O's Note

いつまで続くか、この駄文

ポイントカード(1)

2008-06-30 23:32:23 | 仕事(第1業務編)
 会計とは直接関係ないことで、10年以上前からずーっと興味を持ってきたことがありました。
 それは、ポイントカードは自分にとって得か、それともお店にとって得なのか。
 たとえば、1,000円のものを買って10%のポイントを付与された場合、買った側にとっては100円の値引きを受けたことと同じ意味を持ちます。一見、消費者が得をしたと思われますが、その値引きは商品を受け取った時点とは別の時点、つまり、次回買い物をする時点で受けられるわけで、次回1,000円のものを買ったとき、前回のポイントを使って900円で商品を購入できるわけです。ということは、2,000円使って、100円の値引きを受けたことと等しくなり、実質5%の値引きを受けていることになります。
 もっとも、次回、100円の商品を100円のポイントを使って買った場合、タダでもらえるわけですので、この場合にはポイント分だけ得をしたと考えられそうですが、初回の1,000円の商品が、他のお店では900円で販売されていたとなると、100円の値引きと10%のポイントのどちらがオトクか、よく考えなければなりません。その場で100円引きであれば、使わなかった100円で、次回100円のものを買えばいいのですが、10%のポイントは次の機会に100円のものを買った場合にのみ有効であって、101円以上のものを買う場合には、1円は追加的な出費になり、ポイントを使うために追加的な出費をしてしまうということなってしまいます。
 ということは、ポイントを使うためには、繰り返し同じお店に通うことになり、そして買い物とポイントの間で端数が生じることが一般的ですので、その分だけ、消費者にとっては不利だ、と気づいたのはいつ頃だったでしょうか。
 見方を変えれば、お店側にとっては、ポイント付与によってリピーターを獲得できることが期待され、ポイント制は販売促進手段としては効果的であると考えられます。また別の効果として、お客さんが1回しか来なかったとすれば、他のお店で900円で売っているものを1,000円で売ることに成功し、しかも将来の100円の値引きも不要になりますので、この点でも売上アップに貢献できるツールということになります。
 もっとも消費者側にとっては、買うときの金額が安く、しかもポイントももらえるということを各社で比較して買うという知恵を働かせれば、必ずしも不利というばかりではありません。また、ある商品を独占的に販売している場合、ポイントが多い時期に買った方がいいということもありますよね。

 ところで、お店側に一つ問題が発生。
 お客さんを獲得するためにポイントカードを発行し、しかもポイント付与率を高めれば高めるほど、お客さん全員に対するポイント付与数が増え続けることになります。たとえ売上高の5%のポイント付与率であったとしても、100万円で5万円、1,000万円で50万円、1億円で500万円の将来の値引きを見込んでおかなければなりません。これは、販売時点ではお店にとってオトクでも、次の販売を行う時点では、もしかすると商品代金を全額ポイントで引き渡すことにもなり、入金がないとうことになります。つまり、ポイントは販売促進ツールとして効果的であっても、それは将来、無条件で商品を引き渡す義務を負うことになる側面もあるわけで、取引高が大きくなったお店では、その義務を履行するために、販売時点からそれに備える必要が出てくることになります。
 そこで日本のポイントカード発行会社が自衛策として計上したのがポイント引当金の設定でした。
 このあたりから個人的興味から会計的興味に転換します。

 数日前の日経に、2007年度のポイントカード発行会社50社のポイント引当金計上額が、前年比14%増の3,200億円になったという記事がありました[日経、6月26日朝刊]。ポイント引当金がもっとも多いのはNTTドコモで458億円。同社の売上高(営業収益)は4兆7千億円程度。売上高の5%分のポイント(2,350億円分)を付与すると仮定すれば、付与したポイントの19.5%の引当金を計上している計算になります。
 ちなみに、家電量販店ヤマダ電機では、2007年3月期で126億円のポイント引当金を計上しています。同期の売上高は1兆4千4百億万円。売上高の10%分のポイント(1,440億円分)を付与すると仮定すれば、ポイント付与額の9%の引当金を計上している計算になります(平均10%もポイントを付与しているかどうかはわかりません。もしかすると7%程度かな)。
 こういった引当率は、そのお店の過去のポイント使用率によって算定されますので(貸倒引当金と同じ考え方ですね)、各社でマチマチですが、それにしてもいかにポイント付与が大きな金額かがわかります。

