O's Note

いつまで続くか、この駄文

排雪作業

2007-02-28 20:30:26 | 多分駄文
 予定より早く近所の排雪作業が始まったようです。
 ところが、いつもなら一気に終わらせるはずの排雪作業ですが、今年はどうも様子がへんで、中途半端に排雪をして作業を中断しているようです。
 ゲージュツ的な雪山を作っていたお宅では、雪山は持って行ってくれたようですが、肝心の路面の除雪は終わっていません。
 一度は延期して始まった排雪作業。
 今後、どうなるんでしょうか。
 

アグネス・ラムのいた時代

2007-02-27 22:55:44 | 涜書感想文
 生協で図書コーナーを冷やかしていると、新書コーナーにまぶしい表紙の本がありました。(笑)
 その本は、『アグネス・ラムのいた時代』(長友健二+長田美穂、中公新書ラクレ、2007年2月)
 後書きを読むと、雑誌『読売ウィークリー』に連載されていた記事を再構成して一冊の本にしたもののようです。基本的には長友健二氏の思い出話がメインで、その思い出話を補足する文章を書き加えたのが長田美穂氏。
 この本を読むまで長友健二氏がいかなる人物か知りませんでしたが、長友氏は有名な写真家でした(2006年にお亡くなりになっています)。
 長友氏は自らを「婦人科カメラマン」と称していたようで、男性俳優や歌手も撮影しているものの、女優や女性歌手、タレントを数多く撮影しています。その中の一人がアグネス・ラムで、時代を象徴するタレントとして述懐されています。
 本書では、象徴する年代を次のように取りあげています(記載順)。

 1975年4月~1976年9月 アグネスブーム
 1971年4月~1972年8月 ヌードグラビアと日活ロマンポルノ
 1960年3月~1961年8月 映画スター(赤木圭一郎・石原裕次郎)
 1973年1月~1974年12月 ナベプロ絶頂期(天地真理・アグネスチャン)
 1977年9月~1980年5月 フォークソングとキャンディーズ

 赤木圭一郎・石原裕次郎が活躍した時代は知りませんが、そのほかは、小生の青春時代と重なっていて非常に興味深く読みました。そういえば、裏表紙にこんなことが書いてあります。「『青春』という言葉がまだ恥ずかしくなかった1970~80年代」。
たしかに現在は、青春という言葉はあまり目にしませんね。
 この本、書いてある内容も裏話的側面ばかりで、芸能野次馬として読んでも面白いのですが、長友氏がカメラマンということもあって、被写体から掲載許可が下りた当時の写真が何枚か掲載されていて、これだけでも楽しめます。
 不思議なもので、その写真(雑誌の表紙やグラビア)をリアルタイムで見ていたかどうか忘れてしまっているのですが、『あぁ、こんな感じだったよなぁ』と思ってしまいます。つまりはその写真の、そのポーズを記憶の中に刻んでいるような感覚になります。ということは、やっぱり長友氏の写真を見ていたのでしょうかね。
 1970年代から1980年代のアイドルって、万人受けする顔が求められていたんですね。そして本の時代区分にもあるように、そのブームは2年ほどと、息の長いアイドルは少なかったようです。
 思えば、小生自身もその時々で好みのアイドルが変わって行ったような(ミーハーだったので)・・・。 

空弁

2007-02-25 21:51:27 | 多分駄文
 昨日のNIKKEIプラス1の「何でもランキング」は空弁でした。
 駅弁になぞらえて空港で販売している弁当が空弁(そらべん)。専門家にランキングしてもらったトップ10の紹介でした。空弁の専門家がいたなんて。(笑)
 その結果がこれ
 食べたことがあるのは10位のシウマイ弁当のみ。しかも空弁としてのシウマイ弁当よりも早く、横浜スタジアムで野球観戦して食べたのが最初(20年以上前)。崎陽軒のシウマイはそれ自体が好きで、シウマイ弁当は値段の割に内容が充実してて今でも好きです。
 その他は、まったく食べたことがありません。
 そもそも、空港で弁当を買って、それを機内に持ち込んで食べるほどタイトなスケジュールで動いているわけではないわけで、食事時を外して搭乗することが多く、ほとんど食べたことがありません。
 でもこうやって並んでいるのを見ると、肉系より魚介系が人気なんですね。
 よく利用するのは羽田空港ですので、空弁ブームの火付け役と紹介されている「みち子がお届けする若狭の浜焼き鯖寿司」は、一度賞味する価値がありそうですね。

万里の長城にならず

2007-02-24 12:00:03 | 多分駄文
 町内会の一斉排雪作業まであと一週間。
 暖冬とはいえそれなりに雪が降り、いつもなら排雪作業で持って行ってもらうため、道路に雪を積み上げておくのですが(それはそれで迷惑なのですが)、今年は、積み上げ作業をしているのは数軒。それも高さがあまりありません。
 我が家は積み上げ作業をしていません。積み上げる雪がないわけです。
 それにしても、写真のお宅。ゲージュツ的に積み上げてますよね。(笑)

