O's Note

いつまで続くか、この駄文

大晦日

2007-12-31 23:50:00 | 多分駄文
 2007年もまもなく終わりですね。
 当地は穏やかな一日でした。
 一晩寝て起きるだけなのに、明日は新年。そして一晩寝て起きるだけなのに、何だか気分が新たになりそうで、ちょっとした期待感のようなものも感じます。
 紅白は白組勝利でしたね。大晦日を満喫しています。
 では、寝ますか。(笑)

あれから20年か・・・。

2007-12-30 17:35:35 | 多分駄文
 院生時代のゼミの後輩(学部生)にマユミという名前の女子学生がいました。小生が所属していたゼミでは、先輩が後輩の簿記の指導をするということになっており、小生が受け持った2人の後輩のうちの1人がマユミでした。
 ある年の合宿の打ち上げコンパで、その女子学生がいった言葉は「蜂谷真由美でーす。」
 あまりに唐突に出た言葉に一同大笑いした記憶があります(不謹慎とはいわないで)。その後、その女子学生は「キム・ヒョンヒ」と呼ばれるようになります。
 今の学生さんには馴染みのない名前でしょうが、蜂谷真由美という名前は、当時、日本を震撼させた事件の実行犯としてマスコミを席捲した名前でした。
 先日、テレビでこの蜂谷真由美を取り上げた番組を放映したのですが、ゆっくり見ている時間がなく、今日、録画していた番組を見ました。
 
 大韓航空機爆破事件から20年 金賢姫を捕らえた男たち~封印された3日間~

 タイトルにもあるように、蜂谷真由美こと金賢姫(キム・ヒョンヒ)は、もう一人の男性(蜂谷真一こと金勝一:キム・スンイル)とともに、バグダッドから搭乗した大韓航空機に爆薬を仕掛け、経由地のアブダビで降ります。その後、バンコックに向かっていた大韓航空機は、突然消息を絶ちます。それが1987年11月29日でした。
 当時の記憶をたどるまでもなく、この事件は1988年に開催予定だったソウルオリンピックを妨害するために北朝鮮が仕組んだものといわれています(金賢姫もそのように証言していました)。
 この番組では、いわゆるノンキャリア3人が金勝一と金賢姫を追い詰め、やがて逮捕に至るプロセスを描いていました。そのノンキャリア3人は、アラブ首長国連邦の日本大使館員1人(自衛隊出身)と、バーレーンの日本大使館員2名(うち1人は民間からの出向者)でした。
 こういった事件・事故に遭遇すると、誰がなぜそんなことをしたのかという表に見える面だけに興味が集中し、誰がどのようにして犯人を突き止めたのかという点については、案外、興味の対象からはずれる場合が少なくありません。
 この番組はこれまで興味の対象からはずれていた点に焦点を当てている点で、新しさがありました。消息不明の航空機→爆破の可能性→途中で降りた日本人→日本人(赤軍派)犯行説→日韓関係の危機→偽造パスポート→日本人以外の犯人説→犯人逮捕という、よく知られた内容も、それを追究した人物の目から追いかけると、また違った絵が見えてきます。
 この番組を見ながら改めて気付いたことは、その後に大きな問題に発展した拉致問題でした。すでに当時、逮捕された金賢姫は、李恩恵(リ・ウネ)と呼ばれる日本人女性に日本語と日本文化について教育を受けたと証言していましたが、事件発生当時には、小生の頭の中では拉致問題がこれほど深刻なものだとは思っていませんでした。考えてみれば、拉致は1970年代に活発化したとされていますから、1987年のこの事件は、そうした拉致された方々が「協力させられた」可能性が非常に高かったわけです。
 この番組ではもう一つ、象徴的に描かれていることがあります。それは、組織の論理の壁です。ノンキャリアの3人がそれぞれに追究しようとすることが組織(キャリア)の論理で押し戻される様が描かれています。多くの制約条件(たとえば調査権や逮捕権を持たない外交官という身分)の中で、何とかしなければという気持ちだけで行動した3人の活躍が犯人の逮捕に結びつきます。それでも日本政府は最後には、逮捕後の身柄を韓国政府に委ねます。日本のパスポートが偽造されて日本人になりすました犯人でありながら、なぜ身柄を韓国政府に引き渡したのか。番組ではその真相は取り上げられていませんでしたが、ノンキャリアの一人が、それを非常に悔しく思う様子が描かれていました。

 ところでこの番組の下敷きになったのは、ノンキャリアの一人、砂川昌順氏の『極秘指令』という本のようです。
 すでに遠い記憶の中にある爆破事件でしたが、拉致問題なども改めて考えるいいキッカケになった番組でした。

 ちなみに小生の後輩の「蜂谷真由美」は、今ではいいお母さんになっていて、毎年、年賀状を送ってくれます。

密談(笑)

