◎おどりはねる言葉の力にすいこまれた(野間宏)
角川文庫版『定本 綴方教室』(一九五二)から、巻末にある「解説」を紹介している。本日は、その二回目(最後)。
昨日、引用した部分のあと、「一行アキ」があって、次のように続く。
なお、参考のために、「綴方教室」にかんする批評をつぎに二三紹介しておく。
【一行アキ】
川端康成氏。
「(前略)豊田正子氏の「綴方教室」の面白さは、この子供の性格や境遇によるところも少くない。しかし、私達を最も教えてくれるものは、その文学的才能の稀有な現れ方にある。子供がこのような文章が書けるのは、あたりまえのことである一方、実に不思議なことと考えられるのである。この少女の作品は作文の、最もやさしい教科書であり、同時に最もむずかしい教科書である。いわば文学の原型、または出発点を見事に示したものであろう。そのような意味で厳然として神聖である。どんなに老練な作家でも、此子供の文章に接して、自ら省みるところがあろうし、またかなわないと思うだろうと云うのは、そこに文学の故郷の泉を見るからである。そしてまたどんな子供も大人も、この「綴方敎室」的心の眼を底に持っているはずだということを土台として、文学なるものは成り立つているとも考えられるのである。そう考えさせてくれるのは、一少女豊田正子の広大無辺な手柄と云わねばならぬ。
私は子供の文章や、素人(職業的文筆婦人でない)の女性の文章を読むのが好きである。芸術には子供的なるもの、また女性的なるものが、多分に含まれている。作家にそれが乏しくなると、油の切れた機械のようで製作が乾いて来るらしい。批評家もそうである。専門の批評家には、よくそういう人があつて、感受性が動かず、生物の作品と無生物の批評家とが睨み合ったようなことになる。ところで、「尾山田三五郎」(続綴方教室)などを読んでも、一見、子供らしさ、娘らしさは目立たぬようである。飾りとしてのそれはない。つまり感傷の曇りがない。単純な写真機に焦点がぴつたり合つたような、鏡が無心に写したような、驚くべき写生である。素朴な写生文の極北である。
このような見方や書き方は、鈴木三重吉氏の「赤い鳥」風の綴方で、この子供が教えられたものである。無論、少女自身が一種の天才であることは云うまでもないとして、文学的な早教育が成功した珍らしい例を、そこに見るのである。
しかも却つて早教育らしい臭味がない所に、いろんな意味がある。これを早教育と考えるのもどうかと思われるが、いわば、早教育によつて文学的なものを子供に加えるのではなく、子供の殻みたいなものを洗い洗つているうちに、こういう綴方の言葉が流れ出て来たのである。本を読むことから入つた文学ではない。早教育の成功しやすい他の芸事には、こういう結果は見られず、早教育の成功し難い文学に、不思議な一例を得たことは、単に文学の一つの問題としてより以上に、文学を広い人生に置いて考える一つの手がかりとして、深い意味があろう。(後略)」 昭一三・一一・四「東京朝日新聞」より
春日正一氏。
「(前略)この本が最初に出版されたときから、読んで見たいと思いながら、監獄、闘争、監獄と仕事に追われて、つい読む機会もなく、本の名前だけ頭のすみのどこかにこびりつかせたまま、今日にいたつたというわけでした。だから思いがけなく送つていただいた時には非常にうれしかつたのです。
私も十五の春から深川の西町(今の住吉町)の裏町の四軒長屋で東京生活をはじめたので、あなたの書いている労働者の家庭生活は、手にとるように解ります。会話に出てくる東京弁は特になつかしいものです。ありふれた、日本中で何百万人の少年少女が経験している労働者の家庭生活も、こうして素直に描きだされて見ると、実に美しいものです。じつさい、この礼儀も作法も何もない粗野な労働者の家庭こそ、プルジョア的偏見から一番毒されない、プロレタリアートの思想がすくすくと育つ温床なのです。文章を通じて、ひねくれずゆがまずのびていく、たくましい筆者を思いました。(後略)」 一九五一、「人民文學」、六月号より
野間 宏氏。
「最近私は日本のほんとうの言葉はどこにあるか、またそれはどのようにしてつくられなければならないかということを求めて、日本の明治期の小説やまたその他いろんな文章をよんでいる。私のさがしているのは、単純な、しかもはつきりと対象をつかみとつてはなさない言葉である。私は豊田正子さんの『綴方教室』をよんだのもこの目的のためである。……私はよみすすんでいつたが、しばらくしてそのよう目的をもつてしらべて行く自分を忘れて、そのなかにぼつとうした。私は「火事」や「犬ころし」や「にわとり」などの対象とともにじつに敏感におどりはねる言葉の力にすいこまれたのである。
小学校四年生・五年生でかいた豊田さんの言葉のなかに深くつかつていると、自分のもつている言葉のかたい構造がしずかにゆるんでくるのがわかる。生活とはなれることのない働くものの言葉の一つを私はここに見出す。 一九五一年四月「讀賣新聞」より
角川文庫編集部
川端康成は、その書評のなかで、「尾山田三五郎」という作品に言及している。これは『続綴方教室』(中央公論社、一九三九)中の一篇だが、残念ながら、角川文庫版『綴方教室』には収録されていない。
明日は、角川文庫版『定本 綴方教室』(一九五二)の「目次」を紹介したい。
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