礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

「ナチス」は英米人の用語だが日本でも使う

2016-08-02 05:35:27 | コラムと名言

◎「ナチス」は英米人の用語だが日本でも使う

 昨日の続きである。すでに見たように、「ナチス」、「ナチ」という言葉は、非常に捉えにくい。日本では、たしかに慣用語として用いられているが、その正確な意味がわからないし、由来もはっきりしない。そうした慣用語を、このまま使い続けてよいものかどうか、一度、検討してみる必要があるのではないか。
 ところで、最近、必要があって矢部貞治〈テイジ〉の「全体主義政治学」という論文(一九四三)を一読したところ、そこに次のような一文があった。

 ……併し何れにしても、この「全体的」といふ概念で国家を説くことは、ナチスでは寧ろ拒斥されるのである。
 では一体現代独伊〔ドイツ・イタリア〕のことを――或場合には日本やソ連をも含めて――「全体主義」の国家といふ風に言ふ者のあるのは、如何なる由来に因るものであらうか。恐らくはこれは、恰も〈アタカモ〉「ナチ」とか「ナチス」とかいふ語と同じ様に、もともと英米仏〔イギリス・アメリカ・フランス〕などの外国人の側から、多少とも反感や侮蔑の意を含めて、言ひ出されたものであらう。筆者の見聞した限りでは、現代ドイツに於て「ナチ」とか「ナチス」とか言ふことは皆無で、完全に「国民社会主義」(Nationalsozialismus)と言はれ、略符としては、“N.S.”が用ひられる。“Nazi”とか “Nazis”とかいふのは、英米その他外国人の言ふことである。ただ日本では、「ナチス」といふ慣用語は、それ自身決して反感や侮蔑の意味を含むのではないから、一々「国民社会主義」と言ふ煩鎖を省くために、之を用ひても差支へないと考へるのである。これと同じ様に、「全体主義」といふ語も、初めは英米人などの用語であったとしても、日本では勿論別に悪意を含蓄するのではないから、これを用ひて差支へないと考へるが、少くともこの様な用語は、独伊自身では為されて居らず、却つてドイツでは排斥すらされてゐるといふことを忘れてはならぬ。

 矢部貞治は、ここでいくつか重要な指摘をおこなっているが、特に重要なのは、「ナチ」や「ナチス」は、外国人が、反感や侮蔑の意を含めて用いる言葉だとする指摘であろう。
 また、日本においては(少なくとも、戦前・戦中期には)、「ナチ」や「ナチス」が、そういう性格の言葉であるにもかかわらず、悪意を含まずに用いられているというのも、注意すべき指摘であろう。
 ところで、この矢部貞治論文だが、日本国家科学大系第四巻『国家学及政治学2』(実業之日本社、一九四三)に収録されている。この本は、国立国会図書館に架蔵されているが、引用される機会は少ない。

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