 日経の記事にもありましたが、最近は、ポイント交換システムも普及しています。これは、A社のポイントをB社のポイントにも交換できるというシステムで、これまでは失効してしまう可能性が高かったハズの自社のポイントが、そのままB社に移されて、B社で使われてしまうということになります。こうなると、ポイント使用率が増加することになり、さらに引当金を積み増しする必要に迫られるわけです。

 ところで、会計的に考えると、引当金の設定は、

 費用の発生/負債の増加

 という仕訳です。引当金の分だけ(社外に流出しない)費用が増加しますので、結果的に利益額が減少します。将来の費用または損失に備えた健全な処理ですが、徴税当局がそれをすんなり認めるわけはありません。会計上の利益が少なくなることは、税額も少なくなることを意味します。まして、支出を伴わない取引による費用の発生をそのまま認めたくないわけです。
 そこで、ポイント引当金の存在は認めます、しかし、将来、費用または損失になった時点で損金として認めるけど、ポイント引当金計上時の課税所得の計算では引当金に見合う費用は損金に算入しないよ(認否)という手を使います。会社としては、今、税金を多めに納付しても、将来、その前払分が減額されるということであれば、ま、それも仕方ないということになるでしょう。
 「今はこれだけ税金を払っているけど、そのうち、○○円は将来減額される分だよ」と決算書に書いておくと(こうした会計処理が税効果会計)、会計上の利益と税務上の課税所得の差(一時差異)を対応させるのに役立ちます。
 
 当然、ポイント引当金を計上している会社は、当期の引当金計上に見合う費用を認否されるのですから、税金の前払分を資産計上しておきます(前払費用と同じ考え方ですね)。
 そのときに使う勘定科目が、税効果会計特有の勘定科目、繰延税金資産です。

 とここまで書いて来て、今日のエントリ、あまりに長くなりすぎたことに気づきました。この続きは、また次回(ここまでで力尽きました・・・笑)。

初BBQ

2008-06-29 22:33:44 | 多分駄文
 今日は終日、曇り空。
 そんな中、家族のリクエストに応えて、初BBQ。
 曇り空ではあっても、風がなく、しかも少々蒸し暑さもあったので、それなりに快適にBBQを楽しみました。
 しかし、6月も下旬だというのに、今夜が初BBQだなんて・・・。
 そういえば、今日は一つお勉強しました。
 BBQ用に、あるDIYショップで木炭を買ったのですが、これが団扇で空気を入れるたび、パチパチと音をたてて、小さな火の粉が舞い散ります。
 いつもと違うDIYショップで買ったので、メーカーも違うのだろうと思ってはいたのですが、こんなにパチパチいうとは。あまりの威勢の良さに団扇を使わずに自然の風に任せていました(おかげでビールの進むこと何のって)。
 『きっと木炭の原料が違うのだろう』と思い原材料を確認すると、今日買ってきたのはアカシア材。いつも買うDIYショップでは、ナラ材やマングローブ材だったような。
 アカシアというのは、木炭にして火を付けるとパチパチと火の粉が飛び出るような素材なのでしょうかね。

作文の書き方

2008-06-28 23:00:00 | 多分駄文
 だいぶ前に、ゼミ生から『クロサギ』が連載されているコミック雑誌が休刊されるらしいということを聞きました。「このあと、クロサギはどうなるんだろうねえ」とひとしきり雑談。
 研究室には、『クロサギ』の単行本と映画シナリオの文庫本があります。
 以前紹介した『エリザベス:ゴールデン・エイジ』もまた映画シナリオを文庫本化したもの。
 こうしてみると、最近は、小説からドラマや映画を制作するということよりは、コミックや映画を活字化することが、以前にも増して多くなっているように思います(単に小生がそういう類の本を読んでいるだけか)。
 そしてここにもう一冊。

