礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

瀧川政次郎の論文「後南朝を論ず」(1956)

2015-05-12 09:34:21 | コラムと名言

◎瀧川政次郎の論文「後南朝を論ず」(1956)

 先々週、神田神保町の古書展で、後南朝史編纂会編『後南朝史論集』(新樹社、一九五六)を入手した。あまりに安かったので驚いた。出品した古書店主が、値付けをひとケタ間違えたか、あるいは、この本の価値を知らなかったかのいずれかであろう。ちなみに、原書房が一九八一年に出した複製版の定価は、五〇〇〇円であった。
 まず、巻頭にある瀧川政次郎の論文、「後南朝を論ず」を読んだ。わかりやすく、明晰である。何よりも文章がよい。後南朝〈ゴナンチョウ〉問題の本質と争点が、網羅的に解説されている。私のような初心者でも、これで、後南朝問題のポイントをつかむことができる。
 この論文の構成は、以下のようになっている。

はしがき
一 後南朝とは何か
二 後南朝のおこり
三 南朝と後南朝
四 後南朝の活動
五 応仁乱の西陣南帝と後南朝の終末
六 後南朝と川上・北山村民
七 幸徳秋水事件と後南朝
八 南北朝正閏論と後南朝
九 熊沢天皇事件と後南朝
むすび

 当ブログでは、このあと、これらのうち、何節かを選んで紹介してみたい。とりあえず本日は、「はしがき」を紹介する。引用にあたって、正字(旧字)は新字に改めた。また、原文は、改行が少ないので、適宜、改行をおこなった。▼印は、引用者がおこなった改行である。

