礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

杉田水脈議員の「生産性」発言と大熊信行の「生産」の経済学

2018-07-30 00:29:22 | コラムと名言

◎杉田水脈議員の「生産性」発言と大熊信行の「生産」の経済学

 杉田水脈〈ミオ〉衆議院議員の「生産性」発言が話題になっている。後学のために、私も、『新潮45』に掲載された〝「LGBT」支援の度が過ぎる〟と題する記事を読んでみた(ただし、ネット上にアップされたもので)。
 問題とされているのは、たぶん次の箇所であろう。

 例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

 ここで、「生産性」という言葉が使われているのを見て、私は、大熊信行〈オオクマ・ノブユキ〉が、戦争中に提起した「生産」の経済学を思い出した。
 今、大熊信行が、それを提起していたと記憶する『国家科学への道』(東京堂、一九四一)が、すぐには探し出せないので、そのかわりに、思想史家の河原宏が、大熊信行の経済学について解説している文章を紹介することにしたい。
 以下は、河原宏著『昭和政治思想史研究』(早稲田大学出版部、一九七九)の第Ⅱ部「資源と生活」の第八章〝「戦時下民衆の「生活」と生活科学〟の〝四 社会科学における「生活」〟からの引用である。

    社会科学における「生活」
 大熊信行によると、日本で最初に学問的著述の中で生活科学という言葉が用いられたのは一九三一年に出版された赤松要の著書においてであるという。その後、宮田喜代蔵、大熊信行らもそれぞれ個別に生活科学という構想に近づき、大河内一男も社会政策学の立場から生活の論理を探求する方向へ進んでいった。大熊は彼自身が生活科学という着想をえたのは一九三〇年ごろとのベているが、少くも経済学の研究に携わる前三者に共通していた発想は価格科学としての経済学が見失ったものを、生活科学において再発見しようとする試みだったという。
 それでは既存経済学批判としての生活科学とはなにを意味し、どのようなものとして構想されたのか。ここでは大熊信行の所説を中心に辿ってみよう。出発点は既存経済――そこにはマルクス主義経済学も含められるが、特に近代経済学の――批判におかれる。既存の経済学はすべて物財中心の科学であり、したがって価格科学である。この点で経済学は人間中心の科学であることをやめ、生活が見失われている。例えば同じ食物を調理しても、それがレストランで行なわれれば営利を目的とした生産行為であり、家庭の台所で主婦が行なえば消費行為である。同様に仕立屋が衣料を裁てば生産であり、家庭での裁縫は消費である。この区分けは経済学では当然の常識となっており、それにとって基本的な概念である生産、生産者、生産財、生産力などの用語、また反対に消費、消費者、消費財、消費経済などの言葉もすベてこの思考法によって律せられている。かくて人は家庭においては完全に消費者として扱われ、家庭経済は消費経済以外のなにものでもなく、経済学の思考対象としてはほとんど排除されて、関心の的にもならない。なぜなら、家庭生活は営利を目的としたものではなく、物財中心にではなく、人間中心にくみたてられているものだからである。このような家政経済に注目しない点ではマルクス主義経済学もあまり変わらない。だがこのような思考法は経済学にとってはいかに当然であっても、常識的には奇妙な、むしろ「奇怪で滑稽な」観念であろう。その根本は経済学があくまで生産を営利目的と結びつけている点にある。だが果して生産とはそのようなものか。こうして「生産」という概念の根本的な再検討が求められる。
 大熊によれば生産とは単に物財をつくることだけではなく、もともとは生命に関する言葉であり、生命が育つこと、人間を産み、育てることを意味したという。したがって生産過程には人間の生産と物の生産という二つの系列があり、そのうちでより重要なものはいうまでもなく人間の生産および再生産である。因みに英語のreproductionには再生産と生殖という意味がある。人間の再生産とは生命の存続方式にほかならない。【以下、略】

 杉田水脈議員の言う「生産性」は、あきらかに、生命の再生産(生殖)を意識したものである。これは、大熊信行の発想と共通するところがある。本日は、とりあえず、このことを指摘しておこう。それ以上のコメントは、次回。

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