◎「菓子を食ひたい」でなく「菓子が食ひたい」
松尾捨治郎著『国語論叢』(井田書店、一九四三)から、「第三 外国人に教へる基本文型」を紹介している。本日は、その二回目。文中の傍線、一字アキは原文のまま。
三 が…………型
国語の所謂形容詞は、高い山 美しい花 の如く、adjective同様に、連体形にも用ゐられるが、其よりはむしろ
山が高い 花が美しい 山が高くて 花は美しいが 山が高ければ
の如く、文 句 の述語として用ゐられる方が多い。此は事新しくいふまでも無く、印欧語ならばbe,sein, 等を伴ふ筈なのに、国語では形容詞だけですますのが普通である。但し古語の 高かり 九州方言の 高か 等は印欧語風に ある を伴つた者の変形である。又現代語の
山が高からう。 山が高かつた。 山が高いだらう。 山が高くあるまい。
等も同様であるが、此等は 未来 過去 想像 等の意を表すのに、形容詞そのまゝでは助動詞を附け得ないので、あるを含ませ又は明かに附けて、動詞的にしたのである。此等特殊な用法を別にして、日本語の形容詞は述語となつて、が……い型を取るのが、印欧語に見られない語法である。高い 美しい 等は、印欧語のadjective 兼verbの用をするといふので、松平圓次郎氏は、之を形容詞といはず、形容動詞といつた。芳賀〔矢一〕博士等の所謂形容動詞とはちがひ、久活〔ク活用〕や志久活〔シク活用〕を指すのである。
斯の如く、形の上から、形容詞がadjectiveと違ふだけでなく、其の内容に於ても、動詞性(自動性ばかりでなく他動性)を帯びた者がある。例へば
蛇が恐い。(蛇を恐れる) 歯が痛い。(歯を痛めた) 今日は楽しい。(今日をば楽しむ)
此等はそれぞれ( )内のやうな他動性を帯びて居る。又一種特別のが……だ型が之に似て居る。
菓子がすきだ。(菓子を好む) 酒は嫌ひだ。(酒をば嫌ふ)
何れも日本語を学習する外国人に、理解させ難いと同時に、習熟させる必要のある常用語法である。又 家に帰りたい 早くすすみたい の如く自動詞にたいの附いた場合は、問題がないけれども、他動詞についた場合、例へば
菓子が食ひたい。 本が読みたい。
等は、日本人でも印欧語に馴れた人などは多く 菓子を食ひたい 本を読みたい の如く、をといふやうである。菓子を食ひ 本を読み を一連の語と考へ、之にたいを附けたとすれば、此も咎め〈トガメ〉られないが、日本人の思考法としては、菓子 本 を主題とし、其とたいといふ希望とに重点を置くのが普通であるから、がを用ゐる方が日本的と言へる。〈三一~三三ページ〉【以下、次回】
「菓子を食ひたい」より「菓子が食ひたい」の方が「日本的」だという松尾の主張はわかる。しかし、一般的な日本人が日常で用いるのは、そのどちらでもない。「菓子食ひたい」である(または、「菓子くいてえ」。女性なら、「お菓子たべたい」)。こうした表現について、松尾は、どのように考えていたのだろうか。
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