礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

昭和18年暮、東京で起きたタバコ買いだめ

2020-04-01 03:08:13 | コラムと名言

◎昭和18年暮、東京で起きたタバコ買いだめ

 たまたま、『財政』という雑誌の第九巻第二号(一九四四年二月)を手にしたところ、粂川義男の「東京と大阪」というエッセイが載っていた。一九四三年(昭和一八)暮に東京で起きたタバコ買いだめに触れている。本日は、これを紹介してみよう。

  東 京 と 大 阪     粂 川 義 男(財政研究会)
   ★
 昨年〔一九四三〕の暮も押詰つた頃明、東京都を中心とする近郊から一時煙草が全く姿を消したことがあつた、その時の理由が値上げを予想しての買溜めだといふにあつたから事実買溜〈カイダメ〉が行はれたものならばその限りにおいて極く僅かではあるが買溜をした人は得をしたわけである、しかしこの場合の損得は別としてその時の話に東京都やその近府県では煙草が無いのにも拘らず大阪は依然平常通り出廻つてゐたといふ、この現象を指してある人がこういふことを言つたことがある。
「それは大阪の人が真の意味で算盤〈ソロバン〉高いからだ、といふのは値上げを予想して手廻し好く買溜を行ふのは一見極めて利に慧い〈サトイ〉ようであるが実はそうではない、何故といつて煙草などゝいふものはいくら買溜めてをいても所詮は煙りの輪となつて中空に消えてゆくものだ、それに保存に耐え得るように見えても日が経てば湿気を含んでくるし、そうなれば自然、味も落ちてくるわけである、一時目先きの慧さを誇つて買溜めてゐたところでそれはたゞそれだけのことである。せいぜい友達に自慢してみる位が山であらう、それ位のことで乏しい財布をはたいて買溜めをやつてそれだけの金を寝かせてみたり、段々まづくなる煙草を我慢して吸つてみたりしたとてはじまらない。それにこういふ嗜好品は手許に豊富にあればあるほど余計に消費する傾きがある、そこへ行くと大阪の人はさすがに算盤高い、第一にたとひ僅かな金でも寝かせるのは勿体ない、その上余分に吸ふようなことがあつたらそれだけ損ではないか、値上りをすれば節煙すればよし、出来ればそれを機会に止めてしまへばよい、よし、その双方とも出来なくとも桜を光にかへるとか、光を金鵄〈キンシ〉にかへるとか位は出来る筈である、それなれば何も目の色を変へて慌てゝ買漁りなんかしなくてもよいではないか、そんなことに時間や頭を費すよりもつと実利のある方に使つた方が得ではないか、そしてこの方面で大きく得をすれば煙草の値上げなんかしれたものではないか、といふのであらう。だから大阪では煙草の買溜めなんか起らないのだよ」
 といふようなことであつた、この人は政府の相当な地位にある人だけにこの話を面白く聞いた、実は筆者も昨年の九月にヘソの緒を切つて以来一度も他所〈ヨソ〉に出たことのない関西の地を離れて東京へ移り住んだ者である、爾来折に触れ時に臨んで東京との人情の機微の相違を面白く観じてゐるものである。【以下、略】

 文中、桜、光、金鵄は、いずれも、タバコの商品名。桜はチェリーからの改称、金鵄はゴールデンバットからの改称である。改称は、一九四〇年(昭和一五)年一一月。

*このブログの人気記事 2020・4・1

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« うそばかり ついていると ど... | トップ | 足りる足りないは人々の心に... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラムと名言」カテゴリの最新記事