ピンチヒッター

2007-02-23 17:51:32 | 仕事(第4業務編)
 昨日のお昼過ぎ、ケータイに電話。Pのお仕事関係のTさん。
 唐突に「お願いがあるんです。」
 「何ですか?」
 「今日のFM、出て欲しいんです。」
 昨年5月から、毎週木曜日の21時から22時までの一時間、Tさんは、Fさんと一緒に番組を持っている。そのメインパーソナリティの一人、Fさんがご病気のようで、Tさんが一人になるらしい。前半はゲストを呼んでいるが、後半30分は一人では心細いので、つきあって欲しいとの依頼だった。
 終了が19時を過ぎる予定の会議が入っていたが、終了が20時になったとしてもOn Airには十分間に合う。ある意味、飲み仲間でもあるFさんの依頼。
 「じゃあ、つきあいますよ。」とのことで、久しぶりにマイクの前で話をした。
 21時過ぎに、JAZZをBGMにして話をする、というのはなかなか雰囲気がよろしい。
 終了後Tさんが一言。
 「復帰してくださいよ。」
 それを聞いた小生、コナンの乾いた笑いを残して帰宅した。(笑)

2630通

2007-02-22 20:14:55 | 電脳生活
 迷惑メールはどの程度来るのか。
 使っているウェッブメールは、届いてから30日で削除されるということになっています。そこで、ちょっと気になって観察してみました。
 その数字がタイトルの数字。30日間(1月23日20時~2月22日20時)で2630通でした。一日平均87通ちょっと。
 これってスゴイ数字ですね。
 使っているアドレスは、勤務先のものとプライベートなものの2つです。これを一つのウェッブメールで受信していますが、どちらが多いかといえば、圧倒的に勤務先のもの。
 最近の迷惑メールは、公開されているアドレスを勝手に拾ってそのアドレスに送りつけるそうですので、ホームページなどで公開している勤務先のアドレスがあちこちで拾われているのでしょう。
 送り主では、50通に2件程度が同じアドレスのようです。
 今日から一日平均87通のメールが自動削除される予定ですが、それと同時に同じ数のメールが追加されます。ということは、いつでも2630通のメールが迷惑メールフォルダに溜まっている、ということになりますね。(一括削除しよーっと。)

ひとり日和

2007-02-21 21:04:33 | 涜書感想文
 第136回芥川賞受賞作が掲載されたので、めったに買わない『文藝春秋』三月特別号を購入して読んでみました。(前回『文藝春秋』を買ったのは、2003年に20歳でダブル受賞を決めた『蛇にピアス』『蹴りたい背中』が掲載されていた号。)
 受賞作は、すでに単行本化されている青山七恵『ひとり日和』。
 青山氏も23歳とかで、芥川賞受賞作家としては、金原ひとみや綿矢りさに次ぐ若さ。
 読んでみようと思ったキッカケは、事前の報道された選考委員の選評。村上龍は「読んでいる途中から候補作であることを忘れ、小説の世界に入ってしまった。」というし、石原慎太郎は「都会で過ごす若い女性の一種の虚無感に裏打ちされたソリテュードを、決して深刻にではなしに、あくまで都会的な軽味で描いている。」という(石原評は何だか意味不明ながら)。
 こういった選評を先に知らされては、『読んでみようかなー』という気にさせられます。
 設定は、20歳の女性が遠い親戚筋にあたる71歳のおばあさんと同居する春夏秋冬を描いたもの。場所は京王線沿線。主人公のちょっとした悪い癖や、主人公とその彼氏、そしておばあさんとその彼氏(笑)との関係などがサラリと描かれているのですが、設定としては「ありえないよなー」と思いつつ「でもこれが純文学(私小説系)だよなー」と思いながら読みました。
 大衆文学が読者を楽しませる作品であるとすれば、それとは違って、純文学は作者の好みの問題だと思いますので、純文学を評価するのは難しいでしょう。あの、太宰治を、小生は好きですが、選考委員の川端康成は嫌っていましたし。小生と川端を比較するのもおこがましいことですが・・・。
 金原ひとみにせよ、綿矢りさにせよ、そして青山七恵にせよ、「今時の20歳ぐらいの女性の感覚というのはこんな感じなんだな」と理解するには、それが正しい理解であるかどうかは別にして、恰好の材料でしょう。思うに、守ってあげたいような弱さっていうのが感じられませんね。いや、弱さは十分にあるのですが(『ひとり日和』でも主人公は自分の弱さを露呈している)、どこか斜に構えているというような、すぐに降りてしまうというような、醒めてしまっているというか、おじさんから見れば、「どーも、弱っちゃったな」といった感じです。その点でいえば、島本理生『ナラタージュ』は、おじさんでも共感できる作品でした(もっともこちらは大衆文学かもしれませんが)。
 というわけで、書評にも何にもならない感想ですが、ぜひ、現役の学生さんの読後の感想を聞いてみたいところです。