2007-12-29 16:00:00 | 多分駄文
 今朝は、久しぶりに積雪がありました。
 気温が高いため、非常に湿った雪です。
 朝食後、雪投げのため外に出ると、すでに隣人のA氏が作業をしていました。
 小生の姿を認めると、近づいて来ました。
 「センセー、例のやつ、どうします?」

 実は昨日、A氏からメールが入り「例のやつ」についてお誘いがありました。
 「Tさんも誘ってください。」
 「OKでーす。」ということでTさんにメールを送ると、TさんもOKとのこと。

 自分からいい出したくせにA氏の次の言葉は「忙しくないんですか?」(笑)
 「大丈夫ですよー。でもどうやって移動します?」
 「大丈夫、うちのに送らせます。」
 というわけで、雪投げ作業中の、男同士の、口数の少ない、それでいて楽しい会話。(苦笑)
 

年内最後、かな?

2007-12-28 22:10:00 | 多分駄文
 今日も朝から出勤。
 くちびるの乾きは続いていますが偏頭痛は治りました。くちびるの乾きは単なる乾燥?
 午前中に原稿を仕上げ送信。これで年内に着手する原稿がなくなりました(S先生、がんばってねー)。あとは先日届いた校正刷りのチェックのみ。締切が年明けなので、少しゆとり。
 午後からは研究室の整理。もう年内は出勤しないかなと思い、たまりにたまった配布物やチラシ、パンフレットの類を思い切って処分。
 それにしても、今日から事務職員の方は年末年始休暇で、基本的には勤務先はアチコチ施錠されている状態ですが、研究棟、結構出勤している方が多かったです。
 今日などは、キャンパス内がシーンと静まりかえっているので、仕事がはかどると思った方が多かったのかもしれませんね。
 でも気がつけば今年もあと4日ほど。
 年を取ると一日が早く感じるといいますが、これは子供の時と比べてやることが多くなっているからなのでしょう、きっと。小生も何だかバタバタしながら毎日をあわただしく過ごしています。そして気がつけば一日が終わり一年が終わろうとしています。
 さて、ゆっくりと「ブログネタ」でも読みましょうかね。(笑)

おかしくもきれい

2007-12-26 10:25:25 | 多分駄文
  

 今朝、出勤してみると、窓の外にきれいな青空。しばし見とれてしまいました。
 この時期の青空はそれほど珍しいことではないですが、雪がほとんどないというのはやっぱりヘン。
 気温は、自宅を出るときマイナス6℃。
 チーム・マイナス6%を本気で考えないと・・・。

クリスマスというのに・・・。

2007-12-25 23:20:00 | 多分駄文
 今日はクリスマス。勤務先はお休み。
 しかし仕事があって出勤。
 帰宅後、子供たちの年賀状作りを手伝ったり、原稿などを読んで過ごし、ついさっきメールを確認すると・・・。
 あるわあるわ、新しいお仕事メール。
 休みたいとか、遊びたいとか思っちゃいけませんが、数時間の間に立て続けて入ってくるとクリスマス気分も抜けてしまいます(クリスマスに拘泥しているわけじゃありませんが・・・)。
 あ、そうか、メールを送る側は年内中に連絡を取って自分の仕事を片付けたいと思っているのか。
 仕事をふられた側は災難ですなあ。

この時期に。

2007-12-24 22:33:44 | 涜書感想文
 この時期は何かと宴会が多いもの。個人的には、最近、少々お疲れモードなので宴会の回数を減らしています。減らしても飲む量は同じなのですが・・・。
 宴会といえばカラオケ。(笑)
 我々の年代のカラオケといえば、学生さんたちが歌うラップ系の歌やJ-POPなどは歌いたくても歌えないわけで、どうしてもアニメソングや歌謡曲ということになります。
 そこでこの一冊。

 阿久悠『歌謡曲の時代 歌もよう人もよう』(新潮文庫、2007年12月)

 初期の『スター誕生』世代である小生などは、ひいきにしている歌手志望の娘が、阿久氏から舌鋒鋭い批評を浴びせられているのを見て、テレビの前で「なんだコイツ!」と一人で怒っていたことが、いい思い出として残っています。最近知ったことですが、その阿久氏は、単なる審査員ではなく、『スター誕生』の仕掛け人であり、企画もやればプロデューサーも兼ねていたそうで、いい歌手を作り、育て上げようという阿久氏の思い入れが、あのような厳しい評価になってあらわれていたのでしょう。

 阿久氏は、この本の冒頭で昭和と平成の歌の違いを次のように分析しています。

「昭和と平成の間に歌の違いがあるとするなら、昭和が世間を語ったのに、平成では自分だけを語っているということである。」[p.14]

