O's Note

いつまで続くか、この駄文

陽気に誘われて

2007-04-30 20:50:22 | 多分駄文
 今日も朝からいい天気になりました。
 気温は17度ぐらいまで上がりました。昨日に引き続き風もなく穏やかな一日。
 というわけで、午前中、猫の額ほどの菜園の土おこし。急に騒がしくなったため、ゆっくり寝ていた(?)ミミズが身をくねらせて避難。
 ついでに花壇用の花を買って来ました。昨年は5月下旬に花を植えましたので、ほぼ一ヶ月早く花を植えたことになります。
 しかし毎年思うのですが、花植えのセンス、何とかなりませんかね。レイアウトのお粗末さに我ながらへこんでしまいます。
 あの、スコットランド人のセンス、少し分けて欲しい。

いい天気

2007-04-29 21:10:09 | 多分駄文
 今日は、最高気温が20度ぐらいまで上昇し、暖かな一日でした。
 自動車を運転していても、思わずクーラーを入れてしまうほど(さすがに継続してクーラーを入れておくと寒く感じこともあるのですが)。
 これだけ気温が上がると、そろそろ畑仕事でもしようかなという気になります。
 明日は、土おこしですかね。

やり過ぎでないの~。

2007-04-28 16:11:42 | 多分駄文
 末娘に付き合って近所にある本のリサイクルショップへ。
 しばらく店内を冷やかしているとアナウンスの声。
 「本日はブック○○、××店にお越しいただきありがとうございます。」
 「ございまぁ~す。」と複数の店員の声。
 「ブック○○、××店ではゴールデンウィーク期間中、××プレゼントを実施しています。」
 「していまぁ~す。」またまた複数の店員の声。
 「抽選はもれなくプレゼントが当たります。」
 「たりまぁ~す。」
 「ご来店の皆さま、ぜひご利用ください。」
 「くださぁ~い。」
 「本日は、ご来店、誠にありがとうございました。」
 「ございまぁ~す。」
 実は、このお店に限らず、言葉では表現できない、独特のイントネーションで応対する店員さんって多くなったなぁと思っていましたが、このお店はかなり徹底的。(笑)
 しいていえば、文章の最後に行くに従ってトーンがうわずる感じ。言葉に力が入っていないようで、押しつけがましくなく心地よい響きに聞こえるように感じますが、次第に気色悪くなるのは、小生だけでしょうか?

雪が舞い散る♪

2007-04-27 09:06:10 | 多分駄文
 地元新聞を読んでいたら、昨日当地でも雪が降ったとか。気付きませんでしたが。
 でも!
 今朝、地下鉄を降りてビックリ。
 局地限定的、ホンの一時だとは思いますが、雨かと思っていたものは雪でした。
 寒いです。
 大型連休後半に桜が咲き始めるとの予測ですが、雪ではねぇ。

雨、そして

2007-04-26 22:39:24 | 多分駄文
 今日は朝から雨。昨夜もポツポツ来ていて、今日も終日降り続いたというわけでありませんでしたが、日中時折強く降ったりして、これを書いている今も雨が降っています。
 ところで、勤務先のすぐ近くにパチンコ店ができて、今日午後3時にオープンしたようです(グランドオープンというのだそうな)。
 もともと勤務先の最寄り駅の近くに1店あり、その後、勤務先から少し離れた国道沿いに1店オープンし、そして今日、勤務先から歩いて5分程度のところにまた1店オープンしましたので、おおよそ徒歩10分圏内に3店のパチンコ店が営業していることになります。一軒目で負けてもほど近くに次の店がありますので、二軒目で挽回の余地あり、なーんていうことも考えられるわけですが、ギャンブラーとしては、一軒目で全財産をはたいて勝負し、負けたらオケラ街道まっしぐらでしょうか。(苦笑)
 今朝、出勤途中に、新しくオープンするお店の前を通過しましたが、すでに駐車場には自動車が停まっていました。朝8時過ぎに通過しましたので6時間以上も前から待っているわけです。
 もっとも、昨夜帰宅途中にそのお店の前を通過したのですが(夜8時過ぎ)、すでに100人ほどのファン(?)が行列を作っていました。ということは、彼らたちは18時間以上も前からオープンを待っていたことになります。
 そこまでしても儲かるというわけでしょうね、きっと。今頃、懐ホクホクの方々が祝杯をあげていることでしょう。
 でも、少々立腹したことあり。
 今日は所用のため午後5時前に帰宅しました。やっぱりそのお店の前を通過するわけです。その時間はオープン後であり、どう考えても駐車場に自動車を停める余地などないのに、小生の前を走っていた自動車が、そのパチンコ店の前で急に止まり、駐車場に入ろうとしました。当然、駐車場前の係員に制止されます。追い越し車線に自動車がつながっていたため追い越すこともできず小生も停車。『じきに走り出すだろう』と思っていたのですがあに図らんや。運転手は、助手席側の窓を開けて係員と何か話し始めました。小生、イライラ。
 さほど長い時間ではなかったと思うのですが、少々急いでいた小生には、それが非常に長く感じられました。結局、そのドライバーは諦めて走り始めたわけですが、ドライバーさん、本当にそのお店でパチンコがしたいなら、そんな時間に行っても無理です。18時間以上も前から待っている方々がいるのですぞ。性根を入れ替えて出直してください!

