kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

春菊

2016-12-10 10:24:18 | 花・木・草

 

 

種をまいて、そろそろ一か月

 

まだ小さいです

 

蒔く時期が遅かったのか

 

でもおいしそうな色してます。

 

お正月には少しでも食べれるかな

 

食べたいな~

 

 

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飛鳥路~石舞台

2016-12-09 19:23:55 | 散策

 

高松塚古墳から飛鳥周遊歩道を石舞台へと向かいました。

 

道はかなりの坂道もあり、きつかったですが周りに広がる景色はすばらしく、お天気も最高。

 

上着がいらないくらいでした。

 

 

遠く、山の中腹に見えるのは岡寺の三重塔です。

 

あんな所までは行けないなあ~

 

岡寺は天武天皇の皇子で早世した 草壁皇子 の住んだ 岡宮 の跡に義淵僧正が創建。

 

下から見上げるだけで、前進です。

 

 

飛鳥川

 

ここに 玉藻橋 という橋が架かっていたのですが現代の橋でかつあまりにも普通なので…

 

 

明日香川瀬々に玉藻は生いたれどしがらみあれば靡きあはなくに  詠み人知らず

 

 

万葉集の歌碑がありました

 

 

その昔、人の往来はどれくらいあったのでしょうか、暗い所だったでしょうね。

 

 

田んぼ道、自動車道もありました。

自動車道沿いにはとても立派な家が立ち並んでいました。 ウラヤマシ…

 

 

ようやく、石舞台古墳に着きました。

 

どこにも石舞台がありません。

 

何年か前に来た時は、この草原にドッカ~~ンと横たわっていたのですが…

 

実は、石垣と木々とで完全に囲われて全く見えません。

 

この写真の向かって左の方に入口があり、どうやら入場料がいるらしい。

 

なんとも、風情の無いことです。

 

古代の日本が、この地にド~~~ンと据えたお墓でしょ。

 

千年以上風雨にさらされても今まで残ったのですから、今更囲わなくても。

 

結局、入場はしませんでした。

 

いつか見たあの自然の中にどうどうと残った石舞台のイメージのままに。

 

 

でも、どのようになってるのか、ちょっと心残りも…

 

朝作ったおにぎりとおかずを完食して、次の目的地に向かいました。

 

 

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飛鳥路~高松塚古墳

2016-12-07 00:59:51 | 散策

 

もう先月になりますが、奈良飛鳥に行ってきました。

 

京都駅からは近鉄に乗って樫原神宮乗り換えの飛鳥寺駅へ

 

そこから、飛鳥路の散策を始めました。

 

今回はちょっと歩きますよと言われていましたが、この日

 

19,415歩  11,64km 歩きました。

 

 

高松塚古墳

 

 

 

 

直径23mの二段築成の円墳

 

1972年 横口式石槨の発掘があり、その中に彩色壁画が見つかったのは有名です。

 

当時、大騒ぎで「飛鳥美人」の壁画はニュースで何度も見た覚えがあります。

 

その後、保存状態が悪かったのか、カビが発生し、

 

発掘当時の鮮やかな色彩は失われたと報道されていましたが、何とも残念な事ですね。

 

 

高松塚壁画館

 

館内には、壁画の検出当時の模写、一部復元模写、墳丘の築造状態など、

高松塚古墳の全貌をわかりやすく再現されています。

 

残念ながら、入館はしませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次に目指したのは、橘寺

 

田んぼが一面に広がっている田園風景の中を歩きました。

 

常日頃、なかなか見ないのどかな光景は気持ちのいいものでした。

 

でも、丘を越えて行くような所もあり、足にきますね~!

 

 

 

 

 

 

 

 

  次は石舞台へと行きます。

 

 

 

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神戸北野異人館~風見鶏の館

2016-12-04 14:36:12 | 散策

 

毎月恒例のシニアのためのカルチャークラブ

簡単に言うと、遠足クラブ

 

12月は神戸の異人館と南京町でした。

 

 

異人館は阪神淡路大震災の起きる前に行ったきりで、

随分変わっているだろうと思いながら行きました。

 

坂道を登るのが、キツイ 

 

北野坂の両側に、様々な お店がひしめいています。

 

以前は、こんなことなかった。

 

坂道に、異人館がスッキリとした姿で建っていたと思うのですが…

 

 

 

 風見鶏の館、阪神淡路大震災の後、修復された姿です。

 

 

 

 

居間

 

 

応接室

 

応接室の天井、シャンデリア、素晴らしいです。

 

食堂

 

食道のテーブル の燭台、気に入りました。

 

 

食堂のランプのフィラメントが変わった形です。

 

 

暖炉もどっしりとしています。 

 

 

ペンダントが宝石みたい。 

 

 

 

 

 

 

書斎

 

 

 

書斎の腰板に書かれた風刺画だそうですが、何をどうふうししたものか…?

 

二階へ

 

 

二階の子供部屋

 

 

ミシン 母のこんなの、私も使ったことあります。

「SINGER」 の文字が見えます。

 

 

子供部屋のベッドの横に置かれた、鳥籠?

 

 

朝食の間

 

 

寝室

 

 

 

ここは、二階のベランダだったような…?