 中嶋博行『ホカベン ボクたちの正義』(講談社文庫、2008年6月)
 
 テレビの『ホカベン』もまた『クロサギ』と同じようにコミックからドラマ化されたものですが(テレビドラマもコミックも見ていないのですが)、この本は、ドラマのストーリーとは別に、文庫オリジナル版として出版されたものです。
 中嶋氏は現役の弁護士とのことですが、ストーリー展開よりも、端々に描かれる弁護士の語りっぷりにクスリとする場面がいくつかありました。
 たとえば、公判前整理手続きが終わって、主人公である若手弁護士(堂本)とその上司(杉崎)との会話(ミステリの体裁を取っているため多くは紹介できませんが、これぐらいならお許しいただけるかな。裏表紙にも書いてある部分ですし)。

「橋本雅子さんは夫の暴力にずっと耐えていたんですよ。彼女が保険金目当てに夫の殺人を愛人と計画したなんて、検察官の主張は下手な作文もいいところです。」
「さあ、どうかな? おまえの作文といい勝負だ」杉崎は仏頂面で部下を見やった。
「それにな、無我夢中で気づいたら包丁が刺さっていましたという作文より、夫の暴力に耐えきれなくなって愛人と保険金殺人を計画しましたという作文の方が、まだしもリアリティがある。」[p.129]

 もちろん、ここでの作文は裁判に臨む筋書きという意味ですが、検察官と弁護士との間で、一つの事実について目の付け所が違っているということをうまく表現していると思います。
 この手の本を読んでいつも思うことは、いかに相手を納得させるかはどの視点でものごとを見るのかに関係しているということです。これは裁判だけの話ではなく、会計の世界でも一緒です。
 たとえば、古くから会計の世界で話題になっていることに資産評価があります。期末に保有する資産について、資産価値を見直すということが行われます。現在では、公正なる市場価値で評価するということが一般的です。
 その際、それを会計士が認めるかどうかがカギとなりますが(ちょうど今日の『監査法人』でやってましたね)、「資産の金額を見直すこと」は、一定の見方で「作文を書いている」のであり、なるべく大きく見せたいということに「目を付けている」とも考えられるわけです。

 それにつけてもこの駄文、ミステリを読んでいながら、その本筋よりも細かいところに気をとめて話題にし、しかも会計の話に変えてしまうなんて、おおよそリアリティのない作文ですね。

健康的

2008-06-27 22:30:00 | 多分駄文
 ここ数日、雨の心配がないので自転車通勤。
 自宅から勤務先までは片道20~25分。
 それほどきつい坂がないため、比較的ラクに通勤できます。
 自動車と違って、車線に関係なく上下線の路側帯を通行できますので、行きも帰りも、そして毎日、異なる風景を楽しみながら通勤しています。
 今日、自転車に乗りながら面白いことに気付きました。
 それは、無意識のうちになるべく赤信号で一旦停止することを避けるような行動を取っていることでした。
 もちろん、信号無視をしようというわけではありません。前方の信号が赤であれば、青の方向に向きを変えるという行動です。
 こうして、今日は、勤務先から自宅までの帰路、1回だけ赤信号で停車しただけでした。
 ここで新たな楽しみが。
 1回も信号で停車せず自宅-勤務先間を運転できるのか。
 さて、この夏中に達成可能でしょうかねえ。
 もっとも、1回しか停車しなくても、通勤時間にはほとんど影響しないこともわかりましたが。(笑)