熱心な学生さんのお陰です。

2007-04-25 22:17:34 | 仕事(第1業務編)
 今年度の初め、他の学科の学生さんが「相談したいことがある」といって小生の研究室に来ました。
 聞けば他の学科に所属しているけれど、将来設計のために会計の勉強をしたいとのこと。
 勉強に意欲がある方ならば、学部学科を問わず精一杯サポートしたいと思うのは、多くの教員の意識でしょう。
 その学生さん、非常に熱心で、履修できる会計関係の科目はほとんど履修登録したようです。4年生なので、自分の学科の科目は比較的余裕があるからなのでしょう、きっと。
 そして今日。
 講義が終わった後、これまでの4回の講義を聞いて疑問に思った点を、「まとめて質問メール」として送ってくれました。全部で7項目。
 まったく会計を勉強したことがなく、それでも意欲的な学生さんからの質問内容は、自分が講義で話した内容が正しく伝わっているかどうかがわかります。
 こうやって、話に耳を傾けてくれる学生さんが一人でもいることが、教員を励ましてくれるんですよね。(とはいっても、他の学生さんは熱心ではないといっているわけではないので誤解のないように!)

パイレーツ陣中見舞

2007-04-24 23:20:43 | 海賊たち
講義終了後、第一グラウンドで行われているパイレーツの練習見学。
パイレーツは昨日から春合宿を行っており、今夜は合宿所を訪問する予定でしたが、急に会合が入り、練習見学に変更。
今年はプレイヤー、マネージャーとも10名以上入部してくれて、練習も活気が感じられました。
それにしても風が強く、しかも冷たく、見ているだけでも大変でした。

大きな熊が来る前に、おやすみ。

2007-04-23 21:02:29 | 涜書感想文
 2年前に読んでちょっと気になっていた作家、島本理生。
 生協にその新作本が並んでいました。
 島本理生『大きな熊が来る前に、おやすみ。』(新潮社、2007年3月)
 帯を読むと「切なくて、とても真剣な恋愛小説」「新しい恋を始めた3人の女性を主人公に、人を好きになること、誰かと暮らすことの、危うさと幸福感を、みずみずしく描き上げる感動の小説集」などと、おじさんには、とうの昔に忘れてしまった感覚が並んでいてちょっと気恥ずかしい感じがします。
 本書は、書き下ろし1編を含む3編で構成されていて、「大きな熊が来る前に、おやすみ。」はその1編。
 島本氏(1983年生まれの新進気鋭の女性作家です。ちなみにご結婚されている模様)は、ストーリー展開の面白さもさることながら、セリフ回しのみずみずしさ、あるいは若い女性の感受性を言葉で表現することに優れた作家のようです。評判になった『ナラタージュ』は長編小説で、こちらの方はストーリー展開自体が楽しめたのですが(でも、一人のおじさんとして『どーしてそうなるのよ!』と思う部分もありましたが)、本書は短編で、しかも読みやすい文体ながら、そのセリフ回しや感覚表現に何度か立ち止まって考えてしまうことがありました。
 表題作である「大きな熊が来る前に、おやすみ。」という意味は、主人公が子どもの頃、いつまでも起きていると父親がやってきて「いつまでも起きていると熊に食べられる」という話を聞かされたことに由来します(設定では、父親の母が北海道出身でその母が父に伝えた話として紹介されています)。
 主人公は父親に必ずしもいいイメージを持っているわけではなく、むしろ、嫌っているといった関係で描かれています。
 さて、一緒に暮らしている彼氏と主人公の会話。ひどいケンカをして、それでもお互いを気遣う場面(p.63)。

