O's Note

いつまで続くか、この駄文

商売柄・・・。

2007-09-30 13:33:26 | 涜書感想文
 前期の4年生のゼミで、参加者に『週刊ダイヤモンド』誌2007年3月3日号に掲載されていた「会計感度チェックテスト」をやってもらいました。
 問題は全部で20問で、設問に○か×で答えるもの。
 たとえば、

 Q1 売り上げが伸びている企業の「株」は買いだ。
 Q3 「Suica」の1万円分の電子マネーと、現金1万円とは、まさしく等価だ。
 Q5 「費用がかかる」とはいっても、常にそのぶんのカネが減るわけではない。

 参加者に解答を答えてもらって、さらにその答えの理由も発表してもらいました。

 さて、この「会計感度チェックテスト」を出題したのが、林總(はやし・あつむ)氏。そうです、例の『餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか』を書いたCPAです。もっとも、タイトルだけでその心が類推できましたので、小生、この本は読んでいませんでした。
 しかし、「会計感度チェックテスト」以降、林氏がちょっと気になったことは事実で、『今度何か出版されたら読んでみようかな』と思っておりました。ちょうどそんなとき、同時に2冊、上梓されました。

林總『売るならだんごか宝石か』(ベスト新書、2007年7月)
林總監修『うちの社長に読ませたい100文字でわかる会計』(ベスト新書、2007年7月)

 売るならだんごか宝石かといわれると、『宝石と見せかけて、ホントはだんごなんでしょ?』と答えたくなりますよね。(笑)
 『売るならだんごか宝石か』は、自分が勤める会社の不正経理に立ち向かうOLが、ワインバー「ポアロ」のマスター(このマスター、昼は管理会計を教える大学教授。苦笑)の助けを借りてどのようにして不正の謎解きをするかを、推理小説仕立てで構成しています。
 タイトルにあるだんごと宝石の話は、「ポアロ」のマスターが、資金繰りが立ちゆかなくなった宝飾会社の理由を説明するところで出てきます。

「在庫はなるべく少ない方がいいということですか」
「そのとおり。経営リスクが少ないということだね。よく“だんご屋は潰れない”と言われるね。その根拠はだんごを作るのに一日とかからない上に売れ残りがほとんどないからだ。つまり仕掛品在庫も製品在庫もゼロに等しい。材料在庫は多少あるものの腐らない。だから資金負担が少なく潰れることはない。ところが、この燕市にある会社はだんご屋と正反対のことをしている。」[p.129]

 そういえば、子供の頃住んでいた町で、目と鼻の先に豆腐屋が2軒あって、小さな町でありながら潰れずに経営していたことを思い出しました。だんご屋も豆腐屋も同じ構造です(その後、2軒の豆腐屋は同じ理由で店をたたんでしまいました。後継者がいなかったわけです)。
 
 推理小説仕立てということですから、これ以上書くのははばかられるので中身には立ち入りませんが、これと同じようにCPAが書いた推理小説仕立ての読み物としては、さおだけ屋の山田真哉氏が書いた『女子大生会計士の事件簿』などもあります。これなどはシリーズ化されていて、漫画にもなっています。だんご屋とさおだけ屋。零細な個人商店を取り上げている点で発想が同じなのでしょうかねぇ。
 こういった本を読むと、大きく分けて二つの側面で会計を考えていることがわかります。一つは会計処理に潜む側面、そしてもう一つが業態による側面です。前者は、相対的真実性を基本とする会計では不可避の問題で、会計処理を巡ってしばしば「見解の相違」が新聞紙上を賑わします。また後者は、取扱商品や販売方法の違いから収益構造が異なる業態が無数に存在するわけですから、その違いによって会計の考え方も違ってくるということを取り上げているのでしょう。
 小生が会計を勉強し始めた頃は、この手の本はほとんどなく読んだ記憶がありません(せいぜい『ビッグ・エイト』を読んだぐらい)。その意味では、会計が身近に感じられるようになっているということを実感します。

