XT250 3y5と私・・・私と家族

昔、私の青春であったXT250そして子供たち
そして新たな家族に・・・スーパーカブ90のチビちゃんが来ました。

6月最後のツーリング・1

2011年07月01日 | ヤマハXT250 3y5

2011年6月30日 XT君ツーリング・・・結局4日と30日の2回しか行けませんでした。



 


仕事がいそがしい事もありましたが、休みの日がほとんど雨という運の悪さと後輪パンク事件。


そして迎えた今日30日、朝の天候晴れです!


前後輪ダンロップD604をはいてのツーリングに出発!!運の悪さは今回のパンク事件で終わっているはず、で、し、たが・・・最高の天気の中、朝の7時に自宅を出発、ヘルメットには 日立 i.mega HSC-S2、フロントフォークにはコダック Play sportにケンコーの「ひろーく撮れる」をかましています「ひろーく撮れる」君はネチャネチャのゼルでくっ付けるんですが外れたらこわいんでテープで止めています、2箇所の角がケラレますがまずまずの映像が撮れますよ、そして首からはデジカメをぶら下げて走り出しました。


まずは定番、秋吉台カルストロードを駆け抜けます、澄み切った空気に白い雲が浮かび180度の視界の中D604は路面をガッシリつかみ走り抜けます、ステップガリガリで走り抜けていたのは昔のこと、今はのんびりとゆっくりと走れます、のんびり走りながら無駄な加速や、フルブレーキングなんかはやりませんコーナーを読み、軽く抜けれるスピードで走ります。


いつの間にか後ろに白いバイクが付いていました、というか本当は後ろに付いた瞬間に気が付いていましたが別段スピード違反をしているわけではないし共同危険行為を犯しているわけではないので自分のペースで走ります。


カルストロードを2台でランデブー、最後のほうの3つのコーナーは白いバイクさんが先に走りました。


リーン・インできれいに旋回してゆきます、私はリーン・ウイズで最後のコーナーでインから鼻先を突っ込みました。


立ち上がりで並んだあと彼はニコッと笑ってスロットルオープン、直線であっというまに消えてしまいました。


さすがに排気量の大きなバイクは凄い加速をしますね。


休憩のため大正洞に滑り込みました・・・自販機の横には先ほどの白いバイクさんが。


XTくんのエンジンを止めると彼が寄ってきました



「ライダーさん、上手ですね、すごく丁寧にコーナーを抜けておられましたねそうとう長いこと乗られているんですか」


私はヘルメットをとりました、「いえいえ、たったの36~37年ほどですよ」


彼は職務柄でしょうかヘルメットは絶対に取りませんが顔は笑っています


「そのバイクは・・・」


「1980年式のヤマハ XT250 3y5ですよ」


「・・・1980年式?エッ!・・・30年選手です


彼の表情からして30代前半でしょうね


「そうですよ ヤマハの250cc 6v車です」


「エッ!私が6歳のころのバイクですか・・・」


彼の年齢がわかりました。


「でも、さすが大型バイクは加速がすごいですね・・・何ccですか」


「1200ccですよ・・・」


そのあとはお互いバイクの好きもの同士、私が缶コーヒーを買ってあげて、彼は職務中ですからといいながら飲んでくれて30分ほどのんびりとすごしました。


彼は別れ際に「ライダーさん6vで苦しいでしょうけれど、ライトは出来るだけ付けておいたほうが良いですよ山口県はウルさい県ですからね、それと大型自動二輪を持っておられるのなら、大型自動二輪に乗ってくださいね、そして他のライダーの憧れと、見本になってください、今日は走りの良い勉強が出来ましたありがとうございました」


そう言って彼は走り去りました。


若い頃は体力もあり多少強引な無謀な運転も出来ました、年を経て、体力は落ちましたが、無謀という文字が消えました、危険予知も回避も若い頃より格段の進歩をしています。


最後のコーナーで鼻先を突っ込み立ち上がりで排気量4倍強のバイクに並ぶ、しかし私は本気ではありませんでした遊び感覚で半分の力で入り込みました、彼の走りを見て、コーナーの連続性を見てこのかたちで走って行けば最後のコーナーで彼のイン、2車線内側に安全に飛び込めると読んでいました。


走り続けていてよかった・・・これからもずっと走り続けようと思いました。


 


 


私はあまりほめられたので気恥ずかしかったです、走りのプロに走りをほめられるなんて、でも心は軽く自分の歩んできた道が生き方走り方がほめられたような気がしてうれしかったです。


天気は最高、まだまだ今日のコースの半分も走っていません・・・行くぞ!XT君。