久々の賑わい

2007-02-20 22:04:04 | 学生と教員の会
 今朝は、なぜか道路が渋滞でした。ひどく雪が降ったわけでもなく、路面が凍結してそれほど走りにくいというわけでもなかったのですが、いつもより倍の時間がかかってしまいました。どうしたわけでしょうかね。
 昨日、今日と、ゼミ生が研究室に顔を見せました。
 毎年作成しているゼミ論集が完成したので、その受け渡しのために来てもらったのですが、久しぶりに研究室にゼミ生が来て、研究室はちょっとした賑わい。『もうすぐ卒業だな』と思いながら彼らの話を聞いていました。
 この時期の話題は、就職先に関するものと卒業できるかどうかに集中。
 自分の学生時代をふり返ってみれば、当時の履修登録は、現在と違って手書きの履修登録票を提出してそれでおしまい。次年度に評価と取得単位数が記載されている成績表が送られてきて(授業料振込書も同封されて)、それを見て卒業要件を満たしているかどうかをチェックして、新しく履修登録。
 卒業できるかどうかはまったく気にしていなかったと思います。
 決してガリ勉タイプではありませんでしたが、小生の周りの連中もそんなに気にしていなかったように思います。何しろ、卒業できるかどうかを話題にしたことがありませんでしたから。
 小生と、ここ数年の学生さんとの違いを一つ挙げるとすれば、それは計画的履修放棄。
 小生、履修登録した科目は、一つも放棄しなかったと記憶しています。もちろん、いわゆる「保険をかける」意味で履修した科目もありますが、それも単位を取得しました。保険は単位を取ってはじめて保険としての役割を果たすのであって、保険だからといって途中で放棄しては保険の意味をなしませんよね。
 現在、大学内部で卒業生の取得単位数の一覧を眺めていると、皆、みごとに126単位ピッタリの単位数(卒業要件単位数)です。
 もっとも、効率的に単位を取得して卒業すると考えることに、とやかくいうつもりはありません。でも、126単位ピッタリで卒業しなければならないというわけではありませんので、自分の興味にあった科目をもっと履修してもいいんじゃないのかな、と思います。少なくても、保険を含めて履修登録した科目は、すべて単位を取得すべきではないかとも思います。勤務先では、電算機でチェックして、履修登録した科目と単位数で卒業要件を満たさない場合、卒業要件を満たすようただちに再提出を求めます。非常に親切です。それでもなお、卒業要件を満たせず、卒業できないということは、履修登録した科目を落としたことしか考えられません。それも授業に出て試験を受けてもなお不合格だった場合には残念に思いますが、履修登録していながら自らが放棄してしまって単位数が足りなくなった場合には目も当てられません。このケースの場合には、当然のことながら、救済措置はまったくありません。
 3月上旬には卒業判定会議があります。
 今年は、皆さん、ちゃんと卒業できることを、今のうちからお祈りしておきます、卒業式の日に楽しく飲むために。(笑)

最も不幸せ

2007-02-19 21:08:15 | 多分駄文
 今夜、夕刊を読んでいたら「英国の子供は『最も不幸せ』」との記事がありました。ユニセフがOECD加盟21カ国を対象にした子供の福祉にかかわる6つの要素について分析して指数化、国別比較した結果、英国は「家族・友人関係」「飲酒や麻薬の危険度」「幸福度」の3項目で最低の評価を受け、先進諸国で総合ランキング最下位。上位はトップのオランダのほか、北欧のスウェーデン、デンマークなどが占めたといいます。
 どのように調査をし、どのように指数化したのかわかりませんが、英国に住む子供たちが本当に不幸せと思っているなら、英国には、他の国よりはなじみがある小生には、かなり寂しい限りです。
 この記事によれば、「日本など一部の国はデータ不十分で、順位付けされていない。」とありますから、日本の子供たちがどの程度「不幸せ」なのか、他の先進諸国との比較ができませんが、日本だって相当不幸せな子供たちが増えているように感じるのは、卑下しすぎでしょうか。

