礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

深刻苛烈な事態にいたった「支那問題」(『支那問題解決の途』より)

2013-02-24 09:31:10 | 日記

◎深刻苛烈な事態にいたった「支那問題」(『支那問題解決の途』より)

 昨日の続きである。東亜調査会編纂『支那問題解決の途』(毎日新聞社、一九四四年九月)の中にある谷水真澄の論文「『全面和平』を繞る諸問題」から、その最後の一節を紹介してみたい。筆者の谷水真澄は、東亜調査会理事、毎日新聞東亜副部長。

 支那統一を阻む重慶抗戦の性格
 こゝでわれらは再びもとに還つて、重慶政権の実体を究明しなければならない。
 現在、重慶の内部においては前記の如く、支那民族統一への本能的な欲求が、六年余にわたる抗戦のきびしい現実を濾過して、惻々として盛り上り、東亜復帰への熱意が抬頭しつゝあることは見逃すことの出来ない事実であり、またそれはわが対支政策の根本精神より見て、尊重すべきものであることはいふまでもない。もし重慶人の心奥にかゝる要素がいさゝかでも発見し得ないとするならば、純正なる東亜的人間性に基礎をおくわが事変処理の政策は、その根本的意義を失ふものであつて、わが事変処理の方策は新たなる観点において再検討されねぱならぬことともなる。この意味においてわれらは、雄渾なるわが対支政策の客観性を実証する事実を見出したことを、心より喜びとするものである。
 然しながら、こゝに考慮を要することは、当面重慶の動向を支配し、その方向を決定するものは、あくまで徹底した国家的打算であり、ドス黒い戦争の現実だといふことである。従つて対日戦争の停止、南京政府との合流合作、反枢軸よりの離脱といふが如き重大なる方向転換に関しては、戦ひつゝある重慶の現実に対して、更に冷静なる検討がなされねばならない。これら事変の局面に現れつゝある事実において見れば、次の如き諸点が指摘されるのである。
 第一、重慶は事変六ケ年余を通じて敗戦に敗戦を重ねつゝも、今日においてなほ敗れたりとは考へてをらず、むしろ日本軍を大陸に引きつけてゐることは、消耗戦の立場より見て却つて成功を収めたと考へてゐる。従つて全面より見れば重慶軍に敗戦感はなく、依然として熾烈なる敢闘精神を失つてゐないことは、最近の戦局の様相にはつきりと現れてゐる。
 第二、重慶と米英の関係は、大東亜戦以来急激に増加した米資本、技術の奥地浸潤、在支米軍と重慶軍の空陸連携作戦の成立、ビルマ反攻作戦における米英蒋軍事合作の強化等において見らるゝ如く、刻々に緊密化しつゝあり、今や米英との勾結〔結託〕はぬきさしならぬものがあることを感ぜしめる。たゞ重慶自体は必ずしも米英に利用されてはをらず、また米英と運命を共にしようと考へてゐるわけではないが、重慶の支配層は米英に依存せずには成立し得ない要素を以て構成されてゐることに注目する必要がある。
 第三、抗戦の基礎をなす戦時経済は一応その体制を整へ、米英よりの支援と相俟つて、軍需は細々ながら続け得る状態にあり、少くもこゝしばらく重大な破綻を来すやうなことは予想出来ない。また徴兵制度の実施、新県制の実施による地方政治の党的掌握、田賦制の改革、租税の実物徴収、全面的な企業統制等国内体制の再編成が一応緒につき、しかも、それが強力な蒋介石の独裁機構と結びついてゐる事実は、重慶政府が外的な打撃によつて容易に崩壊するものでないことを示してゐる。
 第四、世界戦局の見透しについては、イタリヤの枢軸脱落以来益々英米の勝利を妄信するに至り、太平洋戦局における米国の敗戦にも拘らず、反枢軸の「最後の勝利」を信じて疑はない。蒋介石のカイロ会談参加はかゝる国際情勢判定に基づくものである。
 以上の諸点は、わが対支政策の寛容なる精神、汪精衛〔汪兆銘〕氏の己れを空しくせる呼びかけにも拘らず蒋介石が頑強に抗戦を持続し得る条件である。而してこれを貫くものは「鴆を飲んで渇を止むる」を辞せざる支那人本来の徹底的性格であり、絶対戦争として戦ひつゝある抗戦重慶の性格であつて、かゝる観点より見れば、わが対支政策の重大発展を以て、重慶の反省及びその方向転換を直ちに期待する如きは、実にあまい考へといはねばならぬ。しからば、かゝる深刻苛烈な事態に当面しつゝある日本が今後執るべき態度は如何。第一には対米英戦争に勝ちぬいて上述の如き重慶を抗戦に膠着してゐる環境を解きほごすことである。第二には日本が支那国民に約束した諸条件を忠実に実行し、日支抗争のよつて来る素因をとり除き、南京国府の政治的活動を積極化せしめ、将来における重慶との合作を容易ならしめる途を開くことである。日支の和平敦睦〈トンボク〉と支那民族の統一完整はあくまで一であつて、二であつてはならない。《谷水真澄》