 もっとも、フォークソングなどは自分の世界を語った詩が多く、昭和の歌のすべてが世間を語ったものであるとはいえませんが、しかし、フォークソングもまた世相を反映していましたし、その点では、昭和の歌は圧倒的に世間を語った、あるいは世間を意識した歌が多かったといえるでしょう。
 阿久氏はまた、歌謡曲と人間との関わりを「有視界の私の世界よりも、時代を貪り食いながら太ったり、きれいに化けたりしていく世界の方が大きい。その大きい世界から、私に似合いのものを摘み出すのが、歌謡曲と人間との関わりであったのである。」[p.15]と述べています。政治的・経済的・社会的環境の変化の中で、その時代に生きた人間の営みを切り分けて歌にしたものが歌謡曲であったといえます。

 さて阿久氏は生涯に5,000曲以上を手がけたといいます。その中で我々が知っている歌はほんの一握りに過ぎません。しかし、それら一握りの歌は、我々が知っている歌の大部分を占めています。

 本書は、阿久氏が作詞した歌のタイトルから連想される事柄を99のエッセイとしてまとめたものです。ということは、おおむね100曲(2回取り上げられているものもある)がエッセイのタイトルとして取り上げられていることになります。
 それらを打ち込むのは面倒ではありますが(笑)、「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「北の宿から」(都はるみ)、「勝手にしやがれ」(沢田研二)、「UFO」(ピンク・レディー)、「雨の慕情」(八代亜紀)など、日本レコード大賞を受賞した曲から、「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり)、「思秋期」(岩崎宏美)などのヒットチャートを賑わせた曲、「ふり向くな君は美しい」(ザ・バース)のようなスポーツのテーマ曲、はたまた「ウルトラマンタロウ」(武村太郎と少年少女合唱団みずうみ)や「ピンポンパン体操」(金森勢と杉並児童合唱団)、「宇宙戦艦ヤマト(ささきいさお)というアニメソングまで、枚挙にいとまがありません。
 もちろん、先ほどの『スター誕生』から生まれた歌手たちにもたくさんの歌を提供しています。
 「あのこ、音痴でさえなければ合格させたいね」[p.154]と思い、「そして本番で彼女は、さして上手ではないが音痴でもなく、圧倒的に人の目を惹いて合格した。」[p.155]
 これが桜田淳子でした。
 ひいき目に見ても決して歌が上手というわけではありませんが、しかし何よりかわいかったなあと思ったものです(ファンでした、ははは)。

 ところで、阿久悠氏の作詞作法として印象深かったのが次の文章でした。

「大体詩というもの、手ぶらで空中からタバコを取り出すマジックのようなもので、キャッチした言葉を白紙の上に撒く。ただ、一つの意思を持って言葉を摘むために、目じるしのようなものが必要で、それがタイトルである。タイトル宣言して言葉を呼ぶか、幟旗(のぼりばた)を立てると、それにふさわしい言葉が空中を浮遊すると信じているのである。」[p.270]

 まったく何もないところから文章を紡いでいくことの難しさは、経験した者でなければわからないことです。その寄って立つマイルストーンがタイトル。タイトルさえ決まれば(しばしば変更することもありますが)「それにふさわしい言葉が空中を浮遊する」という感覚は、小生自身も感じることがあります。
 
 阿久氏は今年8月にお亡くなりになりました。お亡くなりになったすぐあとに、NHKが、作曲家の戸倉俊一氏をスタジオに招いて追悼番組を放送していました。『まさに小生の青春そのものだなあ』と思いながらその番組を見ました。
 一つの時代の終わりでしょうね。

親ばかチャンリン

2007-12-22 22:20:00 | 多分駄文
 今日は午後から下の子供たちが参加しているスクールバンドの第13回定期演奏会がありました。
 単独の演奏が10曲、近所の中学の吹奏楽部との合同演奏が2曲で、1時間半、たっぷり音楽を楽しみました。
 子供たちの演奏は、テンポが怪しくなる場面もありましたが、毎朝、練習をしているだけあって40名の団員の心がこもった演奏でした。
 演奏の中で6年生の娘がコルネットのソロを担当する曲があり、ハラハラしながら聞きましたが、何とか頑張りました。
 サンバの曲では、校長先生がタクトを振り、会場は緊張。しかし子供たちが上手にタクトに合わせて終わり方もグッド。
 終了後、ちょうど校長先生と目が合い、校長先生が小生に向かって一言。
 「(サンバの曲を聞いて)前に出て踊りたくなったでしょ? 踊りたいんじゃないかなーと思っていました。」(笑)

