この時期は何かと宴会が多いもの。個人的には、最近、少々お疲れモードなので宴会の回数を減らしています。減らしても飲む量は同じなのですが・・・。
宴会といえばカラオケ。(笑)
我々の年代のカラオケといえば、学生さんたちが歌うラップ系の歌やJ-POPなどは歌いたくても歌えないわけで、どうしてもアニメソングや歌謡曲ということになります。
そこでこの一冊。
阿久悠『歌謡曲の時代 歌もよう人もよう』(新潮文庫、2007年12月)
初期の『スター誕生』世代である小生などは、ひいきにしている歌手志望の娘が、阿久氏から舌鋒鋭い批評を浴びせられているのを見て、テレビの前で「なんだコイツ!」と一人で怒っていたことが、いい思い出として残っています。最近知ったことですが、その阿久氏は、単なる審査員ではなく、『スター誕生』の仕掛け人であり、企画もやればプロデューサーも兼ねていたそうで、いい歌手を作り、育て上げようという阿久氏の思い入れが、あのような厳しい評価になってあらわれていたのでしょう。
阿久氏は、この本の冒頭で昭和と平成の歌の違いを次のように分析しています。
「昭和と平成の間に歌の違いがあるとするなら、昭和が世間を語ったのに、平成では自分だけを語っているということである。」[p.14]
もっとも、フォークソングなどは自分の世界を語った詩が多く、昭和の歌のすべてが世間を語ったものであるとはいえませんが、しかし、フォークソングもまた世相を反映していましたし、その点では、昭和の歌は圧倒的に世間を語った、あるいは世間を意識した歌が多かったといえるでしょう。
阿久氏はまた、歌謡曲と人間との関わりを「有視界の私の世界よりも、時代を貪り食いながら太ったり、きれいに化けたりしていく世界の方が大きい。その大きい世界から、私に似合いのものを摘み出すのが、歌謡曲と人間との関わりであったのである。」[p.15]と述べています。政治的・経済的・社会的環境の変化の中で、その時代に生きた人間の営みを切り分けて歌にしたものが歌謡曲であったといえます。
さて阿久氏は生涯に5,000曲以上を手がけたといいます。その中で我々が知っている歌はほんの一握りに過ぎません。しかし、それら一握りの歌は、我々が知っている歌の大部分を占めています。
本書は、阿久氏が作詞した歌のタイトルから連想される事柄を99のエッセイとしてまとめたものです。ということは、おおむね100曲(2回取り上げられているものもある)がエッセイのタイトルとして取り上げられていることになります。
それらを打ち込むのは面倒ではありますが(笑)、「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「北の宿から」(都はるみ)、「勝手にしやがれ」(沢田研二)、「UFO」(ピンク・レディー)、「雨の慕情」(八代亜紀)など、日本レコード大賞を受賞した曲から、「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり)、「思秋期」(岩崎宏美)などのヒットチャートを賑わせた曲、「ふり向くな君は美しい」(ザ・バース)のようなスポーツのテーマ曲、はたまた「ウルトラマンタロウ」(武村太郎と少年少女合唱団みずうみ)や「ピンポンパン体操」(金森勢と杉並児童合唱団)、「宇宙戦艦ヤマト(ささきいさお)というアニメソングまで、枚挙にいとまがありません。
もちろん、先ほどの『スター誕生』から生まれた歌手たちにもたくさんの歌を提供しています。
「あのこ、音痴でさえなければ合格させたいね」[p.154]と思い、「そして本番で彼女は、さして上手ではないが音痴でもなく、圧倒的に人の目を惹いて合格した。」[p.155]
これが桜田淳子でした。
ひいき目に見ても決して歌が上手というわけではありませんが、しかし何よりかわいかったなあと思ったものです(ファンでした、ははは)。
ところで、阿久悠氏の作詞作法として印象深かったのが次の文章でした。
「大体詩というもの、手ぶらで空中からタバコを取り出すマジックのようなもので、キャッチした言葉を白紙の上に撒く。ただ、一つの意思を持って言葉を摘むために、目じるしのようなものが必要で、それがタイトルである。タイトル宣言して言葉を呼ぶか、幟旗(のぼりばた)を立てると、それにふさわしい言葉が空中を浮遊すると信じているのである。」[p.270]
まったく何もないところから文章を紡いでいくことの難しさは、経験した者でなければわからないことです。その寄って立つマイルストーンがタイトル。タイトルさえ決まれば(しばしば変更することもありますが)「それにふさわしい言葉が空中を浮遊する」という感覚は、小生自身も感じることがあります。
阿久氏は今年8月にお亡くなりになりました。お亡くなりになったすぐあとに、NHKが、作曲家の戸倉俊一氏をスタジオに招いて追悼番組を放送していました。『まさに小生の青春そのものだなあ』と思いながらその番組を見ました。
一つの時代の終わりでしょうね。