礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

声優・加藤精三さんと無我苑の伊藤証信

2014-10-01 03:31:33 | コラムと名言

◎声優・加藤精三さんと無我苑の伊藤証信

 昨日いただいた柏木隆法さんの通信「隆法窟日乗」(9月23日)の中に、次のような一節があった(通しナンバー157)。

 拙の仏教史研究の過程の話は大変不評で、まともに書こうとすると「そんなことは知っている」との手紙が届く。嫌だったら読まなくていいのだが、何故かつまらない思い出のリクエストも多い。面白いといえるかどうかわからないが、こんな話がある。拙が碧南市の無我苑〈ムガエン〉調査を始めて10年目、二代苑主慶爾氏が病気で倒れ、豊橋に移転を余儀なくされた時、拙は無我苑資料の整理保存を全面的に託された。倉庫には未整理のままの資料が段ボール箱に詰められ山積みになっていた。勿論資料ばかりではなく、日曜雑器や衣類などもあって拙一人で整理にとりかかっても2、3年はかかる大作業が予想された。特に孫のあけみの学用品も多く、新聞類も学校の廃品回収のために捨てずに保管されていたから大変だった。伊藤証信〈ショウシン〉存命のころの資料も伊勢湾台風でバラバラになった状態のままで段ボールに詰められていた。いよいよ無我苑が引っ越す日、拙は苑の近くにあった証信の墓に「ふつつかながら私が整理させていただきます」と報告に行ったら、かつての無我苑同朋の人が数人来ていて拙はその挨拶を墓前でやった。すると東京から来たという老人に声をかけられた。頂いた名刺を見ると「加藤精三」とあった。肩書は東京放送劇団になっていた。どこかで聞いた名前だが思い出せない。すなおにそのことを告げると「僕は日本中の嫌われものです」と。そこで拙も思いだした。かつて日本中をハラハラさせたアメリカのテレビ映画『逃亡者』はご存知だろうか。リチャールド・キンブルの吹替えは睦五郎〈ムツミ・ゴロウ〉であったが、バリー・モアが演じたジェラード警部の吹替えが加藤精三だった。このドラマは人気があり、後にハリソン・フォード主演で映画化された。この放送中、テレビ局への抗議は凄まじく、ジェラード警部が出ると見ないという強迫もあったという。その割にジェラードがでる回は視聴率が高かった。おかげで加藤は顔を出す役からは外された。伊藤証信とは田中智学の国姓劇に出ていたころに田中の紹介で知り合った。【後略】

 無我苑を主宰していた伊藤証信(一八七六~一九六三)は、著名な宗教家で、河上肇も、その若き日、伊藤証信に惹かれて、大学講師の職を投げ打ち、無我苑で生活していたことがあった。その伊藤証信と、ジェラード警部の声を担当した声優・加藤精三さんとの結びつきは意外であった。文中、「田中智学の国姓劇」とあるのは、たぶん「田中智学の国性劇」の誤入力であろう。
 なお、インターネットを見て、加藤精三さんが、本年一月一七日に亡くなられていたことを知った。享年八七歳。

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