O's Note

いつまで続くか、この駄文

ひさし、ぶり

2008-07-12 15:00:00 | 涜書感想文
 大学受験を控えた日々。受験勉強と共にいつもそばにあったのはラジオでした。
 そんな時期、NHKFMの番組で、短いラジオドラマを放送していました。
 そのラジオドラマを聞いて、「これはスゴイ!」と驚き、『原作を読んでみなければ』と思って読んだ本が井上ひさし氏が書いた『十二人の手紙』でした。
 この本は、その名のとおり、12人の手紙がモチーフになった短編小説です。一編一編がそこはかとない人の生き方を描いててい、何の関係もないと思われた一つ一つのエピソードが最後に結びつく筋立てに、鳥肌が立つほど驚いた記憶があります。

 さて、久しぶりに井上ひさし本を手に取りました。

 井上ひさし『イソップ株式会社』(中公文庫、2008年6月)

 さゆりと洋介という、ふたりの姉弟は、夏休みを利用して、おばあちゃんの住む町に滞在します。ふたりの父は、イソップ株式会社という小さな出版社を経営しています。その父親から、毎日、「お話」が届きます。この本は、さゆりと洋介の夏休みの出来事と、父親から届く「お話」、そして出版社で働く弘子さんとの関係が、互いに絡み合いながら展開されるという、何とも贅沢な小説でした。

 とりわけ、『さすが』と感心したのが洋介の夏休みの課題を通して語られる井上ひさし氏の言語感覚の鋭さです。
 洋介が「発見した」課題には、「ところによってモノの数え方が違う」「母音の長短で意味が変わり、擬音語の澄む濁るでは感じが対立する」などというものがあります(その他に「噂の時速は8キロである」「カラスは他の鳥の鳴き声のまねをする」などという、面白い仮説もあります)。
 たとえば、「母音の長短で意味が変わり、擬音語の澄む濁るでは感じが対立する」では、さゆりと洋介に次のように語らせています。
 まず、母音の長短。
 洋介がよろず屋のおばあさんからアイスクリームをタダでもらう場面[pp.121-122]。

「いったいどういうこと。おばあさんにどんな魔法をかけたの」
さゆりは店先の、日除けのかかったベンチに腰をおろして、洋介が取ってくれた苺バニラをなめながら訊ねた。
「オバーサンとのばすところを、オバサンと縮めて読んであげたんだ。オジーサンだって縮めるとオジサンになって、いっぺんに若くなるんだよ」
「うん、おもしろい発見よ」
(中略)
「むずかしいことは分からないけど、ほかにもいっぱいあるんだよ。雪と勇気、来てと聞いて、靴と苦痛・・・・」
「ビルとビールもそうよ」
「それから、いますと言います」
「書くと架空もそうだわ」
「土と通知」
「黒と空路と苦労・・・。洋ちゃん、これ夏休みの自由研究になさいよ。スゴイ研究になるわ」
「・・・ぼくって天才?」
「それは背負いすぎ」

 次は擬音語。
 夏祭りの太鼓の練習をした後での洋介とさゆりの会話[pp.129-130]。

「お囃子のお兄さんから、きみの鼓はポンポンではなくボンボンと聞こえるって、注意されてばかりいたんだ。でもそのうちへんなことも気づいた。ボンボンとかポンポンとかいうことばのことを、なんていったっけ」
「・・・擬音語?」
「うん、その擬音語だけど、澄んでるときと濁ってるときとでは、なんだか感じが違ってしまうんだ。大きな太鼓がトントントン・・・これ、どっかおかしいだろ」
「大きな太鼓ならドンドンドンでなくちゃね。そして小さいのがトントントン」
「笛がピーピーならいいけど、ビービーなら下手くそ。おばあちゃんが畑から帰ってきたとき、額から汗がポタポタなら、ご苦労さまっていうけど、汗がボタボタなら、きたないなといってしまう。こそ泥ならコソコソ、強盗ならゴソゴソ・・・」

 小説全体のモチーフはもっと別の、深いところにあるのですが、こういった言葉の遊びをさりげなく小説の中に含ませながら、ストーリーを展開していくというのは、井上ひさし氏の真骨頂といえるのではないでしょうか。
 それとは別に、この本には和田誠氏の挿絵がカラーで挿入されています。これもまた読むことを楽しくさせてくれます。
 
 でも、今となっては、小説で描かれているような「田舎」もなく、「さゆり」も「洋介」もいないんでしょうね。

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