XT250君にアシストグリップをつけましたホームセンターで売っている棚用のやつですがメッキが美しいしとても強そう。
付くかどうかわからなかったのでとりあえず左だけ。
簡単ポン付けできたので近いうちにもう一個右用買おうと思います。
XT250君にアシストグリップをつけましたホームセンターで売っている棚用のやつですがメッキが美しいしとても強そう。
付くかどうかわからなかったのでとりあえず左だけ。
簡単ポン付けできたので近いうちにもう一個右用買おうと思います。
今日は天候も良いみたいだし簡単なでも私にとってとても大事な大冒険に出発。
今から30数年前、父、祖父母と私は私が生まれた場所へ帰ってきていました。
祖父母は私に我が家のルーツを見せようと。
伊丹市から車の免許をとったばかりの私の運転する車で・・・父は仕事で九州にいたのでこの場所で合流。この場所とは防府天満宮です父は多々良高校出身者でした。
そして防府の親戚の家に荷物を置き陶、二島 秋穂へ陶は私の生まれ故郷、祖父と裏山へ上る。
疲れて小さな石に腰掛けると祖父が「先祖の墓だよ」と教えてくれた山肌をすかしてみると何十個、何百個かの同じ石が転がっているよく見ると何かが彫ってある石も多い、相当古い物らしく全く読めないが確かに墓だ。
祖父が「大昔からの我が家の墓地だ」と教えてくれた。祖父が昔立てて先祖をまとめた墓がこの地の中学校の裏にあった。そこの土を袋に詰める伊丹でまた祖父が立てた新たな墓に先祖たちを祭るために・・・我が家のルーツ・・・
このとき祖父はけしてもう過去は振り返らないと決めたのか。
二島は親戚宅へ秋穂は我が家の菩提寺へ。秋穂の真言宗の菩提寺ここでも我が家のルーツを見せられる。
明治維新の歴史。幕府と争った四境戦争に従軍した我が祖先は身長が6尺2寸あつて「幕軍から狙い撃ちされる背が高すぎるのも困ったものだ生きて帰れるかどうかもわかりません」と菩提寺の住職に送った手紙やそのまだ100年前からの我が家の家系図、先祖の名前を見せられた。
当時の住職の話では300年ほど前に広島の方から秋穂に移って来た、そして150年前に陶潟上へ移ったとその秋穂の真言寺院は300年前からの我が家の菩提寺だとのこと、だからお宅は陶に住みながらも寺は秋穂なんじゃと。
私は私なりに興味を持ち当時の住職にわかる範囲でいいから我が家のことを書いて送っていただくようにお願いしておいた。
そして住職から送ってきた手紙・・・30数年前確かに私は読んだのだが。
どこへ行ったのだろうその手紙は・・・寺はその後すぐに下関に移り私の記憶は曖昧になり寺の名も忘れてしまった。祖父母、父、母も、もういない・・・過去の全ては夢の中。
私はこれからわが子にどうやってルーツを話せばいいのか途方にくれている。
今日ペケ君と秋穂、二島、陶を走り回る行き当たりばったりの走りだがペケ君は調子よく走り回ってくれている、空は悲しいほどのお天気だ。
最後に秋穂の道の駅へジュースが100円ラッキー!