O's Note

いつまで続くか、この駄文

身内意識

2008-03-22 10:00:00 | 涜書感想文
 「これ、今日入荷したばかりです。お買い上げありがとうございます。」
 そういわれるまでもなく、その表紙から必然的に手に取った本。

 夏原武『小説 クロサギ』(小学館文庫、2008年2月)

 この3月に、『クロサギ』がロードショー公開になりました。この本は映画の脚本を小説化した本のようです。
 本の中で扱われる詐欺は贈答詐欺と倒産詐欺。この2つがそれぞれ独立して展開されますが、そのフィクサーである桂木を要として物語がつながっていきます。ちなみにこの2つの事件はコミックス版では第12巻で扱われています。
 贈答詐欺はインターネットを使った今風の話ですし、倒産詐欺はバブル崩壊直後の中小企業の連鎖倒産を扱った話で、現在と過去を結び付けた点で小説化にはうってつけの舞台設定でした。
 ところで、倒産詐欺で、桂木がバー桂で仲間たち(シロサギ)に自説を主張するくだりは、教訓めいて一つの読みどころかなと感じました。

「取引を重ねていくと人間はだんだんと甘くなっていくものだ。現金取引以外はお断り、そう言っている人間だって、回を重ねるとツケを認めるようになる。なぜだか分かるか?」
 桂木はぐるりとあたりを見渡す。鋭い視線を避けるようにみなうつむく。
「どうだ、綿貫?」
「信用、ですかね」
「それじゃあ五十点しかやれんな」
(中略)
「いいか、ここはよく覚えておけ。取引を重ねると信用されるようになる。これは間違った答えじゃないが、百点でもない。信用だけではだめだ。大切なのは身内意識だ」[pp.87-88]

 ツケ(掛け取引)は簿記で扱います。どうして掛け取引が成立するようになったのかを説明するときに、信用経済が発達したからということを話すことがあります。桂木によれば、この説明はかろうじて及第する程度のようです。(苦笑)
 ところで、これに続けて桂木は、豊田商事事件を引き合いに出し、豊田商事商法は、独居老人を相手に人の寂しさにつけ込んで身内が近づかない老人に、朝から晩まで一緒にいてやることで身内意識を植え付けたことであるといいます。そして次のようにいいます。

「セールスというのは、そういう商売だ。しょっちゅう会っていると、身内意識・仲間意識が生まれる。だから、相手の嘘を信じてやりたくなるし、助けてもやりたくなる。それが人間というものだ。よく覚えておけ」[p.89]

 極めて単純な話ですが、こうした単純なことがわかっていても、今でも同種の詐欺が減らないばかりか、それにまんまと引っかかってしまうのですから、人間というのは複雑です。

 さて、コミックスの『クロサギ』の面白さは、さまざまな詐欺がテンポよく取り上げられていているところにあります。つまり連載するところに魅力があります。テレビ番組も、毎回異なる詐欺を扱うことで面白さが出てきます。ところが映画のように単発ものだと、どうしても人間模様に力が入り、詐欺の手口がお留守になるような気がします。それが証拠に、小説でも桂木の過去を取り上げていますが(たぶん映画でもそうなのでしょう)、それは本筋ではないような気がします。
 しかし、小説として読んでも十分に面白い内容ですので、これまでのコミックスの内容を小説としてシリーズ化して欲しいとも思います。絵とセリフだけでは伺い知れないことも、小説ならば十分に書き込むことができると思います。
 『クロサギ』ファンとしては、ぜひそうして欲しいものです。
 そういえば昨日の夕刊に、黒崎役の山ピーへのインタビューが載っていました。それによれば、山ピー自身も「もう一本撮りたい」とのこと。映画もシリーズ化するのでしょうか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