「私、言ってないことがあったの。熊のことで」
 まだ、うつろな目をしたまま、なにそれ、と発したそばから闇に溶けていくような声で彼は聞き返した。
「私が子供の頃に眠るのが嫌だったのは、父親が、大きな熊のことを言うたびに、早くその熊が来てくれるように願ってたからなの」
「・・・・・どうして?」
「目の前にいる父ごと食い殺してほしかったから。だから毎晩、寝ないで願ってた。どうかお願いです、この家に来てください、私も一緒に食べられてかまいません。死んだってかまいません。だからお願いです、お父さんを殺してください。そんなふうに毎晩、毎晩、くり返し願った。そんなことを思う自分は父に嫌われて当然だし怖いことをされても仕方ないと思った」
「分かった、分かったから」
 彼は初めて心の底から苦しそうな声を出して、そう遮った。

 ストーリー展開上からも、この場面の主人公のセリフは読者をドキッとさせるセリフですが、ここに至るまで、彼氏と父親に対する主人公の意識が重なり合っていたことなど、みじんも感じさせませんでした。
 娘と父親の関係から考えてしまう、というのは、娘を持つ親としての悲しさ(?)なのかもしれませんが、一般論としても、娘の、父親に対するトラウマはやっぱり気になるところではあります。
 そしてようやくお互いに許し合えるような気持ちになったところで物語のラストを迎えるのですが、ベッドに横たわりながらの会話(p.68-69)。

 徹平は先に目を閉じて
「おやすみ。熊が来る前に」
 いや、と私は首を横に振った。
「熊はもう来ないよ」
 明日を飲み込んでくれる熊などいないことも、手軽な希望などないことも、知っていた。それでもここからまた一つずつ積み上げていくしかない。生きるというのはそういうことなのだろう、たぶん。
 私は枕元のライトに手を伸ばした。
 すべての明かりが消えてしまうと、二つの鼓動と体温だけが闇に溶けずに、わずかに残った。

 作品を評論家然として論評することなど、はなからできませんが、彼氏にもまた「おやすみ。熊が来る前に」といわせ、主人公はそれを拒否します。このあたりの感覚(表現)は何を意味するのか、興味深いところです。
 『うまいなあ』と思うのは、「手軽な希望などないことも、知っていた。それでもここからまた一つずつ積み上げていくしかない。生きるというのはそういうことなのだろう、たぶん。」という書き方。とくに「生きるというのはそういうことなのだろう、たぶん。」という、明るさを感じながらも確信が持てないでいる心の動きがよくわかります。
 そしてまた、先に引用した箇所で「なにそれ、と発したそばから闇に溶けていくような声」と表現していながら、最後で「二つの鼓動と体温だけが闇に溶けずに、わずかに残った。」と表現しています。消えていくものは「声」、わずかではあっても残るものは生きているという「証」。読後、思わず「うーん」と唸らずにはおれません。

 ところで、3編とも、やっぱり気にくわないところがあって(苦笑)、それは、3人の女性の相手となる彼氏の言動。読みながら「こんなヤツ好きになるなよ」「付き合うなよ」と思うのですが、なぜか3人の主人公は、最後には彼氏を許し、付き合い続けていくようなところで終わってます。
 ここらあたりの感覚は、おじさんには、もはや理解できない部分なのかもしれません。
 お読みになった方、どんな風にお思いになりますか?