後南朝を論ず   瀧川政次郎
 は し が き
後南朝〈ゴナンチョウ〉――といっても、一般の人にはそれがわかるまい。専門の歴史家の中にさえ、その名を知らない者がある。それは何故かといえば、後南朝史は長い間日本の秘史として隠されてきたからである。明治の政府は、億兆心を一〈イツ〉にして世々厥の〈ソノ〉美を済せる〈ナセル〉國體の精華を以て、教育の淵源としてきた。従って国史の醜悪な面は、なるべく国民に知らせまいとしてきた。
▼後南朝史は、後に詳述するように、天皇と天皇とが憎みあい、殺し合った醜悪な歴史である。従ってそんなことを国民に知らすことは、教育の根本を危くするのみならず、皇室の尊厳を害する。明治政府の要路者〈ヨウロシャ〉はそう考えたから、国定致科書は勿論のこと、歴史の専門書にも、後南朝のことは殆ど書かせなかった。歴史家もまた政府の方針に従って、後南朝のことは成るべく言わぬようにした。良心的な学者は、日本歴史の室町時代のところで、チョッピリ後南朝のことを述べたが、後南朝を主題とした論文は、誰も書かなかった。況んや〈イワンヤ〉その単行本においておやだ。
▼「後南朝史」と名のついた書物が出るのは、恐らくこれが初めであろう。満洲事変勃発以後、國體明徴が叫ばれ、皇室に関することが殊にやかましく取締られるようになってからは、学者は後南朝のことに関しては全く口を緘した〈トザシタ〉。後南朝の歴史は、後に説くごとく、三種の神器の奪いあいであるから、後南朝に触れるとなると、勢い三種の神器に言及しなければならなくなるが、戦争中は三種の神器のことは、学者のタブーであった。國體明徴の本家のように考えられていた井上哲次郎博士でさえ、三種の神器の問題にちょっと口を辷らした〈スベラシタ〉ために、あらゆる公職を失って、寂しい晩年を送った。今日の青年たちには全く想像することもできない御時勢であった。そんなわけであるから、今日国民が後南朝を知らないのも無理ではない。むしろ当然だ。後南朝て何のこと、と問うても決して恥ではない。
そんなら今お前が後南朝の歴史を書いてこれを公刊しようというのは、国史の醜悪な部分を暴露して日本歴史にケチをつけようというのかというと、決してそうではない。むしろその反対だ。私は教育勅語に説かれている倫理が誤りであるとは思わない。しかし、その前文は誤っている。教育の淵源を国史の精華に求めたことは、多くの害悪を生んだ。我が皇租皇宗国を肇める〈ハジメル〉こと宏遠なりというから、建国の紀元を新しく観ることは、教育の基礎を破壊することになる。
▼那珂通世〈ナカ・ミチヨ〉博士は、神武天皇即位紀元が六百年ほどサバをよんだものであるという学説を発表して、元老院書記官から東京高等師範学校教授に左遷された。上下心を一にして世々厥の美を済してきたことが、国體の精華であって、それが教育の淵源であるから、日本の昔にも古代羅馬や希臘にあったような奴隷制度があったというようなことをいう奴は、国民教育を害する奴だということになる。故に日本奴隷制度の研究を発表した瀧川政次郎は、戦争中満洲に追いやられた。これでは日本歴史は良いことずくめの歴史にならざるを得ないではないか。
▼いつの世にも、曲学阿世の徒は多い。出世主義の歴史家は、みな日本のよいことを書いた。わるいことは無かったことにするか、またわるいことも善いことのように言いくるめた。そうして日本の國體は、金甌無闕〈キンオウムケツ〉であるとか、万邦無比〈バンポウムヒ〉であるとかいって誇った。天智朝に日本が唐・新羅と戦って大敗を喫したことはひたかくしに隠され、文永・弘安の役に蒙古軍を撃退したことのみが誇大に宣伝せられた。その結果、日本は傲慢となり、諸外国から憎まれた。勝ったことばかり教えてもらって負けたことを教えてもらわなかったから、禍い〈ワザワイ〉忽ち〈タチマチ〉身に及んだのである。
▼国民は明治維新を光栄ある革命だと教えられてきたが、明治維新は醜悪なる権力の争奪で、あんなことが再び起ってくれては困る。維新の志士は盛んに尊王攘夷ということを唱えたが、尊王も攘夷も討幕の口実で、本当には尊王も攘夷も行われなかった。維新の際に日本が国を保ち得たのは、日本が四方から日本に侵略してくる英仏露米の勢力の衝突点になったからで、ロシアに占領された対馬を取り返してくれたのはイギリスの軍艦である。それが国民によくわかっておれば、日本は支那事変に深入りして国力を消耗してしまうような愚かな真似はしなかったと思う。また維新の際に本当に尊王が行われていたら、勅命に背いて朝鮮の師団を満洲に入れるような陸軍大将〔林銑十郎〕も出て来なかったはずである。
▼日本が国をあやまったのは、国民に本当の歴史を知らせなかった結果であり、本当の歴史を国民に知らせることを阻んだのは教育勅語である。伊藤博文の反対を押切り、明治天皇に迫って教育勅語を発布せしめた侍講元田永孚〈モトダ・ナガザネ〉の罪は大きい。
▼私は真実に生きるということが、人間の最も大きな倫理であると考えている。善意でついた嘘でも、嘘はいけない。嘘も方便というが、方便程度の嘘ならよいが、国の方針なり、国民の心の持ち方をきめる大事の歴史に嘘があってはならない。ヒドラのように醜い姿であろうとも、真実をジッと見詰めて、善処の途〈ミチ〉を考え出すだけの勇気をもたなければ、日本の再建はできない。気やすめや希望的観測ばかりで進んでゆけば、屹度〈キット〉大穴に落込む。
▼きれいごとの日本歴史では、日本はよくならない。今日日本の国民は、自国の歴史を知らず、まるで歴史をもたない南洋の植民地の人民のようになりつつある。終戦後の日本人が日本の歴史を知らないようになったのは、アメリカの占領政策の結果でもあるが、日本国民か戦前の国史を全く信用しなくなった結果である。日本人も、神話を事実として押しつけられたり、よいことずくめの歴史を信用したりするほど悟性の欠けた国民ではない。日本歴史にはよいこともあり、わるいこともあったが、おしなべて外国の歴史よりすぐれている。だから日本は万邦比肩するもののないよい国柄〈クニガラ〉だというなら話はわかる。しかし、日本にあったものはみなよいことだというのでは受けとれない。一つの嘘がばれると、その人のいうことは全部嘘ではないかと疑われる。よいことずくめの歴史ほどわるいものはない。それは国民の日本歴史に対する信用を全くゼロにしてしまった。
▼明治大正の要路者の生きのこりは、いま時の若い者は、歴史を学ぼうとしないといって慨嘆するが、現代の青年に歴史を棄てさせたのは、よいことずくめの日本歴史を教えた貴公達の罪である。私はよいことわるいことを問わず、真実の日本歴史を国民に知らしめて、国民の日本歴史に対する信用を取り戻したいと思う。そのためには、醜悪なる後南朝の歴史も説かざるを得ないのであって、私を終戟直後に起った反動派の歴史家と混同してはならない。終戦直後には、戦争中のよいことずくめの歴史の反動として、わるいことずくめの歴史がはやった。そしてそれが「偽らざる歴史」とか何とかいわれた。しかし、それも実は偏っているのであって、よいことずくめの歴史なんかがあるべき筋がないように、わるいことずくめの歴史もあるべき筈がない。
▼後南朝史を語る以上は、失徳の天皇も出てくるが、百十数代という天皇の中に、一人や二人失徳の天皇があったといったからといって、皇室の尊厳が害されるものとは思われない。百十数代に及ぶ歴代天皇が、みんながみんな、揃いも揃って御徳の高い天皇であったと言わなければ承知ができないというのは、従来のくさった宮内省の木ッ葉〈コッパ〉役人の根性である。こういうなさけない木ッ葉役人が大勢を制していたために、国民は本当に御穂の高い英邁な天皇のことをも知ろうとしなくなってしまったのである。私はこれを遺憾と考えるが故に、醜悪でも何でもよいから、真実を語ろうというのである。

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