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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

美濃部達吉博士の妄論僻説を弁駁す(神作浜吉)

2019-05-26 04:32:41 | コラムと名言

◎美濃部達吉博士の妄論僻説を弁駁す(神作浜吉)

 簑田胸喜著『美濃部博士の大権蹂躪』(原理日本社、一九三五)を紹介している。本日は、その四回目。本日は、本書の「位置づけ」について見てみたい。
 同書の表紙および扉によれば、本書は、「我等は如何にこの凶逆思想を処置すべきか?」というシリーズの「第三」にあたるという。
 では、「第一」、「第二」の内容は、というと、本書の三九~四〇ページで紹介されている。本日は、これをそのまま、紹介してよう。旧漢字(正字)は、現行のものに直したが、「國體」の二字のみは、そのままとした。

●本書は昭和五年〔一九三〇〕五月並に同九年〔一九三四〕七月発行の第一、第二『我等は如何にこの凶逆思想を処置すべきか?』の続編なることは本書副題の明示するところ、今左に主要項目を掲げて読者の参看照応を期待する。
第一 我等は如何にこの凶逆思想を処置すべきか?  三井 甲之著
 著者宣言・序論=金融資本主義社会及共産主義を矯正すべき国民全体主義綱領・本論=吉野〔作造〕博士の君主制対デモクラシイ國體冒涜論・末弘〔厳太郎〕博士の土地無償没収共産主義宣伝に就いて政府及大学当局者の正当処置を期待す・末弘博士への公開返書・末弘博士の凶逆思想剖検・牧野英一氏生存権論批判・結論=東京帝国大学々風赤化の総括的原因と『しきしまのみち』・余論=無政府主義者美濃部〔達吉〕博士(蓑田胸喜)・跋=しきしまのみち叢書第一編の発刊に当りて(松田福松)
第二 我等は如何にこの凶逆思想を処置すべきか?  三井甲之・蓑田胸喜著
 聖喩記・序=神明に祈誓し同胞に切願す・末弘法学部長の無条件『暴力』思想を摘発して小野塚〔喜平次〕総長の学術的良心と司法検察当局の『血涙護法』精神との健在を問ふ(松田)・学術、國體、人道の廃欠者――美濃部博士を筆誅す(同)、帝大憲法学説の誤謬に基く凶逆性(三井)・美濃部達吉氏の『憲法学説弁妄』の虚妄理論と悖逆意志を剖析す(松田)・美濃部達吉博士の帝国憲法に対する妄論僻説を弁駁す(神作浜吉)・美濃部博士に対する学術的処置完結の宣言(簑田)・神意の因果と国防の任務・治安維持法の解釈適用に就いて(三井)・末弘博士告発状(簑田)

 これによれば、三井甲之著の『我等は如何にこの凶逆思想を処置すべきか?』は、「我等は如何にこの凶逆思想を処置すべきか?」シリーズの「第一」にあたり、かつ、「しきしまのみち叢書」の第一編にあたるようだ。発行年の記載はないが、国立国会図書館のデータによれば、一九二九年(昭和四)刊。
 また、三井甲之・蓑田胸喜共著の『我等は如何にこの凶逆思想を処置すべきか?』は、このシリーズの「第二」にあたる。国立国会図書館のデータによれば、「しきしまのみち叢書」の第四編にあたり、一九三四年(昭和九)刊。
 文中、「剖検」は、「ぼうけん」と読み、死体を解剖・検査すること。「悖逆」は、「はいぎゃく」と読み、正しい道にそむくこと。「剖析」は、「ぼうせき」と読み、分解・分析すること。

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掛けまくも畏かれども……(しきしまのみち会「のりと」)

2019-05-25 02:13:47 | コラムと名言

◎掛けまくも畏かれども……(しきしまのみち会「のりと」)

 簑田胸喜著『美濃部博士の大権蹂躪』(原理日本社、一九三五)を紹介している。本日は、その三回目。本日は、同書の冒頭に置かれている「のりと」を紹介したい。旧漢字(正字)は、現行のものに直したが、「國體」の二字のみは、そのままとした。

