北杜夫が24日に亡くなった。84歳だった。斎藤家はお兄さん(94歳)もお母さん(89歳)も長生きをしたから長命の家系なのだろう。茂吉は71歳で亡くなっているから、やはり長命は斎藤家のほうなのかもしれない。
北杜夫と言えば、彼の周りにいた辻邦生、森有正、遠藤周作、なだいなだ、阿川弘之、そして別な方向から埴谷雄高、三島由紀夫、などの名前が浮かんでくる。さらに彼が愛してやまなかったマンやドストエフスキーやリルケなどがそこに加わってくる。北杜夫の文学の周囲には、戦後文学でも第三の新人(遠藤周作はここに入れられていたけれど)でもべ平連でもない、東京山の手のお坊ちゃんの文学者が集まっていたように思う。ぼくは彼らの育ちの良さ、ユーモア、ペーソスに引きつけられたのだろう。精神の偏りや強ばりがなく、しなやかとか柔軟とか、そういった心のあり方が、欧文の香りと古語の融合によってつくられる魅力的な文章を通してとどいてきたのだと思う。
北杜夫はマンボウものを省くと、作家生活の後半はほとんど寡作と言っていい。初期作品の後になっての刊行を除いて主な作品をあげてみる。
1960 幽霊、航海記、夜と霧の隅で、羽蟻のいる丘、
1964 楡家の人びと
1966 天井裏の子供たち、白きたおやかな峰
1968 黄色い船
1969 星のない街路
1972 酔いどれ船
1975 木霊
1976-7 北杜夫全集
1982-86 輝ける碧き空の下で
1991-1998 青年茂吉、壮年茂吉、茂吉彷徨、茂吉晩年
2000 消えさりゆく物語
とくに全集を出してからは、長編小説は1本に過ぎない。幽霊は最初、4部作のつもりでいたものだが、結局、第2部にあたる木霊で終わってしまった。北杜夫には彼の心の旅としてのそれらの作品、その外形を社会史の中に描いた楡家の人びとがあるが、それとともに海外に出た日本人の姿をさぐるもう1つの流れがあった。なぜこの流れがあったのか、北杜夫を考える一つのカギがここにある気がする。そういえば、北杜夫の文学をどのように位置づけるのか、その作業はこれからようやく始まることなのだと思う。
韜晦の人だった北杜夫とは本当は誰だったのか、改めて考えてみたい。