O's Note

いつまで続くか、この駄文

作文の書き方

2008-06-28 23:00:00 | 多分駄文
 だいぶ前に、ゼミ生から『クロサギ』が連載されているコミック雑誌が休刊されるらしいということを聞きました。「このあと、クロサギはどうなるんだろうねえ」とひとしきり雑談。
 研究室には、『クロサギ』の単行本と映画シナリオの文庫本があります。
 以前紹介した『エリザベス:ゴールデン・エイジ』もまた映画シナリオを文庫本化したもの。
 こうしてみると、最近は、小説からドラマや映画を制作するということよりは、コミックや映画を活字化することが、以前にも増して多くなっているように思います(単に小生がそういう類の本を読んでいるだけか)。
 そしてここにもう一冊。

 中嶋博行『ホカベン ボクたちの正義』(講談社文庫、2008年6月)
 
 テレビの『ホカベン』もまた『クロサギ』と同じようにコミックからドラマ化されたものですが(テレビドラマもコミックも見ていないのですが)、この本は、ドラマのストーリーとは別に、文庫オリジナル版として出版されたものです。
 中嶋氏は現役の弁護士とのことですが、ストーリー展開よりも、端々に描かれる弁護士の語りっぷりにクスリとする場面がいくつかありました。
 たとえば、公判前整理手続きが終わって、主人公である若手弁護士(堂本)とその上司(杉崎)との会話(ミステリの体裁を取っているため多くは紹介できませんが、これぐらいならお許しいただけるかな。裏表紙にも書いてある部分ですし)。

「橋本雅子さんは夫の暴力にずっと耐えていたんですよ。彼女が保険金目当てに夫の殺人を愛人と計画したなんて、検察官の主張は下手な作文もいいところです。」
「さあ、どうかな? おまえの作文といい勝負だ」杉崎は仏頂面で部下を見やった。
「それにな、無我夢中で気づいたら包丁が刺さっていましたという作文より、夫の暴力に耐えきれなくなって愛人と保険金殺人を計画しましたという作文の方が、まだしもリアリティがある。」[p.129]

 もちろん、ここでの作文は裁判に臨む筋書きという意味ですが、検察官と弁護士との間で、一つの事実について目の付け所が違っているということをうまく表現していると思います。
 この手の本を読んでいつも思うことは、いかに相手を納得させるかはどの視点でものごとを見るのかに関係しているということです。これは裁判だけの話ではなく、会計の世界でも一緒です。
 たとえば、古くから会計の世界で話題になっていることに資産評価があります。期末に保有する資産について、資産価値を見直すということが行われます。現在では、公正なる市場価値で評価するということが一般的です。
 その際、それを会計士が認めるかどうかがカギとなりますが(ちょうど今日の『監査法人』でやってましたね)、「資産の金額を見直すこと」は、一定の見方で「作文を書いている」のであり、なるべく大きく見せたいということに「目を付けている」とも考えられるわけです。

 それにつけてもこの駄文、ミステリを読んでいながら、その本筋よりも細かいところに気をとめて話題にし、しかも会計の話に変えてしまうなんて、おおよそリアリティのない作文ですね。

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