    の り と

 掛けまくも畏〈かしこ〉かれども呉竹〈くれたけ〉の代々木の大宮にしづまりします 明治天皇の御霊〈みたま〉の大前を天津御空〈あまつみそら〉はるかにもをろがみまつりて畏み畏みもまうさく掛けまくも畏かれども 神武天皇の古〈いにしえ〉にかへらせ給ひ天子ハ文武ノ大権ヲ掌握スルノ義を明かにしたまひし明治の大御代につかへまつりしみ民は大御歌をろがみよみ〔拝み詠み〕まつり日の本のしきしま〔敷島〕の道をふみなむちかひ〔誓〕をもちて志を同じうするもの道速振〈ちはやふる〉神のまにまに結びしシキシマノミチ会につながるみ民〔御民〕それがしたち御祖〈みおや〉の御代〈みよ〉より言ひ伝へ来し、大君ノミコトカシコミ。大君ノマケ〔任け〕ノマニマニ。大君ノシコ〔醜〕ノ御楯〈みたて〉ト。大君ノミカドノマモリ。大君ニマツロフ〔服う〕モノト。大君ハ神ニシマセバ。大君ハトキハ〔常磐〕ニマサム。大君ノヘ〔辺〕ニコソ死ナメ。とふ言霊〈ことだま〉のさきはひ〔幸い〕により高ひかる日の大朝廷【オホミカド】にはやく〔早く〕そなはりてありし道を憂【ウ】れたきかなその道をしもわすれなむとするものら君民の分際【アヒダ】をわすれて民にして御国を政治【マツリゴ】ちなむとしつゝ高き官【ツカサ】の位にのぼりたれば外つ国〈とつくに〉との交りに御国の名をけがすべき過をくりかへしつゝもなほ道速振神のまもりとまめやかにつかへまつる名も無き民のいたづきとにより安らけく治る御代〈おさまるみよ〉に厚く深き御国の御めぐみをかうぶり〔被り〕つゝその御めぐみをわすれ掛けまくも畏かれども 皇祖 皇宗ノ後裔ニ貽〈のこ〉シタマへル統治ノ洪範ヲ紹述スとのたまはせ給ひたる不磨の大典遠つ御祖の不文憲法の今日に発達したる大日本帝国憲法に対して従順の義務を負はざらむとして統治権の主体は国家にして君主は国家最高の統治機関なりとする天皇機関説を唱へつひに國體に反する民主民政主義を奉じそれと連絡する國體変革思想を宣伝しその実行を奨導するもの東京帝国大学に拠りて全国の知識層を赤化化し教育者司法官までも國體変革の罪を犯し国法に触るゝもの頻りにして共産党陰謀とゝもに大不祥事件のつぎつぎに起り来るに歴代内閣の大臣は此の東京帝国大学教授の反國體思想を批判する識見なくこれを処置する忠なく反國體思想の宣伝は官許公認せらるゝが如き有様となりゆきしその責〈せめ〉は全国民のひとしくこれを負ひその罪は全国民のひとしくこれをわかつべきものとかしこまりを申すもまことにかしこきことの限りのこそあれ掛けまくも畏かれども 天孫降臨ましましてよりこのかた天の壁立つ極み国の退【ソ】き立つ限り青雲の靄【タナビ】く極み白雲の墜坐向伏【オリヰムカフ】す限り皇神の見はるかします四方〈よも〉の国を天つ神の御子ながらも天に坐す神の依さし奉りしまにまに安国と平けく現【アキ】つ御神と知ろしめす 我大君につかへまつるこの皇神のいつくしき国言霊のさきはふ国の國體【クニガラ】をわすれて外つの國體をことあげするものらは大日本帝国憲法にまめやかにまつろひまつらむビするみ民の打ちほろぼして止【ヤ】むベき仇にしてこの仇波〈あだなみ〉をふせぎなむと天地の神にこひのみまつりかしこかれども大御歌をろがみよみて御国のみ民のやまとごゝろをよびめさしめむしめひとするさまを神ながらも見をなはしたまひて神のまもりあらせ給へと天津御空はるかにも大宮の大前をろがみまつりいつきまつらくとかしこみかしこみものりとごとまうしまつらくとまうす。
(昭和九年八月十二日松陰神社々務所にて遥拝奏上)
       し き し ま の み ち 会