さもありなん

2008-06-26 23:23:23 | 多分駄文
 今日帰宅してみると、ダイレクトメールが3通。
 いずれも同じお店のもので、同じ内容の葉書でした。
 なぜ3通?
 宛名を見ると、プリンタで印字されたものが1通、手書きのものをそのままコピーしたものが2通。しかも手書きのものは同じ筆跡ながら、一方の名前が不完全。
 つまりこの店、手書きの方は、名前が不完全なものと完全なもののチェックをしていないばかりか、パソコンで住所管理している得意先と、手書きで管理している得意先の重複チェックもしていないようです。
 でも考えてみれば、このお店、一度は倒産した会社で、こんな顧客管理をしているから倒産したんだと思ってしまいます。もっとも、現在は他の会社が再建支援しているので、引き継いだ会社も顧客管理が杜撰のようです。
 
 ま、それはともかく、このお店に3回は買いに行ったんでしょうね、きっと。

夕陽とターキッシュ

2008-06-25 22:22:22 | 多分駄文

 今日は、終日、快晴のお天気でした。気温も25℃ぐらいまで上がったのではないでしょうか。
 会議が終わって研究室に戻ると、夕陽がきれいに街を照らしていました。


 「メルハバ~。」
 先日、Kさんから「お土産です」といってカセットテープをいただきました。
 Metamorfozというタイトルのそのテープ、TARKANという歌手のテープで、今、トルコで一番流行っている歌手だそうです。
 トルコといえば、軍楽隊の行進曲が有名ですが、中国といえば京劇の、あの甲高い声を思い出すのと一緒で、トルコでは軍楽隊の行進曲ばかりと思うのは狭い了見で、いただいたテープは、何ともエキゾチックなメロディにセクシーな歌声。
 灼熱で、埃っぽいところで聞けば、気分は一気にターキッシュということになるのでしょう(トルコが灼熱で、埃っぽいところなのかはさておいて・・・)。

 そういえば、ターキッシュで思い出しましたが、社交ダンスのチャチャチャのステップにターキッシュ・タウエルと名前が付いたものがあります。
 ターキッシュ・タウエルは、英語ではTurkish Towel。
 トルコのタオル。
 どんなステップだったか、今ではすっかり忘れてしまいましたが、ダンスのステップ名になっているということは、トルコのタオルが、我々が普段お目にかかるタオルとはちょっと違う、特殊なものだからなのでしょうか。


理由

2008-06-24 21:45:00 | 多分駄文
 昨夜は、大学院で学ぶ留学生に食事に招待されました。
 行ってみると、留学生が住んでいるアパートで、その一部屋が会場でしたが、3つの部屋に住んでいる5名が、それぞれの部屋で料理を作って持ち寄り、もてなしてくれました。

 料理は家常菜(家庭料理)でした。
 インゲンと豚肉の炒め物。うん、ハオチー。
 紅豆腐の豚肉煮。うん、ハオチー。
 紅焼肉。うん、ハオチー。
 とくに、紅焼肉(ホンシャオロー)は毛沢東が好物だったといわれる料理で、小生も大連で一度食べてすっかり気に入った料理の一つ。

 こういうのって好きです。
 5名がそれぞれに料理をしてくれましたが、いずれも素朴な味がして、それでいて本格的な中華の香りもあり(香辛料や調味料は中国から持参したそうです)、思わず、「ここはリトルチャイナだねー。」

 ところがその中に、食べたことがない一品がありました。
 これは料理ではなく加工品。
 その名も馬腸子(マーチャンズ)。



 馬肉の腸詰めで、これをボイルして食すそうです。
 ゼミ生に新彊出身の院生がいて、とっておきの一品として出してくれたのでした(いつ、どうやって持ってきたのだろう?)。
 「私のふるさとでは、馬腸子を食べながら強いお酒を飲みます。でもそのまま食べても美味しいですよ。」
 見た目は太めの腸詰めで、『英国で食べるソーセージのような感じかな』という印象(つまりは、中身がフニャフニャのソーセージ)。