 ところで、もう一冊の方ですが、こちらは「まえがき」で「本書は、管理会計のテキストではあまり触れられていない、経営とのつながりを、55項目に渡って解説したものです。」[p.5]と書いてありましたので、「どれどれ?」と興味津々で読み始めたのですが、オーソドックスな管理会計のテキストで必ず取り上げられている項目がありました。管理会計のテキストで取り上げられていないという点でいえば、「これは管理会計のテキストではなく原価計算のテキストに書かれています」というものや「これは管理会計の問題というよりは財務会計の問題」というものでした。(苦笑)

ビジコンとキャンパス説明会

2007-09-29 22:38:54 | 仕事(第3業務編)
 今日は、午後から学科主催のビジネスモデル・コンテスト本選。
 12チーム(個人)がエントリーし、本選に残った5チームのプレゼンと審査がありました。
 結果は、残念ながら最優秀賞は出なかったのですが、優秀賞1チーム、準優秀賞が2チームでした。
 それぞれのプレゼンを、そのプランに基づく事業を広報するにはどうすればいいかなと思いながら聞いていました。
 というのは、あるNPO法人の事業計画を聞いたことが、いまだに頭から離れないからです。
 その法人の事業計画は、今日、学生さんが発表したプランより一般的なもので(悪くいえば凡庸なもので)、激しい競争環境にさらされることが容易に予測できるのですが、そういった計画で、年間一千万の収入を予定しているというのですから驚きでした。それだけの収入を得るために、どうやって広報するのかといえば、ホームページを開設して広報するというのです。
 ホームページは全世界から閲覧可能ですから、格好良くいえば、世界中の人々が顧客だともいえますが、実際には、ほとんど見られていないと考えた方がいいですよね。最初にどのように見せるか(見せる工夫)。まずはこれが大事。次に、どのように事業から収益を獲得するか(買わせる工夫)。こういうことをおろそかにすると事業として成立しません。
 今日のビジネスモデルは、さしあたり、審査員や今日来てくれた方々が実現に向けて「買って」くれれば、まずは第一歩を歩み出すことができるのですがね。
 それ以上に、学生さんがこのような経験をするということがもっとも大事ですね。
 うちのゼミ生も参加しないかな。

 さて、そのビジコンと同時に進行したのがキャンパス説明会。
 小生、またまた出番があってビジコンを中座し、キャンパス説明会会場へ。
 この時期になると、さすがに皆さん真剣で、前回は30分の説明後、何もなく会場を後にしたのですが、今回は質問者が4名(組)ほどありました。
 せっかく大学に足を運んでくれたのですから、答えられる限りのことは答えようとしたのですが、やっぱり入試関係の話というのはビミョーな内容を含んでいて、ハッキリといえないこともあって困りました。
 いわなきゃいいものを、またも最後に「来年4月、この教室で会いましょう。」
 1年前期の講義を受け持っていないのにぃ。
 今日参加してくれた皆さん、ごめんなさい。(苦笑)

民族の誇りか悲惨な過ちか

2007-09-28 21:17:21 | 涜書感想文
 先日、テレビを見ていたら、世の中のビックリ、おかしい、と思われることについて、その道のプロ(研究者)が解説するという内容の番組を放送していました。
 その中の一つに、動物たちの戦いについて動物学者が解説するという内容がありました。
 記憶が定かではないのですが、最初に、ほ乳類の戦いは縄張り争いやメス獲得のための戦いが多いが、文字通り血で血を洗う戦いに発展するため、勝った方も負けた方も傷が絶えず、場合によっては傷口からばい菌が入り、それが原因で死んでしまったり、種それ自体が滅びるおそれがあると解説していました。
 それに続いて、顔が赤いサルが紹介され、中でも珍しいサルとして、ウアカリという、体が真っ白な毛で覆われているものの、頭がはげ上がり、顔の骨格はどくろのようで、顔の色が燃えるように赤いサルが取り上げられていました。
 その動物学者によれば、顔が赤いのは進化した動物の証ということで、顔が赤い理由は相手を威嚇するためで、争いに際して、のっけから取っ組み合いの争いをせず、まずは赤い色を見せることによって相手を威嚇し、それで勝負が付けばお互いに傷を付けることが避けられ、傷による種の絶滅の危機から逃れられるということでした。こういったことは、脳の機能が進化しているからできることであって、高等動物と考えてよい、というようなことを解説していました。

