALの記事のコピペ(
http://www.the-journal.jp/contents/takano/2011/04/post_204.html)。高野孟氏。

 

喉もと過ぎればですぐに忘れてしまわないか? 例え想定外でも、地震や津波によって次に一つでもレべル7規模の事故が起きれば、あとの祭りではないのか? このまま原子力発電所・関連施設を我が国で運転し続けて本当に良いのか? 

 

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http://www.the-journal.jp/contents/takano/2011/04/post_204.html

 

高野尖報:「安全神話」に溺れた東京電力  佐藤優が自分のブログで言うように、「批判はあとからでも出来る」「東京電力の専門家が、専門的知見と職業的良心に基づいて活動できる環境をどうすればつくることができるかを考えることが不可欠だ」と言うのは、確かに1つの見識ではある。しかし、福島第一原発の事故勃発以来、20日余りの間に明らかにいなったことは、自ら創り出した「安全神話」に長きにわたり胡座をかいてきたこの企業が、初歩的な危機対応も出来ずにおろおろしている無様な姿であり、専門家と称する彼らに任せておいても、今後、事態沈静化だけでも数カ月、廃炉までには数十年はかかる安全確保のプロセスは完遂できる保証はないという冷厳な現実である。これまでの検証を通じて、政府と国民はこれからこの企業をどう扱うか、議論をし始めなければならない時が来ている。

 毎日新聞4月4日付は、1面左肩と1011面の2ページを費やして、震災検証取材班による「検証・大震災」の初回として、原発事故発生から2日間の政府と東電の動きを追った。またAERA4月11日号の「東電『原子力村』の大罪」も、東電側の対応ぶりを追っている。官邸はじめ政府のどの部署も東電も、みなドタバタなのは仕方がないとして、両記事を通じて改めて浮き彫りになるのが東電の余りの行き当たりばったりぶりである。

《電源車調達》
 11日、電源喪失で炉心溶融の危険が予想される中、東電は「冷却作戦」のための電源車を東電及び東北電力管内からようやく6台、掻き集めて現地に向かわせるが、陸路の輸送は困難を極め、ようやく東北電力が提供した2台が国の現地拠点「福島オフサイトセンター」に到着したのが午後9時。バッテリーも切れて無電源に陥るタイムリミットまで2〜3時間しかない。ところがそこで分かったことは、電源の繋ぎ口が津波に使っていて接続できず、しかも、仮に接続できる状態であったとしても、毎日によると「高電圧の電源車を繋ぐための低電圧用のケーブルが用意されていなかった」ので、またAERAによると「ケーブルが短くて使えず、プラグも合わなくて、本社に「500メートルのケーブルが必要だ」と連絡が届いた。「そんな長いものは社内を探してもみつからない」。12日の午前0時を過ぎても幸いなことにバッテリーはまだ動いていて、危なかった2号機の水位も何とか安定を回復していた。その頃ようやく低圧ケーブルは調達できたものの「関東から空輸を準備中」という段階。そうこうするうちに、午前2時半、今度は1号機の格納容器内の圧力が上昇しはじめ、その3時間後には外部に大量の放射線物質が漏出した......

《ベント》
 このことだけを見ても、東電が非常用電源の喪失という事態をまったく想定しておらず、その場限りの対応に終始した様が見て取れる。ベントと呼ばれる弁を開けて格納容器内の水蒸気を外に逃す作業を始めるかどうかをめぐっても、毎日によれば11日午後10時の段階で早くも保安院は「必要」と判断したものの東電はその判断を採らず、午後11時過ぎの官邸の会議で首相はじめ斑目春樹=原子力安全委員長や保安院幹部らが「早くベントをやるべきだ」との意見で一致、12日午前1時半には海江田万里経産相を通じて東電に指示したが、午前2時20分の保安院の会見で中村審議官は「最終的にベントすると判断したわけではない。過去にベントの経験はない。一義的には事業者の判断だ」と、国が命令するものではないとの考えを示した。それを受けて午前3時過ぎに開かれた東電の会見では小森常務がようやく「国、保安院の判断を仰ぎ、ベント実施の判断で進めるべしというような国の意見もありまして」と、国が言うならやらないでもないがというような他人事の言い方をした。結局、1号機でベントが開始されたのは12日午前1017分だったが、時すでに遅く、5時間後に1号機で水素爆発が起きた。もちろん「ベントとは毒ガスの放出」(東芝の元格納容器設計者=後藤政志AERA)であり、ためらうのは当然だが、それにしても「国が責任をとってくれるならやってもいい」という東電の態度がありありである。

《海水注入》
 海水注入でも同様で、12日の午後6時には菅首相が真水の注入を諦め海水を使うよう指示したが、東電が「炉が使えなくなる」と激しく抵抗した。AERAによると廃炉を前提とした海水注入は「株主代表訴訟を起こされるリスクがあるので、民間企業としては決断できない。政府の命令という形にしてくれないと動けない」(東電元幹部)というのが東電のホンネだと言う。数万人、ことによっては数十万人の命がかかっているというのに、それと、株主訴訟で自社が損失を被るのとを天秤にかけているのがこの会社である。

  東電が「『安全神話』が崩れていく現実を直視できず、初動の対応を誤った」(毎日)が、惨事の致命的な原因であったことは疑いをいれない。と同時に、官邸が「政治主導にこだわりながら東電や保安院との緊密な連携を図れず、結束して危機に立ち向かえなかった」(同)のも事実である。しかしそれを首相側から見ると「東電も保安院も原子力安全委も(深刻な事態から目を背けようと)ぐるになっていたとしか思えない」(同、首相周辺)と映っている。官邸の危機管理態勢、原子力行政の仕組み、それらと電力会社とのトライアングルをどう再構築するか、もっと突っ込んだ検証が必要である。

 


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