 「先生、さ、どうぞ。」といわれて、一片を口に。
 腸の歯ごたえは十分。
 しかし、腸の中に詰められていたものは大量の脂身。
 馬の油は保湿効果があり、乾燥肌に付けるといいというのは知っていましたが、それを食べるとは。
 味の方はといえば・・・。
 「申し訳ないけど、これは苦手だな。」
 「そうですか、残念ですね。」  といって周りの院生の評価を聞くと、一様に首を横に振るのみ。(苦笑)
 とくに味も付けてなく、口の中には脂分がボワーンと広がり、それがずっしりとした感触で口内を埋め尽くします。
 ひとしきり噛んで飲み込んでも、今度はおなかの中で脂分がボワーンと広がり、それがずっしりとした感触で沈殿していくのを感じます。
 新彊出身の院生以外、皆さん、初めて食べたとのことでした。そして皆さん、小生と同じように一片だけ。おかわりなし。
 「やっぱり、強いお酒がなければ美味しく感じられないものなんだよ。」と何とも苦しいいいわけ。

 『いいブログネタができたな』と思いつつ(笑)、ひとしきり飲んで食べて、おなか一杯になったところで「カラオケに行こう!」
 で、カラオケボックスに行って、盛り上がったの何のって!
 中国語で歌う人、日本語で歌う人、そして怪しげな中国語で歌う人。
 いつまでたっても帰る気配がありません。曲目の転送が途切れません。
 『やっぱいなー』と思いつつ、小生も演唱。

 やがて時計の針が午前零時を指したところで帰らない理由がわかりました。
 「センセー、オタンジョウビ、オメデトー!」

 K君、Cさん、Gさん、Yさん、Hさん、ありがとう!

かみ合わない歯車

2008-06-22 23:59:00 | 海賊たち
 今日は午後からパイレーツ春の第4戦。相手はファイティング・ラディッシュ。
 会場は、今年2度目の手稲の大学のグラウンド。
 少し早めに到着したので、少しだけ学内を歩くと、どうやら今日はオープン・キャンパスのようで、私服の高校生やその親御さんの姿がちらほら。
 でもって、ひときわおしゃれな建物に入ると、そこには大手コンビニ・チェーンが店舗を構えていました。その前には食堂。今日はオープン・キャンパスだからでしょうか、両店舗とも営業中。時間があれば何か食べたのですが時間がなく見るだけ。そういえば、この大学、生協に加盟していないので、コンビニが入ってるんですね。

 さて試合は、ナント、前戦に引き続いて完封に近い負け。
 歯車がかみ合っていません。
 これはゆゆしき事態。
 応援団長としては、歯がゆい思いをしながら試合を見るだけでした。
 先制点を許すとその後の展開がどうもいけません。
 毎年、パイレーツの春のシーズンは全敗で終わる、ということが「伝統」になっていて、今年はすでに1勝しており、歴代の先輩たちよりはずっとスゴイよ、といいたいところですが、素人目に見ても負け方が良くないような気がします。
 悪い流れを引きずらないように、何が原因で、どこを修正すべきかは、監督、コーチと十分話し合ってほしいですね。

 今朝の日経に、『「業務」が与えられるものなら、「役割」は自分の手でつかむもの』という文章がありました。
 今、管理運営の仕事を考えていますので、ちょっと気になる言葉でした。
 たとえはおかしいかもしれませんが、それぞれのポジションには「業務」があります。そしてその業務が与えられると(自分のポジションが決まると)、あとはその業務の中で、自分の「役割」はどうこうことなのかを、自分で見つけ出さなければなりません。試合になれば、自分のポジションはここ、そしてそこでの自分の役割はこれ、というように、状況に応じて自分一人で考えなければなりません。役割が果たせることをアピールしなければ、「いなくていいよー」ということになってしまいます。
 今日のパイレーツは、業務は与えられていても、自分の役割を見失っていたプレイヤーが多かったかな、といった印象でした。

 とまあ、ちょっといい過ぎかもしれませんね。
 でも、業務の違う一人一人が、そういうことを考えて練習に励むというのも、悪い流れを断ち切るキッカケになるんじゃないでしょうか。