 この「のりと」は、簑田胸喜の『美濃部博士の大権蹂躪』の冒頭に置かれているが、選者は、簑田胸喜ではなく、おそらく三井甲之(みつい・こうし)であろう。三井甲之(一八八三~一九五三)は、歌人・右翼思想家で、一九二五年(大正一四)に、簑田胸喜、松田福松らとともに、「原理日本社」を結成した。また、一九二八年(昭和三)には、「しきしまのみち会」を立ち上げ、明治天皇御製拝唱運動を展開した。ちなみに、『美濃部博士の大権蹂躪』の奥付を見ると、その発行所は、「しきしまのみち会/原理日本社」となっている。

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簑田胸喜『美濃部博士の大権蹂躪』(1935)の目次

2019-05-24 03:40:54 | コラムと名言

◎簑田胸喜『美濃部博士の大権蹂躪』(1935)の目次

 簑田胸喜著『美濃部博士の大権蹂躪』(原理日本社、一九三五)を紹介している。本日は、同書の「目次」を紹介したい。ページの表示は、原文では半角の漢数字である。旧漢字(正字)は、現行のものに直したが、「國體」の二字のみは、そのままとした。

     目  次
明治天皇御製・聖喩記・のりと
序 言…………………………………………………………………………………(  1- 40)
   ――――――――――――――――――――――――――――
本 論
一、美濃部博士の『國體変革』思想に対する学術的綜合的批判………………(  1- 52)
二、宮沢俊義氏の凶逆『人民主権主義』宣言……………………………………( 53- 78)
三、河合栄治郎氏の『国家主義の批判』の滑稽なる重大誤謬…………………( 79- 96)
四、横田喜三郎氏の「国家統治権」を否認する売国的国際法学説……………( 97-118)
五、横田喜三郞氏の『アジア・モンロー主義批判』を批判す(松田福松)…(117-134)
六、末弘事件の不起訴理由を公表し其行政的贖罪方法を論ず…………………(135-142)
偶感(連作短歌・著者) 大学(連作短歌・三井甲之)………………………(143-145)

 一点、注釈する。「六」の末弘事件とは、東京帝国大学法学部長・末弘厳太郎(すえひろ・いずたろう)が、一九三四年(昭和九)六月、本書の著者・簑田胸喜から、「暴逆思想」を理由に告発され、同年一二月に不起訴とされた事件を指す。

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原理日本社発行書目一覧(1935現在)

2019-05-23 02:23:55 | コラムと名言

◎原理日本社発行書目一覧(1935現在)

 先日、簑田胸喜著『美濃部博士の大権蹂躪』(原理日本社、一九三五)という本を入手した。本文一八六ページ、定価四〇銭。美濃部博士とは、言うまでもなく、憲法学者の美濃部達吉博士のことである。
 簑田胸喜(みのだ・むねき)には、多くの著作物があるが、これなどは、比較的よく知られている本である。定価が安いこともあり、実際に、かなり普及した本だったと推察される。
 このあと、ときどき、その内容を紹介してゆこうと思っているが、本日は、とりあえず、同書の巻末にあった「原理日本社発行書目」というものを紹介することにしたい。