ようやく夏タイヤ

2007-04-22 21:17:20 | 多分駄文
 今日は、朝からいい天気で、暖かく感じました。
 午前中、遅ればせながら冬タイヤから夏タイヤにタイヤ交換をしました。
 思い起こせば、今シーズンは、冬タイヤへの交換が遅れ、自分で交換しました。冬タイヤへの交換を自分でやったということは、その逆も自分でやるということ(いや、実をいえばガソリンスタンドに様子を見に行ったのですが、混んでいるようで、待つのがいやで自分でやることになったというのが真相)。
 ナットは手で締めていますので(もちろんレンチを使ってですが)、簡単に外れるだろうとたかをくくっていたのですが、結構きつく締まっていました。それでも、最初のタイヤのナット5本を外して、あとはタイヤを入れ替えるだけ、と簡単に考えていたのですが。
 『タイヤが外れない!』
 こんな経験初めてでした。
 今の自動車に乗り換える前は、自分でタイヤ交換していました。しかし、ナットを外してもタイヤが外れないということは、一度もありませんでしたのでビックリ。
 『もしかして前に自分で交換したのが災いしたのか』
 気を取り直して、一度外したナットを締め、別のタイヤに移動。ナットを外し、次にタイヤを、と思ってタイヤを外しにかかると・・・ここでもやっぱり外れません。
 『こりゃ、ダメだ。スタンドに持ち込もう』
 そう思ってナットを締め直し、工具も撤収。
 しかし、どうにも情けない。
 何とかならないかなと思案。
 そんなとき、お向かいに住むKさんが庭仕事中。
 「タイヤ、外れないんですよねぇ。」と話しかけるとKさん、てっきりナットがきつすぎて外れないと思ったらしく、工具を持って来てくれました。
 「いえいえ、ナットは外れるんですがタイヤが外れないんですよ。」
 Kさんは「ほー、それはおかしいですね」といいながらナットを外し、何をするのかと思えば、やおらタイヤの右上にねらいを定めて、キック一発!(笑)
 それでも外れる気配がありません。
 すると、Kさん、連続キック。何度目かのキックのあと、タイヤがガクンという音とともに車体から外れました。
 「外れたあ!」と小生が歓声を上げると「こんな時はこうすれば外れるんですよ、そんなに複雑な構造ってわけじゃないんですから。」
 確かにそれはそうですが、蹴り飛ばすとは・・・。
 外れたタイヤをチェックしていたKさん「どこもさび付いているとかないですねー。」
 その後、残りの3本は小生が作業。すべてキック付き。
 でも、これっていいんでしょうかねぇ。(苦笑)

NPO勉強会

2007-04-22 15:50:37 | 仕事(第2業務編)
 昨日午後から、S大学社会連携センターで「NPO法人の理事・監事のための会計税務講座」が開催されました。
 講師は、NPO@PROの理事長である、赤塚和俊氏。
 さすがにこの「業界」では有名な先生が講師とあって、NPO法人関係者、税理士合わせて60名以上の参加がありました。
 赤塚さんは、時折、事例を交えながら会計・税務のチェックポイントを100項目以上にわたって説明してくれました。『ここまでやるか』と思われるものもありましたが、赤塚さんによれば「できてない法人が多いんですよねぇ。」
 昨年、中間支援組織にヒアリング調査をしましたが、そこで聞いた内容を裏付ける話がたくさん出てきました。
 ただ、可哀想だったことは、講師の赤塚さんがヒドイ風邪で、声がガラガラ。
 聞いている方がつらくなってしまうほどでしたが、それでも、赤塚さんは熱心に話してくれました。
 小生は主催者側として参加しましたが、赤塚さんの話を聞いて、参考になる話が多く、小生自身が勉強させていただいた感じです。