 さて、その番組を見た頃に読み終えた本があります。

 栗原俊雄『戦艦大和-生還者たちの証言から』(岩波新書、2007年8月)

 タイトルに使った「民族の誇りか悲惨な過ちか」は、この本の帯広告のコピーです。
 戦艦大和は、1940年8月に進水し、1944年10月のレイテ沖での海戦で傷つき、翌1945年4月7日、沖縄水上作戦に向かう途中で、わずか2時間あまりの米軍との戦闘で撃沈。当時の乗組員3,332名[p.77]のうち、犠牲者は3,056名[p.121]。
 本書は、その戦禍をくぐり抜け、どうにか一命を取り留めた23名とその家族、あるいはすでに死亡した乗組員の家族などにインタビューを行い、それに基づいて「戦艦大和とは何だったのか」を考えさせる内容でした。
 それにつけても、一瞬にして3,000名もの命が奪われた、という事実は、想像を絶するものがあります。
 1945年の沖縄水上作戦に向かう大和の艦上には、「総員死ニ方用意」という落書きがあったそうです[p.77]。全員死に方を用意せよという言葉は、死を覚悟の上戦えという精神的な表現だったのか、それとも諦めの言葉だったのかはわかりませんが、恐ろしく生々しい言葉として脳裏に焼き付いてしまいます。
 それに対して、すでに1945年4月5日時点で、大和以下の第二艦隊が出撃するという情報をキャッチした米軍は、第5艦隊スプルーアンス司令長官(上官)とミッチャー第54砲撃支援部隊指揮官(部下)との間で、次のようなやりとりがあったことが記されています[pp.80-82]。

 7日8時32分、ミッチャーは第二艦隊発見の報を得た。旗艦「バンカーヒル」で攻撃準備を発令。さらにスプルーアンスに問うた。
“Will you take them or shall I ?”(あなたがやりますか。それとも私がやりましょうか?)
 上官に対して、ややぞんざいな口調だ。
“You take them.”(お前がやれ)
 たった三語で、大和と3000人の将兵の運命は決まった。

 大和や戦争を美化することもなく、一方で、生存者たちの思いをそのままの言葉で伝えていることが読み手を切なくさせます。戦争はしてはいけない、というのは簡単です。為政者たちが戦争を決定しても、反対すればいいじゃないかということも簡単です。しかし、それに従わざるを得ない時代があったことも事実です。そうした中にあって、個人が自分の行動は間違ってはいないと思うためには、それなりの思い入れがなければなりません。生存者たちの声はそれを物語っています。

 今朝、ミャンマーのヤンゴンで、反政府デモの取材中に治安当局とデモ隊の衝突に巻き込まれ、一人の日本人カメラマンが銃弾に当たって死亡したと新聞に出ていました。内紛に巻き込まれた同胞の死はやりきれないものです。内紛がなければ人一人の命が助かったのにとの思いが断ちきれません。ミャンマー以外にも、内戦状態の国々がたくさんあります。
 どうして人は人を傷つけるのでしょうか。それが人類にとってまったくいいことではないはずなのに。

 くだんの動物学者の説にあてはめれば、大人は高等動物ではないということなのでしょうか。考えてみれば、子供の頃には赤い顔をしてるのに、大人になれば赤みがとれてしまいますので。 