講義録とテキスト

2007-02-18 21:42:21 | 仕事(第1業務編)
 風邪を引いたせいで諸々の仕事が遅れ気味。
 とりわけ遅れているのが、次年度の講義録の作成。他の方々はどのようにされているのかわかりませんが、小生の場合、いつの頃からか、この時期に資料を作成するようになりました。1月から2月までの2ヶ月で、次年度の講義の資料を作成しています。
 ここのところ取り組んでいるのが管理会計。
 講義録はまだしも、悩んでいるのがテキスト。
 現在使用しているテキストは、自分が書いたということもあって、使いやすいことは使いやすいのですが、そろそろ改訂しなければならない時期にさしかかっています。とはいえ、元来、履修者の少ない科目ですので、すぐに改訂版を出版してもらえるというわけにもいきません。もっとも、そうなったとしても原稿が追いつきませんが・・・(苦笑)。
 困りながらも、小生が講義したい内容を採り上げていて、学生さんにもわかりやすそうで、値段も手頃なテキストを探しているのですが、これがまた、なかなか見つからないものです。
 テキストは、「一冊手もとにあると、今だけではなく将来も何かと役に立つよ」といったものだと考えていますので、なるべくいいテキストを使いたい、学生さんにも買って読んでもらいたいと思っているのですが・・・。
 ちなみに、テキストがない、というのは、学生さんにとってはどうなんでしょうね。(お金がかからないからいい、なーんていうチープな意見はなしということで。)

大連との関係

2007-02-17 21:21:29 | 一衣帯水
 小生が大連に滞在したのは2002年。丸5年が経過しようとしています。
 大連滞在中、日々の出来事をホームページで書きつづっていたのですが(今なら、ブログでしょうが)、その時のホームページは今でも公開しています。公開しているというより、大連を懐かしむ自分の懐古趣味(?)のような感じ。
 そこで紹介した情報は、もちろん、2002年当時のもので、その後数回、大連は訪れているものの、現地情報なるものは、まったく陳腐化してしまっています。
 ところが、ここ1ヶ月以内に、大連に関する2件の問い合わせがありました。その1件は今日ありました。
 そのいずれも、小生が経験したこととはかなり外れている問い合わせ。しかし2件ともとてもお困りの様子。
 ホームページを公開している以上、そのホームページを見て問い合わせて来るのは当たり前のことですし(小生とhirokoさんの関係も、まさにhirokoさんのホームページから始まった!)、問い合わせがあれば、何とかお力になりたいと思うもの。
 というわけで、こんな時、小生の現地エージェントにメール。
 現地エージェントといっても大外時代の教え子のR君。
 彼、在学中からガイドの仕事をしていて、就職も旅行会社。ネットワークも広い。
 彼のお陰で1件は解決済み。もう1件も早速R君にメールで問い合わせ。現地での移動手段に関するものなので、旅行会社に勤める彼なら、きっといい回答をくれるでしょう。
 それにつけても、大連とはしばらく関係が続きそうです。プチ日中友好の架け橋を気取ってみたりして・・・。

限界

2007-02-16 22:57:33 | NPOな日々
 小生がかかわっているNPO関係の会合。
 この会合は、公認会計士や税理士、そして大学教員と、事業報告書(計画書)や決算書を読むことが「仕事」である、会計プロフェッションがメンバーとなっている会合です。
 こんな事業をやったのでこんな収支になりました、とか、これからこんな事業を計画していてそのためにこれだけの運転資金が必要です、などという情報から、その法人の姿を思い描きます。普段、実務に携わっていない小生には、実務家による解説に『なるほど、そんな見方ができるのか』といった新鮮な驚きもしばしばです。
 ところで、事業報告書も決算書も、事業計画書も予算書も立派にできていて、内容におかしなところがなく、どう見ても非の打ち所もない資料であっても、判断に悩む部分があります。それは「評判」です。
 市民活動を一所懸命やっている人に悪い人はいない、と言い切れれば問題はないのですが、営利企業と同じように不正をはたらく法人があるわけですから、そう簡単に割り切れません。
 書類上問題なし、事業に社会性ありと判断しても、ほんの少しでも、その法人の代表者に関する評判を耳にすると諸手を挙げて支援したいという気になれないものもあるわけで、そういった場合には大いに悩んでしまいます。
 会計は組織活動の鏡(あるいは写像)といわれることがありますが、やっぱりそれだけでは判断できないものがあるわけです。

半快復

2007-02-15 22:10:37 | 多分駄文
 継続して書いているブログの「大きさ」は、げに恐ろしい。
 更新が途絶えたとたんに、「大丈夫ですか」「どうしたんですか」というメールが・・・(数件ですがね)。
 今日から、何とかフツーどおりの生活に復帰。
 火曜日に、かかりつけ医に行こうとして、「インフルエンザですな」といわれるのが怖くて、かかりつけ医の前にあるドラッグストアで対処療法的薬剤を調達して帰ってきたのですが、これが良かったのか悪かったのか・・・。
 まだスッキリしない状態が続いていることは確か。
 モラトリアム世代は、いつになってもモラトリアムを好むもの。