鷲の人、龍の人、桜の人

2007-04-21 13:22:13 | 涜書感想文
 今日読み終えた本。
 キャメル・ヤマモト『鷲の人、龍の人、桜の人-米中日のビジネス行動原理』(集英社新書、2007年2月)
 この本、ある意味、非常に単純です。
 何が単純かといって、キャメル氏(本名は山本成一)は、人間は複雑なので簡単に単純化はできないことを承知の上で、「僕は、日米中の人たちの特徴を際立たせるために、許されないくらいの単純化をしました。」(p.200)と述べています。つまり、鷲の人(米国人)、龍の人(中国人)、そして桜の人(日本人)を「行動文法」という形で表現しています(鷲の人、龍の人、桜の人という表現もわかりやすいですよね。でも猛禽類と伝説上の動物に比べられるのが木というのも何とも弱々しい)。
 キャメル氏は、本書を通して、日本(人)が米国(人)や中国(人)との競争に打ち勝つために、あるいはうまく人間関係を構築するために、米国(人)や中国(人)の「行動文法」を理解する必要があると説いています。そこで、日本(人)を含めた「行動文法」3つを対比して、あれこれ事例を交えながら話を進めていきます。
行動文法
 米国人 基準(スタンダード)の人
 中国人 圏子(チュエンズ)の人
 日本人 場の人
 皆さんにも実際に読んで(笑って)欲しいと思いますので、あまり詳しくは紹介しないつもりですが、この「文法」、言い得て妙だなあと感心しました。
 会計学を勉強すると、会計原則とか会計基準とか、とにかくそういったものに出くわします。そしてこれを理解しなければ先に進めません。日本の会計はどこから来たのかという問題を抜きにしても、1945年以降設定された会計原則や会計基準は、その最初においては、ほとんどが米国から学んだ、といえると思います。基準の人が住む基準の国から、場の人が住む場の国にそれを導入する。多少の(あるいは大幅な)改編が必要になるでしょう、何しろ行動文法が違うのですから。そして今、日本固有の基準を「オレたちに合わせろ」と猛禽類にいわれて立ちすくんでいます(笑)。
 閑話休題。キャメル氏は米国人を「基準(スタンダード)を自由に決めて守らせる-神様のおつもりか?」と述べています(序章1の見出し)。
 一方、中国人の場合は、聞き慣れない言葉「圏子」で表現していますが、日本語的にいえば仲間という意味です。小生も中国(といっても大連だけですが)とかかわるようになって、最初はこの圏子にとまどい、次第に圏子を意識し、最近では圏子を活用するようになっています。キャメル氏の言葉を借りれば「一対一の関係で仲間(圏子)をつくる-あまりに人間的な?」ということになります(序章2の見出し)。
 そう、中国では個人的な人間関係が大きくものをいいます。これがいいのか悪いのか、桜の人がとやかくいう筋合いではないでしょうが、とにかく仲間として認められれば、ことがスムーズに進むことは間違いありません(実感)。逆をいえば、小生が半年ほど大連に滞在することになった時、日本からの荷物について一騒動あったのですが、この時には、小生はどの圏子にも属していなかったわけで、かなり苦労しました。仲間として認められていなかったわけです。
 最後に日本人について、キャメル氏は「働く『場』のいうことをきく-とかくこの世はすみにくい?」と表現しています(序章3見出し)。
 場は「和」に通じます。わかってはいますが、やっぱり場の空気は大事ですし、和を持ってなすという意識が働いてしまいますよね。小生には理解できない部分が多くなってきている最近の学生さんでさえ「場の空気が読めないヤツ」という表現を使っていますので、やっぱり場というものが大切だという「遺伝子」は受け継がれているのでしょう。
 ところで、キャメル氏は、キャッチコピーの名手のようで、面白い表現がちりばめられています。本当はそれぞれに考えさせられる内容で、しかもコピーだけを読んでもなかなか理解できない部分がたくさんありますが、やっぱりうなずいてしまうものもありますので、最後に、それらを紹介します。

三つのお金観(第1章)
 アメリカ人の「カテバリッチ教」
 中国人の「学歴圏金」
  ※学歴圏金は、学習・職歴・圏子・お金の略。
 日本人の「結果金」
三つのキャリア観(第2章)
 アメリカ人の「アップ・オア・アウト」
 中国人の「リスク分散」
 日本人の「職人染色」
三つの組織的仕事観(順番は本書のまま)
 アメリカ人は「分ける人」
 日本人は「合わせる人」
 中国人は「はしょる人」

 くどいようですが、キャメル氏はこれですべてが割り切れると思って書いているわけではありませんので、ご注意を。でも個人的には、最低でも、小生自身には当てはまるなあと思っていたりして・・・。

