礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

恐怖の都から少しでも早く逃れようと……

2023-05-13 01:07:08 | コラムと名言

◎恐怖の都から少しでも早く逃れようと……

 小川未明の「九月一日、二日の記」(一九二三)を紹介している。本日は、その五回目(最後)。

 日暮方のことであつた。○○が、この附近に火を掛けるといふ流言が報ぜられた。
 ちやうど其時、往来の上が騒がしかつた。○○が、○○を携へて、湯屋を覗つてゐるのを取り逃がしたとか、三人の中の一人が、郵便局の前で捕へられたとか言ふのであつた。私は、往来に立つて、黒く人々の集つてゐる下手〈シモテ〉の巷〈チマタ〉の方を見た。
「○○○○○○○○○○」と、叫んで、上手〈カミテ〉からは、○○や、○○○○のやうなものを振り廻はして、後から、後から、青年達が其方を目がけて、走つて行つた。
「○○つたんですか?」
 私は、あちらから来た人に、たづねた。
「なんだか、見かけたとかいふのですが、ほんたうのことだかよく分らないのですよ」
 たづねられた、その人は、去つた。
 また、あちらから、一人の男が、来て、
「今夜、このあたりを○○○○○○なんださうだ」と、聞いて来た、噂を伝へた。
 こんなことで、往来に立つてゐる人は、口から口へ、いろいろなことを話してゐた。
 この時、芋畑の中には、下町から焼出されて、この町の酒屋を頼つて来た、幾組かの避難した家族があつた。この人達の火に追はれて逃げた実話は、聞く人の心を寒からしめた。
 私は、三人の小供の身の上を思つて、夜中何事が起つても、避難は容易でないと感じたので、まだ明るいうちに、どこかへ脱れ〈ノガレ〉ようと思つた。
 H君が見舞に来てくれたので、手伝つてもらつた。乳母車に、小量の食糧品と、昨夜買つて来た蝋燭と小供の着換へと自分達の着換へとそれに、二三枚の毛布を、野宿をする覚悟でいれて、家の戸をば釘付にして出た。
「蚊帳を持つて来ましたか?蚊帳があれば木の下でも眠れるのだが」と、H君に言はれて、私は、それを忘れて来たことを知つて、もう一度家まで戻つた。
 目白街道に出ると、避難する人の群がつゞいてゐた。後から、また、前から、頻りなしに自動車が、けたゝましく驀進〈バクシン〉して来るので一番小さ い小供は、女中に負はれてゐたが、他の二人の小供を気遣ひ、石に躓く〈ツマズ〉乳母車の自由にならぬのをもどかしがつた。
 H君と妻と私とが、乳母車を押して行つたのであるが、途中で、つひに乳母車は壊はれてしまつた。はじめは、戸山の原を越して、もつと先まで行く考へであつたが、力が砕けてしまつた。私は、もと居た上り屋敷〔地名〕に、T君がゐることを思つた。そして、迷惑でもT君の家に、二三日避難さしてもらはう。其処も危い時は、さらに、先には、茫漠たる原野が開かれてゐるのだと考へた。ほんたうに、私は、この火が、どこまで私達を脅威するか、殆んど想像さへ付かなつた。
 目白駅を眼の下に見ると、線路に添うて避難民が、右に行くものがあれば、また左に行くものがあつて、其の列は、さながら織るがやうに黒くつゞいてゐた。
 彼等には、果して、行く先に当があるのであらうか?さういへば、自分と同じく、この道を橋を渡つて、真直に行く人々もあつた。思ふに、その人達も、やはり私等と同じやうに、どこといふ当〈アテ〉があるのでなく、たゞ、恐怖の都を少しでも早く、其処から逃れようとしてゐるのではないかと思はれた。
 T君の家に、たどりついて、荷物を下した時は、日が暮れてゐた。広い庭の繁みは、暗かつた。
 H君に、別れを告げた。私は、何となく、もう二たび昔のやうに、寛いで〈クツロイデ〉友達とも相語る日がない如くに感ぜられて、寂しかつた。いつあのやうに、また諸君に遇ふだらう。生活のために、その他の事情のために、互に遠く別れなければならぬかも知れない。たゞ、心の中に、其の健康を祈るのであつた。
 いましがた、急いでやつて来た方角を見返へると、はやくも、真紅〈シンク〉の焔が、空を焦がしてゐた。私は、これを理もなく、自分の家の近くだと思つた。
「僕の住んでゐたあたりではないでせうか?」と、私は、言つた。
「そんなに、近くではないでせう。本郷か、さもなくば、牛込のあたりでありませんか」 と、T君は答へた。
 たとへ、それがどこであつても、私は、街が火に祟られてゐると思つて、恐怖を新にした。
「あちらの原の中に丘があります、そこに上ると、よく火が見えますよ」と、T君が、言つた。
 二人は、すでに湿つてゐる、草を分けて、野道を歩るいて行つた。すると、道端に、四五人提燈〈チョウチン〉をつけて屯〈タムロ〉してゐた。
「どなたですか」
 彼等は、不意に立ち上つて、道の前後を遮ぎつて誰呵〈スイカ〉した。
「あすこに住んでゐるTです」と、T君は、落付いて言つた。
 私は、予期してゐた、反動的傾向を、はやくも見たやうな気がした。
 二人は、丘に登つて、火を見たが、それは私の思つたより、遠い処であつたのだ。
 丘を降りて、草深い小道を行くと、轡虫〈クツワムシ〉が、吹く風に声をふるはせながら、高く、低く、鳴いてゐた。
「地震のあつた時は、蟬も鳴かなかったやうですよ。晩方になつてから鳴くのをきゝました」と、私は、妻が話したのを思ひ出した。
「T君、あの屯してゐる人達のところを通らずに帰りませう」と、私は、言つた。
 二人は、他の道を歩いた。すると、彼等は、またこちらに捧を持つて走つて来た。
「この近所のTです」
 二人は、家に戻つた。妻や、小供等は、みんなと庭さきの天幕の下に眠ることになつた。暗い、たよりない蝋燭の火を見つめながら。
「流言蜚語が、盛なやうですね」と、話合つてゐると、このとき、
「夜警に出て下さい。今夜、○○がやつて来るさうですから」と、門の外で、声高に言つた者があつた。
    ―― 一九二三、九 ――   『中央公論』十二年十月号

 伏字が多いが、『中央公論』編集部の自己規制か。最初の○○と最後の○○に入るのは、ともに「鮮人」であろう。

*このブログの人気記事 2013・5・13(9・10位に極めて珍しいものが入っています)

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