ソー一君

2007-09-27 22:36:33 | 電脳生活
 子供用に使っていたソー一君が危篤状態になった。
 電源管理ができない状態に陥ってしまったのである。
 まずはACアダプタとコードをつないでいる部分が切れた。非常に危険な状態。しかしそこにテープを貼り付けて何とかしのいでいた。
 一方で、電源スイッチを入れると、起動のために大きなモーター音が鳴るようになっていた。これは結構深刻で、最近では最初の起動画面に行くと、ひゅーぅぅぅといって切れてしまうことが頻発していたのであった。
 一度切れてしまうと、あとは電源スイッチを押してもしばらくウンともスンともいわない。
 「ねー、もうダメなの? 大事な画像が一杯入っているのにぃ。」
 「メルアドだけでも取れないの?」
 子供たちそれぞれが、それぞれのユーザ設定でため込んだ画像や音楽やアドレス。 まずは、ファイルを救出しなければならない。
 電源スイッチ・オン。ダメ。再びオン。駄目。三度オン。だめ。
 『こりゃ、無理かな』と思い、「最悪の場合、すべて失われます。」と冷たく宣言。
 「ええーっ。」
 もっとも残念がったのは、最近、メルアドを取ってメールのやりとりをし、画像なども集め始めた下の二人の娘。
 何日かに渡って試行錯誤を繰り返し、ようやくセーフモードで起動。セーフモードのまま救出できるファイルをまず救出。次に、セーフモードから通常モードに切り替えて残りのファイルを救出。こうして、とにもかくにも必要と思われるファイルはすべて救出した。

 問題はソー一君の身の振り方である。
 ACアダプタの代わりなど販売されていないようだし、何より内蔵電池パックだって消耗甚だしい。起動だって気まぐれだし・・・。
 『解剖するしかないな・・・。』
 解剖っていっても、小生の乏しい知識で蘇生させることなどできるはずがない。解剖しておしまい、ってわけである。

 生涯二度目の解剖開始(一度目は98が載っかっていたI機)。
 取り付けられているネジというネジをすべて取り外す。
 256MのメモリとDVD-ROMディスク・ユニットは「電脳宝箱」へ。
 40Gの硬盤は、I機の3.4G硬盤で使っていたケース(内蔵HDDをインターフェース変換して外付けHDDにするケース)に移植して即席外付けHDDドライブとして再利用。USBで努力くんに接続すると動くではないか(ディスクチェックをしてエラーを修復しなければならなかったが)。
 のこりは粉砕。(苦笑)
 こうして、ソー一君の短い一生は強制終了させられたのであった・・・。完

taspoとピデル

2007-09-26 22:07:09 | 多分駄文
 昨夜は、おにぎり会議の他に、生協の理事会もありました。
 小生、おにぎり会議に出席していたので、生協の理事会には出席できませんでした。
 今日、生協の専務理事が小生のところに議案書を持ってきてくれましたので、その議案書をつらつら読んでいると、面白い議案がありました。
 そこに書いてあったのがtaspoとピデル。
 taspoの方はアルファベットで書いてあって、最初に見たときにはTescoと読み(テスコは英国の大きなスーパーマーケットチェーンで、今朝、mixiでこの名前を見たので連想)、次にtepco(こちらはおわかりですよね)と読んでしまいました。ついでにtacosでもないわけで・・・。
 ピデルはカタカナで書いてあって、これは皆さんもそうでしょうが、最初に見たときにはデビル。(苦笑)
 さて、taspoとピデルって何だかわかります?
 議案書を読むと、taspoというのは、成人識別機能付たばこ自動販売機で使うICカードの略称でした。そして、ピデル(Pidel)は、taspoに付いている電子マネー。
 つまりは、これからは自動販売機でたばこを買うときにはtaspoという認証カードを使わないと買えないということで、taspoをお持ちの方は、そのカードにあらかじめ入金して(ピデル)、それを使ってたばこを買ってね、ということです。
 これがなぜ大学生協に関係あるかといえば、たばこの自動販売機は、全国的に順次tespoに変わることになり、北海道は、2008年5月には切り替わることになっています(全国の動きはこちら)。大学生協にも、管理するたばこの自販機があり、このシステムが導入された場合、これにどう対処するかを今のうちから決定しておく必要があるようです。taspoへの切り替えには特別な費用負担は発生しないようですが、このtaspoカードは、個人として申し込みをして保有している必要があります。保有していない場合にはたばこを買うことができません。ということは、カードを保有していない喫煙者は、学内でたばこを買うことができず、他で(つまりtaspoカードがいらないお店で)買うことになり、その分だけ供給高(売上高)が減ることになります。
 まあ、こういったカード認証制度の導入は、未成年者の喫煙を抑止する効果も期待されますし、カードを持っていないからたばこを買わないでおこうということで、喫煙者が減る方向に向かうかもしれません(これはないか)。でも、販売者から見れば、これまで得ていた供給高が減るというのも歯がゆいもので、ちょっと悩ましい問題になります。
 もっとも、小生などは、そろそろたばこを卒業しようかなと思っていたところですが、非喫煙者の方が持っていないカードを持てるのも悪くないなどと考えたりして、これはこれで悩ましい問題ではあります。(苦笑)