 昨日紹介した田中香苗論文にも増して、冷静かつ客観的な分析をおこなっている。
 筆者の谷水真澄は、「当面重慶の動向を支配し、その方向を決定するものは、あくまで徹底した国家的打算であり、ドス黒い戦争の現実だ」と指摘している。また、「わが対支政策の重大発展を以て、重慶の反省及びその方向転換を直ちに期待する如きは、実にあまい考へといはねばならぬ」とも述べている。これは、注目すべき言葉である。
 当時の日本は、対支政策・対支戦争ともに行きづまり、しかも太平洋方面において、劣勢に追い込まれていた。ということであれば、この時点で大日本帝国が採るべき道は、中国からの即時全面撤退を前提とした重慶政権との和平以外になかったのではないだろうか。すなわち、大日本帝国は、重慶政権にならって、「ドス黒い戦争の現実」を直視し、「徹底した国家的打算」の立場を貫くべきだったのである。
 本書『支那問題解決の途』は、東亜調査会の編纂になる。東亜調査会は、毎日新聞社が設立した東亜問題についてのシンクタンクである。シンクタンクである以上は、この帝国存亡の機においては、そのくらいのことは主張すべきだったと思う。しかし、当時の言論統制の下においては、それが主張できなかった。主張できたとしても、それが採用されるような政治状況ではなかったろう。
 ただ、谷水論文について言えば、これは、「純正なる東亜的人間性に基礎をおくわが事変処理の政策」が、すでに「根本的意義」を失っているという現実を明らかにしようとした論文だと捉えられなくもない。

今日のクイズ 2013・2・24

◎1944年の段階で、東亜調査会の会長は、だれだったでしょうか。次のうちからひとり選んでください。

1 松岡洋右  2 小磯国昭  3 徳富蘇峰

【昨日のクイズの正解】 1 蒋介石政権の本拠地の地名をとって、蒋介石政権あるいは蒋介石軍を意味した。■「重慶」についての質問でした。「金子」様、正解です。

今日の名言 2013・2・24

◎重慶軍に敗戦感はなく、依然として熾烈なる敢闘精神を失つてゐない

 谷水真澄の言葉。『支那問題解決の途』(毎日新聞社、1944)の144ページに出てくる。上記コラム参照。

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2 コメント

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Unknown ( 金子)
2013-02-24 21:54:31
 蒋介石も、李登輝同様に知日派で日本に好意的な心情と共に冷徹な国家戦略を持っていたということで、改めて蒋介石の器の大きさに脱帽するものであります。
 こうして、徹底した対日戦線を戦ったわけでありますが、蔣の脳裏には既に次の一手として、連合国内における発言力の強化と日本の占領分割問題があったであろうことは想像に難くありません。
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Unknown ( 金子)
2013-02-24 21:54:55
 これは迷いますね、ちょっと判りません。
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