礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

間の岳が目の前に黒々として大きい(青木茂雄)

2023-05-07 00:25:11 | コラムと名言

◎間の岳が目の前に黒々として大きい(青木茂雄)

 青木茂雄さんの紀行文「山行雑記」(一九八五)を紹介している。本日は、その三回目。

   ◆  ◆  ◆
 八月三日。きょうが最終日だ。北岳稜線小屋を五時に出発、まずは北岳山頂を目ざす。荷もいくぶんか軽くなった。昨夜はほとんど一睡もできなかったが、前夜と前々夜の寝だめが効いてか身体はずいぶん快調だ。
 山頂から富士山が見わたせた。さすがに高度感がある。だがそこから眼を手前のほうにずらしていくと、池山吊尾根〈イケヤマツリオネ〉の向う側にある山稜は、高度二千メートルを優に越えているところだが、バリカンで頭髪を刈ったように黒々とした樹林がそっくりなくなっている。 伐採はもう南アルブスの主稜線のすぐ近くまでおしよせている。同じような光景はほかでも見た。それに山腹の土砂崩壊が何と多く目についたことだろう。この北岳のすぐふもとには名にし負うスーパー林道が通っている。いったい、南アルプスの自然がいつまで保たれるのだろうか。近頃、巷間では「自然」「自然」とやたらとかまびすしい。私には「自然」「自然」と口にしながら次々に自然を切り開いてゆく人々の姿が目に浮かぶ。自分とてもその一人であるかもしれぬ。だが人と自然とはそう簡単に一体化などできぬものだ。否、一体化などしてもらっては困る。「自然」はあくまで都会の雑踏の中で恋いこがれるものだ。
 間の岳〈アイノダケ〉が目の前に黒々として大きい。
 下山路は、八本歯のコルから池山吊尾根を通り、野呂川〈ノロガワ〉沿いまで直降する道を択んだ。スーパー林道を通るバスだけは利用するまいという多少の意地もあった。
 スーパー林道を通り、広河原から大樺沢沿いに北岳を目ざすルー卜が主になった今、池山吊尾根の登山路は人も通ることなくひっそりとしている。ところどころハイマツにおおわれてしまって道がかき消されている。出来る限りルー卜を歩こう、ハイマツの根も、草の葉も踏むことなく。そうしていると、うしろに北岳バッ卜レスがいよいよ大きく姿を見せる。左手には間の岳のカール。絶景だ、雄大だ、こんな月並みの言葉しか出て来ないことに悔やむ。あいにくとフィルムを全部使ってきてしまったことにもまた悔やむ。
 ひざがガクガクするような下り道を一時間半ほど歩くと、半ば駆け足のようにして降りていったのだが、池山小池小屋についた。小屋とはいうものの半ば廃屋。むろん無人小屋。近くでゆっくり昼食としたかったが、なぜかうす気味悪く、非常食のピーナッツをほおばると、一服してすぐに出発した。だが、小屋の手前草におおわれた湿地帯のところで道は途切れていた。何度もあたりを往復したがどうもわからぬ。そうこうするうちに、左手に踏みあとを発見し、それに沿って行く。しばらくすると急な下りとなる。沢にでる。その沢は大きな土砂崩壊地に注ぐ。踏みあとは完全に消えている。だが下方からは車の警笛がきこえる。ふもとは近い、えい、一気に沢を降りてしまえ、どこかに出るだろう。こういう思い込みが単独行の危ないところだ。これは危うい、ひっ返すべきだ、と思い直したのはそれから三十分ばかりたってからだ。必死の思いでもときたところを登りなおすこと約一時間、幸いにして廃小屋までたどりついた。草も木も俺には関係ない、とにかくこの窮場をしのぐことだ、硬い登山靴が草を踏みつけ、土をけずりとってゆく、そのたびに小石が群をなし音をたてて崩壊地を落下してゆく……。【以下、次回】

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