kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

真田丸船賃六文波枕二十四

2016-12-12 00:43:22 | 真田丸

 

49回 前夜

 

とうとうここまで来てしまいました。

 

きりちゃん、ほんま、遅すぎますよね~

 

きりちゃん、命を捨ててもいいくらいなんですね~すごい。

 

なんてことしか印象に残ってない訳ではないですよ。

 

 

「大義のない戦」 「うしろめたさ」 

 

上杉さんに言われてましたね、家康さん。

 

戦国の世を終わらせるための戦?

 

親子二代で楯突いてきた真田をひねりつぶす?

 

大坂冬の陣の和議がまとまるやいなや、家康は全力で大坂城の破壊にかかる。

 

真田丸もことごとく壊された。 

 

誓約にない内堀まで埋め、

 

難攻不落の大坂城も裸同然となってしまった。

 

 

 

慶長20年(1615) 大阪夏の陣始まる

 

発端となったのが、4月26日の 大和郡山の戦い 

 

豊臣方 大野治房 (5000人) 勝利

徳川方 筒井定慶 (1000)

 

 

同じ日に、 樫井の戦い

 

豊臣方 大野治胤 (6000)

徳川方 浅野長晟 (5000) 勝利

  

 

5月6日には、 若江の戦い

豊臣方 木村重成 (6000)

徳川方 井伊直孝 (9500) 勝利

 

ドラマの中で木村重成が、ぬかるみに足を取られるシーンがありましたが、

この戦いの地は低湿地帯だったのは本当のこと。

 

また、戦の前に兜の中に香を焚きこめたと言っていたことも、真実。

首実検で家康はそのことに気付き、死を覚悟していたことに感銘を受けた。

 

5月6日 八尾の戦い  

 

豊臣方 長宗我部盛親 (5300) 勝利 

徳川方 藤堂高虎 (5000) 

 

 

5月6日 小松山の戦い 

 

豊臣方 後藤又兵衛 (2800) 戦死 

徳川方 水野勝成 (2万) 勝利

 

後藤又兵衛らは目標の迎撃地点へ進むも霧が出て遅れ、

すでに徳川軍に占領されていた。

そこで小松山に陣を取り戦うも多勢に無勢で、戦死。

 

 

同日 道明寺の戦い  



豊臣方 薄田兼相 (7300)

徳川方 水野勝成 (2万) 勝利

薄田兼相が戦死をしたが、かろうじて豊臣軍は守っていたところに

伊達政宗の軍が進んできた。

それを阻んだのが真田信繫の軍。

 

テレビでは何故か伊達方は砲撃を止めました。

 

政宗と幸村のアイコンタクト、何か通じるものがあるのか…

 

妻子を託しましたね。

 

その事は先週、きりちゃんにフラれ飛び上がった猿飛佐助が段取り付けました。

 

そのきりちゃんは、大役を信繫から頼まれ、命を賭して遂行する覚悟ですね。

 

信繫さんは終活を…

 

 

なんともやるせない「49回 前夜」でした。 

 

きりちゃんに束の間だけど幸せな時があったことだけはよかった。

 

信繫さん、でくのぼうではなかった。

 

 

でも、信繫は伊達政宗に妻子を託しました。

 

武将ふたりは頻繁に会って話をたくさんした訳でもないでしょうに、

 

あれだけの信頼はどこから生まれたんでしょ。

 

そんな、互いを信じ合えます、てな場面が過去にありましたっけ?

 

 

 

もはや、来週は最終回

 

早すぎる。

 

 

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