曇天

2008-06-21 22:33:44 | 多分駄文
 今日は夏至。
 でも曇り空。
 ここのところ、日が差す時間が短く、ちょっと晴れ間が見えても夕方から曇り、時々雨も降ったりして、これで夜も蒸し暑ければ本州の梅雨と同じ。
 陽の光を浴びていないせいで、猫の額ほどの家庭菜園に植えた苗も、まったく生長している気配もなく、かえって縮こまっているような感じ。葉っぱの色も暗い緑になってきているようで、このままだと、プチトマトの一つも収穫できずに終わってしまうのではないかと心配。

FF3その後

2008-06-20 22:35:35 | 電脳生活
 FF3導入に際して、Google Browser Syncが使えないことを知って、あれこれ調べていると、Google Browser Syncと同様のシステムがあることを知り、それを導入。
 複数のパソコンからアクセスしても、ブックマークはいつも同じ状態で表示されるというのはかなり便利、ということを今更ながら実感。
 しかもそれが「ブックマーク」からドロップダウンする形式に慣れていると、新しく利用したシステムが何とももどかしい。
 習慣とはげに恐ろしいものですね。
 

ジャンジャン

2008-06-19 22:30:00 | 感激観劇
 今から25年ほど前になるでしょうか、演劇を見に行くことが多かった時期がありました。
 その相棒が、当時、あるレストランの駆け出しコックをしていたS君でした(今は立派なオーナーシェフ)。ちなみに小生は当時、そのレストランでアルバイトしていたビンボー学生。
 演劇を見終えてアパートのある町まで戻り、いつも立ち寄ったのがお好み焼き屋たちばな。「たちばなっちゃうか」が合い言葉で、お好み焼きをビールで流し込みながら、その日の演劇について、遅くまで素人劇評会に興じていました。
 S君と見に行った演劇は、いわば商業演劇とは違って小劇場演劇で(ま、チケット代が安かったということもあったのですが)、テレビに出始めたばかりの東京乾電池のハチャメチャ演劇は、2~3度、見に行った記憶があります。劇場は、下北沢にあった本多劇場、そして渋谷ジャンジャンが多かったように思います。
 その渋谷ジャンジャンで見た演劇の一つがイヨネスコ原作の『授業』でした。登場人物は3名で、教授役は中村伸郎。しぶーい、それでいてすこぶるうまい老練の役者さんでした。中村伸郎氏は、10年間ほど、毎週金曜日の夜に、ジャンジャンで『授業』を演じ続けた方で、我々が見に行くきっかけは、「もうすぐ授業のロングラン公演を終えるかもしれない」という情報を得たからだったと思います(蛇足ながら、中村伸郎の後を次いでジャンジャンで『授業』を演じたのは仲谷昇)。
 意味もわからず不条理劇という言葉の響きに釣られて見に行った『授業』。
 そのラストシーンで、脳天をかち割られたような強い刺激を受けた演目でした。
 当然、その日のたちばなでは、二人とも、口角泡を飛ばしながら興奮気味に劇評をしました。というのはウソで、何をしゃべったのかは覚えていませんが、たちばなっちゃったことは事実です。(笑)

 さて、昨夜は、サンピアザ劇場でした。
 演目はイヨネスコ『授業』。出演は東京乾電池の役者さんたちで、教授役は柄本明氏。
 25年前に刺激を受けた演劇で、しかも同じ時代に見ていた東京乾電池、そして主役が鬼才柄本明氏ということになれば、当然、期待が大きく膨らみます。
 がしかし、期待感が大きすぎたからでしょうか、あるいは、中村伸郎氏のイメージが強すぎたからでしょうか、それとも、衝撃のラストを知っていたからだからでしょうか、「うーん、違うなあ」というのが見終えた最初の感想でした。
 もちろん、一緒に見たS先生もいっていましたが柄本氏の間の取り方はすこぶる付きで素晴らしかったですし、本当に語りかけるように長セリフをこなすさまは、柄本氏の独壇場といっても過言ではないでしょう。
 ただ、何かが違っていました。
 2年前、NHK教育で東京乾電池の『長屋紳士録』の舞台中継がありました(昨年はサンピアザ劇場で同じお芝居を観ています)。その放送の後で、柄本明氏が東京乾電池のこれまでの演劇、これからの演劇について語るインタビューがありましたが、その中で、自分のやりたいものを自分のやりたいようにやりたい、というようなことを語っていたように思います。その考え方からすれば、まさに『授業』を、中村伸郎風ではなく、柄本明風に解釈してお芝居を展開していても、不思議はありません。
 
