礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

講演の速記を天下同憂の士に頒つ(河野已一)

2021-11-28 01:37:41 | コラムと名言

◎講演の速記を天下同憂の士に頒つ(河野已一)

 小冊子『世界新秩序と日本』の表紙見返しには、次の一文がある。

 本書刊行に際し、本多先生の絶大なる御厚
意を賜りしことゝ、親友齋藤憲三君が多大の
援助を寄せられたることに対し此処に衷心よ
り感謝の意を表するものである。
     東 亜 連 盟   河 野 已 一

 河野已一は、この小冊子の「編輯兼発行人」である。齋藤憲三については後述。
 
 続いて、編者・河野已一による「序」がある。

     
 昨今、新体制の声は、囂々〈ゴウゴウ〉として天下を鳴動して居る、皇国本来の魂の入つて居る新体制なら固より結構である。問題は新体制に魂が籠つて居るか否かと言ふ事に在る。魂の入つた新体制の確立は、何が故に新体制を必要とするかと言ふ事が普く〈アマネク〉国民に徹底して居なければ駄目である。それが果して全国民に諒解されて居るであらうか、即ち日支事変を契機として、皇国が有史以来未曾有の難局に当面して居ると言ふ漠然たる事は、今日、誰でも知つて居る。けれども内政にしても、外交にしても、何がそんなに困難になつて居るかと言ふ具体的な事になると知つて居る人は案外少ないかも知れぬ。近衛内閣総理大臣が号令するからと漫然新体制に雷同するのでは、協力なる新体制は出来ない。雷同者流が如何に多く集つた所で、それは烏合の衆に過ぎない。決して強力なる新体制ではない。それで未曾有の難局は打開出来ない。故に強力なる新体制の出現は難局の具体的真相を普く国民が理解する琪が先決問題である。若し何等偽らざる現下内外時局の真相が全国民に徹底したりとせば、近衛内閣総理大臣が新体制を天下に号令するを待つまでもなく、必すや国民各自が進んで新体制の確立に奮起するに相違ない。之れは近衛内閣総理大臣も『本来新体制の如きは、上から言はずとも、下から盛り上がるべきものである』と認めて居る所である。然かも今日、新体制が下から盛り上がらぬ所以は、国民が非常時局の真相に未だ通暁せぬ一面があるからに外ならぬ。されば即今の急務は、時局の真相を能ふ〈アタウ〉限り全国民に徹底せしむるにある。
 皇国未曾有の難局は、其の由来する所遠く且つ深し。又内治、外交の全般に亘つて居る。併しながら其の根本は所謂る外交国難である。詳言すれば、日支事変を契機とする東亜新秩序の建設、東亜新秩序の建設を繞る皇国と列強との国際関係、第二世界大戦と東亜新秩序建設との国際関係、更に又東亜共栄圏確立に伴ふ国際関係、即ち是れである。此の複雑怪奇を極むる多辺的外交が、噂爼〈ソンソ〉の間に然かも円満無碍〈ムゲ〉に調整出来れば問題はない。それが不可能で或は遂に干戈相見ゆるに至らねば、解決出来ないかも知れぬ。そこに未曾有の外交困難はある。皇国未曾有の難局が横はつて居るのである。
 此の時、我が外交界の大先輩本多熊太郎先生が本年の七月初めに編者二十年来の親友齋藤憲三君(秋田県平沢町出身)の希望を容れ、初めて秋田県下に足跡を印せられ前後十日間各地に於て時局講演会を開催し数万の聴衆に深き感銘を与へられたのである。編者も亦行〈コウ〉を共にし先生の熱血に浴し所感を新たにした一人である。即ち七月八日秋田魁新報社主催の講演会に於て講述せられたる所を速記せるものと、本年八月大阪毎日、東京日々両新聞紙上に公にされた外交論策とを見るに、共に我が外交国難の由来と現情とを具体的に語られ、皇国外交の進路を示唆された殆ど唯一の論策である。勿論外交の事たる其の一言一句が国際関係に至大の影響があるから、本多先生は特に慎重なる言辞と周到なる用意の下に述べられたるも、其の聴講者と読者は、皇国外交国難の由来と現情と進路とを明白に了解した事であらう。而して新体制の急務且つ緊要を愈々痛感した事と信する。斯る有益なる外交論策を、単に一場の講演、一片の紙上論に終らしむるは如何にも忍びないから、茲に該講演の速記、大毎、東日両紙上の論策を併録して、広く天下同憂の士に頒つ事とした。是れ本多先生の所論を一人でも多くの人に読んで戴き、皇国外交国難の実情と進路とを知つて貰ひ、而して皇国本来の魂の入つた新体制の確立に協力邁進して貰ひたいからである。是れ又新体制に即応する微意に外ならぬ。
  昭和十五年九月          編 者 識

 表紙見返しの一文、および「序」に齋藤憲三の名前が出てくる。齋藤憲三(一八九八~一九七〇)は、東京電気化学工業株式会社(現・TDK株式会社)の創業者。
 本多熊太郎の講演招聘、小冊子の発行などにあたっては、おそらく、齋藤から資金提供を含む支援があったと推測される。
 なお、「序」に、「大毎、東日両紙上の論策を併録して」とあるが、この論策とは、「外交建直しに就ての若干の考察」を指す。これは、大阪毎日新聞、東京日日新聞紙上に連載された論文である(一九四〇・八・二六~三一)。当ブログでは、この論文も紹介してみたいと思っているが、とりあえず明日は話題を変える。

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