うーん・・・。

2007-04-20 20:56:06 | 仕事(第2業務編)
 小生、米国会計は専門ではありません。ただ会計を勉強し始めた頃、AAAという言葉を頻繁に聞きましたし、指導教授からも最低でも米国の動向ぐらいはチェックしておいた方がいいよ、といわれていました。
 AAAは、American Accounting Associationの略で、アメリカ会計学会と訳出されています。この学会が発行するジャーナルは、学会員でなくても購入することができるのですが、学会員になれば、自動的に送付されてきます。学会誌は米国の動向を知るための一つの材料になりますので、大学教員になりたての頃から会員になって今に至っています。
 ところで、インターネットの普及によって、数年前から会員更新はAAAのサイトで、会費の支払いもクレジットでというようになりましたし、これまでは郵便物で送られてきていた学会案内や部会案内が、頻繁にメールで送られてくるようになりました。
 さて、今朝、メールチェックしてみると、AAAから一通のメール。
 SubjectはSupporting Virginia Tech Colleagues
 このメールは次のような書き出しで始まります。
 The tragic events of Monday morning brought shock and sorrow to all of us.
 バージニア工科大学で学生による痛ましい事件が発生したのは月曜の朝のこと。
 工科大学とはいえ、米国の大学はたくさんの学部を抱えていることが一般的であり、会計学の教員が勤務していても不思議ではありません。このサブジェクトを見て『ははあ、この大学にも会計学者がいたんだな』と思いつつ本文を読んでみると・・・。
 バージニア工科大学にいる会計学(ホームページによれば専門はAccounting & Information Systems)の教員にはお嬢さんがいて(メールではどちらも実名で表記されています)、そのお嬢さんは事件のあったバージニア工科大学の学生さんでした。そしてかわいそうなことに、お嬢さんが今回の事件の犠牲者の一人とのことでした。
 早速、バージニア工科大学のホームページを見ると、トップページに犠牲者の一覧が並んでいます。その比較的上の方に、メールに書かれていた女性の名前がありました。
 遠い国での事件で、しかもその国からの、いわばビジネスメールとして受け取っていたAAAからのメール。その事件に一人の会計学者のお嬢さんが巻き込まれ、その情報が極東に住む単なる会員にメールによってもたらされる。
 米国が近くに感じるとともに、見知らぬ会計学者に慰めを、そして犠牲になられたお嬢さんの冥福をお祈りしなければと思うメールでした。

無駄遣い

2007-04-19 21:12:28 | 電脳生活
 今日は、朝からいい天気で、最高気温も12度ぐらいになったようです。
 今日は講義がない日だったので、かかえている原稿のチェックをしようと思っていたのですが、研究室に行くとそれなりに仕事やら打合せやらが入り、断続的なチェックで終わりました。
 でも、相対的に見れば、忙しくも充実していたかなと思ったりして・・・。勉強嫌い?(笑)
 そういえば、2ヶ月ほど前に、パソコンのマウスをワイヤレスに変えたのですが、今日、とうとう、それを「放棄」しました。理由は、電池消耗の早さ。
 使わないときには、せっせと電源をOFFにしていたのですが、ある日ある時、突然マウスの動きが鈍くなり、だましだまし使っていても、あっという間に動かなくなってしまって、作業が中断してしまいます。
 電池を交換すれば快調になるわけですが、この間、電池交換が3回。
 何が何でも、これは資源の無駄遣いでしょう。
 というわけで、今日から、今まで使っていたマウスが復活。便利さも度が過ぎると資源を枯渇させるばかりでなく、裏目に出るということでしょうか。

ゼミが始まりました。

2007-04-17 22:10:47 | 学生と教員の会
 今日はゼミ初日。
 演習Ⅰではいつものように自己紹介をしてもらいました。今年は12名履修で、いつもの年より若干少ない人数ですが、自己紹介を聞く限り、それぞれに個性的な学生さんとお見受けしました(会計の勉強とは関係ありませんが)。
 演習Ⅱは、昨年から引き続き履修してくれていますので、とくに込み入った話をするでもなく、今後の予定を決めたり、雑談をして終了。
 最近の傾向として、就活が春休みから始まり、それが年度内ずーっと続きますので、とくに就活の「最盛期」である前期の演習Ⅱは全員揃わないことが多くなりました。「就活と卒業、どちらが大事?」といいたくなりますが、これまた4年前から演習Ⅱは選択科目になりましたので、万が一、演習Ⅱの単位を落としても卒業に大きな影響がなくなり、強く出席を求める意味も薄れてきています。
 でも、ゼミはやっぱり他の講義科目とは違って、ある種、仲間としての活動もあるわけで、できるだけゼミには参加して欲しいと願わずにはおれません。
 演習Ⅱの皆さん、早めに就職を決めてくださいねー。(笑)