 観劇後、小生自身の中で、何かモヤモヤ感があったので、一緒に観た諸先生の率直な感想をお聞きしませんでしたが(Lupin The 3rdのせいで忘れたか・・・)、始めて観た方は、どんな感想を持ったでしょうか。
 そしてS君が観たのなら、どんな感想を述べたでしょうか。
 上演時間1時間15分。

たしかに速い

2008-06-18 08:30:00 | 電脳生活
 今日、午前2時からダウンロード開始となったFirefox 3。
 まずは、自宅のパソコンで試す。
 朝、出勤前にダウンロードしようとすると、ダウンロードサイトになかなかアクセスできない。日本中のFFユーザがダウンロードを試みているのでしょう(ギネスに挑戦、なーんていう企画もやっているようだし)。
 時間を気にしながらも、気長に待つとやっとアクセス。
 インストール。
 使ってみるとたしかに速い。実感できる。メモリを増やした感じ。
 ただ、FF3は、Google Browser Syncには対応してないようで、これはチト残念。
 何はともあれ、出勤前のエントリ。

小説と事実

2008-06-17 22:44:55 | 涜書感想文
 昨夜、一冊の本を読み終えました。

 貫井徳郎『慟哭』(創元推理文庫、2008年5月、46版)

 小説は、連続幼女誘拐事件に遭遇した捜査一係長(佐伯)と、心の中に埋めがたい闇を持つ人物(彼)と二元的に進みます。全部で69に区分された物語は、奇数が「彼」の物語、偶数が佐伯の物語です。
 遅々として解決に向かわない連続幼女誘拐事件の指揮を執る佐伯の苦悩、そして、心の闇を取り払いたいと思う「彼」の宗教への思い入れ。そして佐伯の家族関係やスキャンダル、「彼」がのめり込む新興宗教。あまりに人間的な苦悩と、あまりに猟奇的な宗教儀式、この二つが交互に描かれます。
 そして何より、最後の大どんでん返し。この小説は、大団円で解決したように描かれますが、実は解決していない事件が最後の3行で示されます。
 まさに慟哭。

 今日、おおよそ20年前に発生した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人が死刑を執行されたというニュースが配信されました。
 「彼」の現在の年齢を見て、『もうそんなになるのか』と、あの当時報道された写真の顔つきを思い出していました。
 『慟哭』は、文庫本の初版が1999年、単行本は1993年に発行されています。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が1988年~89年の事件でした。この小説はあの事件の猟奇さに着想を求めたのではないかと思ってしまいます。
 とはいえ、シチュエーションはまったく異なりますし、小説と事実は、何の因果関係もありません。

 被害者、そして遺族の立場に立てば死刑はやむなしという意見もあるでしょう。一方で死刑制度が世界的に廃止の流れにある中で、「先進国」である日本で死刑制度を持つなどとんでもないという意見もあるでしょう。
 しかしそんなことは関係ありません。
 事実は、自分の愛する子どもが殺害され、そして子どもを危めた人物を許せないという親の気持ち。
 その気持ちは、制度としての死刑などとは無関係な、人として当然の感情だと思います。

 昨夜読み終えた小説と、実際に20年前に発生した事件の当事者の死刑執行。
 あまりにかけ離れた関係ながら、どうしても結びつけて考えてしまう感情を、子を持つ親として、抑えることができません。
 そして強く思います、やっぱり許せないと。