礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

一私立銀行を一国金融の中枢機関たらしむるは不可(伊藤博文)

2019-05-20 03:36:28 | コラムと名言

◎一私立銀行を一国金融の中枢機関たらしむるは不可(伊藤博文)

 土屋喬雄著『渋沢栄一伝』(改造社、一九三一)から、別篇の一「朝鮮に於ける渋沢栄一」の(二)「朝鮮に於ける渋沢」を紹介している。本日は、その五回目(最後)。昨日、紹介した部分のあと、改行して、次のように続く。

 三十八年〔一九〇五〕十一月日韓条約〔乙巳保護条約〕成り、韓国は我が保護国となり、外交権は我が手に帰し統監府は京城に置かれ、枢密院議長伊藤博文は統監に任ぜられた。こゝに於て韓国政治の実権は全く日本に帰した。同四十年〔一九〇七〕七月韓国皇帝〔高宗〕が皇太子李坧〈リ・セキ〉に譲位の時、日韓両国は更に協約を結び、統監をして韓国内政の改改善に就ても指導せしむることとなり、四十二年〔一九〇九〕には更に司法権をも我が手に収めた。かくて日韓併合の機運熟し、四十二年十月伊藤前統監(これより先き六月伊藤辞し曽禰荒助【そねあらすけ】代つて統監となる)満洲ハルピンに韓国人の銃弾に倒れるや、急転直下同年十二月韓国一進会長李容九【りようきう】の併合建議となり、四十三年〔一九一〇〕八月廿二日韓国併合の条約は締結され、韓国を改めて朝鮮とし、統監府を廃して朝鮮総督府を設置した。
 これより先き三十八年十一月統監府官制制定されるや、第一銀行の韓国に於ける業務も統監の監督し属することとなつたが、伊藤統監は統治の大策上より見て一私立銀行に銀行券発行の特権を付与し、一国金融の中枢機関たらしむるを不可とし、別に韓国中央銀行を創設することとなつた。第一銀行は『三十年拮据【きつきよ】経営して得たる幾多の特権と利益とを一朝にして抛棄【はうき】し去るは情【じやう】に於て真に忍び難きことなれとも、国家百年の計の為め終に自ら犠牲となることを甘んじ』四十二年六月渋沢頭取は荒井〔賢太郎〕度支部〈タクシブ〉次官と承継に関する契約を結んだ。この契約成立後韓国政府は韓国銀行条例を公布し、その設立事務を挙げて日本政府に一任した。日銀総裁松尾臣善【まつををみよし】を設立委員長に、渋沢栄一及び荒井度支部次官等三十一名を設立委員に命し、遂に十月二十九日韓国の中央銀行たる韓国銀行の創立を見た。これ今日の朝鮮銀行の前身である。この時に当り十四ケ所の第一銀行支店出張所の事務を悉く一点の支障無く僅か一日で韓国銀行に引継いだことは、渋沢平素の訓練が行届いてゐたものとして財界の一美事【びじ】とされた。
 四十三年一月日韓併合に先立つて、渋沢栄一は多年韓国の金融幣制に貢献し、近くは韓国中央銀行設立の功労により、大蔵大臣桂太郎、韓国統監曽禰荒助から懇篤なる感状を贈られた。同月二十六日には韓国内閣総理大李完用【りくわんよう】の名を以て同じく感謝状が寄せられた。日本資本主義の朝鮮進出の先導者とて功成り名遂げた彼の姿をこゝに見ることが出来る。

 人名の読みは、原ルビに従った。松尾臣善は、「まつお・しげよし」と読むのが正しいとされている。また、荒井度支部次官の「度支」は、「財政」の意味である。

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