 

 

 

 

 

ここにもう誰も住んでないことが、さびしいですね…

 

 

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岩国城

2016-12-02 00:37:03 | 旅行

 

 

錦帯橋を渡り、ロープウエイで岩国城へ向かいました。

というところで中断していました。

 

こちらが、岩国城 です。

 

錦帯橋から、横山の頂上に見えていました。

 

昔はもう少し奥まっていたらしいのですが、見晴らしを良くしようと今の位置に

移されたそうです。

 

下から見上げると、山のてっぺんから転げ落ちないやろか…と思うくらい

スレスレまでせり出してましたが、登ってみると案外そうでもなく、

平坦な所にドッカリと建っていました。

 

 

 

天守閣からは360度、展望が開けて、いい眺めでした。

 

 

岩国飛行場が見えます。

岩国基地も同じ所の様です。

いちばん奥、何もない所は海でして、

陸から右の方へ細長く岬が続いている所です。

 

かなり遠く、霞んでましたが、同じく観光に来ていた方が、

飛行場では、オスプレイも2機見れたそうです。

 

大変広い飛行場だったそうです。

 

 

 

お城の中には、沢山の刀剣、槍、書画類が展示されていました。

鎧も立派なのがあったのですが、写真は間違えて削除してしまいました。

ゴミ箱も空っぽにしてしまいました… 

 

 

≪悲運の岩国城≫ 

 

 岩国の時のお殿様は 「吉川(きっかわ)広家」 

 

関ヶ原の合戦が終わったばかりで、

戦に強い城を築こうと、横山の山頂に築きました。

 

山の三方を錦川が迂回していくので自然の外堀となり、

その錦川の両側に、城下町が形成されました。

 

ところが、徳川の世になり、戦は無くなり幕府は「一国一城令」を発布しました。

このことで、岩国城は完成からわずか7年で取り壊される運命となったのです。

 

第二次世界大戦後、岩国城再建の動きが起き、

昭和37年、再建されました。

 

天守の位置は変わりましたが、元々有った位置に復元天守台が造られています。

 

 

復元天守台

築城当初の石を生かした「古式穴太衆積」の石垣

 

また、城跡のあちこちに、当時の石垣がそのまま残っています。

 

 

 

 

 この日は、ロープウエイが点検とかで、2 時の運行が最後ということで、

慌てて降りました

 

 

 

 

河原に下りると、橋桁の裏側が見えたのですが、写真では写っていませんね、

がっかり。

巧みな組み合わせが、とてもきれいでした。

 

でもこの橋はちょっと渡りにくいかも。

景観を取るか、歩きやすさを取るか…

 

でも、珍しい貴重な橋ですよね。

 

 

この辺り一帯は「吉香公園」と名付けられていて、

日本歴史公園百選と、日本さくら名所百選に選ばれています。

 

岩国藩主吉川氏を祀った「吉香神社」があります。

 

ここは、吉川氏の居館跡です。 

 

  

 

吉香神社 神門

 

本殿 

 錦雲閣

 

明治時代になって、吉川家の屋敷跡が吉香公園として解放された時に

旧藩時代の矢倉に似せて造られた絵馬堂。

 

私は吉香公園の中でこの建物が一番気に入りました。

スキッと形のいい絵馬堂です。 

奈良の大仏殿に似ている?

 

 

国木田独歩は、岩国城下町の錦見小学校に通っていました。

小説「河霧」は岩国を舞台に書きました。

石碑の銘文は「欺かざるの記」から

 

 

武家屋敷の長屋門が、錦帯橋から近い所に残っています。

 

 

香川家長屋門~武家屋敷の表門で、岩国市でいちばん古い建物

 

香川家は岩国藩五家老のひとつでした。 

 

 

 

旧目加田家住宅というのもありました。

 

旧目加田家住宅. 正面からは一見して平屋、 裏に回ると二階建てです.

 江戸時代中期の18世紀中頃に建てられた中流武家屋敷です。


岩国の武家屋敷は、錦川の氾濫に備えて二階建てが多いのですが、

藩主が通る時、見下ろすことの無いよう、表は大屋根で、二階建てには

見えないようにしてあります。

 

 

ちょっと分かりにくい…裏側かな?

 

 

 

 どうですか?表側?

この日は、休館日でした(ーー;)

 

 

 

この時は、十月桜というのが咲いていました。

そんなの知らない私は、桜にビックリして、ピントがズレマシタ~ピコッ

 

 

 

 

 

 

岩国では、最後にこんな方に逢えました。

 

 

佐々木小次郎の像 

なんと、凛々しい

芳川英治の「宮本武蔵」では岩国出身になっているが…

 

物干し竿と呼ばれた長い刀は鞘に納まらないと言われている通り、

この像の刀は鞘に納まりきらないそうです。

 

これで、岩国観光は終わりなのですが、今回のこの旅行、やっぱり!

 

日本シリーズの渦中に飛び込んだ感のあるものでした。

 

広島からJRで帰ったのですが、広島駅で見たのは、これ、

 

 

凄いピンボケですが、これにて広島行きのおしまいです。

ありがとうございました

 

 

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