こんな書き方

2007-09-25 23:30:16 | 多分駄文
9:10am 研究室
 雷雨の中、自動車で勤務先到着。一番雨脚が強い時間に移動。
10:20am 印刷室
 講義で配付する資料の印刷。この後期は、いつにも増して自転車操業。新しい科目はまだしも、毎年担当している科目でも会計制度が変わって見直しが必要な部分もあり、資料作成が追いつかない。あーあ。
12:12pm チャペル
 都響の演奏家3名(バイオリン2、ビオラ1)のミニコンサート。
 一緒に聞いたM先生「現代音楽はねぇ。やっぱりドボルザークがわかりやすくて良かったですね。」
 まったく同感。
1:25pm 生協書籍コーナー
 昼食後、書籍コーナーを冷やかして3冊購入。島本理生の新刊本。下流社会第2章。そして第1回JUNON恋愛小説大賞4作を収録した本。
2:40pm 演習Ⅰ
 正規の簿記の原則で、久しぶりにシュマーレンバッハの名前を紹介(あくまでも名前だけ)。そして複式簿記の説明で三式簿記も紹介(あくまでも名称の紹介だけ)。
 でも今の学生さん、数学で行列は習わないんですね。
4:20pm 演習Ⅱ
 始まりました、今年もゼミ論指導。
 「計算は得意なのですが文章を書くのは苦手で」とはH君。「文章を書くことは社会に出てから役に立つのでがんばって書こうね。」
5:58pm サイクリングロード
 勤務先から地下鉄駅に向かうサイクリングロードは、家路を急ぐ学生さんたちで一杯。雨が上がって、ふと空を見上げると雲の間にまん丸いお月様。
 『ああ、今日は十五夜だった。』
 何だか得した気分。
8:32pm 地下鉄
 6時30分から始まったNPO法人の会議は、結論が出ないまま終了。
 今日はいつもとは違った内容の話し合い。でも今日もいつもと同じようにおにぎり。(苦笑)
 あ、そういえば、余市出身の方が実家で取れたといってぶどうを差し入れてくれたっけ。
9:00pm 駐車場
 勤務先に停めてあった自動車に向かって歩いていくと、さっき見たお月様が、空の高いところ、正面に移動していた。

 という書き方は、学生の頃、創刊号から読んでいた『ダ・カーポ』という隔週発行の雑誌の中で(今は週刊発行かな)、作家山口洋子が連載していたエッセイのスタイルでした。
 一度まねしてみたかったので。(笑) 

