礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

郷土史家・笹澤魯羊の書誌

2015-05-11 04:46:20 | コラムと名言

◎郷土史家・笹澤魯羊の書誌

 ここ数日、笹澤魯羊著『宇曽利百話』(下北郷土会、一九六一年第三版)を紹介してきたが、著者の笹澤魯羊〈ササザワ・ロヨウ〉については、一言も説明していなかった。とりあえず、「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」にある説明を引用させていただくことにする。

笹沢魯羊  ささざわ-ろよう 1885-1972 大正-昭和時代の郷土史家。
明治18年1月8日生まれ。青森県内の新聞記者をつとめたのち、大正9年田名部(むつ市)で「下北新報」を発行。下北地方の郷土史を研究し、多数の町村誌を執筆した。昭和16年大畑町長。戦後は「宇曽利百話」「下北半島史」などをあらわした。昭和47年2月13日死去。87歳。青森県出身。正則英語学校卒。本名は善八。

 また、『宇曽利百話』(第三版)の巻末には、「魯羊出版年譜」というものがついている。本日は、これを紹介してみたい。〔 〕内は、発行者または発行所。これは、国立国会図書館のデータによって補った。

 魯 羊 出 版 年 譜

八戸便覧   明治四十四年十一月三日発行〔石橋福太郎・大嶋武三郎〕。この日青森県東部物産共進会褒賞授与式。
八戸町誌   明治四十五年四月三日発行〔石橋福太郎〕。
青森商工案内 大正四年五月七日発行。
川内案内   大正六年十一月十一日発行〔石井周三〕。この日川内町町制施行祝賀会。
下北郡地方誌 大正十年七月三十一日初版〔笹澤善八〕。大正十五年十月三十一日再版〔下北新報社〕。昭和五年十一月十一日三版。昭和九年六月十日四版。
大畑町誌   昭和九年十一月十五日初版。昭和十二年十二月三十日再版。昭和十四年一月十日三版〔下北新報社〕。昭和十四年十二月六日四版〔下北郷土会〕。この日国有鉄道大畑線開通。
大湊町誌   昭和十年五月三十一日発行〔下北新報社〕。
田名部町誌  昭和十年十月二十七日初版。昭和十二年二月十一日再版。昭和十四年十二月二十五日三版〔下北郷土会〕。
東通村誌   昭和十一年八月七日発行〔下北新報社〕。
川内町誌   昭和十一年十一月十七日発行〔下北新報社〕。
佐井村誌   昭和十二年九月七日発行〔下北新報社〕。
風間浦村誌  昭和十三年七月三十一日発行〔下北新報社〕。
下北半嶋史  昭和二十七年九月二十日発行〔下北郷土会〕。昭和二十一年八月二十日再版。
宇曽利百話  昭和二十八年七月十五日発行〔下北郷土会〕。昭和三十二年八月三十日再版。昭和三十六年十一月十五日三版。

 若干、補足する。大正四年五月七日発行の『青森商工案内』は、国会図書館に蔵本なし。『川内案内』は、上にあるのは大正六年版だが、その前に出た大正四年版(発行者・諏訪内剛克)が、国会図書館に架蔵されている。なお、国会図書館のデータによると、『下北半嶋史』、『宇曽利百話』については、名著出版から、一九七八年に複製版が刊行されている。また、同じく名著出版から、一九八〇年に、『下北半島町村史』(上巻、 田名部町誌・大湊町誌・川内町誌・東通村誌〈ヒガシドオリソンシ〉:下巻、大畑町誌・風間浦村誌〈カザマウラソンシ〉・佐井村誌)という編集物が刊行されている。

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