◎村上氏は、たしかに一度、猫を棄てている
昨日のコラム〝村上春樹氏のエッセイ「猫を棄てる」を読んだ〟に、若干、補足する。
村上春樹氏は、そのエッセイ「猫を棄てる」の冒頭で、飼っていた雌猫を、父とふたりで、海辺まで棄てにいった話を紹介している。昭和三〇年代の初めのころだったという。ところが、猫を棄てて帰ってくると、すでに猫は家に戻っていて、玄関で「にゃあ」とふたりを迎えたという。
この話は、ひとつの寓話である。村上氏は、これまで、みずからの「根」(ルーツ)にある部分について語ってこなかった。語ってこなかっただけではない、村上氏の文学は、そうした根にある部分を「棄てる」ことによって成立していたのではないか。ところが、ヨワイ七十に達し、あらためて、みずからの根にあるものを意識されたのだろう。今後は、そうした根にあるものを直視し、そうしたものを踏まえながら、新しい文学を目指そうと決意されたのだろう。すなわち、猫とは、「みずからの根にあるもの」であり、その猫が戻ってきたとは、「みずからの根にあるものを受け入れる」ということではないのか。
ところが、このエッセイは、なかなか一筋縄ではいかない。最後のほうで、別の猫の例が出てくるからである。【この話、続く】