使い方を知らないと・・・。

2007-12-21 23:45:14 | 多分駄文
 昨年、年賀状ソフトを買い換えました。
 これまで使っていたものは、それなりに機能満載で、しかもイラストも豊富でした。しかし、ほとんどの機能は使わず、イラストもそのソフトでなら使えるものでしたが、他に転用することはできず(つまり特殊な細工がしてある)、印刷時に重いだけ重くて時間がかかっていました。
 そこで、もっと軽いソフトを、ということで新しいソフトを購入したわけですが、昨年はデータを移行する時間がなくて間に合わず、そして今年も、年末にやればいいと思っていて、今まで手つかずの状態でした。
 今日は、少し時間が取れたので、古いソフトから新しいソフトにデータを移行し(結構微調整は必要でしたが)、一部、宛名を印刷してみました。
 ところが、喪中はがきをいただいた方は印刷から外す、というところで失敗してしまいました。(苦笑)
 今回使ったソフトでは、ヘルプを見ると「喪中の設定をした場合は印刷から除外されます。」というようなことが書かれていましたので、該当する方の送信記録欄に喪中のチェックを入れて印刷。
 「早い!」と喜んでいたのもつかの間。
 喪中のチェックをいれた方も印刷されてしまいました。
 『どーして?』と思ってもう一度読むと、「選んだ年の受記録に喪中の情報があるレコードが印刷されなくなります。」
 小生がチェックしたのは送信記録欄。しかしチェックしなければならなかったのは受信記録欄だったわけです。
 当然、年賀状は自分が送るもの、そして送るに際して注意するのは喪中の方に送ってはいけないということ。だからチェックを入れるのは送信記録欄。その思い込みがいけなかったわけです。
 考えてみれば、喪中はがきを受け取ったわけですから、「喪中はがきを受け取った」というチェックを入れるのが一般的な思考なのでしょう。
 この調子だと、今年も年末ぎりぎりの投函になりそうです。(笑)

講義終了

2007-12-20 22:51:51 | 仕事(第1業務編)
 今日は補講日。
 今日の講義をもって今年度の講義が終了しました。
 例年、最終講義日に定期試験の傾向と対策を話していますが、最近は「何か質問は?」と聞いても、ほぼまったく質問が出ません。
 5年ほど前までは、どんな内容の試験問題が出るのか、根掘り葉掘り聞き出そうという質問が結構あって、こちらもどの程度まで公表できるか考えながら応答していました。これがそれなりに楽しくて、質問のうまさにポロッと「漏洩」したりして。(苦笑)
 今日も「何か質問は?」と聞いたのですが、質問はなし。
 「質問がないということは、皆さん、十分理解していると理解していいですね? では試験頑張ってください」といって講義終了。
 皆さん、ホント、頑張ってくださいねー。

一人はみんなのために

2007-12-19 18:25:00 | 多分駄文
 最近、小学生の我が家の子供たちが歌っている歌があります。
 学習発表会で、6年生が披露したのが「ユタと愉快な仲間たち」。
 その挿入歌の一つで、最後のフレーズが「みんなは一人のために 一人はみんなのために」。
 今日は、次元の異なる二つの事柄に遭遇し、そのたびに頭に思い浮かんだのがこのメロディと歌詞でした。
 もっとも、この挿入歌、タイトルは「友だちはいいもんだ」で、次のような歌詞ですので、今日遭遇した事柄とはまったく違う状況の歌ですが・・・。

作詞:岩谷 時子

友だちはいいもんだ 目と目でものが言えるんだ
困った時は力をかそう 遠慮はいらない
いつでもどこでも君を見てるよ 愛を心に君と歩こう
みんなは一人のために 一人はみんなのために
みんなは一人のために ひとりのために

友だちはいいもんだ 言いたいことが言えるんだ
悲しいときは励ましあおう 心はひとつさ
大人になっても忘れはしない 夢を大事に君と進もう
みんなは一人のために 一人はみんなのために
みんなは一人のために ひとりのために

補講期間

2007-12-18 22:00:00 | 仕事(第1業務編)
 今日から補講期間に入りました。
 休講にすれば原則的に補講を行うという、いわば当たり前のことを、最近、厳格に適用するようになりました(他の大学でも事情は同じようです)。そのせいか補講期間も増えましたし。
 小生もかつては学会出張などで休講しても、最低授業回数を確保していれば補講をしなかったのですが、ここ数年、補講を入れて学年暦に定められた回数の講義を行うというように意識が変わりました(遅いか・・・)。
 そしてもう一つ。
 月曜日が祝日になることが多くなったため、月曜日の講義日が極端に少なくなりました。その影響で、今年度に限って、勤務先でも年明けに月曜日だけ通常の講義日が設定されています。
 ところが、今夜行われた生協理事会でその話題になったとき、学生理事の皆さんから出た言葉は「年明けの月曜日は補講日ですよね。」
 そう思っていた学生さんは一人だけではありません。
 それを聞いていた教員理事は、こぞって「補講じゃないよ、通常講義日だよ。」
 「ええーっ。」とは学生理事の皆さん。
 あちこち意識改革が大変です。(苦笑)