礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

新書判でない岩波新書『日本精神と平和国家』(1946)

2013-02-26 05:58:37 | 日記

◎新書判でない岩波新書『日本精神と平和国家』(1946)

 岩波新書でありながら、サイズが新書判でないものがある。戦後の一九四六年六月に出た羽仁五郎『明治維新―現代日本の起源―』の初版がそうである。これは、新書判でなく、B6判である。今から三〇年ほど前、古書店で初めてそれを目にしたときは、やや驚いた。
 新書判でない岩波新書は、これだけかと思っていたが、ごく最近、もう一冊あることを知った。矢内原忠雄の『日本精神と平和国家』(一九四六)である。昨年の後半、古書店で見かけ入手した。
『岩波新書の50年』(岩波新書、一九八八)で確認すると、『明治維新』と『日本精神と平和国家』の二冊は、同日(六月二五日)に発売されている。同年一〇月には、近藤宏二『青年と結核』も発行されているようだが、同書が新書判で出たのか、それともB6判で出たのかは、まだ確認していない。
 矢内原忠雄の『日本精神と平和国家』は、著者が終戦の年の一〇月及び一一月、長野県下の国民学校でおこなったふたつの講演の速記録に基いているという。
 本日は、そのうちの「日本精神の反省」の一節を紹介してみたい。

 太平洋戦争がその精神的推進力として日本精神を利用したことは、日本精神の為めに遺憾なことでありました。之によつて日本精神の美点が発揮せられるよりも、欠陥の暴露せられる事が多くありました。それといふのも、日本精神を利用した戦争遂行者その者が虚偽であつたからであります。第一に、太平洋戦争そのものが私心のない日本精神から始まつたものであるかどうか。太平洋戦争の性質論であります。第二は、この戦争に於て日本精神をやかましく言つた人々の実際の行動と生活を見る事であります。この二つの点を感情的でなく、静かに又緻密に見るならば、この事はわかる筈であります。
 太平洋戦争はなぜ起つたか。それは支那事変の収まりがつかなかつたかからであります。支那事変はなぜ起つたかと言ふと、満洲事変の収まりがうまくいかないから起つた。だから満洲事変はどういふ事で起つたか、少くとも其処迄溯つて考へなければならないのであります。そして之は或る人々の陰謀により計画的に起された事件であります。そして満洲国を確保する為めに、支那事変となつた。当時に於て、支那は封建的な軍閥の国だから、一押し押せば四分五裂して潰れてしまふといふやうな誤つた支那観が流布せられて、それが実行に移されたわけであります。その支那事変が片付かず、「蒋介石相手にせず」などと色んな事がありましたが、その収まりをつける為めに太平洋戦争となりました。太平洋戦争となつた後に、大東亜共栄圏、八紘為宇〈ハッコウイウ〉、さういふことが持出されたのであります。時間的順序を見てごらんなさい。太平洋戦争を始めたときに、八紘を宇となすとか大東亜共栄圏とか東亜諸民族の解放とか、さういふことが言はれたのではありません。あれは戦争遂行上政治工作が必要となつた時に始めて言はれた事です。あとから付け加へた理屈です。共栄圏とか八紘為宇ととかいふことは、それだけ取出して見れば立派な思想であります。之が国民を鼓舞したこともあるでせう。併しそれが原因となつて太平洋戦争が起つたのではありません。私心を美化するための理屈であつたが故に、八紘を宇となすといふことを折角言ひましたけれども、その意味が曖昧であつて、それを唱へる人々の間に於てさへ解釈が色々であつた。日本が本つ国〈モトツクニ〉となつて東亜諸民族を統御して往くといふ風に説明する人もあるし、諸民族を解放してすべて同等の立場で交際して往く国際親善主義であると主張する人もあつた。万邦をしてその所を得しめると言つても、所といふのにも色々ある。日本が主人であつて、他は家来であるといふのも所は所である。いやさうでない、日本も一つの国、外国も一つの国、それぞれ平等の国として立つてゆくといふ説もあつて、はつきりしなかつた。支那人や英米人は八紘為宇の思想をもつて日本の侵略主義の別名であると解釈したのであります。戦争遂行中に後から付け加へられた理屈であつたが故に、その事自体の中には非常によい思想があるに拘らず、さういふ解釈を招いたのです。

 明日も、『日本精神と平和国家』の紹介を続けたい。

今日のクイズ 2013・2・26

◎1938年(昭和13)1月16日の政府声明に含まれる言葉として正しいのはどれでしょう。

1 以後蒋政権ヲ相手ニセズ
2 自今国民政府ヲ相手ニセズ
3 爾後国民政府ヲ対手トセズ

【昨日のクイズの正解】 3 長門裕之■本名は加藤晃夫。父は沢村国太郎、弟は津川雅彦。加藤大介は叔父、沢村貞子は叔母にあたります。「金子」様、正解です。

今日の名言 2013・2・26

◎電話を受けた憲兵は黙って二階に上がっていった

 二・二六事件(1936)で銃殺された渡辺錠太郎教育総監の自宅には、警護のために憲兵が二名常駐していた。しかし、事件の日の早朝、憲兵宛ての電話があり、それを受けた憲兵は、凶行が終わるまで、二階に上がったまま降りてこなかったという。雑誌『文藝春秋』の2012年9月号に載った渡辺和子さん(渡辺錠太郎の次女)の手記「二・二六事件 憲兵は父を守らなかった」に、そういうことが書かれていた。昨年8月11日の当ブログ参照。今、渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』という本(幻冬社、2012)がベストセラーになっているようだ。テレビでも数日前に、渡辺和子さんの温顔をお見かけした。

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2 コメント

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Unknown ( 金子)
2013-02-26 18:38:51
 3です。
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Unknown ( 金子)
2013-02-26 18:47:58
 矢内原忠雄って、曲学阿世の人でしたっけ?そう云った吉田の孫は、口が曲がってますが・・・昨日も日韓会談の際、チンピラのような姿で会見したようですね。祖父の傲慢さとふてぶてしさだけは立派に受け継いでいると思います。
 しかし、ひとつだけマトモなこともいいました。総理を退任してからのほうが少し言動が落ち着いてきたようです。「(民主党政権を指して)あれが仮免なら今度出てきた人たち(維新のこと)は、無免許運転ですよ。」
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