O's Note

いつまで続くか、この駄文

声に出して読めない日本語

2007-06-04 21:24:15 | 涜書感想文
 2年ほど前から地元新聞で始めた「声に出して読む○ーシン」運動(○ーシンは地元新聞の略称。ちなみに「運動」かどうかは不明)。DSでブレークした東北大学の川島教授にあやかって始めたようです。新聞を声に出して読むと脳が活性化されるそうです。
 ところで、ちょっと前から読んでいた本があります。

久島茂『はかり方の日本語』(ちくま新書、2007年3月)

 久島先生は意味論・国語史を専攻する大学の先生で、日常的に使われている言葉のうち、はかり方に関する言葉で疑問に思うものを挙げて、その考え方を紹介したのが本書です。
 たとえば、その帯広告では次のような疑問を挙げています。

・「一日中」とはいえるのに、なぜ「一時間中」とは言えないのか?
・戦争は数えられるのに、平和が数えられないのはなぜか?
・「2センチ長い鉛筆」は、なぜ長さが2センチの鉛筆ではないのか?
・球も円も区別しないで、「まるい」という理由は?

 実はこの帯広告につられて買ったのですが、読み進めていくうちに、どんどん深みにはまっていく感覚を覚えてしまいました。
 というのも、日常的には感覚的に使っている日本語の持つ意味の深さに気づき、読めば読むほど難しく感じ、「最後までたどり着けるだろうか」と思ったのもしばしばでした。
 たとえば、帯広告に出ていた「一日中」とはいえるのに「一時間中」とは言えないのは、一日と違って、一時間には始まりと終わりが不確かだからだそうです(p.54)。
 戦争は1回2回と数えられるのは、戦争が原因を持った特別な出来事であり、一方、平和は特定の対象を指しにくいため数えられないそうな(pp.43-44)。
 こういったかぞえ方に関する言葉の意味が、どんどん紹介されていきます。
 その中でも、『面白いな』と思ったことがあります。
 それは日付の例。本書では、次のような新聞記事がいくつか採り上げられています(pp.85-86)。

「会期は三月二十六日までの二十九日間で、三月一、二日に予算案に対する質疑がある。」(『朝日新聞』2001年2月27日)
「ほとんどの高校で四月九、十日に入学式がある。」(『朝日新聞』2001年3月20日)

 さて、これを声に出して読んでみてください。
 久島先生は、これらを疑問の残る書き方であると述べています。
 たしかに、新聞などでよく見る表現ですが、「一、二日」や「九、十日」という書き方は、声に出して読もうとすると、感覚的にでさえ読むことができません。久島先生は次のように推察しています。

「結局、『一、二日』は『いちにち、ふつか』とは読めず、また『いち、ににち』と読むのも普通ではない。あるいは『いち、ににち』と声に出して読むことはなくても、書き言葉として、こう読んでいるのかもしれない。」(pp.87-88)

 そして面白いことに、日付や日数で一や十が絡むと読みにくくなっても、「二、三日」「三、四日」になると読めるようになるそうです。読んでみるとしっくりきますよね。
 日本語って不思議ですよね。(日本語を勉強する海外の方々の苦労が忍ばれます。)

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