歯車が狂うと・・・。

2007-09-24 19:30:28 | 海賊たち
 今日は午後からパイレーツ第3戦。
 今シーズンは、これまで出張と重なって観戦できませんでしたが、戦績は1勝1敗。今日は期待して円山に出かけました。
 今日の対戦相手は、過去3年間、レギュラーシーズンでは負けなしのマッドウルブス。
 勝利を祈念して円山に行ったのですが、結果は0-34。完封負け。最近は負けたとしても得点していて、完封負けというのはちょっと記憶にない。
 何といっても1Q最初のTDがすべてでした。
 ディフェンス陣がバタバタしているうちにTDを決められたのは痛かったですね。
 監督が総括してましたが、最初に狂った歯車が最後まで狂いっぱなしでした。ディフェンスはその後持ち直しましたが、オフェンス陣は最後までいいところなし。ショットガンは好きな陣形ですが、これが狂うと、ことごとくパスが決まらない。イライラします。難しいもんです。
 これまたコーチが総括してましたが、こんな試合もある、ということです。
 今日はいいところがありませんでしたが、残り2試合。何とかいいところを見せて欲しいものです。

なぜ、牛丼用「おたま」の穴は47個なのか

2007-09-22 21:40:35 | 多分駄文
 一昨日の新聞に、「吉野家、郊外店を家族向けに転換・テーブル席を配置」という記事が掲載されました。WEB版ではイメージが湧かないのですが、新聞では現在の配置図と新しい配置図が示されていました。
 吉野家といえば、あのU字型のカウンターがイメージとして定着していますが、どうやら店舗によってはボックス席をメインにするようです。
 ところで、山田真哉氏の『食い逃げされてもバイトは雇うな』では、「あの牛丼屋にはなぜ食券機がないのか?」というくだりがあります。そこでは食券機を置かない理由が二つ示されています。

「話によると、食券機を置いてしまうと、なにもいわずに帰ってしまうお客さんに対して『ありがとうございました』とちゃんといえないから、ということだそうです。」
「しかし、また別の話によると、以前に試したところ、昼食のかき入れ時に食券機の前で行列ができてしまい、入り口が大混雑。その入り口の様子を見たお客さんが、『これでは混雑しすぎて食べられない』と思い、他店に行ってしまう、という機会損失が発生したため、全店への導入は中止したのだとか。」[p.133]

 『ははぁ、ナルホド』と思ってしまいます。
 実は、最近発売された『PRESIDENT』誌10月1日号にも同じ話が紹介されています。
 それによれば、「券売機渋滞」による機会損失防止のために券売機を置かないのかという質問に対して、吉野家の安部社長は、券売機を置くと「ご注文は何にいたしますか」という接客用語がひとつ減ってしまうことを理由に挙げています[p.51]。「ありがとうございました」と「ご注文は何にいたしますか」の違いはありますが(笑)、単に営業効率を上げることではなく、言葉という文化を大切にしているというのが最大の理由のようです。

 ところで、この『PRESIDENT』誌、興味深い特集記事を組んでいます。
 「数字王」選手権
 ここでは、次の3社の経営を引き合いに出しています。
 
 安部修仁「吉野家式」会計学-なぜ、牛丼用「おたま」の穴は47個なのか
 原田泳幸「マック式」ファイナンス論-なぜ、60円値上げでも客数は減らないのか
 鈴木敏文「セブン式」データ心理学-なぜ、同じ「コーラ」でもセブンだけが売れるのか

 それぞれに面白い記事になっているので、話題を仕入れる意味でぜひ読んで欲しいと思いますが、牛丼用おたまの数については、安部社長は次のように解説しています。

「一発で盛りつけたとき、たれの量がご飯に対して最適なバランスになるように、穴の数と直径を決めてあるんです。」

 ふーん、一発で盛りつける、というところがミソだったわけですね。見方を変えれば、一回で最適なバランスが保てるので「つゆだく」が「つゆだく」として存在できるわけです。
 記事では、一日の回転数がファミレスを凌駕することも紹介されていますが(ファミレスが5回弱に対して吉野家1号店は1965年で66回強だった)、今度のボックス席店舗はこれがどのように変化するのでしょうかね。
 そして「へー」と思ったのが傘下企業。京樽の経営再建のために支援を行って傘下に収めたのは知っていましたが、はなまるも連結子会社なんですね。

 ところで、吉野家のキャッチフレーズは「早い、うまい、安い」でしたよね。しかしここ10年、「うまい、早い、安い」に変化したんだそうです。
 ご存じでしたか?

