礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

解釈改憲としての「國體明徴声明」(1935)

2014-02-22 07:26:38 | 日記

◎解釈改憲としての「國體明徴声明」(1935)

 今月一二日の衆院予算委員会における安倍晋三首相の「解釈改憲」発言以来、「解釈改憲」の是非をめぐる議論が盛んになっている。
 こうした議論の際に、参考になるかと思い、本日は、日本の歴史に決定的な影響を及ぼした、「解釈改憲」の事例を紹介しておこう。
 一九三五年(昭和一〇)に、「天皇機関説事件」と呼ばれる事件が起きた。それまで憲法学の世界において主流であった「天皇機関説」(統治権は法人としての国家にあり、天皇はその最高機関であるとする説)が、政友会・軍部・右翼らから攻撃を受け、「天皇主権説」に主流の座を奪われた事件である。
 それまで、「天皇機関説」が日本の憲法学における定説とされてきたのは、憲法学者の美濃部達吉〈ミノベ・タツキチ〉博士の識見によるところが大きかった。当時、美濃部博士は、貴族院議員を務めていたが、この事件によって、自説である「天皇機関説」を否定されると同時に、貴族院議員を辞職した。
 この事件と並行し、貴族院において、天皇機関説は「國體の本義」に反する反逆思想だという議論が生じた。これを受けて、岡田啓介内閣は、美濃部博士の『憲法撮要』などの著書について、絶版・改訂を命じるとともに、同年八月および一〇月の二次にわたって「國體明徴声明」、すなわち、わが国の國體においては、天皇が統治権の主体であることを明示する声明を出した。これらを「國體明徴問題」という。
 参考までに、第二次國體明徴声明(一九三五年一〇月一五日)の全文を紹介しておこう。

 曩に〈サキニ〉政府は國體の本義に関し所信を披瀝し、以て国民の嚮ふ〈ムカウ〉所を明〈アキラカ〉にし、愈々その精華を発揚せんことを期したり。抑々〈ソモソモ〉我国に於ける統治権の主体が天皇にましますことは我〈ワガ〉國體の本義にして、帝国臣民の絶対不動の信念なり。帝国憲法の上諭並〈ナラビニ〉条章の精神、亦此処に存するものと拝察す。然るに漫りに〈ミダリニ〉外国の事例・学説を援いて〈ヒイテ〉我國體に擬し、統治権の主体は天皇にましまさずして国家なりとし、天皇は国家の機関なりとなすが如き、所謂天皇機関説は、神聖なる我が國體に悖り〈モトリ〉、其の本義を愆る〈アヤマル〉の甚しきものにして厳に之を芟除〈サンジョ〉せざるべからず。政教其他百般の事項総て万邦無比〈バンポウムヒ〉なる我國體の本義を基〈モト〉とし、其真髄を顕揚するを要す。政府は右の信念に基き、此処に重ねて意のあるところを闡明〈センメイ〉し、以て國體観念を愈々明徴ならしめ、其実績を収むる為全幅の力を効さん〈イタサン〉ことを期す。

 この声明を見ると、ここでまさに政府による憲法解釈の変更=「解釈改憲」がおこなわれたことが歴然としている。そして、この声明が、こののちの日本の歴史を、大きく変えていくことになったのである。安倍首相は、こうした歴史的事実を知っているのだろうか。知っていながら、あえて「解釈改憲」を主張しているとすれば(その可能性がある)、これはコワイことである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« A・フジモリ氏の両親は九州... | トップ | 中村元が紹介する『妙好人伝... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事