◎国定教科書は皇室に関する史実に対して小心翼々に過ぎた
『日本及日本人』第五百五十四号(一九一一年三月一五日)「南北正閏論」特集から、菊池謙二郎の「南北朝対等論を駁す」という論文を紹介している。本日は、同論文の「余論」の四回目。
▲右の外皇統の事は臣民の議すべきものでない、正閏の区別を立つるのは僭越であるとかいふ議論も見えた、それは皇室の内事と歴史上の公事といふ区別を知らぬ論。又足利時代の著書に北朝を正統としたものが多くあるから北朝は正統なりとの意見も見えたがそれは論ずはも及ばぬことである。要するに対立論者の論拠は之を史実に取つたのではなく対立論 を建設せんが為に一種の見解を立てたのに過ぎぬ。而して其見解はいづれも没常識であることが分る。
▲さて小学校の日本歴史に南北朝対等説を持ち込んだ為めに国論大に沸騰した。我輩も反対者の一人であるが、しかし是は喜田〔貞吉〕君始め編纂委員の人々が自家の私見を国定教科書に由つて貫徹せしめんとしたものでない事は明かである。それはかの小学日本歴史を通覧すると皇室の御争に関することは成るべく触れない主意を以て書かれて居る。一例をいふと壬申の乱は全く抜きにしてある。この筆法で南北朝のことも軽重を立てなかつたのであらうと思ふ。それであるから我輩は国定教科書編纂の主意の極めて小心翼々たる誠意を認めるのである。さりながら皇室に関する史実に対して小心翼々に過ぎたから思はず知らず大処に着眼することを忘れて失策に陥つたのであらう。一体我皇室の尊厳なることは世界無比であるが数千年の間には旺盛のことも微弱なこともあつた。いかに微弱に在はせられても未だ甞て其尊厳を傷つけられたことはない。是我が國體の類例なき所であるから、歴史も有のまゝに書いた方が皇室の尊厳をますます発揮することになるのである。然るに国定教科書はあまりに注意を払ひ過ざて真想を誤まらしむるに至つたのであらうと思ふ。吾輩は皇室の歴史に対して国定教科書が注意を払ひ過ざたる誠意を認むると共に喜田君其他が国定教科書を利用したのでないことは万々認めざるを得ない。之と同時に喜田君等が従来の伝説に重きを置かず為めに国民道徳に動揺を起さんとしたのを悲むのである。【以下、次回】
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