評価され、評価し、評価され。

2007-09-21 23:23:02 | 仕事(第1業務編)
 今日、出勤してみると、前期に行われた授業評価の集計結果とともに、集計結果に関するコメントを求める文書が届いていた。
 今年の前期の評価対象科目は2科目。受講者数が少ないこともあって全般的に高い評価が出ていたが、それでも低いより高いにこしたことはない。ホッと一安心。「授業の内容は興味・関心を持てるものでしたか?」「授業の内容を理解できるように工夫されていましたか?」という評価項目はとりわけ気になる項目。それぞれ総合評価より0.3ポイントほど低く出ていて、プチ・ショック。
 午後からは、M先生とダブルキャストで行っている講義。今日は3大監査法人(新日本、トーマツ、あずさ)の一つに所属している公認会計士さんをお招きして公認会計士業務について話をしてもらった。
 この講義では、実務家の方をお招きした際には、学生さんに感想や質問などを書いてもらうことにしているのだが、それを知った会計士さん、「ぜひその感想文を見たいです。」
 自分の話が学生さんにどんな風に伝わっているのか(正しく伝わっているか)を知りたいと思うのは誰でも一緒。早速、原文のまま書き写してファイルにして送付。
 その講義が終わった後、別の学部のゼミに出席。
 先週、本の編集責任者でもあるゼミ担当の先生から「例のNPO関係の本の執筆箇所について説明して欲しい。」と要請された。「書いたことをやさしく紹介するだけでいいですので。」というので気楽に考えて行ってみると、紹介するよりは質問攻め。(苦笑)
 ゼミが終わりにさしかかるとゼミ担当の先生、「皆さん、演習評価表を書いてくださいね」と一言。
 今日は、朝から評価につきまとわれた(?)一日だった。

つ、つ、つかれたー。

2007-09-20 22:05:33 | 仕事(第1業務編)
 一日4コマ講義をすることがこんなにしんどいとは・・・。
 新しいカリキュラムがスタートした今年。
 小生が担当する科目では、この後期にその過渡期が訪れました。
 今日は、午前中2コマが新しい科目、午後から1コマが旧カリ科目(2年生以上の科目)、もう1コマが新しい科目で、一日で4コマを担当しました。
 午前中の科目は、2コマとも4週間だけの担当なので、半期間続くという科目ではありませんが、何しろ初物尽くし。
 新しい科目であることはもちろんのこと、情報処理実習室で講義をすること、e-learningシステムを利用すること、同じ内容を2回連続で行うことなどなど。これまで体験したことのなかった経験をしました。
 それでもって実感したことは、やっぱり「鉄は熱いうちに打て」ということ。
 「何を今更!」とお叱りを受けそうですが、1年生の科目で、しかも少人数のクラス編成は目が届きやすく、学生さんの態度を見ても、十分、こちらの期待に応えてくれそうな予感がします。
 科目の性質上、どうしても大教室を使わなければならない科目もありますが、やっぱり1年生のうちから、できるだけ少人数で教育をするというのが理想ですね。
 小生自身も経験がありますが、履修者数が多い科目はどうしても気がゆるみがちになります。これは教員の努力ではどうしても克服できない領域でしょう。
 それが、少人数ですと、教室の中を頻繁に歩き回って個別に声をかけることができますし、学生さんもそれなりに緊張感が出てくるでしょう。そうした中で話をすれば、学生さんが理解できているかどうか、肌で感じることができるようになります(もっとも、そんな環境でも「睡眠学習」をする学生さんはいたのですが・・・)。
 とはいえ、午前中の講義でのどはガラガラ、最後の後期を終えたときには、グッタリでした。
 でも、帰宅後のビール、美味しかったです。(笑)