   原 理 日 本 社 発 行 書 目

三井甲之著  詩集 祖国礼拝           四六判一〇八頁五十銭税二銭
 同     民族心理学研究          菊判六〇頁三十銭税二銭
 同     短 歌 概 論          四六判八八頁三十銭税二銭
 同     国民宗教儀礼としての明治天皇御製拝誦 四六判四六頁/
                           三十銭税二銭
 同     我等は如何に此凶逆思想を処置すべきか 四六判一二〇八頁/
                           三十銭税四銭
 同     明治天皇御製と軍人勅諭        袖珍判 一二五頁/
                           並製十銭 上製十五銭 
 同 訳   ゲーテ・ファウスト      四六判二〇〇頁壱円税六銭
三井甲之選/                     各四六判一一〇頁/ 
田尻弥七編  国民同朋和歌集 明治篇/大正篇    各三十銭 税四銭
河村幹雄著  基督・親鸞と祖国主義     四六判六〇頁二十銭税共    
田代順一著  雲か萍か 親鸞上人の遺跡をめぐりて  四六判七〇頁二十銭税二銭
簑田胸喜著  独露の思想文化とマルクス・レニン主義 四六判二〇〇頁五十銭税二銭
 同     世界文化単位としての日本       四六判六二頁十銭税二銭
 同     『随感録』に現れたる浜口前首相の/      四六判一七八頁/
       精神分析(政党万能議会中心『民政』主義解剖) 四十銭税共
 同     日本総赤化徴候司法部不祥事件/        菊判八八頁/
       禍因根絶の逆縁昭和維新の正機         三十銭税共 
 同訳補   ムース原著 唯物史観の哲学的経済学的基礎 菊判七〇頁三十銭税共 
松田福松編  大学より発現する日本赤化思/
       想運動の現状と其学術的折伏       四六判七六頁十銭税二銭
 同 著   昭和天業翼賛原理          四六判一二〇頁二十五銭税共
 同     国運の危機 杉村陽太郎著『国際外交録』批判  四六判七二頁/
                               拾銭税共
滋賀多喜雄著 河合・蠟山両教授著『学生思想問題』を検討す  四六判九六頁/
                               二十五銭税共

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加藤典洋さん亡くなる(攘夷から開国への「転轍」)

2019-05-22 04:25:05 | コラムと名言

◎加藤典洋さん亡くなる(攘夷から開国への「転轍」)

 昨二一日の東京新聞によれば、評論家の加藤典洋さんが亡くなられたという。亡くなったのは、今月一六日で、死因は肺炎だという。七一歳。
 昨年の一月二八日に池袋の丸善で、加藤典洋さんの講演会があったので、参加した。テーマは「福沢諭吉」だった。そのときは、お元気そうに見えたが。
 この講演の前、勉強のためと思って、『もうすぐやってくる尊王攘夷思想のために』(幻戯書房、二〇一七年一〇月)を購入し、一読した。昨日、訃報に接したあと、書棚から取り出し、少し読み直してみた。冒頭に置かれた論文「もうすぐやってくる尊王攘夷思想のために――丸山眞男と戦後の終わり」が、やはり、最も力が入っていると思った。本日は、追悼の意味をこめて、同論文の一部を引用させていただこう。

 しかし、いかに自分の「正義」(「誠」)を言い募っても、また相手がいくら理不尽であろうとも、そのままぶつかったら、植民地にされてしまうだけではないか。そういう感慨が、実際にこの過激な思想を実行すると、その結果として、やってくる。つまりは実行を通じて「内在」の思想は、「関係」の壁――関係の絶対性――にぶつかり、はじめて「関係の世界」にふれる。そうしてはじめて、それを避けるには、その「内在」の論理だけではダメだ、という明察が訪れ、次善の策への模索が共通の課題となりせりあがってくる。その契機を私は先にあげた拙著『日本人の自画像』では、「内在」から「関係」への〝転轍〟と呼んでいる。
 日本列島で、もっとも対外的危機感を募らせたのは本州と九州の「突端」に位置する薩長そして水戸だった。そのうち、薩長が、攘夷に走り――「内在」の尊皇攘夷思想を実行し――、薩英戦争(一八六三年)、下関戦争(一八六三~六四年)でこてんばんに欧米列強に負けることで、「関係」の尊皇開国思想へと「転向=転轍」し、尊皇攘夷思想の革命性を「革命」の実行に結びつける。また、これに対し、朝幕双方への「近さ」もあり、その過激思想を欧米列強を相手にそのままに実行することのなかった水戸は、外国軍とぶつからずにテロ (井伊暗殺)へと向かい、〝転轍〟の機会を逸する。そして、そのためだろう。天狗党の乱(一八六四年)など、内紛を募らせ、原理主義がいよいよ過激化し、孤立した果て、どうなるかの例を示し壊滅している。ここでは論じないが、両者の差は、尊皇・攘夷の論の観念的な純度の差、尊皇論と攘夷論の質的差異と拮抗関係の強度の違い、ならびにこの転轍=転向の契機の有無にあったというのが、私の考えである。〈四七~四八ページ〉

 文中、『日本人の自画像』という書名があるが、二〇〇〇年三月、岩波書店刊。現在、『増補 日本人の自画像』(岩波現代文庫、二〇一七年一月)。

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