建築ラッシュ

2007-09-19 21:09:31 | 多分駄文
 うちのはす向かいのお宅がデザイナーズ・ハウスのような造りで今月初旬に完成し、新しい家族が引っ越してきたようです。家を建てる前に挨拶に来てくれて、その時には会っているのですが、引っ越してきてからはタイミングも悪く、まだ新しい住人と挨拶をしていません。
 ところが、新しい家が完成したと思ったら、今度はその隣(我が家の真向かい)のKさん宅の解体が始まりました。
 聞けば、お嬢さん夫婦と同居することになり、古い家を取り壊して新築するとか。
 昨日、工事関係の方が挨拶に来たようで、完成は12月25日。
 年末には、三世代が新しい家で過ごすことになるのでしょう。
 それに引き替え、12年を迎える我が家は、アチコチ不具合が出てきて、それなりにお金が出ていくようになっています。
 「金持ち父さんの教え」は、確かに当たっているようです。(苦笑)

使い道

2007-09-18 22:45:04 | 電脳生活
 昨日に続いてパソコンネタ。
 自宅で仕事用に使っていた価値星君。仕事の能力に限界が来たため努力くんにバトンタッチし、そこにS先生に提供していただいたリンゴちゃん液晶ディスプレイを引き合わせ、快適に利用して1ヶ月。
 価値星君とともに「17インチ・カラー暖房」が部屋にゴロリ。
 ところが、ふと思ってみると、価値星君はメモリをくう最近のソフトウェアに辟易していただけで、メールやホームページの閲覧なら、まだまだ現役続行も夢じゃないのではないか。
 とりあえずは、価値星君本体と、努力くんを買ったときに付いてきたキーボードはある。さすがに「17インチ・カラー暖房」はご遠慮いただくとして、あとはディスプレイさえあれば何とかなる。しかし、新品のディスプレイではおこがましい。
 そこで、中古の15インチ液晶ディスプレイを購入。液晶といえば亀山モデル。亀ちゃんディスプレイ9,800円也。
 届いたところで早速コネクト。
 おおっ! 起動する!(笑)
 起動するのは当たり前。ただ、重たいソフトたちが動きを鈍くしているだけ。せっせとアンインストール。その後、デフラグ。ほぼ12時間!
 ついでに、だいぶ前に買った「驚速」なるソフトをインストール。
 たしかに起動時間は短くなったようだが、それでもいつまでも硬盤がカタカタと動いているのが気になる。
 『こりゃ、やっぱりメモリを増強しないとダメかな。』
 お安いメモリを探す。
 今時は、本体の型番を入れると適合するメモリがすぐに見つかるので便利。
 「?」「!」(世界一短い手紙のようだ、ははは)
 検索結果を見ると、そもそも、価値星君に搭載できるメモリは最大256Mバイトまで。そしてすでに増強している。
 増強計画断念。
 このままで何とか活用するしかないようである。
 が、しかし、もう一つ大切なことを忘れていた。
 それは、この価値星君をどこで使うのかということ。
 現在使っている我が家のパソコンたちは、最低でも512Mのメモリを搭載していて、それなりにサクサク動いている。それが256Mで、しかもデスクトップ型。
 設置する場所がどこにもないことに、最後になって気付いたわけである。

ネズミの反乱

2007-09-17 21:01:58 | 電脳生活
 今日は久しぶりに朝早くに起きて昨日からの仕事再開。
 ボーッとしていたせいか、最初は異変に気づかなかった。しばらくして『おやっ?』と思い始めた。
 ネズミがいうことをきかないのである。
 コピー&ペーストしようとしてもカーソルが文章の上まで移動しない。クリックすると指示していないリストを開く。挙げ句の果てにはカーソルが画面の左上に移動したがる。
 『ネズミ君、たまに朝早くから仕事したので、まだ眠いのかいな。』
 なーんて悠長なことをいってられない。
 終わらせるはずの仕事が遅々として進まない。
 仕方なく、「電脳宝箱」(笑)の中からボール式ネズミ君を引っ張り出しUSB接続。
 『ボール式ネズミ君の動きってこんな感じだったかな』と思いながらも、どうもまどろっこしい。
 『これじゃ能率が上がらない』と観念し勤務先に行くことになってしまったとさ(トホホ)。